中川・綾瀬川の流域治水シンポジウム

20240826 流域治水シンポジウム 中川・綾瀬川緊急流域治水プロジェクト

先日、令和6年(2024年)8月26日、越谷市中央市民会館におきまして、中川・綾瀬川の流域治水シンポジウムがあり、参加してきました。

参加者は白ワイシャツの行政パーソンが多かったようです。

 

 

中川・綾瀬川緊急流域治水プロジェクト

中川・綾瀬川流域(春日部市、草加市、越谷市、八潮市、三郷市、吉川町、松伏町)では、昨年、令和5年6月の台風2号による内水氾濫によって、大規模な家屋浸水被害が生じています。

この地域は、中川と綾瀬川に挟まれたお椀のような地形になっています。中川・綾瀬川は、河川勾配が小さく、ただでさえ水が流れにくい(排水能力が低い)川です。排水能力を越えた雨が降ると、溜まってしまって流れにくいのです。

 

 

この時のことは、私もよく覚えております。

須賀敬史 前県議が立候補した蕨市長選挙の最中で、連日、県内の自民党議員が選対に応援に入ってきていました。

蕨市では浸水被害はありませんでしたが、毎日来てくれていた草加市の議員さんから翌朝一番で、「市内での水害がひどく、一晩中市内を駆けずり回ってきて、今、家に帰ってきたばかりなので、一眠りしてから蕨に向かいます」と連絡を受けたのでした。

 

 

対策として、国・県・市町が連携して、中川・緊急流域治水プロジェクトが動き始めております。

 

 

流域治水という考え方は、2度目のパラダイムシフト(であるべき)

学者の加藤孝明氏の講演で、面白い話がありました。

 

20240826 流域治水シンポジウム 中川・綾瀬川緊急流域治水プロジェクト

「流域治水頑張ろう!」という関係市町の首長の決意ポーズを軽く揶揄した上で、

 

流域治水という考え方は、本来であれば、2度目のパラダイムシフトであるべきなのだ、と。

 

 

古代~中世:人類文明は、自然の脅威に抗う術を持ちませんでした

文明 < 自然の脅威のフェーズです。

大雨の時に浸水して流され、少なかぬ被害が生じるのは当たり前で、高台に住むくらいしか対策はありませんでした。

いざ自然災害が発生したら、人々は一丸となってこれに対処する必要がありました。

 

 

近世~近・現代(江戸時代~平成):土木技術・防災インフラが自然災害から人々を守りました

これが第1のパラダイムシフトです。

文明 > 自然の脅威のフェーズです。

人類文明は、自然の脅威と戦う道具として、土木技術を手に入れ、防災インフラを整備していきました。

堤防、ダム、河川改修などの土木技術・防災インフラがあれば、人々は、自然災害を恐れる必要はなくなりました。

土木技術・防災インフラが、人々を自然災害から守ってくれました。
人々は、自然災害と直接対峙する必要はなくなりました。

 

 

今(令和~):流域治水

これが第2のパラダイムシフトです。

文明 < 自然の脅威のフェーズです。

気候変動により、自然災害は頻発化・激甚化し、防災インフラ整備のスピードが、追いつかなくなりました。

土木技術・防災インフラ整備が、自然災害から人々を守りきれなくなりました。

人々は、自然災害をある程度は受け入れていく覚悟が必要になりました。
いざ自然災害が発生したら、人々は一丸となってこれに対処する必要が出てきました。これが流域治水です。

つまり、古代~中世に戻った、ということになります。

 

 

加藤教授は、この考え方に基づき、葛飾区において浸水対応型市街地構想を進めています。

 

 

はっはっは。ここでも、人類は、自ら作り出した地球温暖化によって、大きなしっぺ返しを受けているわけです。何と言う皮肉でしょうか。


コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください