東日本大震災の復興のために高台を削って造った集団移転住宅地の多くが、限界集落に。

本日、令和7年(2025年)3月6日付け読売の記事より。

東日本大震災では、多くの、海辺の小さな漁村集落が被災しました。これらの復興のために、高台の山を削って造成し、小さな集落を丸ごと山の中に集団移転することを目指しました。

今日においては、これらの多くが高齢化、過疎によって、空き家・空き地となってしまっている状況が解説されています。

膨大な復興費が、無駄となってしまったわけで、暗澹たる気持ちになりました。

 

 

県が全額国費による整備を要望すると、国も容認した。対象となった自治体の元幹部は「少しでも負担を求められたら、あれだけの事業はできなかった」と言う。自らの懐が痛まないことが、大規模造成に走らせたことは否めない。遠藤さんは「集落ごとに形態や文化が異なるのを読み切れなかった。住民と話し合う時間も不足していた」と語る。

全額国庫負担だったため、地方自治体の見通しが甘くなってしまった、住民との話し合いも不十分であった、とのことです。

 

見通しが甘かった、話し合いが不十分だった、というのは、本当にひどい言い訳です。

東日本大震災以前から、これらの地域は、高齢化が進み、不可逆的な過疎に苦しんでいたわけで、今日の状況が予測できなかったはずがありません。

 

2017年、表面的に視察して考察しただけの私にすら、今日の状況は容易に想像することが出来ました。

201705_牡鹿半島の新しい住宅街

2017年、牡鹿半島の、高台を削って造成した集団移転住宅地にて。

 

 

今日の状況のようになる将来が容易に予測できたにもかかわらず、自分たちの懐が傷まないから、将来予測に目を背けてモラルハザードを生じさせてしまった、というのが真相だと考えます。

 

あの時は、「被災地のすべてを、震災以前の状態に完全に元通りに復興する!」というのが、国全体の意志であり、反対しづらい雰囲気があったことも事実であります。

 

 

みんなが、今日のひどい状況を予測できていながら、それを防げなかったことは残念であり、教訓を汲み取って今後に活かしていかねばならないと思いました。

 

今後、ますます人口減少、高齢化は進みます。

他方で、温暖化による自然災害の激甚化・頻発化も増しています。

今後は、甚大な災害が発生した際は、これを奇貨として都市インフラのスマートシュリンクを進めていく発想が必要であると改めて感じました。


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