米国トランプ大統領とゼレンスキー ウクライナ大統領の会談決裂という衝撃的なニュースから二晩が明けて、今の時点での私の感想を、メモとして残しておきたいと思う。
体系的にではなく、考えながらダラダラと書く。後で考え方を改める部分もあるかもしれないが、今の時点での感想をそのまま書く。
まず、西側共通の価値観を確認したい
私達、自由世界は、
・自由
・民主政治
・法の支配
・人権の尊重
という共通の価値観を持っている。
ゆえに、論理的帰結として、「力による現状変更を許さない」。これが、私達、西側の共通の価値観であったはずだ。
これは極めて高次の価値であり、何よりも優先するべきもののはずだ。
時として、人命よりも重い。
「人命は地球より重い」というのは誤りで、人は、信ずる価値観を守るために喜んで戦い死ぬものだ。
私たち自由世界の先人たち、政治家、外交官、軍人、行政パーソン、情報オフィサー、ビジネスパーソンは、これらの価値観を実現するために、時として命がけで戦い、時には現実的に命を落としてきた。
人命よりも重く、命をかけてでも守るべきものが、これらの価値観であったはずだ。
私もそのように信じている。
米国は西側の盟主であったはず
そして、これらの価値観を実現するためには、圧倒的な力、具体的には、
・軍事力
・経済力
・新しいイノベーションを生み出す最先端のテクノロジーと人材
・ソフトパワー(オリンピックで圧倒的に多数の金メダルを生み出すスポーツの強さ、ハリウッド映画、魅力的な音楽、ディズニー、マクドナルド、コカ・コーラなど)
を持った米国が、西側の盟主であったはずだ。
(個人的にはネズミと、マクドナルドのポテトの油の臭い、コカ・コーラは嫌いだが。浦安ディズニーランドは行ったことがない。これからも行かない。jazzは好きだ)
米国の圧倒的に強大な軍隊、基軸通貨としての米ドル、があるがゆえに、私たちの共通の価値観は守られてきた。
端的に言えば、米国の核戦力(核兵器、運搬手段、核戦略)がなければ、私たちの共通の価値観は守れない。
米国の核戦力があるからこそ、私たちの共通の価値観が守られている。
米国の核の傘がなければ、欧州も、台湾も、そして我が国も、あっという間に邪悪な連中に蹂躙されてしまい、人類は悪に支配されることとなるだろう。
米国は、西側共通の価値観を放棄したのか?
今日、トランプ政権下の米国は、自らが「力による現状変更」を為そうとしている。
米国は、カナダ、デンマーク(グリーンランド)、パナマに対して、自らの軍事力、経済力を用いた侵略の野心を剥き出しにしている。
いや、今までも、そういうことはあったよ?
米国は傲慢な国だ。だから私は米国が嫌いだ。
しかし、どのような時も、表向きは大義を掲げていたし、野心を表に出すことはなかった。それが「大人の世界」というものだった。
米国は、西側共通の価値観を放棄したのであろうか?
盟主が脱退した自由世界は、これからどうなっていくのか?
少なくとも、リーダーとなれる能力を持った国は存在しない。
軍事力、経済力、テック、ソフトパワーがないとリーダーにはなれない。
トランプ米大統領と、ゼレンスキー ウクライナ大統領 首脳会談の決裂のシーンについて
ウクライナが腐敗国家であり、ゼレンスキー氏の大統領としての資質や、「援助してもらって当たり前」という姿勢にも問題があるにせよ、それでも尚、西側の共通の価値観に従って考えれば、ロシアによる「力による現状変更の試み」は到底容認できない。
何を置いてでも、損得を度外視してでも、私たち自由世界は、ウクライナを支援しなくてはならない、というのが、論理的帰結のはずである。
トランプ米大統領とその政権幹部たちは、国際政治を損得勘定だと思っているようだ。
損得勘定で考えた結果、「これは、決裂させよう」と考えたのだろう
人は大義のために戦ってきた
国際政治は、取引ではない。
損得を超えた、命がけで守らなくてはならない崇高な大義があり、どこの国でも、どこの民族でも、そのために戦ってきた。
歴史上、どのような戦い、争いにおいても、裏で汚い損得駆け引きが行われていたこともあるかもしれないが、少なくとも表向きは崇高な大義があった。大義があるからこそ、人々は、これを守るために喜んで戦い、死んでいったのだ。
今日のトランプ米政権による「力による現状変更を認める、自ら推し進める」という姿勢は、ベトナムで、コリア半島で、アフガニスタンで、湾岸で、西側共通の価値観を守るために戦ってきた先人を冒涜するものであると認識する。
(よその国の話なので、余計なお世話ではあるが。)
私は米国人ではなく、日本人だし、率直に言って、傲慢な米国が嫌いだが、米国の価値観は信じていた。
しかしながら、米国の先人が、命がけで戦い守り培ってきた価値観が、このような形で汚されるのは、とても悲しく感じる。涙が止まらない。