ユビキタス・コンピューティング化を阻むもの。

ここんとこモバイルの研究ということで、自らに対して「朝までにフル充電したez端末のバッテリを、その日のうちに使い切ること」をノルマとして課しており、ひたすらモバイルコンテンツをいじりまくっている。

コンテンツの話は別途まとめるとして、今、考えているのは、現在時点で、社会がユビキタっていくのを阻んでいる最大の要素は何だろうか、というテーマだ。

それは、インタフェースの制約だと思う。

以下では、取り敢えずケータイに限定して、インタフェースの制約について論じていきたいと思う。
ケータイ上のこれらの問題が解決されれば、いわゆる情報家電の類など、他の機器上でのインタフェースの問題も同時に解決するはずだ。たぶん。

【入力系インタフェースの制約】
人が何らかの入力をするのは、やはり圧倒的に手を使うのが、便利で早い。足とか舌でテキスト情報を入力するなんて考えられん。PCのQWERキーボードも決してベストのデバイスではないのだが、現状では、これ以上のものはない、多分。それに比べると、ケータイの入力インタフェースは、使いにくすぎる。端末が進化するごとに使いやすくなってきてはいるが、それでもまだまだダメダメだ。

最終的には、意思したものがそのままリアルタイムに入力されるのがベストだ。

個人的には、7年前にバイクで事故して以来、大腿骨転子部にチタン棒が入っているので、外科的手術を施して脳内に何かを埋め込むことに対しては全く抵抗感はない。とは言え、現状のケータイサイズのものを頭の中に埋め込むのは頭が重くなりそうなので、超小型の何らかのチップを神経シナプスに埋め込んで、Bluetoothで手持ちのケータイに送信するのが、現実的だろう。また、他方では、往々にして、人は同時にパラレルに複数の思考をしているものだ。むちゃくちゃ真面目な仕事の話を考えながら、脳の別の部分では、ぼんやりといやらしいことを考えていたりもする。従って、意思した内容がそのまま信号として外部に送信されてしまうのは問題がありすぎる。一旦、本人が外部に送信する内容を確認する手続きが必要だ。ユーザは、意思した内容がリアルタイムにケータイディスプレイに表示されるのを目視で確認し、そのまま送信ボタンを押す、と。

【出力系インタフェースの制約】
人は、五感の中で、圧倒的に視覚に頼っている。

従って、PCの出力デバイスは、当然ながらディスプレイのみだ。ケータイも、ケータイ上の画面のみ。若干、音(聴覚)とバイブ(触覚)もあるが、あくまでも視覚のサポートとしての役割を果たしている程度に過ぎない。

人の五感のうち、視覚以外の感覚が視覚を凌駕していくことは、当面は考えにくいので、やはり、ケータイのこの小さくて見にくい画面を、どうやって大きく、見やすくしていくか、ということを考えなくてはならない。

実際、ケータイの画面はどんどん明るく、細かく、綺麗になってきてはいるが、物理的な大きさには制限があることは言うまでもない。

そこで、発想の転換が必要だ。
「部屋は狭いし、シアターセットを買うほどのお金もないけど、家で大画面で映像を楽しみたい!」という人のために、ヘッドマウント・ディスプレイが発展した。これの応用だ。いわゆる、ウェアラブル・コンピュータってやつだ。ドラゴンボールのスカウターもこの一種だ。

最終的には、やはり人の頭部に何らかのチップを埋め込み、網膜なり脳内なりに直接映像を配信することになると思う。

結論としては、ケータイ(ないし、ユビキタス・コンピューティングの入出力インタフェースを提供するデバイスは、人体と融合していかざる得ない。


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