安倍元首相の国葬

先日、令和4年(2022年)9月27日、参院選の応援演説中に銃弾に倒れた安倍元総理の国葬が行われました。

ご冥福を心よりお祈り申し上げます。

偉大なリーダーであり、真の愛国者でありました。

その仕事のやり方は、周到な根回しを行うスタイルでも、足して2で割るような調整型でもなく、強固な支持基盤を背景に強力なリーダーシップを取って、自らの掲げる政策をぐいぐい進めていくスタイルでした。

その結果として、政敵や、感情的なレベルで嫌悪を示す反対派を多く作りました。

 

 

 

国葬の実施の是非については、様々な意見がありました。

反対論が続出しました。

様々な意見があるのは当たり前ですし、意見があるならばそれを発表するのも当然ですが、御霊を貶めたり、遺族の心を傷つけたりするような過激な反対運動まで行われたました。

これはとても残念に思います。

死んだ人の魂が安らかであることを祈る、悲しみに暮れる遺族の心を慮る、たとえ敵であろうとも自らの信念に基づいて一所懸命に何かに取り組んだ故人に敬意を払う、というのは、どこの民族でも、どこの宗教でも当たり前のことです。

 

ハワイ真珠湾において今も博物館としして静態保存されている米海軍戦艦ミズーリには、帝国海軍による特別攻撃の跡が残っています。

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(2012年2月に戦艦ミズーリ記念館を訪問)

戦艦ミズーリの艦長は、国に殉じた帝国海軍パイロットに最大級の敬意を表し、丁寧に水葬を行いました。艦長の指示に対して不満を漏らす兵士に対して、ミズーリの従軍牧師は「死んだ敵はもはや敵ではない」と説得したそうです。

これこそが、亡くなった敵に対して取るべき態度であろうかと思います。

 

 

 

しかしながら、安倍政治を歴史的に振り返ってみると、分断を招いた、分断を拡大した、ということは言えるかもしれません。

強力なリーダーシップというものは、必然的に分断を招いてしまうものなのでしょうか?

同時代の米国トランプ政権も同じように、分断を招きました。

 

 

歴史が、押し寄せては引いていく波のようなものであるならば、安倍政権の後継である菅政権に次いで誕生した、現 岸田政権が、新しい大型の独自政策を掲げリーダーシップを取って推し進めようというスタイルではなく、「聞く力」すなわち調整力に最も重きを置くのも歴史的必然と言えます。


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