市民目線と自分目線

日経新聞で、ジャーナリストの池上彰氏が「大岡山通信」というコラムを連載しています。
東工大でリベラルアーツを教えている同氏が、大学生を対象に、幅広い分野の教養を学ぶことの重要性、既存のモノゴトを疑ってかかり自分の頭で考えることの重要性を繰り返し説く内容で、このコラムを読むと初心に立ち返る気持ちが致します。

日経新聞 2018/5/14 : 新入生諸君、志を持ってほしい

日経新聞 2018/4/30 : 新入生諸君、疑うことから始めよう

 

当たり前といえば当たり前ですが、自分で一次情報を直接調べる、他人の意見を聞きつつも、最終的には自分の頭で考える、ということはとても重要で、これは、東工大の学生がいずれ目指すような理系の研究者・学者の世界のみならず、文系のビジネスマン、政治家にとっても同じであります。

 

 

よく政治家のスローガンで、「市民目線を大事にします!」、「住民目線の政治を!」といったものを見受けます。
私はこの種のスローガンがあまり好きではありません。

これが、例えば「何らかの既得権」、「何らかの強力な既存勢力・権力・プレッシャーグループ」に対峙するものとしての「市民・住民」という意味で用いているのならばいいのです。そうではなく、単に「市民・住民の意見を聞いて、それに全面的に従います」という意味であるならば、これは全くくだらない姿勢であると思います。

市民・住民の意見をよく聞きつつ、さらに自らがそれまでの生涯を通じて身につけた学問知識・経験・技術・知恵を全て動員して自らの頭で考えて正しいと考える道を進むべきです。
自分の考えと市民・住民の考えが異なる場合は、市民・住民を説得していくことが必要となります。

 

どこの大学でも、社会科学系の学部では、1年次に「政治学概論」、「経済学概論」、「社会学概論」といった概論系の講座があると思いますが。私が大学1年生の時に学んで印象に残っているのは、辻中豊先生の「近代と現代の違い」の話です。

近代は、自立したインディビジュアルの時代だった。
現代になって、マスが出現した。
近代と現代の違いは、マスの存在である。

というものです。

 

マスに全面的に従うのは、安易な道です。

しかしながら、マスは間違えることがある。

マスの意見を聞きつつも、自分の頭で考えて正しいと思うことを行なう。マスと自分の考えが異なる場合は、マスを説得していく、というのが、間接民主政の下での、あるべき政治家の姿勢であると考えます。

説得の努力を重ねても叶わない場合はどうすればいいのか?
その場合は、腹を切る覚悟で進むか、その場で辞めるか、どちらかしかないですね。

市民目線は大事にすべきですが、これは盲従するべきものではなく、最も大切にするべきものは自分目線なのです。


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