政策と政局

政策と政局

議会・政界において、あるいは、様々な組織内において、対立する相手方・敵方、状況に対する態度・方針を示す言葉として、政策政局というものがあります。
学問的な定義はともかくとして、私個人的には、ざっくり以下のように捉えています。

政策
国民なり市民なり、その組織なりの利益の極大化のために、誠にベストの施策、方針、予算を考え、その実現に向けて行動すること。

政局
自ら(個人あるいは、組織内の小グループ)の勢力の拡大、あるいは対立する相手方・敵方の勢力の縮小のために、行動すること。

政策と政局は、対立する概念にようにも見えますが、必ずしもそうでもありません。
重複する場合もあり、対立する場合もあり、状況によってまちまちだと思います。

政策と政局の関係

概念図として、ざっくり↑こんな感じでしょうか。

各プレーヤは、政策と政局の間で、状況に応じてバランスを取りながら行動していくのが実情だと思います。

 

政局って何だ?

政局というものは、どうもよく分かりにくい。
議会における例を挙げると、審議拒否、牛歩戦術、(少数派による)不信任決議案、議会での暴力、スキャンダルの追及などがあります。

審議拒否は、例えば「反対する議案に対して審議拒否!」など、本質的な議論を行わずに、議会を空転させることで、国会ではよく見られます。

牛歩戦術は、最近はめったに見られるものではありませんが、議会における投票の際に、わざとノロノロと歩いて時間をかけることです。少数派がアピールするために用いる戦術ですが、多数決で投票が行われる時点で、多数派の勝ちは確定しているために、採決の結果に影響を及ぼすことはあり得ません。

少数派による不信任決議案は、少数派が出すものである以上、否決されることは必定です。出す側もそれを分かっていて、敢えてアピールするために出すわけです。

議会での暴力は、地方議会ではめったに見られるものではありませんが、TV中継が行われる国会では、野党が委員長席に詰め寄って服をひっぱたりというシーンは、たまに見られます。

 

政局は、弱者の悪あがき?

これらは全て、野党・少数派の悪あがきであり、非論理的・非合理的な無駄な行動のようにも見えます。

マスメディアでの報道がほとんどなされない地方議会では見かけず、マスメディアで注目される国会でよく見られる点で、世論へのアピールを目的としたものである、とも言えます。

概ね、上記の例のような、一見するとバカバカしい手段を取って行われるために、時間稼ぎ以外の効果があるのかどうか疑問にも思いますが、身内の支援者に対するアピールになり、賛否が揺れている層に対する働き掛けとしては効果があるのかもしれません。

上手くやれば、マスメディア・ソーシャルメディアに取り上げられて注目を浴び、市民世論を引き寄せ、自らに有利なように局面を打開することも出来るかもしれません。
また、スキャンダルを材料にして、対立する相手方・敵方を辞任に追い込むことが出来たら、相手方・敵方の力を大きく削ぐことが出来ます。

 

強者と弱者

また、上記のように強者と弱者に分けて考えた場合、概ね、弱者側が戦術として用いる例が多いのですが、強者側が戦略的に用いることもあります。

例えば、昨今の東京都政における、
小池都知事が、自らの勢力拡大のために、都議会自民党を敢えて悪者に仕立て上げ、マスメディアを使って都民にアピールしつつ、市場移転問題・オリンピック会場選定問題などで対立構造を煽っていくのは、その例に当たります。

但し、上記の強者-弱者の対立構造の概念図で言うと、小池都知事は首長ゆえに強者であると同時に、都議会においては支援勢力は少数派なので弱者であるともいえます。要するに、対立構造がねじれ現象を起こしているわけです。

 

政局は、悪か?

政局は、時に、子供のケンカのような下らない手段を取って行われます。
また、政策的な視点で考えれば賛成できるような議案・法案・条例案に対しても、敢えて「反対のための反対」を行うような場合もあろうかと思います。

では、政局は、悪なのか?

否、政局は決して悪いものでないのです。

 

政治家は、自らの考えを持ち、これを正しいと信じ、その実現のためにあらゆる努力を払います。

自らが正しいと信じる考えを実現するためには、多くの支援者・支持者を得て、多数派となり、与党となり、長となって、権力を握らなくてはならないのです。
弱者側ではなく、強者側にならなくてはならないのです。
そのためには、選挙の投票結果も、世論調査の支持率も、全ての状況は相対的なものであるゆえに、対立する相手方・敵方の力を弱め、あるいは排除することを目指さなくてはならないのです。

「権力を獲らなくてはならない」というのは、決して、権勢を思いのままにして好き放題やりたい、利権を悪用して特権を貪りたい、カネが欲しい、大きい家に住んでメルセデスに乗りたい、隔日でキャバクラに通って愛人を3人囲いたい、有名になりたい、尊敬されたい、モテたい、というような、卑賤な権力欲のことではありません。

自らが正しいと信じる考えを実現するために必要だからこそ、たとえバカバカしい手段を使ってでも、嫌われてでも、(あるいは、一時的に信念を曲げてでも、)権力を欲するのです。

 

まあ、ちょっと考えてみると、まともな正常な、普通の神経の持ち主ならば出来ないことではありますが、その種の、明確な使命感と意志を持った人が歴史を作ってきたのも事実であります。
(私個人的には、他人に悪意・敵意を向けられるとむちゃくちゃ凹むし、流れに乗って要領よく泳いで、好きなようにほどほどにマイペースで生きていきたい派なので、あまり向いていないようですが)

 

政策を追求することが、王道であるならば、
政局を追求するは、覇道と言えるかもしれません。

私利私欲のために権力を求めるのは、邪道です。

状況に応じて、政策と政局をバランス良く使い分けるのが、多くの政治家の現実的な実態であり、清濁併せ呑む賢者の姿だと思います。

 

現状の蕨市政における、ねじれ現象

蕨市政におけるねじれ現象

蕨市政においては、先に例に挙げた、東京都政における、都議会自民党-小池知事の対立構造と同じように、ねじれ現象が発生しています。

私が所属している新生会(自民党系会派)は、定数:18の議会において9議席を有する最大会派です。他方で、予算編成権を持ち、蕨市の人事・情報を含めた絶大な力を持つ市長は、私達とは歴史観・国家観が真逆の日本共産党籍を持つ頼高市長であり、相対立しています。

 

私が所属する新生会(自民党系会派)としては、政局を作り出して、共産主義者の市長との対立構造を先鋭化させようと思えば、いくらでも出来る状況にありました。

例えば、全ての予算案・条例案、教育委員などの人事案を否決し、不信任決議を可決すれば、事実上、市長は、市の経営が不可能となります。
そうなれば、おそらく、市長としては、議会を解散するか、辞任して再選挙を行うしかないでしょう。

そこまでいかなくても、議会多数派としての権能を活かして、市長による市の経営を縛ることはいくらでも出来ました。

 

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(以下は、新生会あるいは蕨自民党の見解ではなく、私個人的な認識ですが、)

しかしながら、新生会(自民党系会派)としては、そのように意図して政局を作り出すことはしてきませんでした。

 

それは、国政における下らない「何でも反対野党」とは異なり、先人から受け継いだ歴史と伝統を保守し、次の世代に引き継いでいき、蕨市の将来に対して責任を持つ立場としての矜持によるものです。

日本共産党籍を持つ現市長による、歴史と伝統を破壊して共産主義革命を目指していながら、そのような考えをニコニコとした笑顔の下に押し隠し、首長としての権力を維持することを求める姿勢を邪道とするならば、新生会(自民党系会派)は、歴史と伝統を保守し、将来に対して責任を持つ立場として、王道を行くべきだ、という考えに基づくものです。

 

新生会(自民党系会派)としては、あくまでも、政局的な状況が出現することは望んでいません。
しかしながら、一旦、望まぬことながらも、政局的な状況が生まれたら、一気に流れは変わります。
対立する相手方・敵方から政局的な状況を仕掛けられたら、同じ土俵に立って、徹底的に闘わなくてはならなくなると思います。
私個人的にも、そのような政局的な状況が生まれることは望んでおらず、もし仮に、この度の2017年3月定例議会において、そのようになれば残念です。

(為念、繰り返しますが、上記点線以下の部分は個人的な見解です)


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