日本維新の会が分党

朝日:日本維新の会、分党へ 石原・橋下両共同代表が合意(2014/5/29)

日本維新の会が、旧大阪維新の会系(橋下徹系)と、旧太陽の党系(石原慎太郎系)に分裂するそうだ。

分裂する理由は、結いの党との合併交渉を巡り、お互いの憲法観の違いが浮き彫りになり、もはや一緒にやっていくことが不可能な状況になったため。

一人一人、立ち位置も考え方もことなるので、同じ政党に所属する政治家全員が、全てのテーマについてまったく同じ考えを持っている、などということはあり得ない。
小さな違いには目をつぶって妥協し、大きな志を実現するために徒党を組むのが政党というものだ。

憲法あるいは国体をどう考えるか?というテーマは、国政の根幹を為すものなので、ここで考え方に違いがあったらそもそも団結することは不可能なはずで、分裂はやむを得ないだろう。

 

1994年 衆議院小選挙区比例代表並立制導入において、日本国民は、二大政党制を志向した

1994年、公職選挙法が改正され、衆議院の選挙制度が、中選挙区制から小選挙区比例代表並立制に変更された。

悪の帝国であるソ連が崩壊して冷戦が終結し、共産主義の脅威がなくなったことにより、イデオロギー対立の図式が崩れた。

それまでは、国内が共産化する危険性を排除するために、自民党を圧倒的に強い与党第一党として固定する必要があった。

それが55年体制である。

共産主義の脅威が消え去ったことにより、55年体制を維持する必要がなくなった。

日本国民は、ここで、緩やかな政策の違いを持つ2大政党制を目指すこととした。
本来、二大政党制を実現するのならば完全な小選挙区制が制度論的には理想的なのだが、既存小規模政党への配慮による妥協の産物で、小規模政党が生き残りやすい比例代表制をハイブリッドした、小選挙区比例代表並立制が、1994年に導入された。

 

つまり、1994年時点で、日本国民は総意として二大政党制を志向し、その結果として小選挙区比例代表並立制という選挙制度を導入したわけだ。

 

二大政党制は、未だに実現しておらず

その後、自民党も何度か下野し、分裂し、様々な小規模政党が合従連衡を繰り返しているが、未だに1994年時点で日本国民が志向することにした二大政党制は実現していない。

既に20年経ったわけが、
・未だに二大政党制に収斂するまでの過渡期が続いていて、引き続き政界再編を続ける意志と努力が必要なのか?
・そもそも二大政党制は我が国に向いておらず、他の選挙制度を模索するべきなのか?

 

二大政党制を実現するためには、対立軸が必要

1994年時点で想定されていた二大政党の対立軸は、
小さな政府 ←→ 大きな政府
だった。

私見だが、このような対立軸は、政治家がリーダーシップを取って考えた後に、国民のコンセンサスを得て、努力によって形作っていくものだ。
対立軸は、何となく自然に浮き彫りになってくるものではない。

この流れが推し進められれば、与野党を含む政界の合従連衡によって、最終的には
・小さな政府を志向する政党A
・大きな政府を志向する政党B
に収斂されていくべきところだった。

現在は、ゆるやかに
・小さな政府派:自民党、旧太陽の党、旧大阪維新の会の一部
・大きな政府派:民主党、その他の野党の一部
と分かれている。

 

一つの仮設として、「小さな政府 ←→ 大きな政府」という対立軸の設定は、間違っているのではないか?
別の対立軸を設定する必要があるのではないか?

 

憲法観を対立軸に設定したら、どうなるか?

一つの案として、憲法観を二大政党制の対立軸に設定してみてはどうだろうか?

憲法をどう考えるか?というテーマは、すなはち、国体をどう考えるか?というテーマに等しい。(英語で言えば、ともにconstitution)
それはすなはち、
我が民族はどのような民族なのか?
我が国はどのような国なのか?
皇室はどのような存在なのか?
大東亜戦争はどのような戦いであったのか?
という、国家観、歴史観を背景とした議論とならざるを得ない。

現今の我が国では、「小さな政府 ←→ 大きな政府」という政策議論以前に、国家観、歴史観が分裂しているので、これを巡る対立軸を設定することが必要なのではないか。

 

日本維新の会は、憲法観を巡って分裂した。
分裂したそれぞれのグループは、他の政党と合併することになり、他の野党も巻き込んで、更なる野党の再編成が進むことになるだろう。

ところで、実は自公政権内にも異なる憲法観が存在している。

 

もし仮に、今このタイミングで、自民党リーダーが憲法観を対立軸として二大政党制を作るための政界再編を成し遂げようと決意したならば、政権与党自らも異なる憲法観グループごとに大分裂を行った上で、石原慎太郎氏の旧太陽の党グループなどの、憲法観を同じくする野党グループには辞を低くして合併を乞うていくことが必要になるだろう。

自主憲法制定に向けた機運がこれだけ盛り上がっている中で、それが実現すれば歴史的な偉業となるだろう。


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