東京大空襲から70年

Yahoo! ニュース : 東京大空襲から70年…法要に遺族ら参列

70年前の昭和20年3月10日に東京大空襲があり、10万人がお亡くなりになりました。
犠牲者の無念を思い、心からお悔やみ申し上げます。

昨夜は、スポクラでトレッドミルを転がしながらテレビジョンを見ていたら、中央線の旅客列車に米軍の戦闘機が機銃掃射をした湯の花トンネル列車銃撃事件のドラマをやっていた。

米軍機による鉄道等民間施設への機銃掃射の映像は、ガンカメラで撮ったものがけっこう残っているらしい。

そう言えば、私の母親は昭和20年7月30日生まれで、17日間だけの戦争経験者なのだが、昔、亡き祖母から、
空襲の時に赤子(うちの母)を抱いて逃げ遅れ、機銃掃射を浴びたことがある。「お助けください~」と唱えながらしゃがみこんで震えていたら、止めてくれた。
みたいな話を聞いたことがある。ガキの頃にいいかげんに聞いていた話なので、記憶違いがあるかもしれないが、当時、母方の家族は王子に住んでいたはずなので、

wikipedia : 東京大空襲#1945年8月

このページを調べてみると、
1945年8月3日、杉並区、滝野川区、王子区、板橋区空襲。死者2人。
1945年8月10日、板橋区、王子区、滝野川区、足立区、西多摩郡霞村、多西村空襲。死者195人。

というのがあるので、このどちらかの日の話かもしれない。

 

東京大空襲10万人、広島14万人、長崎7万人。
これらは、もちろん戦時国際法違反で、米国による、人類史上最大規模の極悪非道な民間人の大量虐殺である。
しかも、米国は、これらを反省しておらず、「戦争を早く終わらせるためにやった」などと、自己正当化を図っている。

 

私がベトナムを初めて訪れたのは大学3年のときで、1996年だが、当時は、サイゴン市内の戦争証跡博物館に、母体が枯葉剤を浴びて奇形となってしまった胎児のホルマリン漬けが展示してあった。
(以来、たびたびサイゴンには行っているが、最近は展示しなくなったみたいだ。)


2004年、サイゴンの戦争証跡博物館にて。
ベトコンが生け捕った米軍機。
私は共産主義を心から憎むものだが、ベトナム人はリスペクトする。彼らは米国と戦って勝った民族だからな。


かの有名な、カメラマン沢田教一氏による、ピュリツァー賞を受賞した写真『安全への逃避』を用いたポスター。


子供が描いたポスター。
ということで、戦跡博物館には何度となく行ったことあるけど、あまりそれっぽい写真は撮っておりませんでした。

米国は、必要があると思えば、躊躇うことなう国際法を踏みにじって●●●の●●●●を行う国である。

これらは、決して過去の話ではない。

 

昨今は、ピンポイント爆撃が可能なスマート兵器が主流となったので、戦術核などの大量破壊兵器を用いる戦術的価値がなくなってきたが、米国のメンタリティは依然として変わっていないはず。

 

我が国は、憲法解釈を変更し、集団的自衛権の行使が可能となった。今後、同盟国である米国と肩を並べて、国内のみならず海外においても、共通の敵と戦う可能性が出てくる訳だが、このような米国のメンタリティについては心に留めておく必要があると思う。


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