東北被災地巡り その3 石巻

石巻へ。

2012年4月の記録は、こちら

 

 

石巻港

2012年4月


2014年4月
至るところが陥没していた港は、きれいに舗装し直されていた。

 

日和大橋たもとの鯨大和煮重油タンク

2012年4月
一種の震災遺構として、倒壊したタンクを中央分離帯に移動していた。


2014年4月
鯨大和煮タンクは撤去されていた。
沿岸の標高が低い地域だが、工場や倉庫、オフィス類は、新しい建物が建てられて、営業が再開されている。

2014年4月
他方で、ふと橋の横に目を向けると、こんなタンクがごろんと転がったままになっていたりする。

津波直後、気仙沼で大規模な火災が発生し、TVで流れた映像が印象的だったが、あれは、沿岸の重油タンクが津波で倒れ、何らかの原因で火が点いたのが原因だったらしい。タンク幾つか分の重油に火が点くと、消防によって消火することは不可能で、全て燃え尽きて火が消えるのを待つしかなかったのだとか。

この種のタンクは、倒れた時に流出しないような構造になっているのだろうか?

 

ガレキ置き場

2012年4月


2014年4月
三陸沿岸全体的に、ガレキ置き場は少なくなり、規模も小さくなったが、まだある。

 

石巻市立湊第二小学校

2012年4月


2014年4月
体育館は既に解体されていた。
校舎は解体工事のために、鉄板で覆われていた。

湊第二小学校は、市内の別の小学校に仮校舎を設けて運営されていたが、地域住民がほとんどいなくなってしまったため、2013年度で閉校したとのこと。

 

石巻市立湊中学校

2012年4月


2014年4月
一時は市内の別の中学校に仮校舎を設けて運営されていたが、元の躯体を改修して、授業は再開されていた。

 

石巻市大門町
湊第二小、港中の近くの住宅街

2012年4月
一部の建物は、解体されずに残っていた。


2014年4月
壊れた建物は、あらかた解体されているが、建て直した人家は少ない。
ここに住んでいた人達は、未だに別の地域の仮設住宅に住んでいるか、この地域を放棄して別の地域に引っ越してしまったのだろう。
オフィスや工場、倉庫はかなり真新しい建物で営業されていて、駐車場の大きなコンビニも賑わっている。


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