東北被災地巡り その9 山元町~南相馬市 フクイチ近く

花巻でわんこそばに挑戦し(45杯食べた)、夏油温泉で汗を流して、仙台で牛たんに舌鼓を打った。

仙台から再び海沿いを福島第一原発に向けて南下する。

仙台空港近く

2014年4月
空港施設や、周辺の倉庫、工場、飲食店、コンビニなどのお店類からは、震災の影はまったく伺えない。
しかし、ちょっと辺りを見回すと、このようなぼこぼこになった橋の欄干、ガードレールのパイプなどが放置されている。

 

下って宮城県の山元町へ。
ここは、蕨市から1名の市役所職員が、復興支援のために派遣されている。

 

山元町立中浜小学校

2014年4月
ここは、全校生徒が2階建て校舎の屋上に避難して、津波の難を逃れた。
この校舎は、1989年築の、新しくて堅牢なものであったことも幸いした。
学校は、2013年3月末に閉校した。
宮城県webサイト内に、この中浜小学校の被災直後の対応と所見をまとめた資料があり、リアルな感じだ。

周囲の集落の人家は壊滅していて、今は何も残っていない。
ところどころで、畑仕事をしている人達がいた。
仮設住宅から、自分の土地に通っているのだろうか。

 

南相馬市へ。

2012年7月にフクイチ近くを訪れたときの記録は、こちら

 

海沿いの道を南下して、最も福島第一原発に近づける場所

2014年4月
おそらく、2年前と変わっていない。
大内新興化学工業株式会社 原町工場がある場所。

 

国道6号を南下して、最も福島第一原発に近づける場所

2014年4月
ここから先は通行証が必要になる。
前でUターンしているワンボックス車も、通行証は持っていないようだ。
福島第一原発で作業するためのトラック、作業員を乗せたバスが、頻繁に行き交っていた。

 

ここまでに至る南相馬市小高地区は、やはりガレキ撤去はあまり進んでいない。
外を出歩く人の姿をまったく見掛けないのだが、人家には洗濯物を干しているところもあるので、住んでいる人もいるようだ。
他方で、被災したまま放置された人家も多数ある。
田んぼは全て放置されているが、津波で流されてきたガレキは、田んぼの中で積み上げられて、未処理の状態だ。

 

吉沢牧場(南相馬市と浪江町の境界線上にある)

2012年7月


2014年4月
写真の右側の、幹線道路は同じ場所で閉鎖されたままだが、左側の、牧場の中に入る道は一部、入れるようになっていた。


2014年4月
行けるところまで入ってみる。
牛(肉牛かな?)がのどかに草を食んでいた。

ここまでに至る場所では、あちこちで除染作業をやっていた。

2014年4月
南相馬市内 田畑を除染作業中。

2014年4月
南相馬市内 杉林を除染作業中。
 
除染作業といっても、要するに、表土を剥がして袋に詰めて、どこか地中深くに埋めるだけだ。
作業をやっていたのは、田畑が中心だったけど、一部では、山林の中で作業をしている姿も見かけた。
今後、全ての地表の除染作業をやる予定なのかな?


2014年4月
バリケード。
写真奥のビニルハウスは、倒れたまま。

 

この地域は、2年前は治安維持のためにあちこちで警察車両が走り回っていた。
未だに、他県から応援に来ている警官・車輌を含む警察の巡回は手厚いが、体感では、密度は下がったような気がする。

 

以上、このシリーズ終わり。


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