最近、本当に新型コロナウイルスが怖くてたまりません。
明け方、ふと目が覚めると、布団の中で不安でたまらず、再び眠りにつくことができません。
2011年、東日本大震災のときは、発災直後、被害の大きさが刻々と明らかになる中でも、希望がありました。
力を合わせてこの困難に打ち勝っていこう、ある程度落ち着いたら、被災地にボランティアに行くなり、それぞれの持ち場で、復興に向けてできることをやっていこう、全力でお金を使いまくって経済を回していこう、という、難局に立ち向かう前向きな明るさがありました。
新型コロナウイルスに対しては、医療従事者などの専門家を除いては、何もできることはありません。
家にいるしかない。
何もせずにじっとしているしかない。
しかしながら、現実的には、全ての社会的役割、責任を放棄して、24時間、自宅にこもっているわけにはいきません。
外出時に、どれだけ気をつけて、手洗い・うがいを行い、マスクを着用していても、感染リスクがゼロになるわけではありません。
今のところ、海外では猖獗を極めている新型コロナウイルスも、我が国においては実効再生算数が1を上下する状況です。
先の三連休をはさんで、周りを見渡すと、一気に「自粛疲れ」ムードが広まってきたのを感じます。
我が国においても、危ない橋を渡り続けている状況には変化はなく、いつオーバーシュートが発生しないとも限らないし、その時、自分や、愛する家族、友人・知人が感染するかもしれない、医療が崩壊して適切な治療を受けられず、自分が死ぬかもしれない、大切な人を失ってしまうかもしれない・・・このように、明け方の布団の中で考え出すと、怖くて怖くてたまりません。
(私の理解では)ウイルスによって一つの種が滅びることはあり得ないはずなので、いずれは(いつかは分からないが)収束するでしょう。しかしながら、その時には経済はボロボロで、生活が成り立たずにバタバタ倒れる人が出てくるかもしれない。
地方議会にできることは、ほとんど何もない
蕨市議会は、先の記事で述べたように、新型コロナウイルス感染拡大防止のために、一部の議員を除いて一般質問を自粛するなどして日程を短縮して終えました。
今のような、危機の最中においては、地方レベルの議会にできることは、ほとんど何もありません。
地方レベルの議会にできることは、復旧・復興フェーズに移ってから、上記に述べたような「経済はボロボロで、生活が成り立たずにバタバタ倒れる人が出てくる」状況を防ぐための政策を打ち立てていくことです。
蕨市の小中学校の卒業式は、縮小して終了した。
当初、全面的に中止の予定でしたが、様々な苦情の声が多かったと見えて、方針を転換して、卒業生のみ(在校生、保護者、来賓の出席は、無し)で開催しました。
本日、令和2年(2020年)3月24日(火)は、市内の各小学校で卒業式が行われたはずです。
今のところ、蕨市の小中学校の入学式は、縮小して開催する方針
本日、蕨市当局より発表になったところによると、令和2年(2020年)4月8日(水)に、縮小して開催する方針のようです。
出席者の範囲は、卒業式の時と比べると、制限を緩めています。
保護者(一つの家庭当たり、小学校は2人まで、中学校は1人まで)の出席は許し、来賓は無しとするとのことです。
もちろんこれは、今の時点での判断の結果なので、今後、諸々の条件が変われば、異なる判断が下される可能性もあります。