捕虜虐待などの戦争犯罪は絶対に永久になくならない。

ちょっと今さら感もありますが、ミクロレベルでの戦争犯罪について。

一連のイラク捕虜虐待ニュースの第一発目が流れ始めた頃、僕はベトナムを旅行していて、ソンミ村虐殺事件の写真とかを見ていた。

この手の戦争犯罪は、個人レベルのものか、組織的なものなのかを問わず、過去のいかなる戦争においても起こっていたことだろうし、今後もなくならないのではないか。

何をもって組織的だったと定義するか、というのもなかなか難しい命題だ。
小隊レベルで上官の指揮の下に動いた程度では組織的とは言えないだろう。
CIAなどの情報機関、それも、機密漏洩を防ぐために組織が極度にセル化されており、かつ、上長の許可を得ずに、一部の組織が独断で行った場合は、当該国家における組織的なアクションだったと見なせるかどうか?

まともな文明国家の正規軍であれば、ジュネーブ条約当たりに関しては、指揮官クラスは100%理解しているはず。末端の兵士一人一人も当然のこととして教育を受けているはず。そして、軍隊は必ず組織単位で行動するものである。組織単位で行動中であれば、指揮官の指示なしに末端の兵士が暴走することは、通常はあり得ない。

湾岸戦争以来、メディアの取材が戦場の最前線にまで進出し、情報がリアルタイムに、それこそ世界中に配信されるようになった。また、世界中に反米、反「イラク民主化=イラク進駐==イラク占領、まぁ、何と呼んでもいいけど」勢力は存在するので、ちょっとでも不祥事を起こせばあっという間に世界中に情報が広まって、叩かれる材料になってしまうことは、組織としての米国、米軍はよく理解しているはず。

それでも尚、現場レベル/個人レベルでは暴走してしまうほど、戦争というのは(現状のイラクが戦時といえるかどうかの議論は別として)人の精神状態を歪めてしまうぐらい特異な環境なのだろうし、人は弱いものだ、ということなのだと思う。

毎日のように仲間が殺され(=米軍兵士の死傷者が出て)、今日は自分が殺されるかもしれないような状況で、明確に自分や仲間に対して殺意を持っている敵に対して、人はどこまで冷静に対応できるものなのか?

各プレーヤが極度のストレスに曝されている非日常的事態においては、人は、普段のその人であれば考えられないようなトンデモナイ事をしでかしてしまったりする。

また、人は、皆誰しもが心に闇の一面を持っているものだ。

それはいけない事ではなく、自然なことである、と認識した上で克服して行こうという営み・努力が、宗教であったり哲学であったり、剣道や茶道のようなものなのだと思う。