政治学という学問

私のプロフィールの中に「~~大学 政治学専攻」と書いてあって、これについては、本来ならばわざわざ誇らしげに書くほどのものではないのですが、大人の事情もあり、かなり気恥ずかしく感じているところです。

政治学がどういう学問で、実際の政治に役に立つ可能性があるのかどうかなどを述べます。
政治学を学んだ理由
高校時代の私は、大学で「世の中がどういう仕組みで動いているのか」を知りたいと思いました。
「世の中は、お金を中心に動いている」→「経済学を学ぼう」
「世の中は、人の心が動かしている」→「心理学を学ぼう」
・・・
など、様々なアプローチがあり得たと思いますが、
私は、
「世の中は、人と人との関係性によって動いている」→「政治学を学ぼう」
と考えました。
私が通った大学
大学に入学した1993年当時は、団塊ジュニア世代のピークだったこともあって大学・学部の新設ラッシュで、「総合」やら「国際」やら「学際」やらのワードを冠する学部が流行っていました。
私は、上記理由で政治学をメインに学びたいと考えつつも、他にもいろいろな分野に興味があったので、入学時点で細かく専攻を決める必要がない、筑波大学第三学群国際関係学類に進学しました。
この学類(=学部)は、今では国際総合学類と名称変更しています。
政治学とはどんな学問か
以下は、私の個人的な認識です。
政治学は、大雑把に以下の2つに分類出来ます。
①過去の、歴史研究
②現在、未来の、政策論
③現在の、計量的アプローチによる政治の事象の研究
①歴史研究は、例えば、日露戦争勃発に至る経緯、当時の諸外国の環境、戦争がどういう過程をたどったか、軍事力やその背景となる経済力はどのように推移したか~みたいな、歴史的事象を中心に、主に文献を用いて研究する。
事象を記述して、その背景となる理由を探るのが目的。
更にその先には、研究成果をいかに現在と未来に活かすかが重要になってくるわけだが、それはこの学問の領域の話ではない。
②政策論は、例えば、様々なステークホルダの思惑によって進められた戦略核による核武装を正当化するための理論的支柱として、「相互確証破壊」という概念を編み出した、といったような理論作り。
国や自治体の政策を立案すること、もしくは、政策を理論武装することが目的。
アプローチとしては、政策は演繹的に導き出されるものではない。あくまでも、まずは何らかの政治的、政策的な目的があり、それを達成するための後付けの理論武装として、「政策論」が作り出される。
③計量的アプローチによる政治の事象の研究は、例えば、単純な例でいうと、都市部と田舎部の投票率はどのくらい違うか、雨が降ったらどのくらい投票率が上がるか、みたいなことを調べる。
事象を分類して理論化して数字を使って記述するのが目的。
というような具合で、大学当時の私の目には、政治学を学んでも、当初の目的であった「世の中がどういう仕組みで動いているのか」を理解すること程遠いように見受けられた。
特に②政策論は、私を幻滅させるものだった。(面白かったけど)
1993年という入学時は、冷戦は既に終結していたものの、冷戦時代のイデオロギー対立の思考を引きずっている先生が多く、自らの学問を、「自らのイデオロギー的目的を達成するための理論武装としての政策論」と位置付けている方が多いようだった。
これでは、いくらこの分野を学んでも、「世の中がどういう仕組みで動いているのか」を理解することは出来ない。
政治学は役に立つのか
選挙をやるためにも、政治家として働くためにも、公務員として行政を行うためにも、直接的には役に立たない。
要は、「経済学や経営学・商学を専攻したからといって、金儲けが上手くなるわけではない」というのと一緒で、「政治学を専攻しても、選挙のやり方を知っている訳でも、政治家、行政家として即戦力になる訳でもない」ということです。
専攻した内容
複数のゼミに出入りして、安全保障政策論、日本政治論、中国・台湾政治論などを学んでいました。それなりによく勉強したと思いますし、間接的にはその後の仕事生活に役に立っていると思います。
卒論の内容
井尻秀憲先生のゼミで「台湾の台湾化と歴史的展開」を書きました。
私が大学4年生だった1996年当時、戒厳令が解除されて国民党の一党独裁体制が崩れ、李登輝によって民主化が進められ、初の総統選挙が行われるという、ダイナミックに台湾の国内政治が動いていた時期だったので、興味を持っていろいろ調べているうちに、その延長線上で、このテーマで卒論を書きました。