女川
女川の市街地は、もともと広くはありません。
女川は、見渡す限り市街地は全滅でした。
既に建物の上物は撤去されており、真新しい交通信号機と電柱、電線のみが広がっていました。
三陸海岸沿いを、釜石まで北上しました。
仮設住宅
このようなプレハブの建物が、そこかしこに建っています。
それなりに造りはしっかりしており、快適そうな感じです。
横倒しになった3階建ての建物。
解体処理待ちですね。
上物が解体されて、見渡す限り何もなくなった街。
重機がまだそこかしこで動いています。
真新しい電線と電柱。
奥には、ただ積み上げただけのガレキの仮説置き場。
雄勝硯伝統産業会館
ここでも元公共施設のがっちしりた躯体の建物は、後回しにされていました。
掃除すれば再び使えそうではあります。
雄勝の公民館(?)
雄勝の街も全壊でした。
この2つの建物以外は、すべて解体されていました。
私が仙台に住んでいた小中学生のときに習った「宮城県の郷土の歴史」によると、雄勝はたしか全国の硯の9割以上を作っていたはず。
硯工場は、石を削り出して作るから、山間部ではなくて、ごく狭い海沿いの平野部に集積していたと推測しますので、ほぼ全滅してしまったのではないでしょうか。
道路沿いでみかけた、ガレキ仮置き場
こういうのが、そこかしこにあります。
分別せずにただ積み上げてあるだけのガレキの量は膨大です。
廃車になったクルマの仮置き場
小さな集落の、石巻市立相川小学校
校舎の3階まで津波をかぶったようです。
場所はここ。
校舎の玄関や窓に板が打ち付けられていなかったので、近づいて覗いてみました。
建物の躯体は生きていますが、中はボロボロですね。
全面的に改修しないと、再び使えるようにするのは、かなりお金かかりそうです。
教室の中は、略奪にあったかのように荒れ果てていました。
田んぼの脇の仮設住宅