2012年4月 津波の被災地に行ってきた。(5)女川原発

さらに牡鹿半島東岸を北上していくと、突如として、田舎には不釣合なくらい大きな4階建てのワンルームアパート風建物が出現します。

(以下、写真はすべてクリックすると拡大します)

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東北発電工業 鮫浦寮
東発は、東北電力の100%子会社で、この寮は、女川原発の保守エンジニアが住んでいたものだと思われます。
2階までは津波の被害を受けたようですが、3階以上は生きてます。
今は廃墟となっていますが、後述のように、女川原発が停止していてエンジニアの仕事がないせいでもあると思います。
女川原子力発電所に併設された、PRセンターへ
どこの原発でも同じですが、海沿いの敷地は広く、緑に囲まれており、発電所の設備そのものは道路からは一切見えないようになっています。
PRセンターは、主に地元の人向けの広報施設です。
ガラーンとしており、受付の可愛らしいおねいさんが所在無げでした。
震災のときの女川原発の対応をまとめたムービー上映がありました。
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地震のとき、3機ある発電設備は、無事に停止しました。

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高圧電源盤を固定するケーブルが、地震のため揺れ動き、発火して燃えたそうです。
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既に対応済みで、同じ地震があっても同様の被害は起こりません。
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施設内にある重油タンクが倒れました。
これは、津波の被害というよりも、地震の被害によるものか。
津波被害 福島第一と女川の違い
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福島第一の場合
津波想定水位 5.7m
実際の津波は 13m
津波は、防波堤を越え、タービン建屋と原子炉建屋が浸水しました。
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女川の場合(1)
津波想定水位 14.8m
地震によって1m地盤沈下したので、耐えられる津波水位は、13.8m
実際の津波は 13m
津波は、防波堤を越えませんでした。

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女川の場合(2)
但し、潮位計をたどって浸水し、熱交換器が壊れました。
これは、致命的なものではありませんでした。
女川のその他の対応策

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激しい地震のときもエンジニアが作業が続けられるように、手すりを設置しました。
たかが手すりとはいえ、エンジニアが地震の時に頭を押さえて机の下に隠れる訳にはいきません。
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配管類を固定する金具は、全面的に見直し。
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建物も耐震補強しました。
以上みてきたように、
東京電力の福島第一原発 と、
東北電力の女川原発 は、
まったく異なる考え方を元に津波対策が施されていたことが分かります。
福島第一は、想定していたよりも高い津波を受け、多重化していたバックアップの全てが壊れた結果、事故が発生しました。
女川は、想定内の津波を受け、多重化していたバックアップが有効に機能し、事故を食い止められました。
原発再開についての私見
震災復興のためには、経済をフル回転で回さなくてはならない。
その為には低コストの原発を再開することが必要と考えます。
今後、10年以内に関しては、原子力を主要なエネルギー源とせざるを得ない。
私達の取り得る選択肢は、他にはありません。
その他
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1/2原子炉模型
個人的にちょっと感動したのがこれ。
周りが燃料集合体。
真ん中に、下からせり上がって来ているのが、制御棒。
制御棒は、何となく上から差し込むものだと思い込んでいましたが、そうではなく、下からせり上がってくるものなのでした。
原子炉は、3機ともに停止中です。
受付の綺麗なおねいさん(写真なし)に聞いたところ、
「再開の見込みは無し。地元の理解を得てから再開することになるが、反対意見も多い」
と説明してくれました。
どこに住んでいるのか聞いたところ、女川湾を挟んで反対側の集落から通っているとのことです。
津波の被害を聞いたら、家族は無事だったけど、家は津波をかぶりました、隣りの家は骨組みだけになっていました、と。
これからどうするんですか?というぶしつけな質問に対して、再び同じ土地に家を建て直そうと母と話し合っています、と健気な決意を語ってくれまして、思わず、蕨にお嫁に来ませんか
お母さんもご一緒に、と言いたくなりましたが、もちろん私にはそんな度胸はないので、再びクルマに乗り込んでさらに北へ。

2012年4月 津波の被災地に行ってきた。(4)牡鹿半島

牡鹿半島は、静かな小さな集落がたくさんあります。

(以下、すべての写真はクリックすると拡大します)
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2004年8月、バイクでツーリングしたときの写真
上の写真のように、小さな漁港を中心に、海沿いから山あいに、十数軒~数十軒くらいの家々が広がっております。
ほぼすべての集落が津波の被害を受けたようです。
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倒壊した家屋はすべて解体されておりましたが、道路や配管、土台の類はまだ地面に残っており、「更地」になっている訳ではなく、このままではこの地に新たに建物を建てることは出来ません。
細かい破砕クズも地面一体に転がっています。
写真の遠くに見えるように、アパートなどの躯体の頑丈な大きな建物は、廃墟になっているものの、解体されずに残っていました。
これから解体されるのか、躯体をそのまま再使用するものなのかは不明。
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漁港沿いの倉庫(作業場?)
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漁港の波止場が、地盤沈下しています。
牡鹿半島は、全般的に、地盤沈下、地盤隆起が起こったようです。
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これは公民館でしょうか。
何らかの公的な建物のようですね。
中を綺麗に掃除すれば、再び使えそうではあります。
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海沿いの道路の山側に、小さなボートがひっくり返っていました。
この種の、陸地に乗り上げた船の類は、おおむね撤去されていましたが、一部がまだ残っていました。
電柱は、震災後に新設したものではないかと推測します。
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石碑に近づいてみると、
昭和八年三月三日
地震があったら津浪の用心
忘るな火の元の注意
先に老幼、続いて避難第一
昭和8年3月3日ということは、昭和三陸地震のときに建てられた石碑です。
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海沿いの道路の、ひび割れ。
白くペンキで線を引いてあり、遠くから判別しやすくなっています。
この程度のひび割れでも、気付かずに減速せずにクルマで乗りかかると、車体が飛び跳ねてお腹を擦ったりします。
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路面のアスファルトがひび割れて剥がれたところに、土のうを積んだもののようです。
土のうは既に袋が破れ、中身の砂が散乱していました。
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牡鹿コバルトライン
牡鹿半島の尾根を貫く、観光客向けの道路。
当初は有料道路でした。
全面的に道路が崩壊しているようで、今に至るも通行止めとなっています。
山の中には人家はなく、生活道路ではないために、優先順位が低いのでしょう。
これらは、津波ではなく地震の被害によるものです。
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この程度の道路崩落は、ちょくちょく見かけました。

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石巻市立谷川小学校
場所はここ。
海沿いとはいえ、高台に建てられた学校の校舎ですが、2階まで津波をかぶったようです。
ぐぐってみると、校舎は全壊したもの、生徒、教職員はさらに高台に避難して、無事だったとか。
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2004年8月にツーリングした折りのキャンプ地
当時、牡鹿半島の西岸のどこかの集落の、海沿いの公園に張りました。
夜中に波の音がやたらと大きく聞こえて、妙におっかなかったのをよく覚えています。
一晩の軒先を借りたこの公園を探しましたが、全壊していたようで、見つからず。

2012年4月 津波の被災地に行ってきた。(3)石巻

石巻は、津波の被害が大きかったところですが、そもそもそこそこ大きな街なので、市街地は広い。

海沿いは被害を受けましたが、市街地の中でも内陸の方は無傷で、街が機能しています。
(この後から出てくる他の街のように、街全体が壊滅というわけではない)
(以下、写真はすべてクリックすると大きくなります)
ビジホに泊まりましたが、やはり作業服姿の長期滞在中エンジニア、作業員風の泊まり客が多く、建設業はそれなりに景気よさそうです。
飲み屋~風俗業もそれなりに景気がよく、1、2年の短期で稼ごうと思ってやってくる人が多いとのことです。
元々の石巻住民は、行政からのお見舞い金(?)でちょっとしたバブル状態のようです。
震災直後に一つ大きなピークがあり、その後おさまったものの、再びなだらかに上がって持続している、といった感じのようです。
他方、繁華街においては、治安が悪化しているようです。
お金はあるけど職はない、というヤンキー上がりがぶらぶらしているとか。
お見舞金の不正受給も横行しているとのこと。
「クルマが流された」、「船が流された」と自己申告すればもらえるという種類のお見舞金があるそうで、実際には手元にクルマや船が被害に遭わずに残っているのに隠して申請する、という手口が存在するのだとか。
無いものを無いと証明することは出来ないから。
他にも、「ドアノブが壊れた」と申請すれば150万円お見舞金がもらえるとか?本当か?
以上は、一部は私の観察によるものですが、一部は現地で会った人のまた聞きの話もあります。
お見舞金の件は、聞いたままの話であり、裏取りしていません。
海沿いの地区へ。
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下層がスカスカになった倉庫(?)
柱が曲がっていますので、復旧は無理でしょう。
この後、解体するしかないと思います。
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一部、陥没しています。
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日本製紙の工場
大企業の工場は、すっかり復旧して稼働していました。
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ガレキの仮置き場
写真を拡大して見ると分かる通り、素材ごとに分別せずに、そのままぶん投げてあるだけ、といった感じです。
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幹線道路の中央分離帯に放置された、鯨大和煮缶詰型 廃油タンク
こちらの記事によると、当初は幹線道路上に横になっていたものを、道路復旧のために中央分離帯の真ん中に移動させたようです。

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道路の陥没、隆起、ヒビ割れのマーク
遠くからクルマで走ってきて判別できるように、白いペンキでマークしてあります。
マンホールは、おおむね数センチ隆起しているケースが多いようでした。
この程度であれば、いちいち直すわけにもいかないでしょう。
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側溝のフタが吹っ飛んでむき出しになっている箇所も多々見かけました。
この写真の場所は、ボランティアによる泥の掻き出しが終わった後、フタをしそこねてしまったものか?
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ガレキの仮置き場
ガレキの山の中から煙突が幾つも飛び出ていますが、火事予防のためのガス抜きのためのもののようです。
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海岸近くのアパート
解体作業待ちでしょうか。
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この地域は、googeマップによると住宅密集していたようですが、解体作業待ち(?)と思われる家を除いて、建物の上物は大部分が撤去されています。
しかし、写真を見ての通り、土台はまだ撤去されずに残っています。
この土台を再利用して同じ形の家を再建するのならともかく、別の家をこの場所に建てるのであれば、土台や配管も全て撤去する作業を行わないとなりません。
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こちらのお宅は、庭がガレキ置き場になっていました。
前面の道路が地盤沈下しているらしく、常に水が溜まっているようです。
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2階は無事ですが、家の海側の柱が吹っ飛んでいます。
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湊中学校
窓ガラスは1階は割れているものの、2階以上は割れていないので、無事だったのではないかと推測します。
堅牢な躯体なので、これは再び使用できるのではないか。
今は使われてません。
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その向かいの、湊第二小学校
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こちらの学校も、2階以上は無事だったようですが、今は使われていません。

2012年4月 津波の被災地に行ってきた。(2)野蒜

奥松島の野蒜へ。

野蒜は、何回か行ったことがあります。
大学時代にチャリでツーリングしたことがあるし、社会人になってからバイク(エンジン付きの方のバイク)でツーリングしたこともあります。
(写真はすべてクリックすると大きくなります)
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2007年6月の仙石線 野蒜駅。
宮城国際トライアスロン七ヶ浜大会に出場するために、東北新幹線、仙石線と乗り継いで、この駅で輪行を解いたときのもの。
ダイドーの自販機に寄り掛かっているのは、私のBianchiのロードバイクです。
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2012年4月の野蒜駅。
1階はガラスは吹っ飛んでいますが、2階の高さは無事だったみたいですね。
建物の中は廃墟になっており、立ち入り禁止のロープが張られています。
駅としては機能しておりません。
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駅前の交差点
街灯の鉄柱があり得ない曲がり方をしています。
この場所に限らず、被災地全般を通じて、交通信号機と電柱はピカピカの真新しいものが復旧されています。
ガス、水道が復旧しているのかどうかは不明。
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野蒜駅の構内
線路が砂で埋まっています。
架線柱はくにゅっと折れ曲がり、架線が垂れ下がったままになっています。
仙石線のこの区間は運休中です。
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野蒜駅近くのコンビニ。
サンクス宮城のびる店
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近付いてよく見ると、花が手向けてありました。
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コンビニの隣りの食堂 かとう
5年前にトラのレースで来たときは、ここで夕飯食いました。
(その時に隣りのコンビニはまだ出来てなかった)
たまたま後から入ってきた地元の塗装業のオヤッさんと何となく仲良くなり、メシおごってもらいました。
SN390160
2007年6月に泊まったときの、奥松島YH
シーズン入り前だったので、たいして客は泊まってなくて、周りは真っ暗だし、がらーんとして寂しい宿でした。
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この写真の、グレーのマツダ デミオの左奥部分に、ユースがありました。
googleストビューを見ると、2011年7月に撮影した廃墟になったユースの建物が写っていますので、もうすっかり解体し終わった後、ということになります。
右側は、かんぽの宿。

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かんぽの宿も、営業している訳ではなく、廃墟になっており、これから解体するのを順番待ちしているようです。
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海岸沿いにガレキの仮置き場がありました。

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海岸近くにあった、墓地。
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崩れるにまかせている墓石もたくさんありました。

2012年4月 津波の被災地に行ってきた。(1)仙台 貞山堀付近

ぽかっと4日半休みが出来たので、2012年4月13日(金)~17日(火)午前、東北の海沿い(仙台から宮古まで)を回ってきました。

視察(公費視察)ではなく、ボランティアでもなく、私費の旅行です。
何気に、被災地に入るのは初めてでございます。
以下、幾つかのエントリに分けて、写真を中心に所見を含めて時系列でレポートします。
(すべての写真は、クリックすると拡大します)
尚、写真だけ手っ取り早く見たい方は、↓こちらをどうぞ。
仙台へ
新幹線で仙台へ。
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実は、仙台にはガキの頃住んでいたことがあります。
更に言うと、実は中学入学前後の頃は鉄ヲタでした。
当時は、国鉄分割民営化直前の駆け込み製造で「ジョイフルトレイン」と称するお座敷列車のブームでして、華やかな車両が仙台に来るたびに写真を撮りに仙台駅に通っていました。
仙台でレンタカーを借りて、出発。
仙台荒浜~南蒲生浄化センターまでの貞山堀付近
貞山堀というのは、仙台藩初代の伊達政宗公が掘った、太平洋岸沿い運河です。
平地がずっと広がっていて、基本的には田んぼが多く、人家は少ない地域でした。
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田んぼは、ほぼすべて波で洗われてしまったようで、見渡す限りの砂地となっていました。
写真の手前のくにゅっと左に折れ曲がっている鉄の柱は、ガードレールかフェンスか何かのものだと思われます。
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コスモ石油のガソリンスタンド。
フェンスで囲って閉鎖してあります。
今後、再建するのか、撤退するのか。
大学時代にガススタでバイトしていたことがありますが、ガススタは地下に油のタンクがあるので、撤去するのに普通のビルよりも多くお金がかかります。
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荒浜交差点から、海方向を望む。
電柱と交通信号機はだいたい再建されてます。
左奥に見えるのは、荒浜小学校
小学校の辺りは人家の密集した集落だったようですが、今は何もなし。
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荒浜小学校
体育館は、1階は壁の全て、2階は壁の一部が壊れています。
外装の破損は、地震ではなく津波の被害によるものと推測します。
今は無人で、使われていません。
この学校のwebサイトによると、今は東宮城野小学校(宮城球場の辺
り)に間借りしているようです。
ということは、この荒浜地区の住人は、宮城野辺りに仮設住宅を建てて、そこに住んでいる、ということなのでしょうか。
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学校の敷地は、立入禁止になっています。
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正門前のスペースは、破壊されたバイク置き場になっていました。
車体には、回収した場所が書いてあります。
レアな旧車ならともかく、原チャリくらいであればレストアして乗るようなものではないし、元の所有者が引き取りにくることもないでしょう。
バイクの車体は、このままの状態だと、燃やすわけにも埋立地に埋めるわけにもいきません。
分解して、ゴム、金属、プラスチックなど素材ごとに仕訳しなくてはならない。
ガソリンやオイルが残っている場合は、それも然るべき方法で処理しなくてはならない。
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荒浜地区の住居跡
建物の上物はすべて撤去されており、土台だけが残っています。
この土台は、家を再建するにあたっては再利用できるものなのかな?
そもそも、住人は、再びこの地に戻ってくるつもりはあるのかな?
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「荒浜の再生を心から願う
移転を希望する者も、荒浜に住み続けることを希望する者も、ふるさと荒浜が大好きです
どちらも生きていける道を求めて探しております」
と買いてあります。
移転希望者と、最居住希望者とに分かれるようですね。
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学校前のガードレール
ぐにゅぐにゅになっています。
この付近では、ガードレールの撤去工事をしているのを見かけました。
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河川の河口付近
橋が崩壊しています。
地盤沈下もあるようです。
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幹線道路沿いの、元コンビニ風の建物。
白い外装からして、ファミマか。
この後背の集落は、建物がけっこう残っています。
工事をしているのか、掃除をしているのか、人の姿もたくさん見かけました。
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しかし、家に近づいてみると、廃墟になっていて、住んでいるわけではなさそうです。
これから壊すのを順番待ちしているのか、それとも修理して再び住むつもりなのか。
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おおむね、1階はガラスは割れてドアは吹っ飛び、そのままになっていますが、2階は無事であるようです。

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「2階が無事なら、かろうじて住めるかも・・・?」
という気もしますが、鍵もかからないし、(おそらく)電気、ガス、水道が通っている訳でないので、実際には無理でしょう。
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空き巣狙い防止のためか、壊れたドア、窓は、板やトタンを打ち付けている家が多いです。
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家財道具一切がない(もしくは運び出した後なのか)家を覗いてみると、こんな感じでした。
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用水路の水門
門扉を開閉するためのハンドルと軸部分がぐにゅっと曲がっています。
このままではもはや開くことも閉じることも出来ません。
この、ハンドルと軸部分だけを交換すれば、再使用することは可能か。
右側は、コンクリート製の法面が崩れたようです。
黒いビニール製の大きな土のうを積んで応急処置を施してあります。

とだわら花見

2012年4月9日(月)に、下蕨公園にて、社団法人とだわらび青年会議所(JC) 有志による花見がありました。

平日16時から集まれるのが、地域密着のJCのいいところですね。
OBも多数ご参加くださいました。

とだわら花見です。
JCメンバーにガス屋さん、お好み焼き屋さん、セブンイレブンがいるので、本格的な焼きそば屋台が組まれていましたが、残念ながら私は冒頭1時間ほどでガスバーナーに火を入れる前に中座。


2件打合せを済ませて、4時間後に駆けつけると、まだやってました。
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日が暮れても風はなく、まったく寒くなし。
皆様、お疲れ様でした。

竹島問題を早期に解決する東京大会

本日 2012年4月11日(水)、憲政記念館にて、竹島問題を早期に解決する東京集会が開催されました。

私 保谷武(ほやたけし)は、出向先の公益社団法人日本青年会議所(日本JC) 領土・領海委員会の一員として、この集会に参加しました。
私が所属している社団法人とだわらび青年会議所からは、浦野直前理事長がオブザーブ参加してくださいました。
日本JCからは、井川会頭を始め数十名の参加がありました。
竹島問題の早期解決を求める東京集会です。我が国固有の領土である竹島を取り返そう!
この集会は、我が国固有の領土であり、韓国が不法占拠している竹島を取り返すことが目的です。
実は、東京でこの種の集会が開催されたのは初めてです。
(島根県において、県レベルの大会は従来から毎年開催されています。)
北方領土問題解決のための国の予算は20億、竹島に関してはわずか0.2億という状況で、我が国政府に対して、もっと力を入れるようにと特別決議を致しました。
特別決議は、我が国政府に対しての要望で、要旨は、
・2/22を竹島の日とし、国を挙げて取組む体制を作る。
・内閣府に領土問題に関する部局を作る。
・国際司法裁判所への提訴など、国際社会へのアピールを強める。
・学校教育においてもっと取り上げる。
・国民の啓蒙活動を行う。
・島根県で開催される竹島の日集会に、政府関係者が出席し、政府主催とする(現在は県主催)。
国会における各党派よりスピーチがありましたが、ある党派より「韓国による我が国の主権侵害という現状は、侵略を受けている状態といっても過言ではなく、個別的自衛権発動の要件を満たすのではないか」というコメントがあり、これに対して拍手が沸くという際どいシーンもありました。
竹島は国際法的にも歴史的にも我が国固有の領土です。
不法占拠する韓国にはさっさと出て行ってもらいましょう。