特定失踪者問題調査会の現地調査(池袋-川口)に参加しました。

昨日 2012年9月19日(水)、特定失踪者問題調査会の現地調査に同行させていただきました。

埼玉新聞:拉致、被害者同士接点も 川口と都内で現地調査
朝日新聞:5人の足どり 川口で再検証
産経新聞:拉致被害者、田口さんの勤務先など調査 「おびき寄せられたか」 特定失踪者問題調査会
TBS:拉致当時の田口さんアパートなど調査
http://news.tbs.co.jp/20120919/newseye/tbs_newseye5135649.html 

特定失踪者とは、「北朝鮮による拉致の可能性を否定出来ない失踪者」のことです。
我が国政府が認定している拉致被害者は、わずか17人に過ぎませんが、実際にはもっと多くの被害者がいます。
特定失踪者問題調査会は、この問題を調査するための任意団体です。
私 ほやたけし(保谷武)は、無関係であり、所属しているわけではありません。たまたま今回参加しただけです。
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有楽町線 要町駅前に集合。
ご挨拶する特定失踪者問題調査会の荒木和博代表
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政府認定拉致被害者 田口八重子さんの拉致当時に住んでいたアパート。
メゾン青葉。
要町駅の近くです。池袋駅まで徒歩圏内です。
田口八重子さん1978年6月、当時22歳で拉致され、大韓航空機爆破事件の犯人、北朝鮮の工作員である金賢姫の教育係をやらされていました。
田口八重子さんは、DV夫と別れてシングルマザーとしてお子さん2人を育てながらここに住んでいました。
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メゾン青葉の表側。
当時は新築で、綺麗な青葉色だったそうです。
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メゾン青葉。
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メゾン青葉の前で、田口八重子さんのお兄さん、北朝鮮による拉致被害者家族連絡会代表の飯塚繁雄さん。
拉致被害者に向けての短波放送 しおかぜの公開録音中です。
「必ず助けてあげるから、もう少し我慢しておくれ」という言葉には、胸を打つものがありました。
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田口八重子さんが当時働いていた、池袋駅北口のキャバレー ハリウッド。
驚くことに、今でもあります。
嬢の在籍数が100を超える大箱で、拉致直後、「そういえば、工作員か土台人ぽい人たちが客として来ているのを見かけた」という趣旨の証言もあったそうです。
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当時はどんな店だったのか分かりませんが、今はいわゆる熟女系って感じですね。
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店の前で、田口八重子さんのお兄さん、飯塚繁雄さんより、ご説明。
このお店に勤めるにあたり、衣装などを揃える必要があり、そのお金を貸してあげて、まだ返済の一部が残っている、と。
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雑司が谷ににある、田口八重子さんが拉致当時に子供を預けた無認可託児所跡地。
当時は4階建てのビルで、1階に、そのモグリの託児所があったそうです。
勤務先を起点にすると、自宅アパートのある要町とは真逆の位置にあります。
何故この託児所を選んだのかは不明であるとのこと。
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川口市内に移動しました。
ミエル川口の近くの、
特定失踪者(1000番台リスト) 新木章さんご自宅跡。
新木さんは、1977年5月、当時29歳のときに、お休みの日に、「買い物に行く」と言い残して財布だけを持ったまま失踪しました。
在籍時期は異なりますが、田口八重子さんと同じ旧 川口商業高校(現 県陽高校)の出身です。
また、田口八重子さんが勤めていたキャバレー ハリウッドのすぐ近くの旧 三菱信託銀行 池袋支店(現 三菱UFJ信託銀行)に勤めているなど、微妙な接点があります。
尚、1000番台リストとは、特定失踪者調査会の調査の結果、特に北朝鮮によって拉致された可能性が高い方のリストです。
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田口八重子さんの親戚の八百屋跡。
今は八百屋は廃業しています。
田口八重子さんも、飯塚繁雄さんも時々お店を手伝ったことがあるとのこと。
新木章さんご自宅跡のすぐ近くです。
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国道122号 岩槻街道沿いの スナックオックス。
田口八重子さんが、夫と3ヶ月ほどスナック経営をしていました。
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調査中、現在のお店のオーナーが出てきました。
三十数年前、田口八重子さんから居抜きで物件を買い取り、今に至るまで同じ店名で経営されています。
田口八重子さんは、お産の時まで2階に住んでいた、とのこと。
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特定失踪者(1000番台リスト) 藤田進さんご自宅。
マイクをもってご説明するのは、1つ下の弟さんの藤田隆司さん。
奥の薄茶色の3階建ての建物です。
当時は平屋建てで、現在は建て替えて藤田隆司さん一家がお住まいです。
藤田進さんは、1976年2月、当時19歳で失踪しました。
「新宿の方でガードマンのバイトに行く」と言って出かけたまま、帰りませんでした。
脱北者が持ち出した写真が酷似しているほか、確度は不明ながらも、拉致の手引きをしたという内部告発の証言も得られています。


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調査の最後に、記者会見。

二輪車4社、「高速料金引き下げ」要望 国交省に

日経新聞:
二輪車4社、「高速料金引き下げ」要望 国交省に 

http://www.nikkei.com/article/DGXNASDD190AE_Z10C12A9TJ2000/

これは、もう本当に何とかして欲しい。
バイクの高速料金は、クルマと比べると高過ぎる。
2ch バイク板 まとめサイトにおける、バイク乗りのコメント
バイクに乗らない人は知らないと思うが、実は軽自動車と同じ扱いなのだ。
首都高においては、軽自動車もバイクも、普通自動車と同じ料金だ。
車両の種別に料金が異なる、という考え方は、何の違いを根拠としているかというと、
・運べる人数・重量
・道路を専有する面積
・道路に与えるダメージ
ということになろうかと思う。
どう考えても、ほとんど一人乗り、たまに二人乗りで、荷物もたいして積めないバイクが、軽自動車と同じ扱いというのはおかしい。
これらは、バイク業界の政治力が弱いことが原因と言われてきた。
日本のバイクメーカ4社(ホンダ、スズキ、カワサキ、ヤマハ)は、世界最強のトップ4であり、かつまた、バイクだけを製造している訳ではなく、本来は強力なロビイングパワーを持っているはずなのに。
80年代以前のバイクブーム、暴走族ブーム、峠を攻めて一般車を巻き込んでの事故多発・・・その結果の学校での「3ナイ運動」などを経て、バイク業界は、若者にバイクの魅力をアピールするマス広告を自粛し、ロビイングパワーを発揮することを自粛してしまった、と言われている。
その結果として、
・高速料金は、軽自動車と同じ扱い。
・街中には、バイク駐輪場がほとんどなく、事実上、路駐せざるを得ない。
という状況が生まれ、
・移動手段・運搬手段として、バイクが使われることはなくなった。
 (生き残っているのは、新聞配達などの超近距離、少量のケースのみ)
・バイクは完全に趣味の乗り物になった。
国内バイク市場は年々縮小している。
これらは、政策的にバイク市場を縮小を目指した流れによる必然的な結果だが、そのおかげで、
・モータリゼーションの高次化(バイク→クルマへの移行)
・国内クルマ市場の拡大
・日本のクルマメーカが成長する環境育成
に繋がったとも言える。
我が国でバイクに乗る若者がいなくなり、オッさんの趣味になってしまったのは、バイクに夢がなくなったから。こんな綺麗なちゃんねーと付き合えてリア充の友達ができる、という夢を描くことが必要。
2011年12月、バンコク出張の折りに撮影したホンダのスクーター Scoopyの若者向けの広告。
「Scoopyに乗ればこんなにかわいい女の子とつき合えて、リア充の友達ができる」というイメージ。
日本のバイクの広告には、こういうイメージのものは無い。