【蕨市】西小卒業式がございました。

本日2015年3月24日(火)、蕨市立西小学校の卒業式がございました。
素晴らしい晴天に恵まれました。
式は、厳粛な雰囲気の中で行われました。
卒業生、ご家族の皆様、おめでとうございます。

卒業生は、
3クラス
男:女=37人:42人
計 79人
でした。

さて、配布資料の中に、卒業生が、将来なりたいもの・やりたいことを一言ずつ記した寄せ書きがあったのですが、
この中に「お金持ち」と書いた子供が数人おり、一瞬ちょっと残念な気持ちになりました。

私自身も、ガキの頃に「将来なりたいもの:お金持ち」と書いたことがある気がするのですが、それは棚に上げつつ、しかしながら、改めて自分の過去を振り返りつつよく考えてみたのですが、こういうことを書いてしまう子供は、リアルなお金持ちというものがどんなものかまったくイメージ出来ないんでしょうね。

当たり前の話ですが、「お金持ち」というのは、ただ単にお金をたくさん持っているというだけで、そういう職業や、何らかのカテゴリがあるわけではないし、その人が世の中で何を為したのか、どのような人物なのかを示したものではありません。

・本人の能力とは無関係に、先祖から受け継いだストックを持っている、地主みたいな「お金持ち」もいれば、
・本人の才覚によってストックを築いた、自らの会社をIPOさせたIT長者・ネット長者みたいな(しかしそこそこのストックを保有するに至った今となってはブラブラしているような)「お金持ち」もいるし、
・本人の才覚によって歩合制で大きなフローを稼いでいる(但しストックはそれほど持っていないし、シャカリキに働き続けないとならないし、休みもなかなか取れない)「お金持ち」もいるし、
まあ、お金持ちの姿はいろいろです。

当然、その人の人格とは関係ないので、上記のどのセグメントにも、鼻持ちならないクソみたいな人もいれば、誠に社会のために自分が出来る範囲で貢献しようとしてる人格高潔な人もいます。

私は、今ならこれらの全てのセグメントの人物とも付き合いがあるし(少なくとも、間近に観察する機会を得てきたし)、どんなことを考え、どんな人物なのかという類型がまったく存在しないことはリアルに分かるのですが、子供にとっては、「お金持ち」というのは、「何かスゴい能力を持っていて、スゴく仕事が出来て、スゴい成果を出して社会にインパクトを与えた人物」みたいな存在としてしかイメージ出来ないのだろうと思います。
結局のところ、大人になって何になりたいか?何をやりたいか?という目標をイメージ出来いないものの、「何だかまだ分からないけど、スゴい人になってスゴいことをやりたい」という子供が、「将来なりたいもの:お金持ち」と書いてしまうんだろうと思います。

 

こうして考えると、やはり世の中にどんな仕事が存在するのかをイメージしやすくするための職業体験とか、世の中のお金の循環の仕組みをイメージ出来るようにするためのマネーリテラシ教育は、出来るだけ早くやった方がいいのではないかと思います。
一般論的に、年齢が上に行くほど、人生設計上の選択肢は狭まってしまう。
中学生くらいならば、まだ何でも出来るし何にでもなれるかもしれないが、野球とかサッカーとか相撲とか、ある種のプロスポーツ選手になるのであれば、中学生くらいの時に意思決定しないと遅いかもしれません。


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