2017年 東北被災地巡り(4) 牡鹿半島

東日本大震災の被災地の定点観測シリーズ。

2012年4月に訪問した時(震災から1年後)
2012年4月 津波の被災地に行ってきた。(4)牡鹿半島
2012年4月 津波の被災地に行ってきた。(5)女川原発

2014年4月に訪問した時(震災から3年後)
東北被災地巡り その4 牡鹿半島

そして今回が、2017年5月(震災から6年後)

それぞれの写真を並べて記す。


石巻市外を抜けて、万石浦をかすめて牡鹿半島へ。
半島の外周を反時計回りに走った。

 

月の浦

(これは2017年5月現在)

201705_牡鹿半島 月の浦の支倉常長像

月の浦の展望台。
展望台と言っても、全然眺望が効かないけど。

ここは、仙台藩の支倉常長率いる欧州使節団が、幕府の目を逃れてこっそりと出帆した場所で、銅像が建っている。

砂利敷のちょっとした公園内には、今でも仮設住宅が建っている。

201705_仮設住宅

近くで見かけた仮設住宅。
空室(既に出ていった部屋)もあるようだった。

 

小さな漁村

(2017年5月現在)

201705_牡鹿半島の新しい住宅街

あちこちで、高台の山を切り崩して、新しいニュータウンが造成されている。
戸数は10~30くらいの規模のものが多い印象。
ニュータウンの中は、一般家屋ばかりで、お店の類はない。
敷地内には、集会場や公園がある。

おそらく、この地域の小さな集落には、漁業以外の産業はないので、ほとんどが漁業を生業としているのではないかと推測する。
(交通の便が悪いので、観光業はあまり発達していない)

既に造成が終わり、家屋の新築が進んでいるところもあれば、まだ造成中のステータスのところもある。

 

これらはどういうことかというと、要するに、津波で壊滅した漁業集落をまるごと高台に移転したわけだ。

幾つかの集落の中をぐるぐる回ってみたが、5月とは言え昼間は気温30度近く、ほとんど人の姿はない。家の間取りやクルマの車種、洗濯物などから家族構成は推測できなかったが、おそらく、高齢化率はかなり高いものと思う。

これらのニュータウン集落の幾つかは、遠からぬ将来に限界集落化してしまう可能性がある。

いずれは限界集落となってしまう可能性が高い、戸数10~30くらいの小さなニュータウンを、大規模に山を切り崩して新たに造成するのならば、もう少しこう、コンパクトシティ的な漁業集落の集約化を図ることはできなかったものだろうか。

もちろん、住んでいた人たちは嫌がるだろうけど。

 

海岸では大きな堤防の建設が進む

2014年4月

牡鹿半島の小さな漁港

小さな漁港?堤防?
手付かずで放置されていた。

2017年5月

201705_牡鹿半島 建設中の堤防

さすがにもう完全放置状態の漁港や堤防はない。

背の高い堤防建設がそこかしこで進められていた。
もう出来上がっているところもあるが、ほとんどはまだ建設中のステータス。

(2017年5月)

201705_牡鹿半島 建設中の堤防

こちらも建設中の堤防。

(2017年5月)

201705_牡鹿半島 壊れた堤防

これは半島の東岸の集落。
後背の盛土は進んでいるが、堤防は壊れたままであった。

 

これらの様々な段階の建設中の堤防を見てみると、堤防建設というのが、かなり大規模な工事であることが分かる。てきとうな高さの型枠にざざっとコンクリを流し込んではいおしまい、というようなものではない。

これらの堤防は、一つ一つの入江を守っているわけだが、それらの入江の内側の陸の上には、既に人家がないようなところもある。

人が住んでいない場所を守るためにこのようなハイスペックな堤防が必要かというと何とも判断しにくいところ。他方で、震災前にあった古い堤防が破壊されているので、ノー堤防状態で放置するわけにもいかず、いずれにしても堤防は作り直さないとならない状況でもある。

 

漁業集落ニュータウンにしても全ての入江に建設されているハイスペック堤防にしても、全般的にオーバースペック過ぎるような印象も受けるのだが、素人判断はしにくい。そもそも、「完全に震災前の状態に戻す」というのが国策となっている現状で、そのような疑問を持っている人がいたとしても、唱えにくいだろう。

 

牡鹿コバルトライン終点(半島の先端側)

2012年4月

DSCN0145

通行止めになっており、路面上にはあちこち亀裂が入っていた。

2014年4月

牡鹿コバルトライン 一部は未だ再開せず

路面の修復は終わっていたようだが、まだ通行止めだった。

2017年5月

201705_牡鹿半島 コバルトライン終点

既に開通している。
2014年4月末に開通していたらしい。

 

女川原発PR館

(2017年5月)

201705_女川原発PR館

東北電力女川原発のPR館へ。

どこの原発でも、地域住民への広報が重要なので、かなりお金をかけた立派な広報施設を設けている。
見学者にはボールペンのお土産をくれたりなど、至れり尽くせり。

201705_女川原発は検査中

全ての原子炉が震災の時から止まったまま。

案内のおねいさんによると、2号機が原子力規制委員会の審査中で、来年度の稼働を目指しているとのこと。

女川原発の原子炉は沸騰水型なのだが、国の方針として、加圧水型の再稼働を優先的に進めているとのことだった。

 

ここの施設の、地域住民向けの広報誌が掲示板に貼ってあったのだが、この4月にこの女川原発に配属された新入社員は、25人いるとのこと。

新入社員が25人ということは、全社員数はおそらくその20~30倍くらいか?とすると全社員数は500~750人くらい?
この人数は、東北電力の正社員だけのはずなので、関連会社、下請け・孫請けを含めればさらに多い人数が、この稼働していない原発に、震災以来6年間張り付いていることになる。

2011年度の新入社員は、入社6年目なのに一度も原子炉の稼働を経験していないわけで、技術の承継という点では危うい状況。


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