2017年 東北被災地巡り(8) 山元町~フクイチ

東日本大震災の被災地の定点観測シリーズ。

2012年7月に訪問した時(震災から1年後)
福島第一の近くに行ってみました。

2014年4月に訪問した時(震災から3年後)
東北被災地巡り その9 山元町~南相馬市 フクイチ近く

そして今回が、2017年5月(震災から6年後)

それぞれの写真を並べて記す。


釜石から内陸へ。東北道をばびゅーんと南下して、宮城県の山元町へ。

山元町は、蕨市が職員1名を復興支援のために派遣していた自治体だ。

 

田んぼはけっこう復活してる

2014年4月

P4141114

2年前の時点では、海沿いで津波をかぶった(おそらく)田んぼだった場所は、除塩作業中だった。

除染と言っても、要するに表土を剥ぎ取るだけだ
(※ 除染ではなくて、除塩でした。)

2017年5月

201705_新しい常磐線

(別の場所だけど)

けっこう、田んぼは復活してる。
ちょうど5月の田植えシーズンなのだが、既に田植え済みの田んぼが多い。

津波の塩をかぶったため、塩抜きに何年もかかるのではないか、という解説を読んだ記憶があるのだが、けっこうもう既に復活しているようだ。

尚、写真の、奥に走っているのは、新しい高架上の常磐線。
こんな田んぼだらけの場所でわざわざ高架を敷くメリットはないはずなのだが、津波の時の被害軽減のために敢えて高架にしたのかな。

 

旧山元町立中浜小学校

2014年4月

山元町立中浜小学校

海岸から近い小学校。

津波にやられてぼろぼろに崩れたまま、放置されていた。

2017年5月

201705_旧山元町立中浜小学校

震災遺構として整備する予定のようだ。

山元町は、まだ震災遺構を整備する余裕が無いので、取り敢えず崩れたまま、立入禁止のロープを張って放置されている。

建物の中は散乱し、鳥たちのサンクチュアリになっており、ぴーちくぱーちくうるさいw

(2017年5月)

201705_旧山元町立中浜小学校

中には入れないけど(立入禁止なので)、覗けるところを覗いてみる。

昇降口。

(2017年5月)

201705_旧山元町立中浜小学校

天井が壊れた教室。これは1階。

(2017年5月)

201705_旧山元町立中浜小学校

海岸はすぐそこだ。

(2017年5月)

201705_旧山元町立中浜小学校

1階の教室は、どこも全て内装が壊れている。

 

新旧それぞれの常磐線 山下駅

山下駅は、山元町の中核に位置する駅。
とは言え、おそらくこのエリアは仙台の通勤圏でもないし、高校生が通学に使うくらいしか利用はないのじゃないかな?
震災前の2010年時点での、1日平均乗降客数は851人だったようだ。

昨年2016年12月に、内陸に駅ごと路線そのものを移転して、リニューアルサービスインしている。

(2017年5月)

201705_常磐線 新山下駅

新しい高架路線上の山下駅。

駅前のロータリーにはタクシーが止まり、郊外のニュータウン駅みたいだ。

(2017年5月)

201705_常磐線 新山下駅

駅前には新しい戸建てが立ち並んでいる。

 

(2017年5月)

201705_常磐線 新山下駅

まさにニュータウン。新しい街が造成されている。

しかし、距離的に遠いので、仙台への通勤ベッドタウンでもないし、ここに住む人達は、どういう人達なんだろう?

被災した沿岸の集落たちを、コンパクトシティ的な発想でここに集約した、ということなのかな???

 

(2017年5月)

201705_常磐線 旧山下駅

そして、ここが旧山下駅。

震災遺構として、線路は引き剥がしたものの、プラットフォームだけは残してある。
駅前広場には、津波被害者の名前を彫り込んだモニュメントが設置されていた。

 

 

国道6号を南下して、福島第一原発に近づいていく。

 

 

フクイチ近くの進入禁止の検問

2012年7月

2012/7/1 国道6号、南相馬市と浪江町の境の検問

この時点での検問位置は、南相馬市と浪江町の境だった。
車両の種類によらず、進入禁止。

2014年4月

国道6号 検問

通行証がないと、放射線量が高いエリアには入れないようになっていた。
(位置は、今は覚えていない)

2017年5月

201705_双葉町と浪江町の境

検問地点は、双葉町と浪江町の境。
ここから先の双葉町が、帰還困難区域となる。

しかも、国道6号を通り抜けるだけなら、通行証がなくてのクルマは入れる。
国道6号を外れて枝道に入るのはNGの模様。

バイクのライダー、チャリダー、トホダーは進入禁止なので、ここで引き返し。

検問していたのは、警察ではなく、民間の警備員だった。

 

 

国道6号を迂回して、浪江ICから常磐自動車道を南下した。

この区間は、2015年3月に再開されている。

常磐道も帰還困難区域を通り抜けるのだが、ここはバイクもOK。
沿道はのどかなシーズンオフの田園地帯といった趣きだが、地震で崩れ落ちた家屋の瓦屋根が、ブルーシートをかけたままの応急措置のまま放置されていた。

5km間隔ぐらいでモニタリングポストが設置されていて、大きな文字で読み取れるようになっているのだが、最大値で3.3マイクロシーベルト毎時だった。

放射線量は、NEXCO東日本のwebサイトでリアルタイムに公開されている。

NEXCO東日本 : モニタリングポストによる現在の放射線量(空間線量率)

3.3マイクロシーベルト/時 = 29ミリシーベルト/年

その地点に1年間居続けた場合の被曝量は、29ミリシーベルトということになる。

wikipedia : 放射線業務従事者#被爆限度

原発作業員や医療関係者の年間被爆限度は、50ミリシーベルトとのことなので、遥かに低い数字だから、別にここに住んでも差し支えはない。

 

(このシリーズ終わり)


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