幻の会派広報誌『新生会ニュース』平成31年4月号の原稿

今月はじめ、平成31年4月に、私が所属している蕨市議会の自民党系会派:新生会の広報誌『新生会ニュース』の発行を予定しておりましたが、先日の記事に書いた、前議長による暴力事件(会派内紛ではなく、個人的な暴力事件)の余波で、発行が中止されました。

新生会からのお知らせ

 

せっかく書いた文章なので、平成の最後に、私の原稿を以下に掲載します。

 


奉祝天皇陛下御在位三十年

 

天皇陛下にあらせられましては、このたび誠にめでたく御在位三十年をお迎えになられました。謹んでお祝い申し上げます。聖寿の万歳と皇室の弥栄を寿ぎ奉り、永久の我が国の隆昌と世界の平和をお祈り申し上げます。

さて、市内在住の外国人が増えております。3月時点で9.0%です。5年前には5.1%でした。皆様の周りを見渡しても、外国人の姿を目にする機会が増えてきたと思います。近年は増加ペースが加速しており、特に教育や病院の現場において、 受け入れ体制不十分のしわ寄せが来ている面もあります。

国は、人手不足解消のために、外国人労働者の受け入れ拡大の方針を推し進めており、市内の外国人比率は、更に拡大すると予測します。私は、これを「より良い、住みやすい、明るい社会」を作っていくためのチャンスとして、前向きに捉えたいと思います。「今後も市内在住外国人は増え続けていく」ということを前提に、社会不安を招かぬよう、受け入れ体制を整えていく必要があると考えます。


平成の紅白歌合戦を振り返るTV番組を見た。

出先でたまたま見たTVで、平成元年からのNHK紅白歌合戦を振り返る、という番組をやっていました。
時代ごとのニュースや、その時に話題になった歌を見て、嵐と聖子ちゃんとサブちゃんがコメントをするという構成でした。

平成元年って、西暦でいうと1989年なんですね。
私は中学2年生、つまり14歳でした。

昭和49年生まれ、44歳の私にとっては、「今まで過ごしてきた時間のほとんどが昭和であり、平成に突入したのはごく最近」というイメージがあるのですが、あらためて数えてみると、昭和時代を過ごした14年間の2倍以上の長さの平成時代を過ごしてきたわけです。

なんだかビックリですよ、もう。

 

 

それで、その平成元年、1989年なのですが、ベルリンの壁が崩れた年なんですね。

Berlin wall

2014年5月に訪れたベルリンにて。
教訓とするため、また、観光資源としてわざわざ残してあるベルリンの壁。

 

 

私が大学に入ったのは1993年で、大学では、フランシス・フクヤマの『歴史の終わりと最後の人』を読んだものです。

この本は、言うならば、西側による冷戦の勝利宣言のようなものですね。
邪悪な共産主義は滅び去った、もうイデオロギー対立は終わったのだ、少なくとも戦術核による局地的戦争はともかく、戦略核による人類滅亡を招きかねない全面戦争の危機は去ったのだ、と、世界中が安堵したものです。

 

 

そして、それから30年間が経った、平成31年の今日、我が国に未だに邪悪な共産主義を信奉する日本共産党が国会に議席を持ち続けていることが、本当に不思議でなりません。
いったい、何故こんなことがあり得るのでしょうか?

共産主義は、既に歴史的役割を終えたものなのに。

 

 

そして、同じように不思議なのは、我が蕨市において、日本共産党の党籍を持つ、共産主義者である頼高英雄氏が、3期12年間に渡って、市長を務めていることです。

私個人的には、頼高氏はキライではなく、むしろ好感を持っています。
「罪を憎んで人を憎まず」という言葉があるように、「共産主義を憎んで、共産主義者を憎まず」と考えるべきであり、共産主義者の末端の方々は、言わば一つの「歴史の被害者」です(違法なことをしたりしない限りは)。

 

再来月、平成31年6月(令和元年)には、蕨市長選挙が行われるわけですが、何としても市政から共産主義を駆逐せねばならないと、紅白歌合戦を振り返るTV番組をぼんやりと眺めながら、思いました。

IMG_2188

2017年6月に訪れた、プノンペン郊外のキリングフィールドにて。
クメール・ルージュに、理由もなく虐殺された人達の髑髏。
これが共産主義の正体です。