『星落ちて、なお』読みました。

澤田瞳子, 『星落ちて、なお』は、河鍋暁翠画伯を主人公として取り上げた、今年 令和3年の直木賞を受賞した小説です。

河鍋暁斎氏は、狩野派に学んだ正統な日本画家ですが、おどろおどろしい骸骨の絵や、風刺画など、枠にとらわれずに独自の画風を作り上げていった画家で、誰もが認める天才です。

澤田瞳子氏の小説は、たぶん2/3くらいは読んでます。

http://kyosai-museum.jp/hp/top_page.htm

河鍋暁斎美術館が蕨市内にあるという縁で、蕨市民にはとても親しみのある画家であります。

 

ということで、koboで買って読んでみました。

 

 

 

話の中には、河鍋暁斎画伯本人は出てきません。
冒頭から、暁斎画伯の葬儀のシーンから始まります。

主人公は、そのお嬢さんである、画家の河鍋暁翠氏です。
不勉強ながら、お名前を私は知りませんでしたが、この方はこの方で、絵画史に名を残している一流の画家であり、暁斎の画風の後継者です。

 

河鍋暁斎画伯は、河鍋派と呼んでもいいくらいの独自の画風を打ち立てたのですが、ご本人のあまりにも不世出の才能に依る部分が大きく、また、折しも、明治維新の時期であり、古典的な日本風のものが疎まれ、西洋風のものが持て囃される風潮に一気にシフトしたため、数百人もいた門弟は散り散りとなり、時代遅れとの評価を受けることとなってしまいました。

(門弟が四散してしまったのは、江戸時代までの徒弟制が崩壊し、明治時代になって西洋型学校教育システムが導入されたことも大きな理由の一つです。)

 

そのような中でも、河鍋暁斎氏の、あまりにも飛び抜けた才能と、多くのものを犠牲にしながら絵描きという仕事へ注ぎ込んだ膨大なエネルギーは、強力な引力を持ち、子孫や、弟子や、パトロンなど周りの人たちを巻き込んでしまいます。

その力は凄まじく、死して尚、その後何十年にも渡って、周りの人たちの人生をも束縛し続けます。

 

商才に恵まれていたはずのパトロンの大店の商人は、遊蕩に明け暮れて身を持ち崩し、最も著しく画才を引き継いでいたはずの長男の画家は、時流に乗れずに不遇のうちに亡くなり、・・・というところで、これ以上はネタバレしないように書きませんが、

 

この、暁斎画伯の類まれなる才能とエネルギーが持つ引力に、否応なく巻き込まれてしまった、周りの人たちは幸せだったのだろうか?

というのが、この小説の一つのテーマであります。

 

 

 

話全然変わりますけど、今はちょうどお盆休みなのですが、新型コロナ第5波による感染拡大が続いていることもあり、家に籠もって、妻とネトフリで映画を見まくっているのですが、

『ラ・ラ・ランド』

これ見たんですよ。

 

カフェでバイトしながらオーディションを受け続ける、女優になりたい女と、「ジャズは死んだ」と言われる不遇の時代にあって、伝統的なジャズを復興させたい男が、恋に落ちながら、それぞれ夢を追い求めるミュージカル映画なのですが、

 

ネタバレしないように書くのは難しいのですが・・・

恋と夢と、両方を欲張りにも得ることは、至難の道なのです。

 

この映画のエンディングを、ハッピーエンドとみなすか、バッドエンドと感じるかは、その人の人生観に依るでしょう。

 

 

いかに才能に恵まれようとも、いかに努力を重ねようとも、何かの道、何かの夢を極めようとすれば、何かを犠牲にしなくてはならない、周りの人たちをも巻き込んでしまうことすらある、ということでしょうか。

 

 

とうことで、この小説の感想を一言でまとめると、

平凡が一番

凡夫たる私には、これしか出てきませんね。