企画型と調整型

人の仕事上のセンスとかスキルセットとか経験を類型化する

・企画型人材
・調整型人材

の2つに概ね分かれます。

これは、私の経験上、くっきりはっきり分かれます。

 

両方を兼ね揃えたハイブリッド型を目指したら最強じゃね?と思いがちですが、これは普通は無理です。

なので、ビジネスパーソンは、キャリアの早い段階で、どちらに自分が向いているのかを見極めて、そちらのスキルと経験を磨くように特化するのが良いでしょう。

 

なお、リーダーシップとマネジメント力は、センスに由来して伸びる部分もありますが、概ね、トレーニングと経験によって磨くことが出来ます。

従って、
・企画型リーダー
・調整型リーダー
の両方が存在し得ます。

 

 

企画型人材

戦略を考えて、リサーチして、新しい何かを立ち上げて、回して、結果を評価していく仕事が、好きで、得意な人。

ネット系業界のような新しい業界・領域で、シード/アーリー段階の企業であれば、トップはほぼ100%が企画型人材です。企画型にしか、新しいビジネスは作れません。

 

企画型と言っても、もちろん成功率が100%ということはあり得ません。
シリアルアントレプレナーの方々でも、せいぜい1-2割といったところではないでしょうか。
(先日、ユーザーローカルのitomasaが、新しい事業なんて、おそらく打率1割、高いものでも3割ぐらいだと思う。とFBで投稿していました)

なので、当たり前ですけど、企画を立てる時は、出口まで考えます。
撤退条件と撤退プランを含まない企画は、あり得ません。

 

おそらく、業界ごとに、企画型といってもいろいろな小分類があります。

地方政治家であれば、
・モデル屋 (仕組みを作る人)
・イベント屋 (イベントを行う人)
・ハコモノ屋 (ハコモノを建てたり誘致したりする人)
などに分類できるかと思います。
この小分類もけっこうはっきり分かれますね。

 

 

調整型人間

複数のステークホルダ間の利害調整が好きで、得意な人。
面倒見がいい性格の方が多いのかと思います。

ビジネスパーソンならば、例えば、バブル後に合併を繰り返したメガバンでは、調整型が出世するのではないでしょうか。知らんけど。

 

 

企画型と調整型は、お互いに理解できない

上記のように、私は企画型なので、調整型がよく分からないんですよ。ほんとに分からない。
そんな仕事やって楽しいの?つまんなくね?と本気で思ってしまうし、本質的に興味が沸かない。

 

企画型と調整型は、お互いにさっぱり理解できないのです。

お互いに相手を「あいつら馬鹿なのか?無能なのか?やる気が無いのか?」とすら思ってしまうことがしばしばあります。

しかしながら、もちろんそのようなことはありません。

 

優劣もありません。

ついつい、自分が所属する型の方が優れていると思いがちなのですが、それは間違いです。

 

企画型人材にも、調整型人材にも、それぞれ、それなりの活躍の場があります。

組織の歴史や、目的にもよりますが、企画型人材と調整型人材が適材適所で配置されているのがベストです。どちらかの人材だけで成り立つ組織というのは、ほとんどあり得ないのではないでしょうか。

 

 

例外というのはありまして、私が今まで勤めていた会社でいうと、デジタルガレージの社長の林さん。この方は、企画型でかつ、アライアンスを作るのが天才的に上手いという、まあ、天才でした。
「AとBをガッチャンコして、Cを作ろう」
みたいな話をすると、周りの人があまりよく理解できていなくても、いつの間にか形になって成功しているという事例をたくさん目の当たりにしました。もちろん、失敗事例も多く拝見しましたけど。

 

 

地方議員として求められるのは、圧倒的に調整型人材

私は、ネット系業界で企画型(なおかつ、小分類で言うとモデル屋の)仕事をしてきて、この方面のスキルと経験を用いて社会貢献がしたかったので、地方議員職に就くことを11年前に選択しました。

まあしかし、実際にやってみてから分かったのですが、地方議員職として求められる人材は、ほぼ調整型なんですよね。

・利益を、支持母体に持ってくる
・行政と調整する
・地域内のステークホルダ間の利害調整をする
など。


政治家はレガシーを残すべきか?

レガシーという言葉

日本語に直訳すると、「遺産」という意味です。
要するに、誰かが、その任期中に、後世にまで語り続けられるような、何かをやった・作ったという、個人に紐づいたその業績のことです。

肯定的にも、否定的にも使われます。
従って、この「レガシー」という単語そのものには、正負どちらかの意味合いは本来は含まれていないのですが、概ね、肯定的な意味合いで用いられることが多いものです。

・法律、制度、構想、仕組みを作る
・ハコモノを建てる、交通機関(鉄道や道路)を誘致する
・イベントを開催する、誘致する

など、幾つかのパターンがあります。

 

 

キミもレガシー作ったら?

それで、政治家っていうのは、レガシーを作るべきか、残すべきか?どうなんだろうか?

例えば、私はこの7月臨時会における議会役職人事異動シーズンを乗り越えて、市議会議長としての2年目に突入したのですが、
「議長を2年やるんだから、何かレガシーを作らなきゃねっ!?」
と声を掛けられることがあります。

何人かにそのように言われると、「ほほぅ、そういうもんなのかね?」という気がしててしまうのですが、いやいや、ちょっと待て!ほんとに、そういうもんなのか??

 

 

ペロシ米下院議長の訪台

私個人的には、台湾の「台湾化」を支持しておりますし、共通の価値観を持つ台湾の自由と独立を守るために、中共が台湾に侵攻してきた際は、我が国も集団的自衛権を行使して米国と協力して台湾を防衛するべきと考えます。

 

その上で、今回2022年8月の訪台については、米国の利益にも、台湾の利益にもならず、東アジア地域の緊張を増しただけだったと判断します。

 

米国内の反対を押し切って同志が訪台を強行したことは、下院議長としての任期終了を間近に控えて「レガシー作りだけのためにかなり強引に実行したのだ」という見方があります。

あらゆる物事には様々な側面がありますので、
・台湾の民主主義を指示する姿勢を示した
・軍事力を背景として恫喝を繰り返す、強権的な中共の圧力に屈しない姿勢を示した
ということにももちろん高い価値があり、これを否定するものではありません。

 

しかしながら、自らのレガシー作りが主目的だったのであれば、そのために各ステークホルダが支払わなくてはならない代償はあまりにも大きい、と言わざるを得ません。

 

 

レガシーを作ろうとして作ってはいけない

上記は、ある種の極端な例ですけど、レガシーは、任期が終わるなり、引退するなり、死亡するなりした後、何年か経過してから、「そう言えば、○☓は、あの人のレガシーだった、とも言える」と評価されるくらいがちょうどいいのではないでしょうか。

意図して作ろうとすると、ろくなことにはならないことが多いのではないかと思います。

 

 

鼓腹撃壌

そもそも、

・○☓を作りたい!
・△○を建てたい!

という政治家の公約はご立派なのですが、圧倒的に重要なのは、そのような派手な、レガシーと呼ばれ得る何かよりも、日々のランニングなのです。

日常の平穏な暮らし、これをどれだけ安定して確保するか。

それは、たとえ達成したとしても「誰かのレガシー」と呼ばれることは決してありませんが、最も大切な政治家の仕事です。


統一協会をはじめとする、宗教団体との関わりについて

安倍元首相銃撃事件をきっかけに、政界、その中でも特に自民党と、統一教会との長年に渡る闇の繋がりが明るみになりました。

冷戦時代より、 反共産主義を旗印に結束した「国際勝共連合」という団体、というかプラットフォームがあり、自民党と統一教会が、表と裏の両面で結びついていたようです。

詳しいことは私も知りません。

 

 

冷戦が終結して久しいのですが、未だに自民党と統一教会の裏の繋がりは、部分的に続いているようです。

 

 

この際、反社会的なカルト宗教団体である統一教会との繋がりは、自民党としてはスッパリと断ち切るべきだと思います。

 

 

私自身は、仏教徒です。
お寺は臨済宗です。
神社にもお参りします。
お地蔵様の前を通り過ぎる時は、取り敢えず手を合わせます。

20210419111525

2021年4月、朝熊山にて。

 

唯一絶対の存在の有無についても関心があり、旧約・新約聖書とコーランも、ダイジェスト版を読んだことがあります。
旅行する際は、その土地の宗教施設を見学した際に、見様見真似でお参りすることもあります。

 

 

統一協会を始めとする新興宗教や、伝統宗教の団体からの、政治活動を行う上での支援を受けたことはありません。

 

 

(個人としてではなく)政治家としては、以下の蕨市内の神社の神事に参加したことがあります。
・和樂備神社(蕨市中央)
・機神社(蕨市塚越)
・北向き稲荷社(蕨市錦町)

R40630和楽備神社「大祓」(4)_2

2022年4月、和樂備神社の夏越しの大祓。
慣習的に、公務として議長が出席することになっています。