リスキリング支援 5年で1兆円

昨日、令和4年(2022年)10月3日の臨時国会冒頭にて岸田首相が所信表明を行い、その中の目玉が、

・リスキリング支援 5年で1兆円

なのだそうです。

 

 

 

リスキリングとは、聞き慣れない言葉ですが、

要するに、「スキル」(=技能)という名詞の動詞形に、re-(再び)を付けた単語で、「学び直し」という意味ですね。

学生ではなく、社会人(失業者を含む)向けに、学習支援を、国のお金で行う、というものです。

 

 

 

ある人より、

「どうして、国のお金で、個人の学習を支援しなくてはならないのか?」

という質問を受けました。

要するに、「それは、単なるバラ撒きではないのか?」という懸念の声ですね。

おっしゃる通り、個人のキャリアアップのための学習であるならば、その人自身の費用負担で行うべきです。

 

 

政府による、労働者・失業者の学び直しサービスは、昔からあります。

ハローワークでは、様々なジャンルの職業訓練を実施しています。

これらは、失業対策という目的で行われているサービスです。

失業が増えると、(順不同ですが)税収は減り、治安は悪化し、自殺者数は増え、世の中の幸福の総和が減ります。

失業をなくす・減らす、というのは、政府の最も重要な役割のうちの一つです。

 

 

昨今のリスキリングは、従来型のハローワークによる職業訓練から更に一歩進んだ概念です。

 

 

近年のAIの技術進化があまりにも急激過ぎて、ここ数年で、多くの職業がAIに置き換わり、多数のホワイトカラー労働者が失業する(社内失業を含む)と予想されています。

 

 

財閥系のような余裕のある大企業であれば、社内でのリスキリング+配置転換を行う余裕がありますが、そのような余裕がない企業からは、大量のホワイトカラー労働者がリリースされる可能性があります。

あまりにも急激かつ大規模であり、大きな社会不安を生み出しかねないことが予想されるために、政府がお金を出して、リスキリング支援を行うのです。

 

 

 

やはり、このような大きな技術革新、技術革新による労働市場の変化は、国単位で起こるものですので、今般のホワイトカラー労働者向けリスキリング政策は、国レベルのものであるべきであり、地方レベルで行うべきものではないと思います。
(国の政策を、地方が下請けするパターンはあり得ます)

 

地方レベルで独自のリスキリング政策を行うとしたら、例えば、

・特定の産業(農業、林業、漁業などの一次産業や、地場の製造業、観光業、鉱業など)が盛んな地域において、急激に産業動態が変化して当該産業が廃れ、大量の失業が発生するために、その産業の労働者向けにリスキリングを行う。

・特定の企業城下町(大きな工場がある街など)において、当該企業が撤退することとなり、大量の失業が発生するために、当該企業に勤務していた労働者向けにリスキリングを行う。

といったパターンであれば、あり得ると思います。

 

 

実は、本年、蕨市の近隣に位置する某市において、リスキリング補助金制度が出来ています。
(この某市の政策については、その自治体なりの個別の事情があることでしょうから、私としては特に意見は述べません。)

おそらく、今後、「蕨市でも真似して同様の制度を作ろう!」という提案がこれから、市議会内でも出てくるのではないかと予想します。これは、ちょっと慎重に考えないとならないと思いますね。


【蕨市議会】9月定例議会が閉会

先週、令和4年(2022年)9月28日に、蕨市議会 9月定例会が閉会しました。

 

9月定例会は、決算審査がメインでした。

 

 

9定の一般質問で多く取り上げられたテーマ

蕨市議会は、定数18と、人数規模的に小さな議会であるために、年に4回の毎定例会において、全ての希望する議員が、一般質問を行うことが可能です。

定数が大きな地方議会では、年に1回しかできなかったり、2年に1回しか割り当てが回ってこなかったりするところもあります。

議長は一般質問を行うことは不可能なので、最大で17名、実際のところは、15~16名くらいの議員が、一般質問を行っています。

このあたりのルールは、「定数○人の議会なら、年に☓回ずつ」のような全国統一のルールがあるわけではなく、それぞれの地方議会の慣習によって定められているものです。

 

 

前回の6月定例会では、急激な物価上昇が起こったため、物価対策を取り上げた議員が多かったのですが、今回の9月定例会では、ゼロでした。

これは、結局のところ、マクロの物価対策は、国政マターであって、地方政治レベルでどうこう出来るものではないからではないかと思います。

6月定例会において取り上げられた一般質問における物価対策についての提案内容も、ほぼ全てが、低所得者向けの生活支援、激変緩和という観点からのものでした。


安倍元首相の国葬

先日、令和4年(2022年)9月27日、参院選の応援演説中に銃弾に倒れた安倍元総理の国葬が行われました。

ご冥福を心よりお祈り申し上げます。

偉大なリーダーであり、真の愛国者でありました。

その仕事のやり方は、周到な根回しを行うスタイルでも、足して2で割るような調整型でもなく、強固な支持基盤を背景に強力なリーダーシップを取って、自らの掲げる政策をぐいぐい進めていくスタイルでした。

その結果として、政敵や、感情的なレベルで嫌悪を示す反対派を多く作りました。

 

 

 

国葬の実施の是非については、様々な意見がありました。

反対論が続出しました。

様々な意見があるのは当たり前ですし、意見があるならばそれを発表するのも当然ですが、御霊を貶めたり、遺族の心を傷つけたりするような過激な反対運動まで行われたました。

これはとても残念に思います。

死んだ人の魂が安らかであることを祈る、悲しみに暮れる遺族の心を慮る、たとえ敵であろうとも自らの信念に基づいて一所懸命に何かに取り組んだ故人に敬意を払う、というのは、どこの民族でも、どこの宗教でも当たり前のことです。

 

ハワイ真珠湾において今も博物館としして静態保存されている米海軍戦艦ミズーリには、帝国海軍による特別攻撃の跡が残っています。

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(2012年2月に戦艦ミズーリ記念館を訪問)

戦艦ミズーリの艦長は、国に殉じた帝国海軍パイロットに最大級の敬意を表し、丁寧に水葬を行いました。艦長の指示に対して不満を漏らす兵士に対して、ミズーリの従軍牧師は「死んだ敵はもはや敵ではない」と説得したそうです。

これこそが、亡くなった敵に対して取るべき態度であろうかと思います。

 

 

 

しかしながら、安倍政治を歴史的に振り返ってみると、分断を招いた、分断を拡大した、ということは言えるかもしれません。

強力なリーダーシップというものは、必然的に分断を招いてしまうものなのでしょうか?

同時代の米国トランプ政権も同じように、分断を招きました。

 

 

歴史が、押し寄せては引いていく波のようなものであるならば、安倍政権の後継である菅政権に次いで誕生した、現 岸田政権が、新しい大型の独自政策を掲げリーダーシップを取って推し進めようというスタイルではなく、「聞く力」すなわち調整力に最も重きを置くのも歴史的必然と言えます。