東中の卒業式がございました。

本日、令和5年(2023年)3月15日、蕨市内の全中学校において、卒業式が行われました。

卒業生、保護者の皆様、先生方、それぞれの地域社会の皆様、おめでとうございました。

卒業証書授与のイラスト(女の子)

 

私は、市議会議長として、東中学校の卒業式に出席させていただきました。

身が引き締まるような厳粛な雰囲気でありました。

校長先生曰く、中学校3年間の全てをコロナ禍において過ごした学年であり、集団活動を行ったり、所作を磨く機会が少なかったため、特にしっかりと卒業式の予行練習を行ったとのことですが、その成果は十分に発揮されていたものと存じます。

 

 

卒業式に私が来賓として招かれたのは、4年ぶりです。

コロナ禍における、縮小した形式での卒業式が未だに続いております。
コロナ以前であれば、小中学校の卒業式・入学式は、市政府、市議会、地域社会全体にとっての慶事であり、市における最も大切なイベントのうちの一つとして、多くの来賓が招かれ、盛大に行われたものです。
今年は、市議会からは議長のみが招かれ、他の議員は出席致しませんでした。
コロナ以前であれば来賓として招かれた、各地域の町会長、民生児童委員などは出席致しませんでした。

また、保護者は、各生徒当たり2人ずつまで、と人数が決められ、在校生も出席致しませんでした。

 

 

令和5年(2023年)3月13日からマスク着用が事実上、自由化されたことに伴い、
この卒業式においては、教職員・生徒は、マスク着用は各自の自由、外すことを強制はしない、というルールだったようですが、

・男子生徒は、全員がマスクをしていない。
・女子生徒は、ほぼ全ての生徒がマスクをしていた。ごく数人がマスクをしていなかった。

という状況でした。

 

これって、どういう心境によるものなんですかね??

市内の他の中学校ではどうだったのでしょうか?


風化させてはいけない、のか?

今年もまた3月11日が近づいてまいりました。

そう、東日本大震災の3月11日です。

今年、令和5年(2023年)で、12年間が経過したことになります。

 

 

毎年、この時期になると、ちらほら聞く言葉が、

災害の記憶が風化してきている
記憶を風化させてはいけない
風化させずに、次世代に伝えていかなくてはならない

等というものです。

例えば、昨日付けのY!ニュースでこんな記事があります。

「風化」がさもネガティブなものであるかのように捉えられ、努力して「風化」を防がなくてはならない、と語られています。

 

 

 

でも、そもそも「風化」って何なんでしょうね?

風化って悪なんでしょうか?

 

 

 

風化という言葉は、そもそも「岩石や鉱物が変質または分解する作用のこと」という地質学用語です。

何かが「風と、化す」という表現は、詩的な趣きもあります。

今回調べて初めて知りましたが、英語だと、weathering だそうで。

 

そういえば、新海誠アニメ映画『天気の子』の英文タイトルは、weathering with you なんですよ。

映画見た人なら分かると思いますけど、「困難を君とともに乗り越える」的なニュアンスだと思います。

 

ははは、面白いですね。

風化の直訳である、weatheringという英単語には、単に「風と化して消える」という意味合いではなく、「克服して乗り越える」という意味合いがあるのです。

そもそも、岩石や鉱物は、消えて無くなることはありません。
変質したり、分解したとしても、それは消えて無くなることを意味するわけではありません。

 

 

ちょっと話がずれてきたので戻しますが、

記憶の風化、って何だろう?
それは、悪いことなのだろうか?

 

 

 

そもそも、人の記憶は、どんなに濃密なものであったとしても、時間の経過とともに薄れ、場合によっては消えていくものなのですよ。

だからこそ、勉強するときは、 何度も反復学習するわけです。

 

 

逆に、辛い記憶、思い出は、薄れさせ、忘れさせた方がいいのです。

 

 

父親が死んだ時の体験なのですが、

様々な葬儀の手続きや、仏壇を買ったりといった雑事に追いまくられ、残された家族は、悲しむ暇もないほどでした。

ああ、これはよく出来た仕組みだな、と感じました。

古からの知恵で、家族が死んだ直後、一瞬でも悲しみを忘れさせるようにするために、敢えて雑務に忙殺させるように様々な複雑な慣習が拵えてあるのだな、と。

 

 

 

悲しみは、反芻して思い出すのではなく、忘れることも大事です。
未来に向かって進むためには。

 

 

 

私は、「記憶の風化」が悪いことだとは思いません。

悲惨な体験から得られエッセンスとして抽出された教訓や知恵が、次世代に活用されていくのであれば、記憶そのものは風化してもいいと思います。

「記憶は風化してもいいんだ」と思えば、楽になれると思います。

 

 

201705_大槌町中心地

2017年5月に訪れた、復興が進む大槌町の中心部と、スズキV-strom1000


保谷たけし事務所を開設しました。

かねてよりご案内の通り、先日、令和5年(2023年)3月4日(土)に、保谷たけし事務所開きを行いました。

神事は、御嶽山 原田宮司に執り行っていただきました。

市内各地、各界の代表の皆様にご列席賜りありがとうございました。

蕨自治会館の隣りの ↑ ここです。

昼間は基本的には毎日空いておりますので、お気軽にお立ち寄りください。

 

保谷たけし事務所

かつて「玉屋」というアパレル店があった建物です。


蕨市立病院は、黒字化しておらず、安定経営でもない。

蕨市立病院事業の決算書を、平成22年度(2010年度)から12年間分、紐解いてみましょう。

決算書から、以下の数字を抜き出しました。

 

医業損益
企業経営における、営業損益に当たります。

医業損益 = 医業収益 ー 医業費用

 

経常損益
一般会計からの繰入金、県や国からのコロナ禍対策の補助金などが、医業外収益として加えられます。
医業外収益は、企業経営における、営業外収益に相当します。

また、借入金の支払利息などが、医業外費用として減じられます。
医業外費用は、企業経営における、営業外費用に相当します。

経常損益 = 医業損益 + 医業外収益 - 医業外費用

 

当年度純損益
その年度だけの特別な理由による、特別利益を加え、特別損失を減じたものです。
公立病院は法人税が非課税なので、利益が出たとしても「法人税を払う」という概念は存在しません。(消費税はもちろん払います)
当年度純損益は、企業経営における、当期純損益に相当します。

当年度純損益 = 経常損益 + 特別利益 ー 特別損失

 

従って、最終的な経営成績として評価の対象になるのは、「当年度純損益」ということになります。

 

平成22-25年度

hospital1

黒字の年もあれば、赤字の年もある、といったところですね。

 

平成26-29年度

hospital2

平成26年度は、経常損益は黒字ですが、会計制度が変更したことにより大きな特別損失を計上したために、当年度純損益は-6億9千2百万の赤字となっています。

 

平成30-令和3年度

hospital3

令和元年1月頃からcovid-19の感染拡大が始まり、全世界的に病院経営には大きなネガティブインパクトがありました。
令和2-3年度は、大きな赤字に沈んでいます。

 

ということで、例外的な平成26年度、令和2年度、令和3年度を除いたとしても、+87百万の黒字から、-78百万の赤字まで、黒字と赤字を行ったり来たり、上下に揺れ動いているといったところです。

 

とてもとても、「黒字化して安定経営となった」とは言えない状況です。

 

 

現職の頼高英雄市長は、折に触れて「自分が病院事業を、赤字から黒字に転換した、安定経営にした」の述べており、先日、2月28日の3月定例会 本会議においても、同じ趣旨の発言をしていました。

本日、3月3日に開かれた予算決算常任委員会 環境福祉経済分科会において、私が所属する会派の議員が、「何をもって、黒字化したと言うのか?」、「何をもって、安定経営というのか?」と、上記の市長の発言の真意について問い正したのですが、

 

代理として答弁した病院事務局の次長は、

・東日本大震災の影響で、産科の分娩件数が減ったから。
・平成26年度に会計制度が変更したので引当金の計上が必要になったから。

などという、損失が発生するに至った、それぞれの時期における特殊な要因を説明し、論点をずらしてはぐらかすのみで、市長の「自分が病院事業を、赤字から黒字に転換した、安定経営にした」という発言の真意についての説明を行いませんでした。

 

ごく控えめに言って、頼高市長の発言は、虚偽です。

現職市長を嘘つき呼ばわりするのは、あまり品が良い行いとは言えないかもしれません。しかしながら、本日の予算決算常任委員会 環境福祉経済分科会においては、市長に対して虚偽発言の釈明あるいは訂正の機会を与えたつもりだったのですが、何らの説明も聞くことが出来なかったのは残念です。