自民党青年局の被災地ツアー、田老から南下して陸前高田へ。
2024年7月 東日本大震災被災地巡り(1) 田老
2024年7月 東日本大震災被災地巡り(2) 陸前高田 ←この記事
2024年7月 東日本大震災被災地巡り(3) 大川小学校
2024年7月 東日本大震災被災地巡り(4) 南三陸病院・伝承館・旧防災庁舎
2024年7月 東日本大震災被災地巡り(5) 多賀城高校災害科学科の生徒とのグループワーク
2024年7月 東日本大震災被災地巡り(6) 福島第一原子力発電所
2024年7月 東日本大震災被災地巡り(7) 中間貯蔵施設
陸前高田も、津波で街が丸ごと流されました。
陸前高田の伝承館
いわてTSUNAMIメモリアルという名称の伝承館が出来ていました。
なかなか見ごたえがあります。
歩道橋の橋桁。
田野畑村の消防団のピックアップトラック。
この伝承館は、陸前高田の地元の被害のみならず、東日本大震災の全体を後世に伝えることを目指しています。
伝承館を出て、防潮堤に登ってみました。
防砂林の松が育ってきていました。
防潮堤の上から、伝承館を振り返る。
写真中央の横長の白い建物が、伝承館。
右側の三角形の建物は、震災遺構の旧 道の駅高田松原タビック45。
盛り土して区画整理した街が、田んぼになってる!?
伝承館から、北向きに街側(山側)を望む。
陸前高田で、最もびっくりしたのは、この景色でした。
2014年時点で、、山を削って土を運び入れ、盛り土をするための巨大なベルトコンベア設備が街中に張り巡らされ、あたかも空中都市といった趣でした。
2017年時点では、盛り土作業は完了し、ベルトコンベア設備も撤去済みでした。
ああ、これからここに人家が建てられていき、人々が暮らし始めるのだろうな、と思ったものです。
しかしながら、2024年時点では、人家はまったく建っておらず、一面が水田となっています。
今調べたところ、これは別に人家が戻ってこなかったので仕方なく水田にしたということではなく、当初の復興計画通りだったとのことです。
膨大なお金をかけて、盛り土をした結果として水田を作ったというのは、率直に言って、その盛り土は必要だったのだろうか?と、不思議な感じがします。
陸前高田は、「奇跡の一本松」という分かりやすい物語があったために、ふるさと納税などの支援金が集まりやすく、そのために復興事業が他の街よりも早く進んだ、という経緯がありました。
しかしながら、人は戻ってきていません。
過去の東日本大震災被災地視察のレポート
2012年4月 私費で個人視察
2012年4月 津波の被災地に行ってきた。(1)仙台 貞山堀付近
2012年4月 津波の被災地に行ってきた。(2)野蒜
2012年4月 津波の被災地に行ってきた。(3)石巻
2012年4月 津波の被災地に行ってきた。(4)牡鹿半島
2012年4月 津波の被災地に行ってきた。(5)女川原発
2012年4月 津波の被災地に行ってきた。(6)女川~北上
2012年4月 津波の被災地に行ってきた。(7)南三陸
2012年4月 津波の被災地に行ってきた。(8)気仙沼~陸前高田
2012年4月 津波の被災地に行ってきた。(9)釜石
2012年7月 私費で個人視察
2014年4月 私費で個人視察
東北被災地巡り その1 仙台荒浜
東北被災地巡り その2 野蒜
東北被災地巡り その3 石巻
東北被災地巡り その4 牡鹿半島
東北被災地巡り その5 女川~北上
東北被災地巡り その6 南三陸~気仙沼~陸前高田
東北被災地巡り その7 釜石
東北被災地巡り その8 大槌町
東北被災地巡り その9 山元町~南相馬市 フクイチ近く
2014年7月 蕨市議会の政務活動費で、当時の蕨市議会保守系会派での視察
2017年5月 私費で個人視察
2017年 東北被災地巡り(1) 仙台 荒浜
2017年 東北被災地巡り(2) 奥松島
2017年 東北被災地巡り(3) 石巻
2017年 東北被災地巡り(4) 牡鹿半島
2017年 東北被災地巡り(5) 雄勝~河北~南三陸
2017年 東北被災地巡り(6) 気仙沼~陸前高田
2017年 東北被災地巡り(7) 釜石~大槌
2017年 東北被災地巡り(8) 山元町~フクイチ