2024年7月 東日本大震災被災地巡り(4) 南三陸病院・伝承館・旧防災庁舎

自民党青年局の被災地巡り、南三陸町へ。

2024年7月 東日本大震災被災地巡り(1) 田老
2024年7月 東日本大震災被災地巡り(2) 陸前高田
2024年7月 東日本大震災被災地巡り(3) 大川小学校
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2024年7月 東日本大震災被災地巡り(5) 多賀城高校災害科学科の生徒とのグループワーク
2024年7月 東日本大震災被災地巡り(6) 福島第一原子力発電所
2024年7月 東日本大震災被災地巡り(7) 中間貯蔵施設

 

台湾の支援によって再建された南三陸病院

202407 南三陸病院

南三陸町の南三陸病院(90床)の建物。

右側で青色のビブを着て、眩しそうに手庇をかざしているのが私ですね。

 

この病院は、津波に被災した公立 志津川病院の後継です。

公立志津川病院2012年4月の公立志津川病院(122床)。

5階建ての建物は、4階まで津波に襲われ、多くの医療職、入院患者がお亡くなりになりました。

 

202407 南三陸病院

公立志津川病院は、台湾赤十字から支援をいただき、南三陸病院として再建されました。

同志国である台湾の方々の支援への感謝の記念碑が建てられています。

 

202407 南三陸病院

南三陸町長からお話を伺う。

 

202407 南三陸病院

石碑を囲んでみんなで記念撮影。

 

 

南三陸の伝承館 南三陸311メモリアル

202407 南三陸311メモリアル

元 南三陸町の行政パーソンだった館長からご説明いただきました。

 

202407 南三陸311メモリアル

マニュアル通り、訓練通りに行動すれば、人は正常化バイアスによって安心する。

でも、それはただの安心に過ぎない。安全であることは示していない。

東日本大震災では、想定を越えた被害が発生した。
マニュアル通り、訓練通りでは助からなかった。

その場の状況に応じた臨機応変な対応が必要だった。

安心と安全は違うんだ!

 

というご説明は、確かに納得できるものでした。

 

南三陸311メモリアルのラーニング・プログラム

動画を見た後、あなたなら選択肢Aか選択肢Bか、どう行動しますか?
周りの人とディスカッションしてみましょう!

という参加型コンテンツがあります。

 

例えば、

「あなたは、落ち着いて行動して高台の安全な場所に避難することが出来ました。しかし、スマホを自宅に置いてきてしまったことに気が付きました。さあ、取りに帰りますか?諦めますか?」

といった具合いです。

どちらが正解かは、誰でも分かります。

でも、正解通りに、あなたは行動出来ますか?

ついつい、ささっと行って帰ってくれば大丈夫だろう!避難生活がどのくらい長期化するか分からないから、スマホは大事だしね!と考えてしまうのではないですか?

スマホを取りに帰るか、スマホを諦めて安全な場所に留まるかを選択してそれぞれを示すカードを掲げた後、周りの人と話し合ってみよう。

と、いうものです。

 

 

これはよく出来た素晴らしいプログラムです。

若い方々に受講してもらいたいですね。

 

 

震災遺構 南三陸町の旧防災庁舎

202407 震災遺構 南三陸町 旧防災庁舎

3階建ての南三陸町防災庁舎は、屋上まで津波をかぶりました。

この庁舎の中と、屋上で、多くの町職員が被災し、お亡くなりになっています。

 

 

どこの震災遺構も事情は同じなのですが、後世の子孫に対する警告として保存して残すべきだという意見と、家族・友人が亡くなった辛い記憶の場所だから解体して欲しいという遺族の意見とが折り合えるはずもなく、激論になっています。

この防災庁舎も、解体するか、震災遺構として残すか、南三陸町の方針は二転三転しましたが、最終的には残すことになりました。

 

今は、周囲はきれいな公園として整備されています。

 

 

南三陸町の沿岸部

202407 南三陸町 志津川港と沿岸部

志津川港。

 

202407 南三陸町 志津川港と沿岸部

港の周辺の街区。

 

道路はきれいにまっすぐに築造されています。

しかし、空き地が多く、雑草が生い茂っています。

 

202407 南三陸町 志津川港と沿岸部

飲食店、海産物の工場、小売店、コンビニなどが戻ってきましたが、せっかくきれいに整備した新しい区画整理した町並みは、未だに空き地が目立ちます。

 

これは、復興したと言えるのだろうか?

 

 

過去の東日本大震災被災地視察のレポート

2012年4月 私費で個人視察

2012年4月 津波の被災地に行ってきた。(1)仙台 貞山堀付近
2012年4月 津波の被災地に行ってきた。(2)野蒜
2012年4月 津波の被災地に行ってきた。(3)石巻
2012年4月 津波の被災地に行ってきた。(4)牡鹿半島
2012年4月 津波の被災地に行ってきた。(5)女川原発
2012年4月 津波の被災地に行ってきた。(6)女川~北上
2012年4月 津波の被災地に行ってきた。(7)南三陸
2012年4月 津波の被災地に行ってきた。(8)気仙沼~陸前高田
2012年4月 津波の被災地に行ってきた。(9)釜石

 

2012年7月 私費で個人視察

福島第一の近くに行ってみました。

 

2014年4月 私費で個人視察

東北被災地巡り その1 仙台荒浜
東北被災地巡り その2 野蒜
東北被災地巡り その3 石巻
東北被災地巡り その4 牡鹿半島
東北被災地巡り その5 女川~北上
東北被災地巡り その6 南三陸~気仙沼~陸前高田
東北被災地巡り その7 釜石
東北被災地巡り その8 大槌町
東北被災地巡り その9 山元町~南相馬市 フクイチ近く

 

2014年7月 蕨市議会の政務活動費で、当時の蕨市議会保守系会派での視察

陸前高田視察レポート

 

2017年5月 私費で個人視察

2017年 東北被災地巡り(1) 仙台 荒浜
2017年 東北被災地巡り(2) 奥松島
2017年 東北被災地巡り(3) 石巻
2017年 東北被災地巡り(4) 牡鹿半島
2017年 東北被災地巡り(5) 雄勝~河北~南三陸
2017年 東北被災地巡り(6) 気仙沼~陸前高田
2017年 東北被災地巡り(7) 釜石~大槌
2017年 東北被災地巡り(8) 山元町~フクイチ

 

2023年11月 県議会の政務活動費で個人視察

東日本大震災の被災地:名取市閖上を訪問


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