出張などもろもろ

蕨市議会議員の私 ほやたけし(保谷武)の最近の活動についてですが、

・9月定例会
7月に議員になってからの初めての定例会は、9月末日に終了致しました。
10月は視察研修シーズンで、
・全国都市問題会議にて研修
議員の中から5人が参加しました。
(18人の議員の中から順番に、4年間の任期中に1回参加する仕組み)
・岩手県遠野市に中心市街地活性化計画の視察
保守系会派 新生会全員で。
・全国市議会議長会フォーラムにて研修
新生会 全員で一緒に行きました。
(他の会派の中には、参加したところと不参加のところとがあり。)
これら、ちょっとまとめて自分の考えも交えて後でブロギングします。
今は議会は閉会中ですが、上記のような視察研修の他、24年度予算要望をまとめたり、蕨戸田衛生センター組合の議会があったり、農業委員会の会議があったりしますので、決してヒマな訳ではありません。
そして今週末は、何よりも大切な、和樂備神社の百年祭ですね。
天気予報的には、降水確率がちょっとびみょうな感じですね。

保谷武(ほやたけし)の職歴について

掲題の件、ざっと書きます。

1997年 大学卒業と同時に、ニチメン(株)(現:双日)入社
商社を就職先に選んだのは、他の多くの商社マンと同じように単純で、「海外で仕事したかったから」、「ビッグな商いをしたかったから」。
ニチメンは、先輩の感じがよくて、一番最初に内定をくれたので、そのまますんなり決めてしまいました。
(今思えば、もっといろいろな会社回っておけば良かった。大学生の私は、社会の仕組みをまったく分かっていなかったw)

当時は、商社冬の時代で、ニチメンの業績はボロボロ。
同期たる新卒は48人採用されたものの、部門別収益管理を行っているために現場の営業部門の配属が少なく、私は間接部門の情報システム部に配属された。

私の入社以前の情報システム部といえば、経理システム、人事システムなど、いわゆる基幹系システムの開発、保守を行うような地味な仕事がメインだった。私が入社したタイミングは、ちょうど、社員一人一台PCが配られ、業績は悪いくせに予算はたくさんあり、海外店にもイントラネットを伸ばし、さあ、ネットは広大だわ、ネットを使ってどうやって商いを拡大していこうか、という、ある意味チャンスがあった。
しかしながら、海外で、ビッグな仕事!ということに目が行っていた私は、正直、腐っていた。

周りを見回してみると、ちょうど第一次ネットバブル、ITバブルと言われていた時代で、ネットベンチャーが勃興し、赤字でも成長さえしてれば会社をIPOさせられる、「さあ、閉塞した大企業を飛び出して、ベンチャーに飛び込み、IPOさせてミリオネアになろう!」という神話が喧伝されていた時代だった。





1999年 転職して(株)サイバーエージェント入社
丸二年でニチメンを退社し、当時、創業ちょうど一年で、社員数15人だった同社に入社。
当時たくさん興ったIT、ネットベンチャーの中には、ゴミクズのように消えていった会社も多いけど、サイバー社はかなり大きく成長し、いい会社になった。たくさんのことを学んだし、この会社を選んだのは、自分としてはラッキーだったと思う。

当時は、ネット広告黎明期で、バナー広告を1クリック幾らで売り歩いていた時代。
サイバーエージェントがバリバリの営業会社だった時代(アセットとして営業力しかなかった)。
サイバーエージェントの創業者のお二人は、インテリジェンスのご出身。インテリの創業者はリクルートコスモスのご出身。つまり、サイバー社は、リクルートDNAを受け継ぐ会社で、営業スタイルはリクルートそのもの。士気が高くそれなりに優秀な若者を集めて、インセンティブで競わせつつドブ板営業をさせる、というスタイル。
社員は若く、当時の平均年齢が24歳くらいで、全員独身だったので
、毎日のように会社に泊まり込んで仕事していた。(効率は悪かったけど)トイレの洗面台には、社員全員分の歯磨きセットが左右にずらっと並んでいた。

私もこういった営業をやっていたのだが、正直、成績はあまりよくなかった。
リクルートスタイルの営業は自分に合ってなかった。
月末にクライアントにfax攻撃したり、ノルマに足りないんですぅ~と泣き落としで売上を押し込ませてもらったり、といことが、気恥ずかしくて出来なかった。これは、私の弱さに依るものである。
以降、一貫して私は、新規事業を作るに当たっては、「営業しなくて済む商い」であることを前提条件としている。
尚、この会社は、私が在籍していたときにIPOしたが、直後にネットバブルが崩壊したので、個人利得はない。





1999年 子会社として(株)ネットプライスを創業して出向、後に転籍
ECをやるために、インテリとE-storeとJ/Vで作った会社。
同社の現在のモデルは「ギャザリング、共同購入」モデルという特殊な売り方による、自社ECである。創業当初は、自社ECモデルでスタートして、後に打倒楽天を旗印に掲げたショッピングモールモデルに転向した。
私は、モールのシステムの要件定義をやったり、営業マン(USENの営業マンが代理店として販売うしていた)向けの説明をやったり、コンタクトセンタを作ったりといった仕事をしていた。

「いろいろあって」退社。
差し障りもあるのであまり詳しく書かないが、一般論として言うと、小規模な組織の場合、トップと考え方ややり方が異なったりすると、行き場所がなくなるので、辞めなくてはならなくなる。大企業ならば「ほとぼりが冷めるまで地方の国内支店で謹慎しよう」みたいな、冷却期間のキャリアパスが存在するが、小規模組織だとそんなモノはない。
尚、この会社は後にIPOしたが、私が退社した後だし、ストックオプションは当然退社時に放棄しているので、個人利得はない。





2001年 転職して(株)デジタルガレージ入社
ネットビジネスのコンサルティング+受託制作・開発を商う会社。
私は、コンサル+営業という仕事をやった。
案件は、数人~十数人規模のものが多く、トップ営業で取ってきたものを現場のチームで回していく、というスタイルだった。この点、開拓営業が苦手な私には合っていた。
当時平均年齢が二十代半ばだったネットベンチャー業界において、平均年齢が高く、「大人のベンチャー」といった趣きがあった点が魅力だった。
それぞれの分野のエキスパートが集まっており、仕事はきっちりこなしつつも、社内では仲良く、おおらかな社風も合っていた。この会社が代々木公園で開く花見には、今でも当時の仲間と集まっ


大将タイプと参謀タイプ

組織の中で、あるいはそうでなくとも、それなり頑張って仕事してて、結果を出しつつ着実に出世していくと、ある段階で、自分が大将タイプを目指すか参謀タイプを目指すかの選択を迫られる。

大将は、リーダーとして人を率いていく。
組織を率いていくのが仕事。よく理解していなかったり、自身で納得していないことも、ひとたび意思決定されれば、組織を動かしていかなくてはならない。ベシャリの上手さや、人の心を操るテクニック、笑顔、性格、カリスマ性、演技力といったものが必要。
参謀は、裏方として実務作業を担う。
戦略レベルから戦闘レベルまで幅広く、リサーチして、プラニングして、(意思決定された後、)執行するのが仕事。リサーチ&マーケティング、そして発想力、プレゼン力、事務能力が必要。
私は、7年弱も自分で作った会社を経営してて、山あり谷ありながらも社長だけど、自分自身では参謀タイプだと思ってます。
納得行かないことはやりたくない(って言うか、そもそも出来ない)。一から十まで自分で理解してないと気が済まない。
そもそも好きな武将は、黒田官兵衛ですし。
政治家は、大は総理大臣から、小は地方自治体の議員レベルまで、支持母体のインタレストを代表するものである以上、大将タイプの資質がある程度は必要とされるものなのだと思う。
私自身は、「ベシャリの上手さや、人の心を操るテクニック、笑顔、性格、カリスマ性、演技力」はほとんど持っていない。そんな私が、市議を目指している訳だが、当然した暁には自分なりにどういうポジションを目指していくべきか、考え中です。

今こそ社会に貢献するとき

 未曽有の地震、津波の災害の被害を受け、また亡くなった方、ご遺族の皆様に心から哀悼の意を表します。

今回の件は、その後の原発事故も含めるとまだ終わったとは言えないし、既に3週間近く経っているにも関わらず未だに回収出来ていないご遺体もある。計画停電は経済活動を停滞させ、果たして夏を乗り越えられるのかどうかの見通しも立たない。

これが21世紀の日本で起こっている状況だとは、まさに想像を超えたブラックスワンが舞い降りた悪夢が現実になったかのようだ。

地震の日以来、自分にはどうやって社会の復興のために貢献できるか考えている。

医療、航空機操縦、メンタルヘルスケアのような直接的な技術は持っていない。

予備自衛官に志願しようかとも考えたが、実は入隊時に34歳までという年齢制限があった。(自分が既に自衛隊に入れない年齢になってしまっていたというのは、これはこれで軽いショックだけど)

ガレキ除去のボランティアなんかもあるが、「素人が中途半端に現地入りするとかえってプロ(自衛隊、消防、その他自治体)の活動にとって邪魔になる」という意見もある。「ボランティアが現地で活動出来るようになるのはある程度落ち着いてから」ということだが、依然として被災地では食料、水、燃料が不足している状況で、その適切なタイミングはやってこない。

いろいろ考えると、今の時点で自分に出来ることは、日本赤十字に寄附することくらいしかなく、とてももどかしく感じる。

今回の災害では、直接的に災難に遭った訳ではなくとも、人生観が変わってしまったような人は多いのでないかと思う。

少なくとも、今後、数年単位でしばらくは、再建のためにある程度の社会的、個人的な犠牲を分かち合うことが必要になる。

私は、人としてあるべき姿は「自分が属している社会に対して、自己犠牲を省みずに献身すること」だと思っているのだが、今こそ、自分が社会に対して自己犠牲の精神で貢献すべき時であると感じている。私が社会に対して何が出来るか、考えている。

再建じーさん。

この映像は、テレビで見てて嬉しくなった。


年収1,000万以上案件に特化していた求人サイトが、ひそかに年収750万以上に対象拡大してた。

星の数ほど求人サイトが存在する中で、年収1,000万以上案件に特化するという、ユニークな切り口で成功していた某Bizreachというサービスがありますが、
(以下、揶揄する意図などはまったくありません。)
Bizreach画面
今日、ふとgmailの画面横のアドセンスを見たら、
Bizreach adsense広告
いつの間にか、広告対象が年収750万以上になってた。
だから何!?ということはないんですが、なんか面白いなと思いまして。
デフレの世の中、年収1,000万稼いでるサラリーマンてそうそう少ないよね。
一昔前には、「ジャパニーズサラリーマンの生涯賃金は3億円」と言われていたけど、今はどうなんだろう? 体感的には、もっと下がっている気がするけど。
ちょっと気になって軽くググッてみたけど、適当なデータは見つからなかった。
その代わりに見つけたのが、
DODA 職種別平均年収
年齢は無関係に、業界ごとかつ職種ごとのざっくりした平均年収額だけど、1,000万なんてほど遠い。
僕が新卒で社会に出た頃は、「商社は30になったら誰もが1,000万プレイヤー」なんて言われていたけど、その後、大きなリストラ、合従連衡を経た、古巣の同期たちは、今ころ、幾らくらい稼いでいるんだろう? 俺も今でもあの会社にいたら、今ころ駐在してハードシップ手当やらなんやら含めて幾らくらい稼いでいたかな? 考えても意味ないけど、ふとそういうことを考えてしまうことがある。

某政党のタウンミーティング

 twitterで繋がった地元の市議のお誘いを受け、某政党のタウンミーティングに行ってきた。

ちなみに、私は自民党員であり、この某政党の支持者ではない。その旨は予め申し述べたのだが、オープンな場なので党籍は関係なく歓迎します、とのこと。

自民党のものも含めてこの種のイベントへの参加は初めてであり、なかなか面白かった。


参加者は、モデレーターは件の30代前半の若手市議と、40前後の若手代議士。客側は、ジジババが多い。基本的に、なにか一言文句を言いたい的な人が多い。

お二人の市議、代議士は頭の回転が早い方で、どんな質問、コメントに対しても、ぱっぱと数字を上げてすらすら回答し、捌いていく。政治家のトーク術というものがあるのだろうが、なかなか普段目にしないものであるだけに、これは為になった。



  • 数字を挙げて説明する。

数字というのは不思議なもので、ただそれが出てくるだけで発言に信頼感が出てきて、聞き手は何となく話に結論が出て解決したような気がしてしまう。

「うちの市は生活保護の受給が多い。少なからず不正受給があり、身近なところでもそういう事例はある」という、苦情とも感想ともつかないようなコメントに対して、「うちの市の生活保護受給件数は○△件。これは県内で一位。尚、近隣の他の市もそれぞれ上位○位~△位・・・」と数字を挙げて現状を説明すると、コメント主のおばちゃんは、それを聞いただけで何となく満足してしまう。



  • 非論理的な感情論、印象論は、受け止めた振りをしつつスルーする。

「貴党の税制改革は何もやってないし、酷いもんだ、公約破りだ」というジーサンのコメントに対して、「それは事実誤認です。具体的に○や△をやっています。公約違反があるならば、例を挙げてください」と論理的に反論を試みるも、コメント主のジーサンは「貴党の幹部の○△さんは俺の後輩だから、応援してるんだけど、俺はおたくらの税制改革はダメだと思うよ。とにかくダメだよ。」と、話にならない。

政治家は、こういう話が通じない人も相手にしなくてはならないから大変だ。

論理的な対話が出来ないと分かると、代議士は「分かりました」と一旦正面から受けた形を取りつつ、華麗にスルーしていた。



  • 論点がぼやけたコメントに対しては、自分に有利なようにテーマを絞り込んで回答する。

「公共事業がどんどん減っている。たしかに公共事業には費用対効果が測定しにくいし、公平性も担保しにくい。しかしながら景気対策として公共事業はそれなりに効果もあるけど、いかがなものか」という、質問とも要望とも苦情ともつかないようなコメント(これは実は僕だ)に対して、「公共事業もいろいろありますが、まずは土木。これは効果ないですね。短期的にはともかく長期的、本質的にはね。誰も使わない港とか道路とかダムとか造ってもしょうがないでしょ。それに対して・・・」と、論点を意図的に絞り込んで回答した上で、自説を開陳する。

公共事業といっても土木以外にもいろいろある訳で、例えば先の事業仕分けで話題になったスパコン開発への助成など、絞り込むことについて国民的コンセンサスが取れていないようなものもある。これらも含めた議論になると、話は長くなるし、もちろん結論は簡単には出ない。ある程度コンセンサスが取れていて、反論しにくい「土木の公共事業は効果ない」という回答で、スパッと話を終わらせる。






平日夜遅く、あるいは休日に、話が通じない人、とにかく文句を言いたいじーさんばーさんを相手に、にこやかに応対しなくてはならないのだから、政治家て大変な仕事だな。あらためて。

総合商社みたいな会社(会社グループ)

私と同じく商社出身で起業している方の会社webサイトなどを見ていると、

総合商社のような会社を作ります。

と謳っている会社が多い。

良く言えば、事業アイディアが湯水のようにあふれてきて、様々なことに手を出すタイプ、悪く言えば、落ち着きがなくて、アレもコレも手を出すタイプ。

成功すれば褒められ、失敗すれば誹られる点では、単一事業にまい進する会社でも、総合商社のような何でも手を出す会社でもどちらも同じ。

かく言う私も、アレもコレも手を出したくなるタイプです。
今は我慢しているけど。
(アレもコレもやるとしても、会社のシェルは厳格に分けるつもりですが。)

地元で建材卸を堅実に手広くやっている叔父に「今の仕事とは別に、○△(新しい事業)をやりたいんですよね~」と軽く相談したら、
「ばかやろう!そういうことは、今の仕事に打ち込んで、会社を上場させるくらいのところまで持っていってからやれ!」
と叱られて以来、新しい商売のことは、調べたり考えたりはするけど、我慢して手を出さないようにしている。