『星落ちて、なお』読みました。

澤田瞳子, 『星落ちて、なお』は、河鍋暁翠画伯を主人公として取り上げた、今年 令和3年の直木賞を受賞した小説です。

河鍋暁斎氏は、狩野派に学んだ正統な日本画家ですが、おどろおどろしい骸骨の絵や、風刺画など、枠にとらわれずに独自の画風を作り上げていった画家で、誰もが認める天才です。

澤田瞳子氏の小説は、たぶん2/3くらいは読んでます。

http://kyosai-museum.jp/hp/top_page.htm

河鍋暁斎美術館が蕨市内にあるという縁で、蕨市民にはとても親しみのある画家であります。

 

ということで、koboで買って読んでみました。

 

 

 

話の中には、河鍋暁斎画伯本人は出てきません。
冒頭から、暁斎画伯の葬儀のシーンから始まります。

主人公は、そのお嬢さんである、画家の河鍋暁翠氏です。
不勉強ながら、お名前を私は知りませんでしたが、この方はこの方で、絵画史に名を残している一流の画家であり、暁斎の画風の後継者です。

 

河鍋暁斎画伯は、河鍋派と呼んでもいいくらいの独自の画風を打ち立てたのですが、ご本人のあまりにも不世出の才能に依る部分が大きく、また、折しも、明治維新の時期であり、古典的な日本風のものが疎まれ、西洋風のものが持て囃される風潮に一気にシフトしたため、数百人もいた門弟は散り散りとなり、時代遅れとの評価を受けることとなってしまいました。

(門弟が四散してしまったのは、江戸時代までの徒弟制が崩壊し、明治時代になって西洋型学校教育システムが導入されたことも大きな理由の一つです。)

 

そのような中でも、河鍋暁斎氏の、あまりにも飛び抜けた才能と、多くのものを犠牲にしながら絵描きという仕事へ注ぎ込んだ膨大なエネルギーは、強力な引力を持ち、子孫や、弟子や、パトロンなど周りの人たちを巻き込んでしまいます。

その力は凄まじく、死して尚、その後何十年にも渡って、周りの人たちの人生をも束縛し続けます。

 

商才に恵まれていたはずのパトロンの大店の商人は、遊蕩に明け暮れて身を持ち崩し、最も著しく画才を引き継いでいたはずの長男の画家は、時流に乗れずに不遇のうちに亡くなり、・・・というところで、これ以上はネタバレしないように書きませんが、

 

この、暁斎画伯の類まれなる才能とエネルギーが持つ引力に、否応なく巻き込まれてしまった、周りの人たちは幸せだったのだろうか?

というのが、この小説の一つのテーマであります。

 

 

 

話全然変わりますけど、今はちょうどお盆休みなのですが、新型コロナ第5波による感染拡大が続いていることもあり、家に籠もって、妻とネトフリで映画を見まくっているのですが、

『ラ・ラ・ランド』

これ見たんですよ。

 

カフェでバイトしながらオーディションを受け続ける、女優になりたい女と、「ジャズは死んだ」と言われる不遇の時代にあって、伝統的なジャズを復興させたい男が、恋に落ちながら、それぞれ夢を追い求めるミュージカル映画なのですが、

 

ネタバレしないように書くのは難しいのですが・・・

恋と夢と、両方を欲張りにも得ることは、至難の道なのです。

 

この映画のエンディングを、ハッピーエンドとみなすか、バッドエンドと感じるかは、その人の人生観に依るでしょう。

 

 

いかに才能に恵まれようとも、いかに努力を重ねようとも、何かの道、何かの夢を極めようとすれば、何かを犠牲にしなくてはならない、周りの人たちをも巻き込んでしまうことすらある、ということでしょうか。

 

 

とうことで、この小説の感想を一言でまとめると、

平凡が一番

凡夫たる私には、これしか出てきませんね。


アフター・コロナの時代に向けて

9年前の東日本大震災が、日本人の社会の仕組み、価値観を変えたように、このたびのコロナ禍も、社会の仕組み、価値観を変えるでしょう。

 

何としても、このコロナ禍を生き延びて、次の時代に備えたいところですよね。

 

 

カミュの『ペスト』

参考になるかと、今、爆発的に売れているという、カミュの『ペスト』を読んで見ました。

カミュと言えば、大学生の頃に『異邦人』は読んだことありますが、何が何だかさっぱり理解できず、今となっては粗筋も全く覚えておりません。
自分の将来は可能性に満ち溢れている(と、根拠もなく確信している)大学生くらいが読んでも、何が何だかさっぱり理解できなくて当たり前じゃないんでしょうかね?

 

この小説も、まあ、正直言って、新型コロナウイルス対策としては、あまり役には立ちませんね。

そもそも、1940年代に発表されたこの作品において、カミュが描いたペストは、戦争とか貧困とか悪の象徴なんだそうです。特に、WW2の直後であるという時代背景を考えると、否応なく巻き込まれ、それぞれの立場で立ち向かわざるを得ない不条理そのものである戦争を描いたもの、という解釈が主流のようです。ペストの厄災との戦いそのものを描いたわけではなく、ペストを通じて戦争を喩えたわけです。

 

ということで、あまり参考にならなかったこの本ですが、面白いと感じたのは、

・買い占めが発生していない。

・雇用の問題が全く描かれていない。

・経済政策が全く語られていない。

・人種差別、患者・家族差別がない。
(舞台となっている街は、植民地であり、フランス領アルジェリアにある架空の海外県)

という点です。

これは、作者の想像力を超えた部分だったということではなく、そもそも描く必要がなかったのでしょう。

 

登場人物が、それぞれの立場で、様々な考え方でペスト禍と都市閉鎖という不条理に立ち向かっていく姿とその心理描写が中心となっています。

語り部の医師がまったく感染しないという都合のいい設定から推測するに、おそらく、医学的な考証も厳密には為されていないのではあるまいか。

もちろん、戦争という不条理の比喩としてペスト禍を用いただけなのであれば、経済的・政治的な要素を描く必要はなく、厳密な医学的考証も不要なわけですが。

 

そう言えば、設定された舞台となっている街が、アルジェリアにあるフランス海外県であり、(植民地であるにも関わらず)諸々の物資がほぼ自給できている、独立した生態系を持った都市である、という設定も、不自然ではありますね。

 

 

 

1980年代には、「人類は感染症を克服しつつある」と考えられていたらしい

並行して、公衆衛生学の本を幾つか読んでいるのですが、医学・科学の進歩によって、天然痘、結核などを克服した後、「もはや全ての感染症は克服される」と考えられていた時代があったそうです。

その後の経緯は、説明の必要もありませんが、HIV、エボラ出血熱、SARSなど様々な感染症がたびたび流行することになります。

 

本日付け(令和2年、2020年3月29日)読売新聞朝刊では、

[あすへの考]<文明が生む感染症>コロナ、現代的パンデミック…長崎大熱帯医学研究所教授 山本太郎氏 56 : 医療・健康 : ニュース

No Description

山本太郎 長崎大熱帯医学研究所教授(れいわ新選組の人とは同姓同名の別人)によって、

流行するウイルスを選び出し、パンデミックへと性格づけるのは、その時々の社会のあり方ではないかと。
僕たちの社会にはいつも様々なウイルスが入り込もうとしている。たまたま社会がそれに適した状態になっていると、ウイルスが入り込み、わーっと広がっていく。

という考え方が提示されており、HIVは、アフリカのチンパンジーに寄生していたウイルスを食べた人に感染し、当時の植民地政策と近代医学の拡大という社会状況が、感染拡大を促進した、という例が挙げられています。

 

この考え方が真であるならば、今後も、人類は、定期的に流行する感染症と、戦い続けなくてはならず、そのたびにバタバタと人が死んでいくことになります。

 

 

アフター・コロナの時代はどうなるか?

まあ、そんなの分からないのですけど、非体系的に、幾つか箇条書きで、思いつくままに現時点での予想を書いてみますと、

 

 

・世代間の対立が激化する。

世代間は、元々、利害が対立するものです。それを、感情的なレベルでの対立、世代間闘争というレベルにまで激化しないような緩衝装置を設けるのが、政治の一つの役割だと思います。

新型コロナウイルスは、子供・若者は感染しても発症しずらく、発症しても重篤化しにくい一方で、シニア世代は発症しやすく、重篤化しやすい、という非対称性があります。

このたびのコロナ禍への対応の過程で、小中高校は休校を迫られ、勤労世代は緊急ゆえに不十分なインフラ・制度のままリモートワークを迫られる一方で、シニア世代がマスク・トイレットペーパー類の買い占めのために早朝からドラッグストアをハシゴして列に並んで意図せず濃厚接触を行うなど、世代間の利害の対立が明確に浮き彫りになりました。

様々な緊急対応が迫られたため、緩衝装置を設定する余裕がなかったことが理由です。子供、勤労世代に自粛を求めるのであれば、シニア世代にも自粛を(半ば強制的に)求める仕組みが必要でしたがそれを設定する間がありませんでした。

世代間の不満はマグマのように蓄積し、どこかで爆発する危険性があります。

 

 

・宗教の重要性が増す。

ローマ教皇、聖職者らに外出して新型コロナ患者と会うよう呼び掛け

【3月10日 AFP】ローマ・カトリック教会のフランシスコ教皇( Pope Francis )は10日、聖職者らに対し、新型コロナウイルスによって病気になった人々に「会いに行く勇気を持つ」よう呼び掛けた。 【関連記事】バチカン、新型ウイルス初感染発表(3月6日) …

私が今回のコロナ禍の中で、震えるほど感動したのは、ローマ教皇の、カトリック聖職者に対する、「患者に会いに行く勇気を持つように」というお言葉でした。

イタリアは、医療が崩壊して、全ての患者が適切な医療を受けられず、放置されたまま座して死を待つしかない人がたくさんいる状況のようですが、そのような患者にも会いに行き、抱きしめて最後の慰めを与えてあげなさい、ということです。

その結果として、イタリアのカトリック聖職者の新型コロナ感染者数、死者数は激増しているそうです。

私は仏教徒ですので、キリスト教には宗教的な興味はありません。
しかしながら、感染したり、死ぬことを恐れずに宗教家としての使命を全うしようという、ローマ教皇の呼びかけには、危機における宗教の役割を教えられました。

翻って我が国の仏教を省みるに、このコロナ禍において、何か心の慰めとなるようなメッセージを発信したお坊さんがいたでしょうか。
まあ、いないこともないと思いますし、真面目に道を歩んでおられるお坊さんもたくさんいると思いますけど、我が国の堕落した葬式仏教は残念です。

今回のコロナ禍、東日本大震災のようなときに、心の支えになるものは、愛する人の存在や、宗教、あるいは宗教のようなものしかないでしょう。

 

 

・仕事のやり方が劇的に変わる。

一気にリモートワークが進んでいます。
システムインフラも、社内の制度も不十分なまま、必要に迫られてリモートワーク体制に突入した会社も多いでしょう。

しかしながら、意外といけるじゃん?まったく問題なくね?という会社が多いようです。

この流れは、コロナ禍が去った後に、後戻りすることはありません。

リモートワークが進展する結果、会社による従業員への拘束は弱くなり、従来からの流れである、副業・兼業促進がますます進むことでしょう。

 

コロナ対応でのリモートワーク化の流れの中では、大企業と中小零細の違いもはっきりと別れました。

大企業は、人材のレベルも高く、ITインフラも整っていて、リモートワークの実現は容易ですが、中小零細は大変ですよ。

私も零細企業の経営者ですが(今は実質、休眠状態ですが。そして、経営者としての器の小ささを棚に上げて申し上げますが)、社員にリモートワークしてもらうなんて、怖くてできないですよ。

 

ついでにいうと、私は市議会議員なので、市の行政の現場を日々じっくり観察しておりますが、市役所の中というものは、リモートワークの類は全く行われておりません。
このコロナ禍が去った後、この業界にも、リモートワークによる「働き方改革」は大胆に取り入れられていくようになるでしょう。

役所は、窓口業務が多い上に、文書主義のカルチャーがありますが、実は、ネット上の様々なサービスに置換していくことは、意外とカンタンなはずです。
窓口業務の大部分はchatbotに置換できるし、文書主義だって、文書主義のスピリットを変えずにクラウド化する手法は既に幾らでも実現されてますよ。

 

 

・米中対立が激化する。

覇権循環論的に言うと、古いパワーの米国から、新しいパワーのチャイナへと覇権が移りつつあるのが20世紀後半~21世紀前半の今のタイミングで、対立するのは当たり前なのだが、それが今回のコロナ禍への対応で、先鋭化した。

これは、卒論が書けるくらいの大きなテーマなので、細かく書くのは別の機会においいとくとして、我が国は、米国の同盟国であると同時に、チャイナ文明を祖としている面もあるので、覇権の移行において、果たすべき特別な役割があるはず。

できるだけ血が流れる量を少なくするように、我が国にしかできない役割をいかに果たすべきか、我が国の国政レベルの政治家にはしっかり考えてもらいたい。

 

従来の覇権理論では、覇権を握る国家は、

・民主的であること
・オープンであること
・尊敬され、憧れられる存在であること
・強大な経済力を持っていること
・強大な軍事力を持っていること
・ソフトパワーを持っていること(=米国においては、ハリウッド映画、コカコーラ、ディズニーランド、マクドナルド)

が必須の条件とされていた。

 

現今の中共は、

・民主的であること
・オープンであること

を否定したまま、覇権を握る方法を模索するという、歴史上初めての挑戦を試みているわけだが、これは、個人的には、今の時点では、成功する可能性は低いと思う。これが成功してしまうと、人類が営々として築き上げてきた文明の根底が崩れてしまう。予測というよりも、願望ですけど。

 

・東京オリンピック・パラリンピックは大成功する。

まー、楽観的に考えて(根拠はないけど)、今年中にはコロナ禍は収まるのでは?

来年行われる(時期は、今時点では未定だ)では、人類が新型コロナウイルスを克服した象徴として大盛り上がりを見せることだろう。

 

 

・フェイクニュースはなくならない。

ガキの頃(1980年代)の教科書には、オイルショックの時に、トイレットペーパーを買い占めるバカな人たちがたくさんいましたwwwwと書いてあって、授業で大笑いしたものだった。

でも、その頃の世代を笑えない。

マスクがないのは、まあやむなしとしても、トイレペや米が何でなくなるのか?

マスは愚かであって、これからも愚かであり続ける。多くの人が買い占めて、現実的に店頭在庫が払底になってしまい、明日にも困る状況になれば、私もまた、トイレペや米を買うために店頭に並ばなくてはならない。これは誠に悲しい、愚かなパラドクスだ。


『天気の子』見た。

映画館で見てきた。

私は好きだな、これ。うん。

前作が大ヒットしたおかげで期待値が高過ぎて、設定が甘くてストーリー展開が強引だという酷評も受けているようだし、確かにその通りでもあるのだが、そもそも緻密なストーリー性が売り物ではなく、美麗なアニメーション映像と、それぞれのシーンにぴったりマッチしたRADWIMPSの音楽と、登場人物の心理描写なんかを楽しむものなので、まあ、素直に楽しめばいいんじゃないかな。

結論として提示されたメッセージにも、個人的には共感する。
(一貫していなくても構わない。)

 

あちこち知っている風景が出てくるのは、やはり嬉しい。

田端の、ヒロインが弟と住むアパートがある坂は、起業してから西日暮里でオフィスを構えていた私にとっては、深夜、社員が帰ってから、企画を練り練りしながら、あるいは不安に悶々としながら徘徊したコースだ。

池袋は、池袋の高校に通っていた私にとっては「オレの街」という思いがあり(言うまでもないことだが、ヨドバシよりビック派)、少年が連行された警察署の並びの中華屋は、ここ15年来通っていて、実は妻と初めてメシを食ったのもこの店だったりするが、最近、味が落ちたのが残念。
そう言えば、池袋警察署の刑事がなんで歌舞伎町の事件を捜査してたんだろう?

カブ乗りとしては、カブが大活躍するのも嬉しい。

・・・などと、このように、個人的な思い出、思い入れと絡めて勝手に楽しむのが正解かと。

 

初めて、4DXの映画館で見たのだが、雨のシーンのたびに天井から水が降ってくるので、髪の毛はびっしょり。


この本読んだ『維新支持の分析』

善教将大, 2018, 『維新支持の分析 ポピュリズムか、有権者の合理性か』

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先月、令和元年6月の蕨市議会議員選挙で、日本維新の会の新人が、蕨市議会史上初めて当選したところであり、まさに今行われている参院選でも埼玉県選挙区において維新の候補が立候補しているところでもあり、そもそも維新って何で伸びてるの?そもそも、正式名称なんなん?維新の党?維新の会?日本?大阪??と、調べようと思っていたところ、タイミングよく隊長の書評を拝見し、読んでみた次第。

【書評】有権者の態度を読み解く『維新支持の分析』の迫真度 : やまもといちろう 公式ブログ

ずっと「面白いですよ」と周囲には薦めていたものの、書評として書くべきタイミングを失していた本書、ちょうどこの本が出るというころに大阪府知事・松井一郎が「都構想実現のために2月には辞任する」と年末にいい物議を醸していたわけであります。 松井・大阪府知事2月までに辞職表明へ 公明を批判 …

著者は政治行動論の学者であり、本書もサーベイ実験の積み重ねによる学術書なので、お値段もお高いし、読みづらいことこの上なく、読み終えるのにかなり時間がかかってしまった。

書評は、隊長の文章がよくまとまっているのでそちらをご覧いただくとして、ざっくりまとめると、大阪における維新の強さの理由は、いわゆるポピュリズムによるものでも橋下人気によるものでもなく、大阪の利益代表としての政党ラベル強化の戦略によるもの。逆に、他の地域では弱くて当たり前。今の路線で行く限り、これからも他の地域で伸びることはあり得ない、という感じです。

 

更に推し進めると、
先月の蕨市議選で維新が一議席を獲得したのは、維新という政党への支持の有無、強弱とは無関係だった、と言えましょうか。

本書の知見だけからそこまで結論付けるのは飛躍し過ぎなのですが、私の肌感覚と合わせて言うと、概ねそんなところかと思います。

 

 

読書メモ

• 大阪における維新の強さの理由
自らの政党ラベルを、大阪の代表者として機能させることに成功した。
断片化された個別利益の代表者としてではなく、大阪の利益代表として有権者の目に映った。
ここで言う「大阪」は、大阪市や大阪府ではなく、広域的で抽象的な都市空間としての「大阪」を指す。

維新所属の候補者は、たとえ、同一選挙区内に維新候補が複数いたとしても、自らの個性をアピールすることなく、維新ラベルを強調する戦略を採用することにより、維新ラベルが投票選択に与える影響を強化した。
他党においては、地方レベル、特に市町村選挙では、一般的に政党が機能しにくく、有権者も政党より個人を重視する傾向を強める。大選挙区制のため。

維新支持は、熱狂的なものではない。むしろ不支持の方が熱狂的。

• 維新はポピュリスト政党か
否。
相対的には、ポピュリズム態度を持つ人に支持されている政党は、日共。
ここで、ポピュリズム態度を持つ人の定義は、アッカーマン:人民主義、多元主義、エリート主義の政治的態度が強い人。

• 橋下個人への支持の高さによるものか
橋下個人への支持と、政党としての維新への支持はリンクしない。
そもそも橋下個人も、動員戦略に成功していない。市長就任後、橋下支持率は下がっている。そもそも、いわゆるポピュリスト首長の多くは、就任後、支持率を低下させている。

• なぜ大阪だけでしか支持されないか
大阪の代表としての政党ラベルが強いことの裏返し。

• 維新支持者の素性
批判的志向性を持っている。
いわゆるポピュリズムに煽られる愚かなマスではない。
支持態度と投票行動の関連性が、他党と比べて高い。

• 都構想否決の理由
大阪府民に内在する懐疑心とでも言うべき批判的志向性によって、維新支持者の一部が、反対に流れた。

• 東京都における都民ファ躍進の理由
ポピュリズム態度の強弱とはリンクしていない。
保守政党ではなく、革新政党として認識されている。
背景にあるのは、都議会への問題意識。


你的名字。

今更ですが、先日、アニメーション映画の『君の名は。』を初めて見ました。
何故か四川航空の機内で、マンダリンと英語の字幕付きでw

率直に言って、けっこうかなりおもしろかったです。

全般的に、オタク的というか、厨二的な感じの印象でした。

幾つか以前に見たことがある、他の新海誠作品と同様に、登場人物に対して感情移入も共感も出来ないながらも、それなりにおもしろいと感じられたのは、私が胸の中に永遠の厨二心を飼い慣らしているからに他ならないのですが、

それよりも何よりも、
これほど厨二的な、一見するととてもとても一般受けしそうもないニッチマーケット狙いとしか思えないような作品が、日本国内のみならず、海外においても好評を博しているのが不思議でなりません。マーケティング領域で仕事をしてきた人間としては、恥を忍んで申し上げますが、正直、よく理解できないところです。


天津風艦長の本読みました。


森田友幸, 2004, 『25歳の艦長海戦記―駆逐艦「天津風」かく戦えり』 , 光人社

 

さて、みんなが大好きな艦これにおいて、来月のアプデで駆逐艦天津風が実装されるらしいので、どんな艦なのか調べているうちに、この本にたどりついた。

 

陽炎型駆逐艦9番艦天津風は、後に駆逐艦島風に採用される高温高圧ボイラーを試験的に搭載していた。天津風の最大速力は35ノット、島風は40ノット。この高温高圧ボイラーは、商船改造空母飛鷹、隼鷹にも搭載された。

 

島風、飛鷹、隼鷹と陽炎型駆逐艦雪風、不知火で艦隊を組んでみました。 (何故かついうっかり軽巡川内も入ってしまった。)
zekamashi(c)DMM.com
(c)DMM.com

 

本書は、天津風の最後の艦長である森田友幸大尉の手記である。

 

当時、駆逐艦艦長としては25歳という年齢は、帝国海軍の中でも最年少だったようだ。今の海上自衛隊で、最早で25歳でどこまで出世できるかどうか分からないが(期間1年間の幹部候補生学校を卒業するのが23歳として、その時点で三尉)、護衛艦の艦長は二佐以上のはずなので、25歳で艦長は無理だと思う。

 

森田艦長がシンガポールにて艦長を拝命したときは、天津風は艦首を破断して、応急艦首をつけたのみの状態で、内地に回航して本修理をせざるを得ない状況だった。

 

天津風は、油などの様々な物資を、シーレーンを通って内地に運ぶ商船コンボイの護衛としてヒ88J船団に、駆逐艦、海防艦数隻とともに編入される。

 

天津風が速いと言っても、コンボイは荷物満載の商船のスピードに合わせて10ノットくらいで進む。シンガポールを出発したヒ88J船団は、米国の航空部隊と潜水艦の攻撃を受けて商船が全滅して失敗。 次いで天津風は、香港にて同じように組織された商船コンボイ、ホモ03船団に編入されるが、これも同じように米国に攻撃されて商船は全滅。天津風は敢闘して沈没は免れたものの、修理不可能なダメージを受けて、厦門にて自沈処分することとなった。

 

本書は、戦後数十年を経てから認められたもので、それだけに、かなり艦長の個人的考えが率直に書いてある。

 

 

戦略レベルで、大艦巨砲主義、艦隊決戦主義に固執した失敗

既に言い尽くされたことではあるが、マレー沖海戦において史上初めて航空戦力のみで当時最新鋭の戦艦プリンス・オブ・ウェールズとレパルスを含む英国東洋艦隊を撃破し、大艦巨砲主義に終焉を告げさせしめたにもかかわらず、時代遅れの大艦巨砲主義、艦隊決戦主義に固執してしまった帝国海軍上層部を批判している。

 

個人的な考えだけど、 艦隊決戦にはロマンがあり、航空戦は飛び道具を使った、あくまでも補助的なものであり、どちらかと言えば邪道、という考え方があったのではないかと思う。

 

これは、日本人のメンタリティに照らし合わせると、何となく理解できる。

 

織田信長が長篠の戦で我が国史上初めて鉄砲を使った戦いを行い成功をおさめたが、後に続いて鉄砲兵力の増強に努める武将が出てこなかったのは何故なのか?

 

やはり、鉄砲を使った戦いは、あくまでも補助的なものであり、どちらかと言えば邪道、という考え方が支配的だったからだと思う。

 

一対一の騎馬戦の方がかっこ良くてロマンがあるし。 戦国時代の各武将は、長篠の戦の情報を集めて正確に分析し、鉄砲を使う戦い方が効果が高いと理解しつつも、ロマンを求めて己の美意識に酔いがちで、従来の戦い方を捨てることは出来なかった。

 

大東亜戦争における帝国海軍上層部も、航空戦、潜水艦戦が効果が高いと理解しつつも、従来の戦い方を捨てることは出来なかった。

 

戦術レベルでも、対航空機戦、対潜水艦戦への備えをまったくしていなかったことの失敗

トップや幹部連中が愚かでも、バカげた命令指図をてきとうにこなしつつ、現場レベルで創意工夫していつの間にか改善改良を加えていくのが、日本の組織の優れたところ。

 

大東亜戦争当時も、帝国海軍の現場レベルでは、対航空機戦、対潜水艦戦の備えをしないことには、一方的にやられるばかりで話にならないことは分かっていた。

 

ヒ88J船団、ホモ03船団が組織された当時、シーレーンの制空権は既に敵方に握られており、敵方の潜水艦もうようよしていた。 しかし、天津風を含む帝国海軍の護衛艦隊は、航空機に対しては、レーダーを積んでおらずに目視のみ(レーダーは1930年代に実用化されている)、武器はまともな高射砲はなく機銃中心、沿岸の基地からの航空機による空対空の支援もほとんど期待できず、高高度爆撃に対しては為す術無し、という状況だった。著者は、魚雷を空に向かって発射できたらいいのになーと思った、と書いている。潜水艦に対しては、ソナーは無く(ソナーも当時は既に実用化されている)、敵方の潜水艦がほんの一瞬浮上して潜望鏡が海面に浮かぶのを目視で探すことだけしかできなかった。武器としては爆雷は持っていたが、勘で投げるだけ、みたいな感じだったようだ。

 

対航空機戦、対潜水艦戦ともに、道具がなければ訓練もしておらず、これでは相手にならない。 どんなに現場が優秀でモチベーションが高くても、そもそも道具がなければダメだ。 著者は、ヒ88J船団もホモ03船団も、失敗するべくして失敗したと、作戦を立てた上層部を批判している。

 

古い考えに固執してしまった原因

私見だけど、 当時の帝国海軍のように、状況の変化を正確に理解しつつ、間違っていると分かっていながらロマンを求めて時代遅れの古い考えに固執してしまう失敗は、我が国の様々な組織で日常的に起こっているし、今後もなくならない、と思う。

 

国民性とか民族性みたいなものに根ざすものは、100年、200年単位では変わらない。

 

どうすればいいか?

 

(これは国民性、民族性とは関係ないが、)人は、年を取ると、新しいものを理解出来なくなってしまう。

 

これは、知性とかその人の努力が足りてる/足りてないとは関係ない。

 

そもそも、年を取ると、誰でも、新しいものを理解出来なくなる。 世の中の大きなトレンドが変化しているという事実を感じ取ることは出来るし、新しいテクノロジと、それを背景にした新しい思想、方法論が生まれている、ということまでは理解出来る。しかし、その中身を理解することは出来ないし、ましてや、それを使いこなすことは出来ない。

 

例えば、私は、ネット業界のマーケティングと事業開発が本業なので、一通り業界トレンドはおさえるようにしているけど、実は未だにソシャゲのどこが面白いのかよく分からないんだよね。たぶんこれからも理解できることは無いと思う。 90年代末に勃興したネット業界は、私の世代がほぼ最高齢くらいで、今、中心的に活躍している世代は私よりはるかに年下の世代なので、やっぱりライフスタイルも考え方も全然違う。 ガンホーのパズドラのどこが面白いのかさっぱり分からない。 サイバーエージェントのガールフレンド(仮)はかろうじて面白さが理解出来るけど、あれはソシャゲというよりもギャルゲーの範疇で捉えるべきものだと思っている。

 

既得権が存在しないネット業界であれば、年功序列要素は皆無で、リーチとかユーザ数とか売上高とかの数字が全てである。お金だけではなく、世の中にどれだけインパクトを与えたか、人々の暮らしを変えたか、ということも高く評価される(例えば、twitterなんか未だに赤字だけど、社会を良い方向に変革したサービスだとしてとても高く評価されている)。これらはすべて定量的に評価できる。

 

新世代が数字の結果を上げていれば、自ずと結果を出せない旧世代は舞台から退場していくことになる。

 

しかし、定量的なKPIを持っていない領域であれば、ましてや年功序列要素がある領域であれば、世代交代は起こりにくい。特に官僚組織はこのようになりがち。

 

知恵は蓄積していくし、年を取れば取るほど、おおむね深まっていく。
(退化していく人もいるとはいるけどねw)

 

しかし、知識は理解できないものはどんなに努力しても理解できないし、使いこなすことは出来ない。

 

旧世代にできることは、新世代の邪魔をしないようにすることだけだ。

 

一般的に「知識はお勉強すれば学べるけど、知恵は経験を積んで体得していくしか無い」と思われているけど、実はこれは逆であることが分かる。

 

知恵は、逆に言うと、経験さえ積めば年齢に関係なく体得するすることができるし、あるいは、知恵を持った人物を参謀/顧問/社外取締役/メンター/相談役などの形で雇って、適宜相談して分けてもらえばいい。

 

しかし、テクノロジに関する知識は、分からない人はどんなに努力しても分からない。それを理解して使いこなすためには、センスが必要だ。

 

たぶん、よその国民、民族では、力を持っている旧世代が、自ら身を引いて(あるいは何らか別の方法で)優秀な新世代に世代交代していくメカニズムを内在的に持っているのだと思う。

 

我が国の組織は、これを持っていない。

 

この辺り、比較文化論的な視点で、よその国民、民族ではどうやって解決しているのかを調べて、うまく日本に取り入れることができればいいのにな、と思いました。

 

と、ここで、日露戦争当時の秋山真之の年齢を調べてみたら、なんと!36歳だった。 我が国の官僚組織でも、優秀な若手を登用することが出来ない訳ではないんだな。


占守島の戦い

「歴史に もしも は無い」はあり得ない。

これ、よく言われる言葉だけど、間違っている。

歴史を学ぶのは、過去のケーススタディを研究して、現在、そして未来のディシジョンメイキングに活かすためである。
そのためには、過去のある局面において、条件が変わっていたらどうなっていたか?をシミュレートすることが役に立つ。
真珠湾攻撃において、米国の空母を8割方撃沈していたらどうなっていたか?
ミッドウェイ海戦において、帝国海軍が加賀、赤城、蒼龍、飛龍を失っていなかったらどうなっていたか?

 

占守島の戦い

『8月17日、ソ連軍上陸す―最果ての要衝・占守島攻防記』
大野芳, 新潮社, 2010年7月

この本、最近読み終えた。

恥ずかしながら、2年前にとある講演会で話を聞くまで、この占守島の戦いなる戦史をまったく知らなかった。

北千島の先っちょの島であり、精鋭部隊が配置されていた。想定している敵は米国であり、日ソ中立条約がまだ生きている状況下でソ連は敵としては想定していなかった。

昭和20年8月17日、すなわち我が国が敵方に降伏した後で、ソ連が占守島に攻め込んできた。

占守島を守備する部隊は、武装解除に備えて、既に粛々と書類や武器を投棄し始めていたのだが、ソ連の不法な侵攻を迎え撃ち、激しいバトルとなった。

その際、戦車第十一聯隊長の池田末男大佐(後、少将に進級)は、

諸氏は今、赤穂浪士となり恥を忍んでも将来に仇を報ぜんとするか、あるいは白虎隊となり、玉砕もって民族の防波堤となり後世の歴史に問わんとするか、赤穂浪士たらんとするものは一歩前に出よ。白虎隊たらんとする者は手を挙げよ。

とスピーチし、これに全軍一丸となって雄叫びを挙げて呼応し、ソ連と命がけで戦う覚悟を決めたのだという。
このスピーチの絶妙なところは、仲間と別れ敵に背を向けて内地に還り、敵前逃亡との汚辱に耐えつつ吉良の首を掻く機を伺うもまた勇なり、とエクスキューズを残してあげているところだ。
帝国陸軍戦車第十一聯隊のスピリットは、北恵庭に駐屯して北辺の守りにつく陸上自衛隊第11旅団第11戦車大隊に引き継がれている。

結果は、wikipediaの方が詳しい。
日ソともに千人以上の戦死者を出しつつ、戦闘レベルでの停戦をすることになる。

 

占守島の戦いで生き残った皇軍将兵の多くは、ソ連に不法にシベリア抑留され、正確な記録を残せなかったために、占守島の戦いは正確な戦史が後世に伝わっていない。
行ってみたいけど、ビザはたぶん取れない。

本書は、綿密な関係者へのインタビュと、ロシアの公文書を解きほぐしていくことによって、正確な戦闘の姿を炙り出していこうという一つの試みである。

 

 

占守島の戦いの成果

占守島守備隊が命がけで戦っていなかったら、北海道までソ連は侵略し、我が国は分割統治されていたかもしれない、占守島守備隊は日本を救ったのだ、という見方がある。
ソ連の侵攻軍が占守島の戦いの後始末に釘付けされている間に、米軍による北海道進駐が完了したため、ソ連が北海道にまで手を伸ばすチャンスを失った、という捉え方である。
http://nezu621.blog7.fc2.com/blog-entry-1604.html

他方で、ソ連による占守島侵攻と、北海道侵略の検討は別ルートの話なので、そもそも無関係であり、占守島守備隊は無駄死にだった、という見方もある。
http://d.hatena.ne.jp/Mukke/20080822/1219404745

 

どちらが正しいかは分からない。
しかし、占守島の皇軍将兵が、国を護るために戦う必要があると考えて戦ったのだと信ずる。

 

ついでに言うと、ごく控えめに言って、私はロシアがあまり好きではない。
昭和14年生まれの父親(故人)からは「ロシア人は日ソ中立条約を一方的に破って火事場泥棒のように攻めこんできた卑怯で意地汚い奴らだ」と言われて育ってきたし、まあ概ね同じように捉えている。

しかし、この本でも描かれているし、たしか司馬遼太郎の『坂の上の雲』において、旅順の203高地を巡る戦いでも描かれていたけど、ロシア人も日本人と同じように、戦場で特攻をしたらしい。我が国と異なり戦術レベルなものではなく、あくまでも戦闘の現場レベルの匹夫の勇といったものだが、少なくとも、ロシア人が、自分が大切にするもののために命を捧げることを良しとする価値観を持っていることは間違いない。なので、個人的に友達になれば信頼して背中を任せられる連中なのだろうとは思う。

201206_旅順 203高地より旅順港を望む
(2012年6月、203高地より旅順港を望む)

あと、ロシアの女の子ってぐうかわだよね!
http://blog.livedoor.jp/nizigami/archives/36481822.html