さて、↓こちらの記事の続編です。
埼玉県議会 産業労働企業委員会では、山形市中心部にある、七日町商店街に、その商店街活性化の様子を視察に行きました。
全国の商店街活性化施策は、死屍累々たる状況
全国的に、商店街は衰退し続けていて、この傾向に歯止めはかかっていません。
(もちろん、例外はあります。)
高度経済成長期においては、スーパーマーケット、郊外型ナショナルチェーンストア、郊外型ショッピングモール等の大規模小売店舗が脅威でした。
これら大規模小売店舗の脅威から商店街を守るために、大規模小売店舗法という法律がありました。
自由な競争を確保するという観点から、また、規制緩和のために、平成12年(2000年)、大規模小売店舗法は廃止されました。
2000年以降、ECが進展しました。
ECの進展には、総合スーパー、百貨店などの一部の大規模小売店舗の業界すらも苦しみ、衰退トレンドに入ってしまいました。
総合スーパー、百貨店の業界が今、必死で行っているのは、不採算店舗の閉鎖、売り場の縮小などのスクラップ&ビルド、事業の選択と集中による、経営資源の効率活用です。
総合スーパー、百貨店業界が、自らの経営努力のみによって事態を打開しようとしてる一方で、商店街活性化は、行政・政治の全面的な支援を受けています。
商店街は、地域経済、地域コミュニテイの核であり、これを行政・政治が支援することには合理性、公益性があるからです。商店街・商工団体などが地域政治的に強い発言力を持っているから、という事情も背景にはあります。
しかしながら、行政・政治の全面的な支援による商店街活性化施策が成功しているかどうか?というと、ほとんどうまくいっていません。全国の商店街の多くは、依然として衰退をし続けています。その一方で、失敗施策を振り返って新たな施策を打ち出すでもなく、全国の商店街活性化施策のメニュは、十年一日の如く変わりません。
街路灯への補助金、空き店舗改修・家賃補助金、イベント補助金など、焼け石に水となってしまっています。
数少ない商店街活性化の成功事例は、その商店街に核となるキーパーソンがいて、その方の属人的な努力によって成し得た事例がほとんどのように、個人的には感じています。
属人的な成果である以上、その活性化モデルに普遍性はなく、横展開は不可能です。
商店街自身の経営資源は縮小しており、彼らを支援をするための行政資源にも量的に限界がある以上、同様に、商店街最盛期の現状維持戦略を根本的に見直し、経営資源の効率活用を図ることが必要ではないか。
後継者難、廃業により一般戸建て・集合住宅が増えて歯抜けとなった商店街について、もはや再生は困難であり、整理統廃合を誘導することが必要ではないか。
私は、本年、令和6年(2024年)6月定例会の産業労働企業委員会の所管事務調査において、以上のような視点から、埼玉県の商店街活性化施策について問うたところです。
(議事録はまだ公開されていない。上記リンク先は、委員長報告)
繰り返しますが、これらはあくまでも一般論です。
もちろん、例外的に、
・衰退したことがない、賑やかであり続けている商店街
・一度衰退したものの、テコ入れして活性化した商店街
も存在します。
山形市 七日町商店街は、活性化に成功した事例
山形市中心部に位置する七日町商店街は、活性化に成功した好事例とされており、ここを視察しました。
果たして、その秘密は何なのか?
埼玉県における衰退した商店街の活性化施策に応用可能なのか?
山形市の商業環境
山形市は人口24万の、県都としては小規模な街です。
山形藩の城下町として、長い歴史があります。
地理的には、盆地であり、四方を山々に囲まれています。
駅前のタワービル最上階の展望台より、東側の奥羽山脈、蔵王連山を望む。
同じ展望台より、北に目を転じると、山形城の城趾公園。
仙台市には、クルマでも電車でも一時間強で行けます。
つまり、人口百万人で、華やかな大都市、仙台のデパートは、山形市までも商圏に含んでいるのです。
かつては、山形の若者はこぞって仙台に買い物、遊びに出てしまっていました。
七日町商店街の活性化に成功した今日では、週末の買い物客の6割は仙台からやって来ている、とのことです。
すごいですね。
ところで、ビジネスパーソンとしての感覚から言うと、「うちはこんなに成功しているんだ」と示された数字・話は、果たしてそれが真なのか、裏取りをしなくてはならないのですが、今回はそこまではやっていません。
以下、話を聞いた説明をそのまま記載します。
KFSは民間投資
何が成功のキモだったかと言うと、民間投資だとのこと。
行政の支援、補助金には頼らず、商店街の組合自身でお金を出し合って有料駐車場を整備したり、土地を購入して広場を作ったり、カラータイル舗装を行ったとのこと。
全国の商店街が補助金頼みとなっている中で、なぜそのようなマインドが醸成されたのか?と重ねて問うと、
山形藩は、初代の最上氏改易以来、12回も藩主が変わったそうです。
そのために政情が不安定だったようで、お上に頼らない、頼れない、自分たちでなんとかするというマインドが、山形商人の間に醸成されていたとのことです。
とは言え、一切行政、政治を巻き込まない、ということではありません。
政治を巻き込んで、商店街加入条例を制定しています。
入らなくても罰はないものの、利益が得られないという仕組みになっています。
情報を得られるというメリットがあるために、ナショナルチェーンも喜んで加入しているとのこと。
金融機関と商店街で協定を結んでおり、商店商店街加入事業者は借入金利が0.2%低くなるそうです。
御殿堰の商業エリアにて。
かつての山形城の堀を再生した商業エリア。
ここも、行政からの補助も入っているものの、民間投資が中心となって作りました。
古い蔵を改装したおしゃれカフェ。
思いを込めて熱心に語るキーパーソンの方。
やはりここも、属人的な努力によって活性化が成された側面が大きいようです。
最近はインバウンドツーリストも多いとのこと。
それほど広くはないのですが、いい雰囲気です。
こちらは、ビル取り壊しの予定をいち早く察知して、商店街の組合として土地を購入したうえで広場を設けたところ。
市内中心部なので、中層マンションが多数ありますが、1階が商業テナントになっています。市からの補助が得られるとのこと。
こちらのマンションも、1階が商業テナントになっています。
マンションの玄関、駐車場は、表通り側ではなく、裏側に設けられています。
これも商店街の組合からの働きかけによるものです。
とは言え、全てがバラ色というわけでもなさそうでした。
2020年には、大通りの一等地に位置していた、地場デパートの大沼百貨店が閉店しています。
建物は、廃墟のままとなっています。
山形市立第一小学校の旧校舎を改装した、コミュニティセンタ。
視察団一行。
七日町商店街振興組合のキーパーソン。
ということで、いい話ばかりお聞きしたのですが、各種の協定の原文とか、市議会の議事録、お金の流れなどを掘り下げるみると各種施策の背景や実態が立体的に浮かび上がってくると思いますので、時間がある時に見てみたいと思います。