香港の雨傘革命のその後

さて、作年2014年10月に香港の雨傘革命を見に行ってきたけど、ちょうど先日、Vibram香港100を走りに行ってきたついでに、強制排除されたデモ現場跡地を見学してきた。

hoya_t blog : 2014/10/6 香港の雨傘革命

↑このページ上の写真と比べてみると、変化が分かる。

 

旺角


HSBC(写真右奥)とシティバンク(写真左奥)がある交差点。
普通。

旺角はもうすっかり跡形なし。

 

金鐘の香港市政府庁舎前


市庁舎前の横断歩道から。
普通。


あらゆる言語の応援メッセージが付箋で貼ってあった、市庁舎の外壁。
「No posting」の貼り紙。


雨傘マンのオブジェが置いてあった場所。


車道上を占拠していたテントは全て排除されたが、市庁舎正門前の歩道上に、2,30のテントが残っていた。
寂しい雰囲気。
夜は寒いと思う。


市庁舎正門。


市庁舎正門。
一応、形ばかりの警備はしている。


付箋のメッセージボード。


付箋のメッセージボード。


植木鉢を並べて作った雨傘。

 

リーダーと共通のゴールイメージが存在しなかった市民運動・学生運動は、中共の強硬姿勢を前に雲散霧消してしまった。

中共は、人民解放軍を動かさずに解決してしまったことになる。
普通選挙後退の流れは止まらないだろう。

 


尚、HK100は、無事に22:04’で完走出来た。


山をかき分け、砂浜を蹴散らし走る、香港のトレイル。


夜中なので綺麗に写ってないけど、大東亜戦争中のコンクリ製の塹壕。
おそらく我が帝国陸海軍を迎え撃つために英国軍が築造したもの。


香港の雨傘革命

さて、香港で、学生団体が普通選挙を求めて中心部を占拠しているというので、仕事を作って現場を見に来た。


まずは定食屋(お粥と麺の店)でメシ。
「歓迎使用 人民幣1:1」と書いてある。
大概の店では人民幣が使えるようになった。レートは悪いけど。
返還当初は、「香港経済が中共を呑み込むかも」と言われていたが、結局、そのようなことは起こらなかった。
今はまさに、香港は中共に静かに呑み込まれようとしている。この現状認識が、香港市民に潜在的な恐怖を呼び起こしているのだと思う。
中共がすっかり社会主義計画経済を捨てて自由主義市場経済に移行しつつあると考えると、ある意味、「香港経済が中共を呑み込む」が実現したとも言えるか。


バスでたまたま通り掛かった香港理工大学の隣りの人民解放軍の施設(?詳細不明。google mapでは軍施設とは書いていない場所)では、空身の兵がたくさんいた。

 

旺角


旺角の彌敦道は、広範囲に渡ってデモ隊に占拠されている。
多くの貼り紙が、ピーク時にはもっとたくさんの人で溢れていたことを伺わせるが、今は100~200人規模に縮小している。


寝具を持ち込んで交差点を占拠する人たち。


一人でちくちくとスマホをいじっているような人が多い。


通り沿いのビル壁に貼られたチラシを見入る人たち。


物見遊山な人たちも多い。


けっこう掃除が大変そうだ。


5人一組くらいの警官の姿もちらほら見えるが、武装はしておらず、手持ち無沙汰な印象。


バス停の表示板や工事用の囲いなどを持ってきてバリケードを作っている。

 

金鐘の香港市政府庁舎前 ~ 中環


写真右側のガラスでピカピカの建物が、市庁舎。

ここも金鐘から中環までの大通りが後半に占拠されているが、人の姿はまばらだ。


ピカピカの市庁舎は、前日くらいまでデモ隊によって完全に包囲されていて人が入れる状態ではなかったようだが、今はすべてのフロアに照明が付いていて、平常運転しているようだ。


物資ステーション。

バンコクや台北のデモ現場を訪れた際には、主義主張はなく、友だちもおらず資産もなく、ただタダ飯にありつくことだけを目的にやってきたような「寂しい老人たち」がたくさんいたものだが、ここにはそれらの姿は皆無。


テントの数は少ない。


廃材で作った、雨傘をさした人のオブジェ。

ジャーナリストやツーリストがぱちぱちと写真を撮っている。
大衆動員のためには、この種のアーティステックな象徴物や、ポスターなどが有効であることが分かる。


市庁舎の敷地内には、非武装の警官の姿が見えた。


付箋による、様々な言語での応援メッセージ。


会場は閑散としている。


中環のHSBC本店。
僕もここに口座を持っている。香港の銀行口座は、中国株取引が出来る。日本の証券口座と異なり、けっこう高額なカストディアンフィーが掛かるけど。
営業中だが、グラウンドフロアのオープンスペースはゲートが閉まっていて、デモ隊が入りにくいようになっている。


そして、市庁舎前に再び夜にやってくると、人の数がわんさか増えていた。
仕事や学校が終わってからやってくるのかな。
昼間は暑いしね。


そこかしこで演説をしていた。


普段着姿の若者がほとんどで、リーマン、OL風も多い。


地べたに座って友だちとだらだら談笑している人もいれば、一人でスマホをちくちくいじっているような人も多い。


ハンスト中のナイスガイ。
手を振ってカメラを向けたら、爽やかな笑顔。


だらだら過ごして、終電の時間までには家に帰るのだろう。


演説と、それを聞く人たち。


wired : ネットのいらないチャットアプリ「FireChat」、香港のデモで利用急増中
ということで、P2PのメッシュネットワークアプリであるFirechatを起動してみたが、誰も使ってないやん。

 

考察

10万人規模が集結したという ピークは過ぎてしまったが、仕事や学業に差支えのない、現実的なやり方でデモに参加していることが分かった。
おそらく、週末になったら再び参加者数が膨れ上がるのだと思う。

この種の大衆動員を効率よく行うためには、何らかのシンボルが必要だ。
今回は、たまたま催涙弾に対向するために雨傘を掲げた姿がマスメディアで特徴的に取り上げられたこともあって、自然発生的に雨傘がデモのシンボルとして使われるようになりつつあるが、こういったものがあると効率が良い。あるいは、シンボルカラーやキャラクター、ロゴ類があるといいかもしれない。

今回の学生デモは、マスメディアでの解説やインタビュ記事によると、P2Pで自然発生的に動員されたもののようで、それがまた今風でもあるのだが、やはり中心がない組織運動は弱い。
当局側は、学生デモ側との団体交渉受け入れを決めたようだが、そもそも、今のままでは、学生デモ側で誰を代表に立てるか決めようがないのではないか。
伝統的に金儲けにしか興味がなくノンポリが多いと言われ、市民運動・労働運動の歴史がない香港の限界だとも言える。


タイのクーデターの現況

さて、先月2014年6月下旬に、(本業の)仕事を作って、タイ王国のクーデターの現況を見に行ってきた。

バンコクには、2014年2月に訪問し、反タクシン派デモ隊に市内中心部を占拠された模様を見学してきた。
hoya_t blog : 2014/2/7 バンコクにデモ見に行ってきた。

その後、軍がクーデーターを起こして戒厳令を敷いたので、(本業の)仕事のついでに、その変化をウォッチしてきた。

尚、クーデター施行直後は夜間外出禁止令が発令されていたが、私が訪問した時点では、既にこれは解除されていた。


チッロムの交差点。
ふつう。


BTSサイアム駅の高架下。
ふつう。
あの土産物売りや食べ物売りの屋台の人達はどこに行ってしまったんだろう?


サイアムのMBKセンター前。
ふつう。


シーロム。
歩行者天国のようにカラフルなパラソルで埋め尽くされていた姿は見る影もない。

ということで、市内は平常通りに戻っていた。

軍や警察の姿は皆無。
クーデターらしいものは全く感じられず、期待はずれ。

Nanaなどの繁華街もいつも通り。
(外人ツーリストは少ないよ、特に日本人は少ない、という声は聞いたけど)

尚、バンコクでも田舎でも、ソーシャルツールにおけるLINEのシェアが急激に上がっていてびっくりした。お店でも乗り物でも、あっちでもこっちどLINEのデフォルトのメッセージ着信音が響き渡っていた。

 

日にちは前後するが、スコータイからレンタのスクで、遺跡の街、カンペーン・ペッへ。


もちろん、国際免許は持っています。

カンペーン・ペッから北10kmくらいの幹線道路沿いの学校(中学校?高校?)で、何やら祭りのようなものをやっていて、移動中にたまたま通りかかって、立ち寄った。
何の祭りかはさっぱり分からない。


JK(JC?)が何か食材を売っている。


何故かバイクの新車が展示されている。
他にも、農機具の展示などのブースがあった。
祭りの趣旨が謎だ。


体育館では、軍人の宣誓式(?)のようなものをやっていた。
とても厳かな雰囲気。
もしかして、祭りではないのか?


そして、今回の出張を通じて、唯一、クーデターっぽかったのが、このシーン。

自動小銃を抱えた若い軍人が、二人一組で、二組ぐらい、警備をしていた。

どうやら、地元の人にとっても珍しいシーンらしく、女の子がはにかみながら一緒に写真撮ってもいい?とお願いして、写真を撮り合っていた。

 

この学校、帰朝してからgoogle mapを辿って調べてみたら、Phran Kratai Pittayakhom Schoolという学校らしい。
http://www.prankratai.ac.th/
webサイトもあるけど、タイ語オンリーなので、どんな学校なのか中学校なのか高校なのかすら分からない。

 

 

岡崎久彦氏曰く、「タイにおいては、文民政府とクーデターが、民主主義の基本である、チェック・アンド・バランスを果たしている」

ところで、読売新聞朝刊の「時代の証言者」コーナーに現在連載中の、元外交官 岡崎久彦氏の回顧録の中で、ちょうど2014年7月2日(水)号で、駐タイ大使を務めていた1991年当時に、タイでクーデターが発生したときについて触れている。

当時、タイが得ていた外国援助の7割近くが日本からのもので、クーデターを受けてこれを見直すべきかどうかの議論が日本国内で起こった。
岡崎氏は、「この事態は、クーデターではなく、ただの政権交代に過ぎない」と評価し、当時、力を持っていた金丸信 副総理に進言して、援助の継続を促したとのこと。
国際社会において、我が国の「クーデター支持」とも受け取れられかねない動きは批判の的になりかけたものの、ジャーナリストからの質問に対して
「民主主義の基本はチェック・アンド・バランスであり、タイにおいては、文民政府とクーデターがその機能を果たしている。民主主義よりも、プラトンの哲人政治が実行されれば、それが良いに決まっている」と回答したとのこと。

 

欧米流の手続き論的な民主主義が、どこの国家、民族においてもベストかどうかは分からない。タイにはタイの国情にあった、ベストのやり方がある、ということだ。

これは私も同感。
立憲君主制の存在を前提として、今回のクーデターが収まった後も、定期的にお祭り騒ぎ的な大衆運動とクーデターは繰り返されることだろう。

タイの現状の問題は、都市部の持てる層から、田舎部の持たざる層への所得の再配分が進んでいないことだ。
そもそも、不動産の固定資産税と、相続税が存在しないとのこと。
今後、タイ流のやり方で、税制を改正して、緩やかに所得の再配分の仕組み作りを続けていくことになるのだろうと思う。


秘密保護法案の強行採決に考える。

さて、ぽかぽか陽気の本日2013年11月26日(火)、自公政権は、秘密保護法案を衆議院の安全保障特別委員会において強行採決を実施し、可決されました。

日経:秘密保護法案を衆院委可決 第三者機関に首相意欲

自、公、みんなが賛成。
維新は退席。
民主、日共は反対。

衆議院における付託された委員会で可決されたので、次なるプロセスとしては衆議院本会議で可決、さらに参議院でも同様に委員会で可決→本会議で可決されれば、法案は成立することになります。

 

先のエントリ「2013/11/21 特定秘密保護法の件」で述べたように、私は、この法律は、国を守るために必要なものだと思います。

しかしながら、どれほど詭弁を弄しても、今回のプロセスは十分な議論が尽くされたとは言いがたい。とても残念に思います。

 

民主制の本質は、多数決ではない。

「民主主義なんだから、多数決で決めればいいんだ!」、「選挙で自公が勝って圧倒的多数を占めているのだから、自公政権は好きなように法律を作れるんだ!」という意見を持っている人がいますが、これは間違っています。

民主制の本質は、多数決ではありません。
時の政権が、数を頼みに少数意見を押し潰して、自分の考えを強引に通そうとするのは間違っています。それはまさに天に唾する行為であって、民主制が続く以上は、いずれ歴史の裁きを受けることになるでしょう。

 

民主制の本質は、徹底的に議論すること。

少数意見を尊重し、徹底的に議論すること。ギリギリまで意見のすり合わせを行って、それでも譲り合えない部分がある場合は多数決で決める、これが民主制のあるべき意思決定プロセスだと考えます。

よく誤解している人が多いのですが、多数派だからといって多数決で好きなことを決めていいわけではありません。

 

民主制は、本質的に矛盾を抱えている。それを解決するのが人の叡智と努力。

少数意見の尊重、徹底的な議論 ←→ 最終的には多数決

この2つは本質的に矛盾しているのです。
100%全員が完璧に納得することはあり得ないのです。

最終的な落とし所をどこに持っていくか?
これを解決するのが、人の叡智と努力です。
歴史という学問は、先人の叡智と努力のケーススタディを学ぶために存在するのです。