市政より国政の方が身近であるというパラドックス

国政については、新聞、テレビをはじめとする様々なマスメディア上で、日々、ニュースとして取り上げられ、学者や専門家からお笑いタレントやアホっぽさを売りにするおバカタレントまでがコメントをし、更には、国会中継などの生情報(TV中継、演説の書き起こし文章など)までも含めて、膨大な量の情報が配信されている。

これらと比べると、
市政(市町村レベルの地方政治)については、マスメディア上で情報が配信されることはほとんどない。そもそも市政について報じるメディアはほとんど存在しない。

当たり前だけど、情報に関する需要が圧倒的に少ないために、広告モデルとしてもコンテンツ課金モデルとしてもどちらであったとしても、メディアビジネスとしてペイしないからだ。

このことは、以前もこのblogで同じことを書いた。
hoya_t blog 2013/12/20 : 地方には健全な批判的ジャーナリズムが存在しない。

 

ネットには、既存の4媒体と比べると、運営コストが安く済むために、このような小さな市場を相手にしたローカルメディアが成立するポテンシャルがあるのだが、未だに、市政レベルを詳しく報じるような健全なネットメディアというのは、どこの地方に行っても誕生していない。

おそらく、順番としては、ローカルにビジネスを行っている、飲食業、サービス業、小売業などの広告主を、リスティング広告やクラシファイド広告などの既存の広告プラットフォーム上に、広告業界が開拓してローカルの広告市場が育てきた後に、そのようなメディアが生まれてくることになるのだろうと思う。

 

 

市政について詳しく報じるメディアが存在しないので、どうしても、多くの人々にとっては、市政について知る機会もないし、興味もない、ということになってしまう。

市内に新たに原発を誘致するとか、基地を作るとか、あるいは市町村合併するとか、迷惑施設(ゴミ焼却場、葬祭場など)を新設するとか、自らの生活に直接関係してくるようなトピックスがあれば別だが、蕨市のような郊外ベッドタウンで、直近で大きなトピックスもない場合は、昼間は東京で働いていて、夜寝るだけのために家に帰って来て、市内には友人がいなくて、休みの日はどこか遠くに遊びに行くような生活をしている人達には、市政の存在を感じる暇すら無いだろうと思う。
自分が昔そうだったから分かる。市長が共産党員だったなんて全然知らなかったしw 川口市・鳩ヶ谷市・戸田市との合併の話も、当時既に蕨市に住んでいたはずなのだけど、全然興味なかったwwそもそも知らなかったwww

 

とうことで、このエントリには結論はないのだが、

そろそろ蕨市議会議員の選挙も近付きつつある今日この頃なのですが、地元の方と話をしていても、結局、議会が何をやっているのか、まったく知らない人が多くて、まあガッカリすることが多いんですよね。

私のメイン支持層は、地元錦町地区のアクティブシニアの方々ですが、しこしこ更新しているこのblogもほとんど読まれていないし。

何か、愚痴みたいなっちゃいましたが、市政を詳しく報じるメディアが存在しない以上、市議会議員としては、国政以上に(国会議員以上に)コストをかけて、広報活動を充実させなくてはならないのだと改めて思いました。


梅の蕾がほんのり色づいてまいりましたね。


地方には健全な批判的ジャーナリズムが存在しない。

健全な批判的ジャーナリズムの必要性

ここでいう健全な批判的ジャーナリズムというのは、誠に正しい意味での、理想的な、世のため人のため、権力とは距離を置き、権力を監視し、市井の声無き声を取り上げ・・・というもので、そもそもそんなものが存在するのかどうか分からないが、中央と比べると、地方にはこれが存在しない。

権力から距離を置き、権力を監視する健全な批判的ジャーナリズムが存在が、権力の暴走、不正、腐敗を防ぐことになる。

歴史を振り返ってみると、権力というものは、必ず腐敗するものなので(100%絶対に!これは歴史の必然だ、歴史を学べば中学生でも知っていることだよ!)、健全な批判的ジャーナリズムの存在は、フェアで公正な社会、正義の実現のためには必要不可欠だ。

中央というのは、国全体という意味で、中央には、健全な批判的ジャーナリズムは存在すると思う。
少なくとも、そのように信じたい。
徳洲会から5,000万円を借りた問題で都知事を辞任することになった猪瀬直樹氏は、作家時代には少なくともこの健全な批判的ジャーナリストであったと思う。

 

健全でないジャーナリズム

ところで、健全ではない、批判的でないジャーナリズムは、何かというと、権力におもねったり、取り込まれたり、あるいはマスに迎合したり、自らの利益を極大化することを目指すもの。

ミス・インターナショナルグランプリ受賞者の吉松育美さんが、大手芸能プロダクションの幹部から脅迫を受けていることを発表した事件について、国内のメディアが一切報道せずに沈黙を保っている。
これは権力におもねっているわけだ。

RBB Today : 茂木健一郎氏、脅迫被害のミス世界一・吉松育美さんの支援呼びかけ
2ch式ニュース : 【話題】現役ミス世界一吉松育美さんがストーカー被害訴える…自殺した川田亜子さんの名前出し「娘さんが彼女のようになることを心配しています」脅迫も

また、「今でしょ!」で有名になった予備校教師の林修さんがキャバクラ通いしていることを面白おかしく報道している。
個人のプライバシに関わる、他人にとってはどうでもいいことを報じる類のものは、マスへの迎合でしかない。
livedoor news : 林先生がキャバクラで実践した『今でしょ!』の応用術

 

これらの類は、すべて、不健全なジャーナリズムと言えるだろう。
市場があるから存在するわけで、別に悪いものではない。

 

地方における健全な批判的ジャーナリズムの不在

これは、まさに、地方には無い。
地方誌は、残念ながらそれほど強力な取材力はないので当り障りのないことしか書かない。唯一、反骨の批判的ジャーナリズムが存在するのは、沖縄の琉球新報と沖縄タイムスだが、彼らの強烈で極端なイデオロギーへのカウンターパートが存在しないので、個人的には、あまり好ましい状況ではないと思う。つまり、琉球新報、沖縄タイムスともに左翼・反米イデオロギーに染まっているが、この反対側の方針(右翼・親米)を掲げるメディアが沖縄に存在しない状況というのは、ジャーナリズム市場としては健全ではない。

地方に多々存在するCATV放送も、だいたい3セクだったりするし、行政から広報予算をもらっていたりする。

ブラックジャーナリズムは多少はあるね。

 

何でそもそも地方に健全な批判的ジャーナリズムが存在しないのかというと、ずばり、市場が存在しないからでしょう。

たんねんに調べて記事を書いても、商売にならないってこと。
新聞、雑誌、テレビ、ラジオといった既存マス4媒体を使った健全な批判的ジャーナリスムは、地方ベースでは商売にならない。

自分のことを振り返ってみると、市議会議員になる前は、中央政治には興味があっても、地元の地方政治はあまり興味なかったからね。

 

しかし、インターネットには可能性がある。
ネットを使って、たとえ少数でも興味関心を持つ人に配信するプラットフォームを作れば、商売としてはそれほど大きなものにはならないと思うが、社会へ与えるインパクトは大きい。
イメージとしては、ハフィントン・ポストとかBLOGOSの地方版みたいな感じのプラットフォームサービスは、成立し得るかもしれない。