大宮の氷川神社に戦艦武蔵の碑

さて、一ヶ月以上前の話ですが、本年2015年10月末に、大宮の氷川神社境内に戦艦武蔵の碑が新たに建立されたと聞いて、見に行ってきました。

朝日新聞dot. 2015/10/24 : 沈没から71年…戦艦武蔵の顕彰碑が建立 元乗組員「死んだ戦友、これで浮かばれる」

 

知りませんでしたが、武蔵の艦内神社は氷川神社から分祀されたそうです。
そもそも、実は氷川神社行くの初めてでした。
ガキの頃、連れられてお参りしたかもしれませんが、記憶の範囲では初めて訪問。

戦艦武蔵の碑戦艦武蔵の碑

戦艦武蔵の碑

まあ、ただの石碑ですけど。

先日、シブヤン海の底で見つかった大和型戦艦武蔵は、世界の海軍史上最大最強の46cm主砲を備えておりました。

 

武蔵、早くうちの鎮守府にも来てほしい。
長門も陸奥も大和もいるけど、武蔵だけはさっぱり出ず。秋イベが終わったので(もちろんE-5までクリア。丙ですが)、そろそろ大型艦建造祭りに突入予定。


呉鎮めぐり(2)

hoya_t blog 2014/9/19 : 呉鎮巡り1
の続き。

大和ミュージアムへ。


陸奥の41cm主砲。


陸奥の主錨。

大艦巨砲主義と巨大戦艦が、戦略理論・戦略兵器だった時代、
「陸奥と長門は日本の誇り」と謳われた通り、戦略兵器である陸奥は大国日本の象徴であり、夢と希望を感じる対象だったのだろう。

今はこれに相当するものとしては、核戦略・核兵器が代替されているが、核兵器は、弾頭、大陸間弾道ミサイル、ミサイルサイロ、戦略原潜などの全てを含んだ大きなシステムによって構成されているので、核ミサイルそのものはロマンを感じる対象ではない。


金剛のヤーロー式ボイラー。

なんと、英国ヴィッカース社で建造された当時のもの。
レプリカではなく、本物。
石炭、重油混焼式で、これが36基搭載されていた。
帰国子女の金剛たんの心臓部と考えると、かなーり萌ゆする。
説明書きによると、「近代化改装の折りに取り外され、1993年まで海軍技術研究所、後の科学技術庁金属材料研究所の暖房として使われていた」とのこと。「金属材料研究所」というのは、「金属材料技術研究所」のことだと思うけど、この組織は、今は独立行政法人物質・材料研究機構と組織改編している。1995年につくばに移転しているので、その頃、使われなくなったのだろう。


長門の専任旗。

大和ミュージアム : 戦艦「長門」の「先任旗」贈呈

米兵が持ち帰ったものがテレビ番組「開運!なんでも鑑定団」に鑑定に出され、買い取った司会の方が寄贈したもの。

 

企画展 : 進水式展

進水式というのは晴れの舞台で、そこで配られた絵葉書、お土産、支綱切断の斧、案内状などが展示されていました。
以下、写真は一部だけ。


比叡の支綱切断の槌と鏨。
さすが御召艦。


天龍の進水式で配られた絵葉書。
俺の名はてんりう・・・フフフ怖いか?


飛龍の絵葉書。
飛行甲板の縦縞が美しい。
日の丸が何故描いていないのかというと、味方の誤着艦を防ぐためにミッドウェイの時に初めて描かれたものだったので、進水時にはなかったらしい。


特殊潜航艇海龍。

 

呉市内の遺跡など

大和ミュージアムと、海のくじら館(海上自衛隊史料館)を出て、市内を散策。

呉駅近くの引き込み線。
詳細不明。
写真左手前側は、線路は切れ、マンションの敷地に通じている。
後で調べたら、海軍臨港鉄道線というらしい。
参考) 三十糎艦船連合呉支部 : 写真館 宝町(呉駅周辺)


呉下士卒集会所。
今は海上自衛隊呉集会所。
建替計画があるらしい。


入船山公園へ。

あれっ、この童子像、どこかで見たことあるかも?
蕨市立図書館の庭にあるものと同じだ。
今初めて知ったけど、せんと君も同じ作者の藪内佐斗司氏の作品らしい。


入船山記念館へ。

東郷平八郎元帥の自宅離れ。
大尉時代に呉鎮守府に赴任していた時に住んでいた家らしい。


呉海軍工廠造機部の庁舎屋上につけられていた時計。


呉鎮守府の立哨小屋。


呉鎮守府の火薬庫。


呉鎮守府長官公邸。
表の応接空間は洋風。裏の居住空間は和風というハイブリッド。

 

重巡青葉の遺物と遺跡


せっかく呉まで足を伸ばしたので、いろいろ見て回りたかったのだが、今回はあまり時間がなかったので、呉市警固屋地区の、青葉の大破着底地点のみ訪れた。

青葉は、ルソン島沖で大破後に修理のメドが立たないままこの地で呉空襲を迎え、浮き砲台として奮戦し大破着底した。

石碑の文字は、中曽根康弘元首相の揮毫によるもの。
海軍で最初に配属されたのが青葉の主計だったらしい。
軍艦の主計というと、食事担当のイメージが強いけど、総務周り全般の中間管理職という感じだろうか。


青葉の進水式での支綱切断斧。
すごく綺麗だな。
(大和ミュージアムにて。)


大破着底後の青葉の写真。
(大和ミュージアムにて。)


青葉の20cm主砲。
(九十一式徹甲弾の奥)
説明書きによると、サボ島沖海戦で大破した後、呉海軍工廠で修理を受けた折りに取り外され、そのまま倉庫に保管してあったらしい。新品と交換して、不要になった部品として放置されていたということか?

(大和ミュージアムにて。)

各艦の大破着底地点は、このサイトが情報が充実している。
ヲタにつける薬なし : 艦娘を偲ぶ旅。帝国海軍終焉の地、呉で最期を迎えた艦娘の大破着底地点へ行ってみた。


呉鎮めぐり(1)

さて、先日の以下のエントリに書いたように、8月末の広島土砂崩れ被災地を見学した。
その夜は、広島市内に宿を取り、原爆ドームや平和記念資料館などを見学しつつ、翌日は復路飛行機の時間までに、帝国海軍呉鎮守府の遺跡巡りを致した。
hoya_t blog 2014/9/4 : 広島土砂崩れ被災地見学

尚、遺跡の情報は、こちらのサイトが充実しており、参考にさせてもらった。
さざなみ壊変 : 艦これオンリーと一緒に回りたい呉・江田島の鎮守府&戦争遺跡まとめ

 

まずは、市内を通り過ぎて、アレイからすこじま公園へ。
ここからは、現役の海上自衛隊艦船がたくさん見える。


現役の潜水艦桟橋。

道路を挟んで海上自衛隊第一潜水隊群オフィスと歩道橋で繋がっている。


まるゆの運貨筒か!?

そんなバカな。
イラストでは球状に描かれることが多い運貨筒だが、実物は、曳航するものなので、筒状(潜水艦のような細長い形)だったらしい。


海上自衛隊の護衛艦と潜水艦。


旧潜水艦桟橋。

今は使っていないらしい。
遊覧船?みたいな小さな船が係留されていた。


旧潜水艦桟橋のトロッコレール。
曲がっている。


魚雷積込みクレーン。

なんと、中に入ることが出来る。


立派な石組み。


あぶくま型護衛艦とね
しらね型護衛艦くらま

こうして並べると同じくらいの大きさに見えるけど、基準排水量はそれぞれ2,000トンと5,200トン。


アレイからすこじま公園から振り返ってみると、赤レンガの立派な倉庫。
呉海軍工廠の建物跡。
工場?倉庫?
真ん中だけ色が違うけど、戦後に建て直したものらしい。
今は、呉貿倉庫運輸株式会社の倉庫。


アレイからすこじま公園の公衆トイレ。
やっぱり「提督」の「T」なんだろうか?


呉市内方面に向かって歩く。

呉海軍工廠は、今は石川島播磨重工業の工場になっている。
戦前からの建物もたくさん残っている。


呉海軍工廠造船部庁舎。
真ん中の赤レンガの建物。


呉海軍工廠造機部庁舎。


今も民間の船がここで造られている。


呉海軍工廠ドック跡。
今はドックは埋め立てられて、平場の工場として使われているらしい。
上モノだけは当時のもの。

「大和のふるさと」と書いてあるが、大和だけではなく、多くの軍艦がここで造られた。
おそらく長門や赤城もここだと思う。


歴史の見える丘公園の戦艦大和の塔。
狛犬の如くそびえ立つは、
左は長門の41cm主砲徹甲弾、
右は大和の46cm主砲徹甲弾。

 

長くなったし、これから打合せなので、一旦ここで切ります。

(続く)→
hoya_t blog : 呉鎮巡り2


戦艦三笠を見に行ってきた。

先日、ふと思い立って、横須賀に戦艦三笠を見に行ってきました。
日露戦争における、帝国海軍連合艦隊の旗艦です。

何気に、行くの初めてです、そもそも、横須賀の街自体が、行くの初めてでした。(バイクで通り過ぎたり、山の中を走ったことはありますが)
JR横須賀駅、京急横須賀中央駅、どちらからも歩いて10分くらい。

かなり面白いものでしたので、おすすめします。
小学校とか中学校の遠足で行くと面白いんじゃないかな!


戦艦三笠と東郷平八郎司令官像。


後部甲板。
デッキは木製。


屋根の下のこの部分は、建造当時そのままのもの。
分厚くてしっかりしたチーク材。


通信室。
通信機器がシンプルなですね。
当時は電信(モールス信号)のみ?電話(音声)は無し?


煙突。
よく考えてみたら当たり前ですが、当時の燃料は石炭。
このあたりは、全てレプリカだと思います。


操舵輪と羅針儀。
これは、日露戦争当時のものだそうです。


艦橋。
艦隊司令長官、艦長、参謀が立っていた場所にパネルが打ってあります。


30cm主砲。
ハリボテのレプリカ。
すごくでかい。


東郷平八郎司令長官直筆の書。


東郷長官の手帳。
小さくて可愛らしい。鉛筆書き。


東郷長官の双眼鏡。
カールツァイス製。
目を当てるところが4つあるけど、何でだろう?
左右それぞれが単眼鏡としても使える仕様なのかな?


当時のカメラ。
幾つか残っている当時の写真は、すべてこのようないかついカメラで撮影されています。


測距儀(レプリカ)。
真ん中から覗く。左右それぞれの端にレンズが付いている。左右の視差角で距離を測定する、という仕組みらしい。1万mくらいまでしか測れないとのこと。


旅順港閉塞作戦への志願書。
ロシア艦隊が旅順港からなかなか出てこないので、夜陰に乗じてボロ船を港の入口に沈めようとしました。この作戦は、3回にわたって行われ、失敗に終わりました。
2千人の志願者の中から77人が選抜されました。


模型コーナーがありました。
時代を下って、大東亜戦争時代のものや、現代の海上自衛隊の艦船のものも展示されていました。
一番手前は、夜戦バカの軽巡川内。


二水戦の旗艦、コロンバンガラ島沖夜戦で武勲を上げた川内型軽巡神通。
探照灯を敵に当て続けて自ら囮となり、艦体が真っ二つに折れてメイン部が沈没した後も、前部主砲は完全に沈む瞬間まで砲撃を続けて奮戦しました。


球磨型軽巡北上。
奥が初期型。
手前が、重雷装艦に近代化改装後のハイパー北上さま。


金剛型高速戦艦榛名。
はい、榛名は大丈夫です!


DDH-181 護衛艦ひゅうが。
ヘリ空母です。


幕僚事務室。
クラシカルですね。


士官室。
調度品は豪華で、機能性よりも装飾性を重視しているかのような印象も受けます。


長官室。
広い個室です。


長官浴室。
専用のトイレ・風呂があります。
尚、艦長も専用の個室、浴室を持っています。


長官公室。
会議室として使った他、来客との交渉もこの部屋を使ったとのことです。


三笠公園の敷地内には、何と!D51型蒸気機関車型の災害用飲料水備蓄タンクがありました。
本物ではなくて、ハリボテです。


給水口。


湊には、海上自衛隊の潜水艦が止まっていました。
(艦名不明)


米国海軍ミサイル駆逐艦フィッツジェラルド。


DDG-171 はたかぜ型護衛艦はたかぜ