2024年7月 東日本大震災被災地巡り(7) 中間貯蔵施設

自民党青年局の被災地巡りツアーは、最後の目的地である中間貯蔵施設へ。

2024年7月 東日本大震災被災地巡り(1) 田老
2024年7月 東日本大震災被災地巡り(2) 陸前高田
2024年7月 東日本大震災被災地巡り(3) 大川小学校
2024年7月 東日本大震災被災地巡り(4) 南三陸病院・伝承館・旧防災庁舎
2024年7月 東日本大震災被災地巡り(5) 多賀城高校災害科学科の生徒とのグループワーク
2024年7月 東日本大震災被災地巡り(6) 福島第一原子力発電所
2024年7月 東日本大震災被災地巡り(7) 中間貯蔵施設 ←この記事

 

202407 中間貯蔵施設

中間貯蔵工事情報センターという、広報センターにて、まず最初に説明をお聞きする。

 

 

中間貯蔵施設の名称・場所・広さ

環境省が運営しています。

これは、施設の固有名詞です。
一箇所しか存在しません。あちこちに何箇所もあるわけではありません。

中間貯蔵施設の地図

環境省:中間貯蔵施設情報サイトより。

 

福島第一原子力発電所を囲むように、半ドーナツ状の地帯に設けられています。

広さは1,600haで、かなり広大な面積です。

 

 

中間貯蔵施設の目的

除染した土壌、放射性廃棄物を、焼却して減容化(コンパクトにする)して、埋め立てる、一時的な仮置き場です。

 

「中間」は、何に対して中間なのか?というと、あくまでも一時的な仮置き場であり、最終置き場ではない、という、プロセス・スケジュール上、中間であることを示しています。

福島第一原子力発電所からの物理的な距離が、中距離である、という意味ではありません。

 

 

では、最終処分は、いつ、どうするのか?

未定です。

 

中間貯蔵施設の役割については、中間貯蔵・環境安全事業株式会社法という法律に明記されています。

この法律においては、中間貯蔵施設における仮置きは、中間貯蔵プロセスが開始された2015年から30年後の2045年3月までである、と定められています。

国は、2045年3月までに、最終処分する(最終置き場を決定し、運搬を完了する)義務を負っています。

 

しかしながら、現時点では、最終置き場の場所も、運搬プロセス、最終処分方法も決まっていません。

 

2045年というと、今から21年後です。

言わば、次の世代に最終処分を先送りした、という言い方も出来ます。

 

 

青森県むつ市の中間貯蔵施設との違い

むつ市にも中間貯蔵施設という名称の施設があるのすが、これは名前は同じでも、役割は全く異なるものです。

むつ市の中間貯蔵施設は、全国の原子力発電所で発生した使用済み核燃料を、再処理工場での再処理プロセスに回すまでの、一時的な仮置き場です。

 

 

中間貯蔵施設内の写真レポート

バスで見て回りました。

202407 中間貯蔵施設

放射性ガレキでしょうか。

この後、焼却して減容化(コンパクト化)することになるのだと思います。

 

202407 中間貯蔵施設

 

202407 中間貯蔵施設

202407 中間貯蔵施設

202407 中間貯蔵施設

敷地は広大なもので、国が土地を買収しています。

取り壊されずに残っている民家もあります。

 

202407 中間貯蔵施設

 

202407 中間貯蔵施設

広大な敷地内には、倒壊したままの建物も多数、放置されています。

 

202407 中間貯蔵施設

敷地内のサンライトおおくま見晴台より、福島第一原子力発電所を望む。

一号機から四号機までがよく見えます。

 

サンライトおおくまは、この場所のすぐ近くに建ってた特養老人ホームの名称です。google mapによると、未だに建物は放置されているようです。

 

202407 中間貯蔵施設

この場所の放射線量は、1.3マイクロSV(シーベルト)毎時でした。

 

202407 中間貯蔵施設

埋立地。

私達が立っている場所です。減容化(コンパクト化)した除染土壌、放射性廃棄物を埋めた後、被爆していない土をかぶせています。

将来の最終処分のプロセスにおいては、これらを掘り起こして、最終処分場に運搬することになります。

 

 

202407 中間貯蔵施設

202407 中間貯蔵施設

この地点の放射線量は、0.296マイクロSV(シーベルト)毎時でした。

 

この被災地視察シリーズは、以上です。

 

 

過去の東日本大震災被災地視察のレポート

2012年4月 私費で個人視察

2012年4月 津波の被災地に行ってきた。(1)仙台 貞山堀付近
2012年4月 津波の被災地に行ってきた。(2)野蒜
2012年4月 津波の被災地に行ってきた。(3)石巻
2012年4月 津波の被災地に行ってきた。(4)牡鹿半島
2012年4月 津波の被災地に行ってきた。(5)女川原発
2012年4月 津波の被災地に行ってきた。(6)女川~北上
2012年4月 津波の被災地に行ってきた。(7)南三陸
2012年4月 津波の被災地に行ってきた。(8)気仙沼~陸前高田
2012年4月 津波の被災地に行ってきた。(9)釜石

 

2012年7月 私費で個人視察

福島第一の近くに行ってみました。

 

2014年4月 私費で個人視察

東北被災地巡り その1 仙台荒浜
東北被災地巡り その2 野蒜
東北被災地巡り その3 石巻
東北被災地巡り その4 牡鹿半島
東北被災地巡り その5 女川~北上
東北被災地巡り その6 南三陸~気仙沼~陸前高田
東北被災地巡り その7 釜石
東北被災地巡り その8 大槌町
東北被災地巡り その9 山元町~南相馬市 フクイチ近く

 

2014年7月 蕨市議会の政務活動費で、当時の蕨市議会保守系会派での視察

陸前高田視察レポート

 

2017年5月 私費で個人視察

2017年 東北被災地巡り(1) 仙台 荒浜
2017年 東北被災地巡り(2) 奥松島
2017年 東北被災地巡り(3) 石巻
2017年 東北被災地巡り(4) 牡鹿半島
2017年 東北被災地巡り(5) 雄勝~河北~南三陸
2017年 東北被災地巡り(6) 気仙沼~陸前高田
2017年 東北被災地巡り(7) 釜石~大槌
2017年 東北被災地巡り(8) 山元町~フクイチ

 

2023年11月 県議会の政務活動費で個人視察

東日本大震災の被災地:名取市閖上を訪問


2024年7月 東日本大震災被災地巡り(6) 福島第一原子力発電所

自民党青年局の被災地巡りの最終日は、廃炉作業が進む東京電力 福島第一原子力発電所へ。

2024年7月 東日本大震災被災地巡り(1) 田老
2024年7月 東日本大震災被災地巡り(2) 陸前高田
2024年7月 東日本大震災被災地巡り(3) 大川小学校
2024年7月 東日本大震災被災地巡り(4) 南三陸病院・伝承館・旧防災庁舎
2024年7月 東日本大震災被災地巡り(5) 多賀城高校災害科学科の生徒とのグループワーク
2024年7月 東日本大震災被災地巡り(6) 福島第一原子力発電所 ←この記事
2024年7月 東日本大震災被災地巡り(7) 中間貯蔵施設

個人で申請して中に入れる場所ではないので、個人的には、最も楽しみにしていた訪問地がここでした。

 

 

富岡町~大熊町の様子

以下は、国道6号沿い、バスから眺めた街の様子です。

202407 富岡町~大熊町

帰還困難区域においては、建物の解体作業が順次進められています。

写真奥の家は、ツタが屋根の上にまで伸びて家に覆いかぶさるように成長しています。

 

202407 富岡町~大熊町

ケーズデンキ双葉富岡店

2011/3/11直後の新規オープン予定だったとのことで、一度も営業したことがない店舗です。

一応、取り壊しは行わず、草刈りなどのメンテナンスはしているようです。

 

 

地図と照らし合わせてみると、ここは、特定復興再生拠点区域です。

当初、帰還困難区域として指定されたものの、政策的に除染やインフラ整備などを集中的に進めた結果、住民の帰還・居住が可能になったエリアです。

 

政策的に選択され除染した地域であり、元々の放射線量が少なかった地域ということではありません。

富岡町、大熊町、双葉町、浪江町、葛尾村、飯舘村の6町村のうち、それぞれの町村の中心エリアが、特定復興再生拠点区域に選択されています。

 

202407 富岡町~大熊町

建物は取り壊され、塀のみが残っています。

 

202407 富岡町~大熊町

パチンコ屋。

 

202407 富岡町~大熊町

ここは一面の水田だったとのことですが、今は、草が生えたままの荒れ地となっています。

 

202407 富岡町~大熊町

特定復興再生拠点区域では、人が住み始めています。

震災後に建てられた新しいアパートかな?

 

 

福島第一原子力発電所で働く人たち

廃炉作業に従事する、東京電力及び関係会社のスタッフの皆様に感謝申し上げます。

 

現在、東京電力の社員1,000人、関係会社3,000人、合計4,000人のスタッフが廃炉作業を行っています。

 

後述のように、まだこれから廃炉完了まで、20-30年もかかる作業です。

今は、2011年事故を自ら体験し、事故を起こしたことに対して責任を感じている世代が作業に従事していますが、やがて、いつかは引退します。

いずれ、2011年事故を経験しなかった世代だけが、廃炉作業の指揮を執ることになります。

そうなった近い将来において、

・廃炉作業に従事するスタッフのモチベーションを如何にして確保するか。

・優秀な人材を如何にして確保するか。

が重要な課題になると思いました。

 

余談ですが、私の小中学生時代の友人で、東工大から東京電力に入った人がおります。事故後に福島第一原発に転勤したものの、メンタル的に耐えられなくて配置転換を願い出た、という話を聞きました。

「会社が命じる人事に異を唱えることが、自分のキャリアにどういう意味をもたらすかは重々承知の上だが、どうしても耐えられなかった」
と言っていました。

 

 

福島第一原子力発電所の廃炉のスケジュール

公表されている廃炉ロードマップは、大雑把なものですが、これは、研究し試行錯誤しながら進めていく作業であるため、明確なスケジュールを設定できないためです。

上記webサイト内では、

第2期 燃料デブリ取り出しが開始されるまで ~2021年12月

となっていますが、実際には、2024年7月現在、燃料デブリ取り出しはまだ始まっていません。これから試験的な取り出し作業が始まるところです。

 

燃料デブリとは、核燃料、制御棒、その他の設備類などが溶融して、冷えて固まったものです。形はバラバラだし、放射線量も高いので、取り出す作業は極めて困難です。

 

尚、チェルノブイリでは、燃料デブリの取り出しは、行いませんでした。

コンクリート製の壁で覆い尽くして封じ込める、という手段を取りました。
(つまり、根本的な解決ではない、と言える)

 

スリーマイル島では、炉心溶融したものの、燃料デブリは取り出しやすい規模・形状だったようで、事故から十数年程度で燃料デブリ取り出し作業が完了しております。

 

 

福島第一原子力発電所の施設内へ入る

施設内は一切写真撮影禁止です。

以下の写真は、全て、私が撮影したものではなく、自民党青年局視察団の事務局が公式に撮影したものです。

 

 

原子力施設のため、セキュリティは極めて厳重です。
事故を起こしたから、廃炉作業を行っているからという理由ではなく、原子力施設とはそもそもセキュリティは厳しいものです。

IAEAによる査察は、大規模なものは年に2回の頻度で受けているとのことでした。

 

 

202407 福島第一原子力発電所

1号機。

水素爆発が起こりました。

 

202407 福島第一原子力発電所

1号機は、建屋の壁は壊れ、鉄骨もひしゃげています。

 

202407 福島第一原子力発電所

右下に固まっているのは、ガレキです。

ガレキを撤去せずに放置したままとしている理由は、ガレキを撤去しようとすると、放射性ダストが飛散するからです。

 

今後、全体をすっぽり覆い尽くすカバー建屋を設け、飛散防止をした上で作業を進めていくことになります。

 

202407 福島第一原子力発電所

左が2号機。
2号機は水素爆発に至りませんでしたので、壁が原型をとどめています。水色地に不規則な点々の模様が入っているのは、オリジナルのデザインです。

中央の、円筒形の物体が載っているのが、3号機。

その右が4号機。

 

202407 福島第一原子力発電所

2号機と3号機の前で記念撮影。

 

原子炉建屋から80mの位置に見学台が設けられており、防護服無しでここまで行くことが出来ます。

 

全員が、個人線量計を装着しています。

男性は、貸与されたベストの胸ポケットに収納します。
女性は、お腹あたりのポケットに収納します。

これらの性別は、自認しているジェンダーではなく、生物学的ジェンダーを指します。
女性の場合は、子宮が最も被爆の影響を受けやすいから、というのが理由とのことです。

 

202407 福島第一原子力発電所

この位置での放射線量は、59.2マイクロSV(シーベルト)毎時でした。
1時間ここにいるとどのくらい被爆するかを示す数値です。

1m(ミリ)=1,000μ(マイクロ)ですので、0.0592ミリSV毎時と同じです。

 

 

ツアーが終わって本部棟に戻った時、私が装着していた個人線量計が示した被ばく量は、

・ガンマ線 0.01 ミリSV
・ベータ線 0.0 ミリSV(検出せず)

でした。

これは、ツアーの時間内に私が被爆した累積値を示します。

この数字は、おおむね、歯のレントゲン撮影1回分の被曝量です。
尚、胸部レントゲン撮影の場合は、もっと被曝量は大きく、1回当たり0.05~0.1ミリSVくらいです。

 

 

処理水のタンク

202407 福島第一原子力発電所

202407 福島第一原子力発電所

処理水のタンクの形状・色は、様々なものがあります。

メーカ純正仕様をそのまま使っているためであって、形状・色の違いによって使い方が異なるわけではない、とのことです。

 

 

ALPS処理水

ALPS処理とは、プロセスの名称です。

 

ALPS処理プロセスに投入する前の「汚染水」は、パイプの赤錆が混ざっているため赤茶けた色なのだそうです。

これを、ALPS処理を通すことによって、トリチウム以外の放射性物質を、適切な基準値以下に除去したものが、いわゆる「ALPS処理水」です。

トリチウムだけは除去する方法がないために、残ってしまうわけですね。

 

202407 福島第一原子力発電所

ALPS処理水。

なお、取り除いた、トリチウム以外の放射性物質については、最終的に処分する方法は未定とのことでした。

 

202407 福島第一原子力発電所

ALPS処理水を沖合いに放出するための配管は、このようなドリルで海底の地盤を掘削してトンネルを通しました。

ただパイプを海底に置くだけ、という方法もあり得ましたが、長期的に安定した作業が行えるようにと、トンネルを掘ったそうです。

 

202407 福島第一原子力発電所

この沖合いから、ALPS処理水を海洋放出しています。

 

202407 福島第一原子力発電所

質問する私。

 

 

過去の東日本大震災被災地視察のレポート

2012年4月 私費で個人視察

2012年4月 津波の被災地に行ってきた。(1)仙台 貞山堀付近
2012年4月 津波の被災地に行ってきた。(2)野蒜
2012年4月 津波の被災地に行ってきた。(3)石巻
2012年4月 津波の被災地に行ってきた。(4)牡鹿半島
2012年4月 津波の被災地に行ってきた。(5)女川原発
2012年4月 津波の被災地に行ってきた。(6)女川~北上
2012年4月 津波の被災地に行ってきた。(7)南三陸
2012年4月 津波の被災地に行ってきた。(8)気仙沼~陸前高田
2012年4月 津波の被災地に行ってきた。(9)釜石

 

2012年7月 私費で個人視察

福島第一の近くに行ってみました。

 

2014年4月 私費で個人視察

東北被災地巡り その1 仙台荒浜
東北被災地巡り その2 野蒜
東北被災地巡り その3 石巻
東北被災地巡り その4 牡鹿半島
東北被災地巡り その5 女川~北上
東北被災地巡り その6 南三陸~気仙沼~陸前高田
東北被災地巡り その7 釜石
東北被災地巡り その8 大槌町
東北被災地巡り その9 山元町~南相馬市 フクイチ近く

 

2014年7月 蕨市議会の政務活動費で、当時の蕨市議会保守系会派での視察

陸前高田視察レポート

 

2017年5月 私費で個人視察

2017年 東北被災地巡り(1) 仙台 荒浜
2017年 東北被災地巡り(2) 奥松島
2017年 東北被災地巡り(3) 石巻
2017年 東北被災地巡り(4) 牡鹿半島
2017年 東北被災地巡り(5) 雄勝~河北~南三陸
2017年 東北被災地巡り(6) 気仙沼~陸前高田
2017年 東北被災地巡り(7) 釜石~大槌
2017年 東北被災地巡り(8) 山元町~フクイチ

 

2023年11月 県議会の政務活動費で個人視察

東日本大震災の被災地:名取市閖上を訪問


12月定例会陳情:核兵器禁止条約の件

陳情の内容

蕨市議会の、この12月定例会に、以下のリンク先のような陳情が出されております。

陳情の詳細情報

陳情第5号 日本政府に「核兵器禁止条約」の署名・批准を求める議会決議意見書採択に関する陳情 【陳情趣旨】 …

陳情団体は、県内の原爆被爆者団体です。
内容は、核兵器禁止条約の署名・批准を求める意見書を国に対して出してほしい、というものです。

 

 

総務委員会の結論

この種の陳情に限らず、あらゆる議案は、

(1)テーマごとに割り振られた委員会で話し合う、結論を出す
(2)本会議で、委員会の結論を追認するかどうか話し合う、結論を出す

という2段階を経ることになります。

 

昨日、令和3年(2021年)12月1日に(1)に相当する総務委員会が開かれたところです。

蕨市議会(定数:18)の総務委員会の現メンバは、6人おり、会派構成は、

令政クラブ(自民系):2
公明党:1
日本共産党:1
日本維新の会・無所属連合(いわゆる、見なし会派):1
リベラル系無所属:1

となっています。
このうち、委員長は採決に加わることが出来ず、今は令政クラブから出しております。

昨日の結論は、反対は、令政クラブ:1、公明党:1の計 2名のみであったため、賛成多数ということで、賛成という結論になりました。

 

これは、蕨市議会全体では、保守系・国政与党系比率が過半数を占めているものの、総務委員会の構成メンバはリベラル系・国政野党系比率が高いために、このような結論に至ったものです。

(国政与党とは、自公を指しますが、蕨市議会においては、市長は共産党であるため、自公は野党になります。)

 

 

本会議での結論の見込み

令和3年(2021年)12月16日に話し合われることになりますが、総務委員会での結論をひっくり返して、反対という結論に至る見込みです。

 

 

核兵器禁止条約について私見

 

核廃絶をする方法

私の、戦略核兵器+その運搬手段と核戦略論に関する歴史観は、5年前のエントリで述べた通りで、今日においても変更はありません。

 

戦略核兵器(戦術核兵器を含まず、戦略核兵器のみ)が、国際法に違反し、残虐で極悪非道なものであることは同意しますが、そうであるがゆえに、戦略的な価値があります。

戦略核兵器+その運搬手段と核戦略論があるからこそ、世界の安定が維持され、大国間の戦争が起こらず、平和が保たれているのです。

この構図は、冷戦期から米中対立・覇権移行期の今日に至るも変化はありません。

 

今の時点で、特に米中が核廃絶をした場合は、米中対立が戦争にエスカレーションする可能性が極めて高いものと考えます。

戦略兵器を廃棄することではなく、戦略兵器を持ち続けて安定を維持することこそが、戦争を防ぐ唯一の方法です。

従って、我が国が核兵器禁止条約に参加することは、戦争が起こる可能性を高めることに他ならないものと考えますので、反対します。

 

 

核廃絶の実現への道

戦略核兵器+その運搬手段、核戦略論に変わる、次の世代の戦略兵器と戦略理論が出現すれば、世界中の戦略核兵器は一瞬のうちに効力がゼロになります。この保有コストが極めて高い兵器を維持し続ける理由がなくなりますので、瞬時に核廃絶(戦略核の廃棄)が達成されることになります。

但し、個人的な予想ですが、そのような状況になった場合も、当面は戦術核は維持されるのではないかと思います。


米朝首脳会談と共同声明を受けて

昨日、シンガポールにおいて、米国トランプ大統領と北朝鮮金正恩委員長の会談が和やかに行われ、共同声明が発表されました。

私は、手に汗握りながらライブ速報を見ておりました。

取り合えず一歩前進とは言えますが、中身スカスカ感は否めず、声明や記者会見で明らかにされなかった部分でどのような話し合いが持たれたのか、今後の実務レベルの話し合いがどのように進んでいくかが、キーとなります。

 

私の考えを、以下にまとめました。来週の月曜日 2018年6月18日(月)に、ただ今開催中の蕨市議会において、私の登壇による一般質問の出番があるのですが、そこで一連の発言の最後に、オフィシャルな発言として申し述べる予定です。
(あくまでもドラフトなので修正する可能性あります)

 


さて、最後に、この度の一般質問の発言通告期限後である6月12日に、米朝首脳会談が行われ、コリアン半島の完全非核化を柱とする、共同声明が発表されました。一歩前進とは言えますが、会談においては北朝鮮による日本人拉致問題は取り上げられたものの、北朝鮮による何らかのコミットメントは得られず、また、共同声明の中で、完全かつ検証可能で不可逆的な非核化に向けての具体的な手法とタイムテーブルは示されていません。

3名の特定失踪者を抱える蕨市民としては、拉致被害者の身柄の奪還を心から願うものです。
また、北朝鮮核問題は、遠い場所で起こっているどうでもいい話ではなく、私達蕨市民自らの生命と財産の安全に関わる問題であります。

共同声明発表後の、日米首脳による電話協議において、制裁の継続を再確認しております。
私達蕨市民としても、拉致問題の解決、私達自身の生命と財産の安全のために、北朝鮮への制裁を継続して圧力をかけ続けるという国の方針に引き続き協力するべきところかと考えます。

北朝鮮へ圧力をかけるために、署名活動をしたりブルーリボンを掲げたりすることも大切ですが、もっと効果のある方法があります。
本市の一般会計予算、教育費の中の、外国人園児・児童生徒保護者補助金の廃止であります。
既に私が2度、一般質問で取り上げたこの補助金は、本年度予算ベースで28万8千円が計上されており、我が国における北朝鮮の出先機関である、朝鮮総連の傘下にある、朝鮮学校に通う園児児童生徒の保護者のみを対象とした、経緯も根拠も不明で、公益性も正当性も無く、我が国の国益を著しく害するものです。

この補助金の廃止を、改めて全ての蕨市民、議場におられる議員諸子に呼びかけます。

平成30年度埼玉県蕨市一般会計予算 外国人園児・児童生徒保護者補助金

(本年度 平成30年度 蕨市 一般会計予算書より)


2018/6/14 13:10 一部修正しました。

2018/6/14 13:10 以下、追記。
蕨市一般会計の外国人園児・児童生徒保護者補助金の廃止については、本来であれば、会派内で意見を取りまとめ、次いで他会派を説得する、というように、議会内での多数派を目指すのが近道です。しかしながら、本件については、特殊な要因があり(詳しく書きませんが)、遠回りですが、反対を求める市民世論の喚起を先にやろうというボトムアップ・アプローチが、私の戦術です。


核廃絶をする方法

先日2016年5月27日、米国のオバマ大統領が初めて広島を訪問し、歴史上画期的なスピーチを行いました。

ハフポスト 2016/5/27 : オバマ大統領の広島スピーチ全文 「核保有国は、恐怖の論理から逃れるべきだ」

広島、長崎への原爆投下は、紛れも無く、国際法に反し、人道に反し、(彼らが信ずるところの)神をも恐れぬ邪悪な所業であって、米国はいずれ真摯に歴史と向き合って反省することになろうかと思いますが、今回の訪問とスピーチは、その一里塚として意義深いものであったと思います。

DSCN9270

広島の原爆ドーム(2014年10月)

 

 

冷戦において、西側は東側に対して、核兵器を中心とする軍拡競争に競り勝ったため、邪悪な共産主義は滅びました。

PC305744

ルーマニア革命(1989年)の中心地、ルーマニア旧共産党本部と慰霊碑(2015年12月)

 

 

今後も再び、人類文明の破壊を目論む邪悪な共産主義のような政治思想・体制が伸張してくる可能性は否定出来ないため、現下の情勢では、覇権国家たる米国が核戦力・核戦略を放棄することは、あり得ません。

 

冷戦終結後、1992年にフランシス・フクヤマが『歴史の終わりと最後の人間』を発表しました。

米国が「核廃絶を目指す」と言った場合、それは、「歴史の終わり The end of history」の実現、すなわち、「人類文明の破壊を目論む邪悪な共産主義のような政治思想・体制が伸張してくる可能性がゼロになった状態」の実現を前提条件とすることを、暗黙のうちに含意します。

邪悪な共産主義が滅びてから四半世紀が経った2016年の今日に至るも「歴史の終わり」は実現していませんし、その可能性も全く見えてきていません。

理想は理想として掲げて実現を目指すのは悪いことではありませんが、リアリスティックに考えれば、個人的には、ちょっとそのような状態になることは到底考えられませんね。

 

とうことで、「歴史の終わり」の実現はなかなか難しいものと思いますが、核廃絶そのものは、テクニカルには可能です。

 

核兵器を超えてこれを無効化する、次代の戦略兵器が実用化されれば、一気に核兵器は存在意義を失って、保有国は放棄するでしょう。

人類の歴史は、兵器の発展の歴史でした。
新たな戦略兵器の実用化に伴って、新たな戦略論が生まれてきました。
そして、新たな戦略兵器・戦略論へのパラダイム・シフトとともに、新たな哲学・宗教的解釈・芸術が派生的に誕生しました。

 

 

1941年から1945年までのわずか4年間の大東亜戦争中に、2度も戦略兵器・戦略論は世代交代しています。

1度目は、1941年12月10日のマレー沖海戦です。帝国海軍航空部隊が、英国東洋艦隊の戦艦プリンス・オブ・ウェールズと戦艦レパルスを撃沈しました。
戦略兵器:巨大戦艦 → 航空機
戦略理論:艦隊決戦主義(大艦巨砲主義) → 航空決戦主義
この瞬間に、巨大な艦砲を持つ戦艦(実は、更には重巡クラスも含む)が全て無効化し、戦略兵器と戦略理論は世代交代しました。

2度目は、言うまでもなく広島・長崎への原爆投下で、
戦略兵器: → 核戦力(核爆弾と大陸間弾道ミサイル・原子力潜水艦などの運搬手段からなる一連のシステム)
戦略理論:→核戦略論(相互確証破壊理論)
という世代交代が行われ、引き続き戦術レベルで有用であったため航空機が廃止されたわけではないものの、東西両陣営は、相互確証破壊を保つ規模の核戦力を維持することに汲々とするようになりました。

DSCN1903

真珠湾ヒストリックサイトのSLBM(2012年2月)
本物かモックかは不明。

 

余談だが、巨大戦艦大和や武蔵のような軍艦や、ゼロ戦のような航空機には、ロマンチシズムが在りました。いまだに多くの文学、映画のテーマになっています。

核戦力(核爆弾と大陸間弾道ミサイル・原子力潜水艦などの運搬手段からなる一連のシステム)には、ロマンチシズムは感じにくいものです。冷戦期にヒットしたハリウッド映画の中でも、核戦力を肯定的にテーマとしたものはほとんど無いと思います。強いて言うなら、強烈な心理的プレッシャーに晒されながら、本国にもその所在地点を知らせずに数ヶ月間も海の中を漂い続け、ひたすら政策決定者からのSLBM発射の合図を、来ないことを祈りつつも待ち受け続ける、戦略原潜にはロマンチシズムを感じる人は多いでしょう。だからこそ、映画『レッドオクトーバーを追え』があれほどまでにヒットしたのだと思います。

 

 

 

ということで、今のところその萌芽は見えませんが、核戦力を超克し、これを無効化する、何らかの戦略兵器が実用化されれば、自ずと核廃絶は達成されるものと思います。

破壊力においては、核戦力は、既に数百万都市レベルを壊滅可能なレベルに達しているので、次代の戦略兵器は、核戦力を上回る破壊力を目指す方向性のものにはならないと思います。
次代の戦略兵器の方向性は全く私には分かりませんが、あり得るとしたら、サイバー戦分野かロボットになるのではないかと個人的には推測します。


川内原発が再稼働

東日本大震災における福島第一原発の事故以来、全国各地の全ての原発が止まっていたが、この度、先々週の2015年8月11日に九州電力の川内原発が再稼働した。

朝日新聞 2015/8/11 : 川内原発1号機が再稼働 九州電力、新規制基準下で初

 

私は、現今の我が国においては、ベースロード電源としての原発は必要不可欠なものであり、技術的に安全性が確認され次第、全ての原発を即時再稼働すべきだと考える。

 

ということで、再稼働した翌日、2015年8月12日に、川内原発を見に行ってみた。

20150812_川内原発

川内原発。

女川市内から海沿いのくねくねした道を延々と走り続けてようやく辿り着く女川原発なんかと比べると、川内市内からはとても近い。

何気に、川内に行くのは初めてだった。

原発は、冷却水を確保するために海沿いに設置されている。 県道の南北どちからからアプローチすることになる。 近づくと警察による検問が行われていた。

尚、鹿児島県警の警察官は、私の免許証を見て、「蕨市」も「保谷」もどちらも読めなかった模様。   20150812_川内原発

川内原発 北門。

大勢の警官隊の他、原発の職員、出入り業者の職員(おそらく。様々なウェアの人達がいたので)が総出で警備に当たっていた。

 

産経新聞WEST 2015/8/11 : 緊迫のゲート前に菅直人元首相「亡国の政権だ!」 反対派VS警察、にらみ合い3時間

再稼働の当日までは、2-3百人規模の再稼働反対派がデモを行っていたようだが、私が訪れた再稼働翌日は、雨が降っていたこともあり、デモ隊は一人もおらず。

菅直人元首相(民主党)もいたようなので、どんなことをしゃべっているのか興味があったのだが、拍子抜け。

 

九州電力 川内原発展示館

ここに行くことも楽しみにしていたのだが、何と、再稼働前後はデモ隊を恐れてか、臨時休館だった。
(´・ω・`)ガッカリ…

20150812_川内原発近くのモニタリングポスト

川内川の辺りにあった、モニタリングポスト。

そして、この日は朝まで雨の予報だったため、ひよって川内市内のビジホに投宿。

川内の市街地はかなり広いが、メインストリートはすっかりシャッター通り。 山形屋という名前の地場デパートがあるのだが、中に入ってみるとかなり残念な感じ。 川内駅は、九州新幹線の開業に伴って新築したらしいが、お盆休み前なのにあまり人の姿はない。 飲み屋街は、お店の数は多い(早い時間に寝ちゃったので人出のほどはわからない)。 ビジホは、似たような地方都市と同じように、駅前を中心に、数は多く、広々とした駐車場を構えている。稼働率はそこそこ高いようで、私が泊まった宿に関しては9割以上だったようだ。
街の寂れ具合と、数年間原発が止まっていたことととの因果関係は不明。 川内市内の下水道マンホール

川内市内の下水道マンホール。

川内市は、カッパが出ることで有名らしい(?)
カッパを町おこしのネタにしている。