自民党蕨支部にて、蕨駅前にてウクライナ人道支援募金活動を行いました。

先日、令和4年(2022年)4月28日(木)、蕨駅前におきまして、自民党蕨支部にて、ウクライナ人道支援のための募金活動を行いました。

埼玉県下の各地域の自民党支部が、この時期にそれぞれ募金活動を行っております。

ロシアの非道は到底許し難く思います。

皆様からお寄せいただいた募金は、日本赤十字社を通じてウクライナに送らせていただきます。

為念、戦争のための武器・弾薬を買うためのお金としてではなく、現地にて不足している食料、水、医薬品などを買うためのお金として活用してもらいます。

 

 

それにしても、ウクライナ-ロシア間の戦争が、これほどまでに長引いていることに、正直、かなり驚愕しております。

その理由は、一言でいうと、「想定よりもロシアが弱過ぎる」ということにつきます。

私は昭和49年(1974年)生まれで、高校生の時にソ連邦が崩壊して冷戦が終結したのですが、それまでの幼年時代をソ連の侵略、共産主義の脅威に怯えながら過ごしました。

あの悪の帝国であるソ連の後継、ロシアが、これほどまでに弱いとは!と、さすがにソ連崩壊から30年間が経過しているとは言え、もう本当にビックリであります。私達があれほどまでに恐れていたものの実態がこの程度だったのか、いったい何だったのか!?と。


ロシアによるウクライナ侵攻

ロシアがウクライナに侵攻しました。

ロシアの、力による現状変更の試みを非難致します。

 

 

 

ロシアの論理

さて、露国は、昭和20年より我が国に侵略中の隣国でありますので、ロシア人の考え方、ロシアの論理を知ることは、我が国にとっては死活的に重要です。

テレ東の豊島さんの解説動画が、38分間ですごく分かりやすくまとめてありますので、これは見る価値ありです。

 

  • ロシアは、自ら欧州に侵略したことはない。
  • ロシアは、ドイツからもフランスからも侵略されてきて、数千万人規模の死者を出してきた。
  • NATOは、かつては反共同盟、いまは反ロシア包囲網であり、ロシアを侵略するためのビークルに他ならない。
  • ロシアにとっては、緩衝地帯が必要。

 

プーチン氏「他に選択肢なかった」、ウクライナ侵攻巡り

[モスクワ 24日 ロイター] – ロシアのプーチン大統領は24日、安全保障を巡る状況を変える政府の試みが全て無に帰したことを受け、ウクライナに対する特別軍事作戦を命じる以外選択肢はなかったという認識を示した。 プーチン大統領とはビジネスリーダーらとのテレビ会議で、ロシア政府は行動を余儀なくされたとし、制裁が発動されることも理解しているとし、「何らかの形で制裁への備えはできている」と語った。

これらのロシアの論理を踏まえれば、ロシアにとってはウクライナの北大西洋条約機構加盟は到底受け入れられるものではなく、プーチン大統領の「他に選択肢はなかった」という発言が出てきた真意が理解できます。

 

 

 

ところで、上記テレ東の動画の中で、参考文献として、

大木 毅, 『独ソ戦』, 岩波書店, 2019

 

が、オススメされています。

おっ、さっそく読んでみよう!と思ったら、3年前に買ったまま、机の上で積ん読状態になっていました(笑)

早速、読み始めております。

 

 

逢坂冬馬, 『同志少女よ、敵を撃て』, 早川書房, 2021

こちらは、綿密な歴史の研究を下敷きにして描かれた、スターリングラード攻防戦における赤軍女性スナイパー兵士を描いた小説として、オススメされています。

表紙の絵柄はラノベっぽいですけど。

さっそく、koboで買って読み始めております。


占守島の戦い

「歴史に もしも は無い」はあり得ない。

これ、よく言われる言葉だけど、間違っている。

歴史を学ぶのは、過去のケーススタディを研究して、現在、そして未来のディシジョンメイキングに活かすためである。
そのためには、過去のある局面において、条件が変わっていたらどうなっていたか?をシミュレートすることが役に立つ。
真珠湾攻撃において、米国の空母を8割方撃沈していたらどうなっていたか?
ミッドウェイ海戦において、帝国海軍が加賀、赤城、蒼龍、飛龍を失っていなかったらどうなっていたか?

 

占守島の戦い

『8月17日、ソ連軍上陸す―最果ての要衝・占守島攻防記』
大野芳, 新潮社, 2010年7月

この本、最近読み終えた。

恥ずかしながら、2年前にとある講演会で話を聞くまで、この占守島の戦いなる戦史をまったく知らなかった。

北千島の先っちょの島であり、精鋭部隊が配置されていた。想定している敵は米国であり、日ソ中立条約がまだ生きている状況下でソ連は敵としては想定していなかった。

昭和20年8月17日、すなわち我が国が敵方に降伏した後で、ソ連が占守島に攻め込んできた。

占守島を守備する部隊は、武装解除に備えて、既に粛々と書類や武器を投棄し始めていたのだが、ソ連の不法な侵攻を迎え撃ち、激しいバトルとなった。

その際、戦車第十一聯隊長の池田末男大佐(後、少将に進級)は、

諸氏は今、赤穂浪士となり恥を忍んでも将来に仇を報ぜんとするか、あるいは白虎隊となり、玉砕もって民族の防波堤となり後世の歴史に問わんとするか、赤穂浪士たらんとするものは一歩前に出よ。白虎隊たらんとする者は手を挙げよ。

とスピーチし、これに全軍一丸となって雄叫びを挙げて呼応し、ソ連と命がけで戦う覚悟を決めたのだという。
このスピーチの絶妙なところは、仲間と別れ敵に背を向けて内地に還り、敵前逃亡との汚辱に耐えつつ吉良の首を掻く機を伺うもまた勇なり、とエクスキューズを残してあげているところだ。
帝国陸軍戦車第十一聯隊のスピリットは、北恵庭に駐屯して北辺の守りにつく陸上自衛隊第11旅団第11戦車大隊に引き継がれている。

結果は、wikipediaの方が詳しい。
日ソともに千人以上の戦死者を出しつつ、戦闘レベルでの停戦をすることになる。

 

占守島の戦いで生き残った皇軍将兵の多くは、ソ連に不法にシベリア抑留され、正確な記録を残せなかったために、占守島の戦いは正確な戦史が後世に伝わっていない。
行ってみたいけど、ビザはたぶん取れない。

本書は、綿密な関係者へのインタビュと、ロシアの公文書を解きほぐしていくことによって、正確な戦闘の姿を炙り出していこうという一つの試みである。

 

 

占守島の戦いの成果

占守島守備隊が命がけで戦っていなかったら、北海道までソ連は侵略し、我が国は分割統治されていたかもしれない、占守島守備隊は日本を救ったのだ、という見方がある。
ソ連の侵攻軍が占守島の戦いの後始末に釘付けされている間に、米軍による北海道進駐が完了したため、ソ連が北海道にまで手を伸ばすチャンスを失った、という捉え方である。
http://nezu621.blog7.fc2.com/blog-entry-1604.html

他方で、ソ連による占守島侵攻と、北海道侵略の検討は別ルートの話なので、そもそも無関係であり、占守島守備隊は無駄死にだった、という見方もある。
http://d.hatena.ne.jp/Mukke/20080822/1219404745

 

どちらが正しいかは分からない。
しかし、占守島の皇軍将兵が、国を護るために戦う必要があると考えて戦ったのだと信ずる。

 

ついでに言うと、ごく控えめに言って、私はロシアがあまり好きではない。
昭和14年生まれの父親(故人)からは「ロシア人は日ソ中立条約を一方的に破って火事場泥棒のように攻めこんできた卑怯で意地汚い奴らだ」と言われて育ってきたし、まあ概ね同じように捉えている。

しかし、この本でも描かれているし、たしか司馬遼太郎の『坂の上の雲』において、旅順の203高地を巡る戦いでも描かれていたけど、ロシア人も日本人と同じように、戦場で特攻をしたらしい。我が国と異なり戦術レベルなものではなく、あくまでも戦闘の現場レベルの匹夫の勇といったものだが、少なくとも、ロシア人が、自分が大切にするもののために命を捧げることを良しとする価値観を持っていることは間違いない。なので、個人的に友達になれば信頼して背中を任せられる連中なのだろうとは思う。

201206_旅順 203高地より旅順港を望む
(2012年6月、203高地より旅順港を望む)

あと、ロシアの女の子ってぐうかわだよね!
http://blog.livedoor.jp/nizigami/archives/36481822.html