さて、みんなが大好きな艦これにおいて、試みに初めて大型艦建造を回してみたところ、なんと、出現率10.0%の戦艦レシピであるにもかかわらず一発で大和が出た!
戦艦大和(c)DMM.com
これは超嬉しいです。
戦艦大和といえば、Lv60で改造すると、左足のニーハイに「非理法権天」の文字が入ることが知られている。これは、大東亜戦争末期の菊水作戦において沖縄に海上特攻に向かう戦艦大和に「非理法権天」の幟が掲げられていたという史実に基づいている。
「権力・権威が法に優越する」っておかしくない?
私は、この「非理法権天」という言葉の意味がよく分からなかった。
wikipediaの解説によると、
非理法権天:
「無理(非)は道理(理)に劣位し、道理は法式(法)に劣位し、法式は権威(権)に劣位し、権威は天道(天)に劣位する」と、非理法権天の意味が端的に述べられている。非とは道理の通らぬことを指し、理とは人々がおよそ是認する道義的規範を指し、法とは明文化された法令を指し、権とは権力者の威光を指し、天とは全てに超越する「抽象的な天」の意思を指す。
ということなんだけど、
「法よりも権が上」っておかしくないかな?
少なくとも、明治以来の近代的法観念に反する。
非理法権天というコピーの起源
ところで、この言葉、楠公が掲げたものだという伝説を私も信じていたのだけど、wikipediaを改めて読んでみると、どうやら楠木正成が唱えたというのは江戸時代の作り話らしい。
四書五経に起源を持つ言葉ではないみたいだ。
いつ頃、何の目的ででっち上げられた言葉なのかも分からない。
大和に掲げられた幟は、結局のところ、「天が見方をする、正義の側に立つ我々が負けるはずがない」という、国内向けのプロパガンダのキャッチコピーと考えるのが妥当のようだ。
(※ プロパガンダが悪い訳ではない。何らかの政治目的遂行の為の手段としてプロパガンダを用いるのはいつの時代も有効である)
非理法権天の現代的解釈
しかし、このコピー、改めて噛み締めてみると、なかなかに含蓄がある。
近代的法観念が出来上がる前は、三権分立は成立していなかったし、法は権力者が好き勝手に変えることが出来るものだった。
その点において、たしかに「法より権が上」だった、とも言える。
明治維新後に近代的法観念が成立すると、建前上は「権よりも法が上」になった。
「権」を政治権力と解釈するならば、権力が道理に反することは出来ないという点で、「権よりも理が上」になった、とも言える。→つまり、非権理法天。
あるいは、「権」を権威すなはち立憲君主制下の天皇と解釈するならば、明治憲法下では依然として「法より権が上」であったものの、昭和憲法下になって「権より法が上」になった、という言い方も出来るかもしれない。
翻って現代の我が国を眺め回すと、「多数決は正しい」という民主制の意思決定方法の一つを根拠に、時の権力が、徹底的な議論、少数意見の尊重をせずに、自らの意見を強引に通すこと(=国会における強行採決)もしばしば起きている。
先日の、自公連立政権における特定秘密保護法の強行採決は、まさにそれだった。
参考:hoya_t blog : 秘密保護法案の強行採決に考える。(2013/11/26)
その点において、「民主的で正統な手続きに基づく権」が法を自由に作り替えられる、つまり部分的には「法よりも権が上」というのも、現実である。
天が最上位。この世に悪が栄えた試しはない
しかしながら、あくまでも最上位は天である。
日本人は、万物に神が宿るという、原始的なアニミズムをベースとする神道と仏教をごちゃごちゃに信仰し、結果として他者の価値観に対して極めて寛容な考え方を持っているが、それでもなお、天(=一神教的な絶対的な価値、絶対的な正義)がどこかに存在すると信じている。
我が国においては、神武以来2674年の歴史の中で一度も悪が栄えたことはなかった。
我が国以外の世界史においても、悪が栄えたことは一度もない。
「栄えたことはない」というのは言い過ぎかもしれないが、少なくとも後に淘汰されて、歴史の裁きを受けている。
「お天道様(=太陽、すなはち絶対的な価値、絶対的な正義)が見ている」という考え方は、時代や政治制度が変わっても、我が国に通底する考え方である。