「絶滅のおそれがある種」は、救うべきか?

パンダもトキも同じだけど、「絶滅の恐れがある種」は、絶滅するべくして絶滅するのであり、人為的に、膨大な予算を投じて保護して延命する必要があるのか? 資源の再配分の仕方として間違っているのではないか?


アウストラロピテクスが絶滅の危機に瀕していたとき、こりゃ大変だと保護して、人為的に繁殖をサポートしたりしたら、その後にクロマニョン人、更にはその先のヒトは生まれてきたのだろうか? アウストラロピテクスが滅びたからこそ、クロマニョン人が誕生し、ヒトが誕生し、現代文明が発達してきたのではないか。 (ちょっと比喩が飛躍し過ぎかな。アウストラロピテクス絶滅の原因は知らないし。)

与那国島に行って来たです。

前夜のゆんたくでカラダ中が泡盛漬けな二日酔いでふらふらしながらレンタの原チャを飛ばし、島の山の上にあるアヤミハビル館という博物館に行って来ました。

アヤミハビルというのは、全長24cmの世界最大の蛾で、与那国にしかいないらしい。正式名称はヨナグニサン。アヤミハビルというのは現地名。愛玩用に売れた時代に乱獲され、また森林開発やら何やらで、今は絶滅の危機に瀕しているらしい。

この博物館は、まぁ、いわゆる典型的な箱モノ行政の産物ってやつで、1億500万かけて造ったとかで、とてもとても立派なのですが、来館者記帳ノートを見ると、一日当たり平均で10人も来ていない。大人一人500円なので、全員大人と仮定しても、月商でわずか15万・・・まぁいいや。

ヨナグニサンは、原因は乱獲と森林開発という、人為的なものではある訳だが、絶滅するものは、絶滅するに任せておくべきではないのか。

アヤミハビル館を見ながら、何となく、こういうのってお金の無駄遣いなのではないかなぁ、と思ったので、「絶滅のおそれがある種を保護しようという発想」について泡盛漬けの脳味噌で考察してみました。

高度経済成長期に公害が問題になり、ヒトが(厳密には、日本人が)、環境を破壊して、自分自身の首をしめていき、最終的には自身で種の滅亡をさせかねない、という危機感が生まれた。「絶滅のおそれがある種を保護しよう発想」は、このような危機感に対するアンチテーゼとして生み出された発想なのではないか。

しかしながら、ちょっと考えると、この発想がおかしいことがすぐに分かる。
公害防止と、絶滅のおそれがある種の保護は、全くリンクしていない。絶滅のおそれがある種の保護をするために自然をきれいにして、回りまわってそれが公害防止にもなる、という間接的な効果はあるかもしれないが、絶滅のおそれがある種の保護をしたところで、それは直接的には公害防止とは何の関係もない。

他国の事例とかを見てみたいところ。
推測だが、絶滅のおそれがある種を保護しようという発想が出てくるのは、どこの国(ネーションステートとしての)でも、ある程度の現代的な経済社会的発展があって、その後に公害が起こって、これを防ごうという発想が生まれてくるのと同タイミングぐらいなのではないか。


「絶滅のおそれがある種」は、救うべきか?” への2件のコメント

  1. いや、そんな単純な話ではなくて。
    「絶滅危惧種の生息する地域は、生物多様性の最も高い地域でもある」のですよ。
    http://www.conservation.or.jp/Strategies/Hotspot.htm
    ヨナグニサンやイヌワシ、イリオモテヤマネコはそういう意味で「多様性の象徴」。その種だけを滅ぼしてはいけないんじゃなく、その種の生息する地域の環境全体を守らなければいけないというのが、そもそもの主旨なわけです。公害対策云々とは、直接は関係ないっす。

    じゃあ何で生物多様性が必要なの?という疑問をお持ちの場合は、以下の96年の環境白書をお読み下さい。http://www.env.go.jp/policy/hakusyo/honbun.php3?kid=208&serial=10008

  2. おお!なるほど!
    そういうことだったのですか。
    疑問が氷解しました。

    そう言えば、公害たれ流しな現在の中国でも野生パンダの保護をやっているようですし、たしかに直接は関係ないですね。

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