自民党総裁選が始まってます。私は高市早苗氏を支持。

令和3年(2021年)9月17日より、私が所属している自由民主党の総裁選が始まっております。

投開票日は9月29日です。

議院内閣制の下での与党第一党の総裁ですので、自動的に総理大臣になります。
(現時点では11月と予想されている総選挙後は、どうなるかは分かりませんが)

 

 

我が自民党は、その名の通り、そして、綱領を紐解くまでもなく、「自由」に最も高い価値を置く政党でありますので、党員の皆様は、自分自身で情報を集めて、よく考えて、誰に投票するかを判断すればいいのではないかと思います。

 

私は、国家観、安全保障政策論、経済政策論についての考え方が最も近い、高市早苗氏を支持し、投票するつもりです。

正直、政治手腕とかマネジメント力とか人物とかはよく知らないし、高市氏が掲げている金融所得課税強化には強く反対しますけど。

 

 

今の時点での、私の見立てでは、過半数を取る候補はおらず、1位:河野太郎氏、2位:岸田文雄氏の決選投票になるのではないかと予想します。

一党員である私には、決選投票における投票権はありませんが、決選投票では岸田氏を心の中で応援したいですね。ここは消去法です。

 

 

私が、河野太郎氏をなぜ支援できないか?というと、反原発、女系天皇容認という、従来から掲げていた自らの考えを、総裁選立候補にあたり、当選に向けての障害になると考えて封印し、原発再稼働容認、女系天皇反対と自らの本心とは反することを唱えているからです。

誠にやりたい政策を実現するためには、権力を握らなくてはならず、そのためには、多少の妥協をすることも必要です。

来年の予算をどうするかといった程度の小さなテーマならば、ある程度妥協してもいいでしょう。

しかし、
エネルギー政策論は、天然資源を持たない我が国にとっては、国家百年の計です。
皇室の在り方論は、国家百年どころか、一度女系天皇の出現を許してしまえば、神武以来の皇統が断絶し、新たな王朝が開闢することとなり、元に戻すことは出来ません。国の存立に関わる、最も重要なテーマです。

権力を握るために、このような重要なテーマで自らの本心をねじ曲げる方は、総理総裁としてはふさわしいとは思えません。

 

野田聖子氏は、夫君が反社(元ヤクザ)なので、一国会議員程度ならばそれでもいいかもしれませんけど、まあ、総裁候補としてはそもそもアウトですね。


ウィズコロナ時代に向けて、今は「コロナ禍の有事体制」という認識からのエグジットを目指そう。

「コロナ禍」が始まってから、1年半が経過

なんやかやで、もう1年半も経つんですよ、この有事体制に突入してから。

 

私は、マラソンやトレイルランが好きで、(beforeコロナ時代は)ほぼ毎月のように各地のレースに参加していたのですが、

振り返ってみると、

 

昨年、令和2年(2020年)1月中旬
ヤンゴンマラソン(フル)に参加、完走。
この頃には、普通に海外旅行できましたし、まだ誰もマスクはしていませんでした。
「チャイナで未知の新たな感染症か?」といったニュースがちらほら出始めていたはずですが、我が国にも春節休みの中国人がたくさん訪れていました。
そう言えば、クーデター前のミャンマーは普通に賑やかで穏やかでしたねー、当時は。

202001 Yangon marathon

1月だけどけっこう暑かったです(当たり前)。

202001 Yangon marathon

レース途中でアウン・サン・スー・チー邸前で記念撮影(笑)

 

 

令和2年(2020年)2月下旬
ウラジオストク アイスラン(ハーフ)に参加、完走。
街中では、まだマスクをしていない人もたくさんいました。
まだぎりぎり海外旅行は出来ました。
露国は、ちょうど中国人の入国が禁止された直後で、レースには中国人は参加していませんでしたが、日本人、韓国人などはたくさん参加していました。
博物館を訪れたときは、スタッフに「マスクしてくれ」と言われましたが、「あ、忘れた」と答えると、「まあいいよ」とそのまま通してくれました。

202001 Vladivostok ice run

凍った海の上を走るレース。しかも、雨だった(笑)

202001 Vladivostok ice run

ロシアのちっちゃい子はすごくかわいい!

202001 Vladivostok ice run

リアルロシア軍の炊き出しを食べる機会なんて貴重ですね(笑)コンビーフと麦類の混ぜもの。クソまずかったですww

 

海外旅行出来たのは、令和2年(2020年)2月が最後でした。
今はもう、私のパスポートは期限切れてしまいましたが、次に海外旅行出来るよういなるのは何年後になるか十何年後になるか分からないので、更新せずにそのまま放置しています。

 

令和2年(2020年)3月中旬
南房総みちくさウルトラマラソン(ウルトラ)、中止。

これ以降の大会は、ほぼ軒並み中止です。
尚、この時期のレースは、ほとんどエントリフィーは返ってきませんでした(泣)

今年に入ってからの大会は、中止になる可能性が大きいという前提で募集開始するので、中止になったら半分ほど返ってくることが多いです。

 

令和2年(2020年)秋頃から最近までは、

概ね、

参加者数数千人以上規模の大きな大会(例えば、東京マラソンのような)は、全国各地(beforeコロナ時代であれば、海外からも)から大勢のランナーが、観光を兼ねて泊まり込みでやって来ることが前提となっているために、ほぼ全て中止です。

参加者数、せいぜい2~400人くらいの小規模な大会、かつ、ショート距離の大会(運営側が、設営から撤収までが日帰りで完了できるくらいの長さ)であれば、決行されることもあり、私も幾つか参加しました。

この場合も、スタートは、5人ずつ、15秒間隔のウェーブスタートなど、密を避けるための工夫をこらしてあります。

スタートまではマスク必須で、走行中は外してもokというルールとなっていることがほとんどです。

エイドステーションでは、アルコール消毒をした上でマスクを装着します。
飲み物、食べ物は、ほぼ全て個包装してあります。
運営側の手間は、beforeコロナ時代と比べると、遥かに大きいでしょうね。

ミドル距離以上などになると、スタッフを2交代制にしたり、スタッフが泊まり込み前提となってしまうために、密を避けた運営がより困難になるために、早々に中止を決定することが多いようです。

 

ということで、前置きが長くなりましたが、

いわゆるコロナ禍が始まったのは、昨年、令和2年(2020年)3月頃であります。

ほぼ1年半が経過しました。

 

 

 

afterコロナとかニューノーマルとか、日々の暮らしとは無関係だと思われていた

コロナ禍が始まった、令和2年(2020年)3月以前を、beforeコロナと呼んだりします。

コロナ禍によって、人々の価値観、社会の仕組みが、変化を迫られ、今後、新型コロナウイルスが収束したとしても、beforeコロナと同じように元に戻ることはありません。

そこで、新しい価値観、社会の仕組みの世の中を、afterコロナとかニューノーマルと抽象的に呼ぶようになりました。

 

これらは、マクロの話であって、

マクロの話と、ミクロの話–私達の日々の暮らしの話は、まったくの別モノであり、「私達の日々の暮らしは、beforeコロナと同じように戻る」と、どこかで考えていた人が多いのではないでしょうか?

 

2021年春ころまでの認識

 

ワクチン接種が進んで、集団免疫を獲得すれば、

・感染リスクはゼロに近くなる。
・外出時のマスク装着は不要になる。
・2週間の入国後の隔離なしで、海外旅行が出来るようになる。
・宴会も会食も出来るようになる。
・学校では、修学旅行や運動会が出来るようになる。
・友達とBBQや鍋をして、自箸でつつき合って酒を飲み、ツバを飛ばしながら笑い合えるようになる。
・仲間とカラオケに言って大声で熱唱出来るようになる。

と。

 

我が国におけるワクチン接種が始まった、今年の春頃には、そのように楽観的に考えていた人がほとんどだったのではないかと思います。

 

私も、そう思っていました。

ワクチン接種すれば感染リスクは限りなくゼロに近くなり、集団免疫を獲得すれば、日々の暮らしはbeforeコロナと同じように戻るだろう、と。

 

 

 

日々の暮らしも変わり、元に戻らないかも?

ところが、ここ最近になり、極めて強い感染力をもったデルタ株の感染が拡大するにつれて、ワクチン接種が済んでいても感染する人が増えてきました。

 

「私達の日々の暮らしは、beforeコロナと同じように戻る」という楽観論はすっかり影を潜めてしまいました。

ウイルスは、今後も変異を繰り返し、ワクチン接種が進んだとしても感染リスクは下がらないのではないか、という疑いが出てきました。

 

 

もしかしたら、

「私達の日々の暮らしは、元に戻らないのではないか?
いろいろなものをガマンしなくてはならない生活が、今後も続くのではないか?」

というように、認識が変わってきたのではないかと思います。

 

afterコロナニューノーマルという言葉の意味が、変質したと言ってもいいでしょう。

 

2021年9月、今の認識

・ワクチン接種しても、感染リスクはなくならない。
・今後も、外出時にマスクは手放せない。
・海外旅行は、ビジネス出張以外は事実上不可能。
・宴会も会食も不可能。
・学校では、修学旅行や運動会は不可能。
・BBQや鍋は廃止。
・カラオケは不可能。
・ワクチン接種は、インフルエンザワクチンと同じように、これからは、その時期に流行しているウイルス株に対応したワクチンを毎年受けなくてはならない。

といった世の中がしばらく続くのではないか?と。

 

 

 

いつ、日々の暮らしが元に戻るのか?

これはさっぱり分かりませんね。

3年とか、5年とか・・・10年とか続くのではないか?と、いろいろな意見を言う人がいますが、専門家にも予見不可能なのではないでしょうか。

 

中世のペスト禍の歴史を振り返ってみると、パンデミックの期間については諸説あるようですが、wikipediaを参照(笑)すると、

第2次パンデミックは、A.D.1331年-1855年までの524年間、
第3次パンデミックは、A.D.1855年-1960年までの105年間、

続いた、とのことです。

医療レベルも、初等教育の普及度合いも、水道などの社会インフラの整備率も、もちろん今とはまったく異なりますけど。

 

まだ、先が見通しにくいのですが、

いつまでかは期間は分からないが、今のコロナ禍の有事体制における、ガマンを強いられた窮屈な日々の暮らしが、今後何年間か、何十年間か続く可能性がある、ということを与件として考えた方が良さそうです。

 

 

 

「コロナ禍の有事体制」という認識からのエグジットを

今の「コロナ禍の有事体制」は、あくまでもいつかは平時に戻るということが前提となって考えられてきましたが、この状態が、今後の平時=ノーマルになる、と考えなくてはならないのです。

 

(ビジネス目的ではない、遊びの)海外旅行は出来ないし、学校では修学旅行も遠足も運動会も出来ないし、友達や仲間とBBQや鍋もカラオケも出来ない、そんな暮らしが、今後何年か、何十年か続くかもしれない。

でも、それって仕方ないです。

今となっては、もう元には戻りません。

それを前提として、海外旅行以外の楽しみを見つけたり、学校では修学旅行や遠足や運動会に変わる、同じくらい楽しくて教育効果が高いイベントを考えたり、BBQや鍋やカラオケに変わるような何かを作り出していくしか無いんじゃないですかね?

 

(あくまでも、今後の起こりうる未来シナリオの一つとして)

私もまた、大規模なマラソン、トレランレースは今後は開かれないし、海外レースに参加するなんて夢の話なので、新しい楽しみを探すしか無いと思ってます。

次に海外に出られるときは、おじーちゃんになっているかもしれないし、あるいは、それどころか、もう二度と海外に出られることはないかもしれません。

友達とだらだら酒を飲みながらBBQや鍋をやるのは、生きている間は無理かもしれません。

 

 

 

 

 

まあ、個人的には、前向きに考えてます。

これって、新しいイノベーションを目の当たりにする、数世紀に一度くらいの絶好の機会です。不謹慎ですけど、そのように前向きに考えないとやってられないですよね。


1回目のワクチン接種しました。

一昨日、令和3年(2021年)8月27日(金)に、市内の某小児科クリニックで1回目のワクチン接種を行いました。

 

 

ワクチン接種の様子

このクリニックでは、通常の小児科診察の合間に、医師自らが、問診+注射を行っていました。

特に痛みもなく、注射そのものは一瞬のうちにあっさりと終了。
注射箇所は、利き腕ではない方の腕の、三角筋(肩の大きな筋肉)。
その後の経過観察でも異常はなく、すぐに退出してきました。

 

 

副反応など

注射した箇所には、徐々に痛みが出てきて、力を入れたり、腕を持ち上げたりしにくい感じがありましたが、腕を動かさないかぎりは痛みはなく、腫れも生じませんでした。

トレーニング後の筋肉痛のような、三角筋全体の痛みではなく、三角筋の中でも、注射した箇所の周囲だけがピンポイントで痛い、という感じでした。

既に2.5日間経った今では、ほんのり違和感が残っている程度です。

痛み、腫れ、発熱などは、免疫反応の一種だそうなので、体内で抗体を作る上では必要なプロセスであるはず。
むしろ、適度な痛み、腫れ、発熱があった方が、望ましい状況であると言えるのかもしれません。

 

前日に別の市内の整形外科クリニックで1回目のワクチン接種した妻は、もっと酷い痛みが出てうめいていたので、これが年の差によるものなのかもしれません。

尚、そのクリニックでは医師が問診をして、看護師が注射をしたそうです。

 

 

2回目の予約

小児科クリニックで注射した直後、医師より、2回目の接種日時として、3週間後の同曜日・同時刻を指定されたメモを渡されました。

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この日時、私は変更不可能な予定が入っていたので、変更を依頼したのですが、

原則として変更は出来ないが、夕方なら何とか変更できるかも、ダメなら後から電話してね、当日にキャンセル電話くれても大丈夫だから・・・と、何とも歯切れの悪い説明。

自分の先約はどうしてもずらせないものなので、その場で変更交渉を継続してもよかったのですが、たかだか私の予定の調整ごときで、医師の貴重なリソースを消費するほどでもないだろうと思い、後日電話することとして、その場は一旦、指定日時で仮OKということで承って退出してきました。

 

後で妻に聞くと、妻も、2回目の予約日時を一方的にクリニック側から指定されたとのこと。
その日時は無理である旨回答したところ、どうやら、「それでは、2回目は蕨市のweb予約システムで自ら予約してください」というような説明を受けたらしい。

 

 

「2回目の予約を接種日時は、1回目の接種クリニック側が一方的に指定する」というルールは、個々の接種会場(クリニック)が独自に設けたルールか、蕨市が全接種会場に蕨市統一ルールとして指定したものかは、不明です。

どちらだとしても、蕨市web予約システム上で、1回目の予約を申し込む時点で、当該接種会場は、あるいは、全ての接種会場は、1回目の接種日時が確定した時点で、自動的に2回目の接種日時が3週間後の同曜日・同時刻に指定され、変更は不可能(ないしは困難)です、という告知が為されるべきですが、そのようなワークフローになっていません。

そのような注意書きがあれば、最初から1回目と2回目の日時をセットで調整するのに。

 

 

勤労世代であれば、平日昼間に一方的に指定された日時に都合をつけることは難しい場合が多いでしょうから、変更手続きをしなくてはならないケースが多いでしょう。

現状では、エンドユーザにもクリニックにも負担がかかる上に、場合によっては、ワクチンのバイアル1本から5~6人分接種ができるそうですが、使い切れずに無駄に薬液を廃棄しなくてはならない事態が生じてしまうかもしれません。

 

 

ワクチン接種、もっとスピードアップ出来ないのか?

ワクチン接種券が届き、1回目接種の予約しました。

ところで、こちらの記事で書いたように、私の場合は、7月8日に接種券が届いて、すぐにweb予約したのですが、最早で取れた日時が、8月27日でした。

蕨市が特に遅いというわけでもなく、どこの市町村もスピード感としては、ほぼ似たりよったりのようではあります。

7週間待つ必要があったわけですが、もっと接種のスピードを早めることは出来ないものでしょうか?

 

どこに問題があるのか?
あるいは、どこかに、修正すればさらなるスピードアップが可能になる改善ポイントはないのでしょうか?

ボトルネックは、
(1)ワクチンの供給か?
(2)医療リソースの確保か?
(3)接種会場の確保か?

 

これ、自分なりに調査してもおりますし、行政当局にも聞いたりしてるんですけど、ちょっとよく分からないんですよね。

一応、行政当局による説明では、(1)ワクチンの供給がボトルネックだそうです。

つまり、国からの(1)ワクチンの供給量が増えれば、もっとスピードアップできる、と。
しかしながら、(1)ワクチンの供給は国マターなので、市レベルでできることは何も無い、と。(2)医療リソースの確保と(3)接種会場の確保は十分だ、と。

そうなると、

日本アンテナ、蕨工場の一部をワクチン接種会場として埼玉県蕨市へ提供

日本アンテナ株式会社(本社:東京都荒川区西尾久7丁目49番8号、代表取締役社長:瀧澤 功一、以下 日本アンテナ)は、新型コロナワクチン接種会場として当社蕨工場の一部を埼玉県蕨市に提供いたします。 …

9月中旬から、市内企業の建物・敷地の一部を、接種会場として新たに提供してもらうことになったのですが、(3)接種会場の確保 は、既に満ち足りており、分量が増加したところで何の意味もなく、(1)ワクチンの供給量が増えなければ、ワクチン接種ペースには何らの変化もあり得ない、ということになります。

 

あるいは、現在、蕨市のワクチン接種は、個別接種会場(クリニックなど)、集団接種会場とを問わず、すべてファイザーのみなのですが、モデルナやアストラゼネカでも良しとするならば、国からの供給量を増やしてもらうことは可能なのではあるまいか?

 

といった疑問の段階で、今のところは止まっております。


『星落ちて、なお』読みました。

澤田瞳子, 『星落ちて、なお』は、河鍋暁翠画伯を主人公として取り上げた、今年 令和3年の直木賞を受賞した小説です。

河鍋暁斎氏は、狩野派に学んだ正統な日本画家ですが、おどろおどろしい骸骨の絵や、風刺画など、枠にとらわれずに独自の画風を作り上げていった画家で、誰もが認める天才です。

澤田瞳子氏の小説は、たぶん2/3くらいは読んでます。

http://kyosai-museum.jp/hp/top_page.htm

河鍋暁斎美術館が蕨市内にあるという縁で、蕨市民にはとても親しみのある画家であります。

 

ということで、koboで買って読んでみました。

 

 

 

話の中には、河鍋暁斎画伯本人は出てきません。
冒頭から、暁斎画伯の葬儀のシーンから始まります。

主人公は、そのお嬢さんである、画家の河鍋暁翠氏です。
不勉強ながら、お名前を私は知りませんでしたが、この方はこの方で、絵画史に名を残している一流の画家であり、暁斎の画風の後継者です。

 

河鍋暁斎画伯は、河鍋派と呼んでもいいくらいの独自の画風を打ち立てたのですが、ご本人のあまりにも不世出の才能に依る部分が大きく、また、折しも、明治維新の時期であり、古典的な日本風のものが疎まれ、西洋風のものが持て囃される風潮に一気にシフトしたため、数百人もいた門弟は散り散りとなり、時代遅れとの評価を受けることとなってしまいました。

(門弟が四散してしまったのは、江戸時代までの徒弟制が崩壊し、明治時代になって西洋型学校教育システムが導入されたことも大きな理由の一つです。)

 

そのような中でも、河鍋暁斎氏の、あまりにも飛び抜けた才能と、多くのものを犠牲にしながら絵描きという仕事へ注ぎ込んだ膨大なエネルギーは、強力な引力を持ち、子孫や、弟子や、パトロンなど周りの人たちを巻き込んでしまいます。

その力は凄まじく、死して尚、その後何十年にも渡って、周りの人たちの人生をも束縛し続けます。

 

商才に恵まれていたはずのパトロンの大店の商人は、遊蕩に明け暮れて身を持ち崩し、最も著しく画才を引き継いでいたはずの長男の画家は、時流に乗れずに不遇のうちに亡くなり、・・・というところで、これ以上はネタバレしないように書きませんが、

 

この、暁斎画伯の類まれなる才能とエネルギーが持つ引力に、否応なく巻き込まれてしまった、周りの人たちは幸せだったのだろうか?

というのが、この小説の一つのテーマであります。

 

 

 

話全然変わりますけど、今はちょうどお盆休みなのですが、新型コロナ第5波による感染拡大が続いていることもあり、家に籠もって、妻とネトフリで映画を見まくっているのですが、

『ラ・ラ・ランド』

これ見たんですよ。

 

カフェでバイトしながらオーディションを受け続ける、女優になりたい女と、「ジャズは死んだ」と言われる不遇の時代にあって、伝統的なジャズを復興させたい男が、恋に落ちながら、それぞれ夢を追い求めるミュージカル映画なのですが、

 

ネタバレしないように書くのは難しいのですが・・・

恋と夢と、両方を欲張りにも得ることは、至難の道なのです。

 

この映画のエンディングを、ハッピーエンドとみなすか、バッドエンドと感じるかは、その人の人生観に依るでしょう。

 

 

いかに才能に恵まれようとも、いかに努力を重ねようとも、何かの道、何かの夢を極めようとすれば、何かを犠牲にしなくてはならない、周りの人たちをも巻き込んでしまうことすらある、ということでしょうか。

 

 

とうことで、この小説の感想を一言でまとめると、

平凡が一番

凡夫たる私には、これしか出てきませんね。


東京オリンピック終了

昨日、令和3年(2021年)8月8日、東京オリンピックが閉会しました。

 

足元では国内における新型コロナウイルスの感染拡大、医療資源の逼迫が続いておりますが、オリンピック開催との因果関係については何とも言えません。

いわゆる感染防止のためのバブル方式などは、ちらほら伝え聞くところによると、運用レベルでは全然うまくいっていなかったようですが、少なくとも、選手、運営、ボランティアの間でのクラスタ発生は起きていないようです。

「復興五輪」にも「人類が新型コロナウイルスに打ち勝った証」にもなりませんでしたが、まあ、概ね、単体で見るとオリンピックそのものは成功裏に終わったと、当面のところは評価していいのではないかと思います。

 

自転車オムニアムで梶原悠未選手が銀 アクシデント続出の中(FNNプライムオンライン) – Yahoo!ニュース

東京オリンピック最終日に、快挙達成。 自転車競技で、梶原悠未選手(24)が日本女子初となる銀メダルを獲得した。 【画像】日本女子史上初のメダル獲得! 喜びを母とともに 競技の全てが詰まった過酷なワンデイマッチ。 観客およそ900人、最前列に陣取るのは母・有里さん。 最初の種目で、観客席がどよめいた。 落車をまぬがれた梶原選手は、2位でゴール。 そして3種目め、周回ごとに最後の選手が脱落するエリミネーションで、梶原選手が抜け出した。 抜群のスタミナと確かな戦略眼で、サバイバルレースを勝ち進んだ。 総合2位を守った梶原選手。 最後の種目は80周、20kmのポイントレース。 レース終盤、梶原選手に思わぬ落とし穴が待っていた。 残り9周で、まさかの落車。 心配そうに母・有里さんが見つめた。 梶原選手はすぐにペダルを踏みレースに復帰。 瞬発力と持久力、そして精神力を尽くす過酷な闘いを制した梶原選手。 日本女子史上初めてのメダリストが最初に駆け寄ったのは、母の元だった。 梶原悠未選手「(母に)金メダルを取れなくてごめん。でも本当に、今までありがとうと伝えました」 FNN

個人的には、自転車オムニアムで梶原悠未選手が銀メダルを獲得したのが嬉しいです。

面識ありませんし、自転車オムニアムなる競技種目がどんなものなのかもよく知りませんが、筑波大チャリ部の後輩であり、とても誇らしく思います。

 

 

また、オリンピックと全然関係ありませんが、

TJARが台風接近のため、開催3日目ながら中止が決定されたとのことで、選手や関係者の心中を察するととても残念に思います。


東京オリンピックは、後世にどんなレガシーを残せるだろうか?

さて、東京オリンピック、始まってますね。

東京都内を訪れるわけでもなく、すぐ近所を会場として開催されているわけでもなく、どこかの会場を訪れて観戦できるわけでもなく、結局は、各種メディアを通じて見聞きするだけなので、いまいちリアリティが感じられないのですが、それでも楽しいです。

自転車のロードレースのコースである道志みちは、よく走るコースでもあり、ぜひ現地で見たかったところなのですが、このコロナ禍でそれは叶わず、残念でした。

 

 

前回、昭和39年の東京オリンピックは、本当に素晴らしいレガシーを、私達、後の世代に残してくれました。

東海道新幹線も首都高も、昭和39年東京オリンピックの直前に造られたもので、オリンピックのレガシーです。

戦争で負けてからまだたったの19年間しか経っていないタイミングなのに、オリンピックを開催して、よくぞあんな立派なものを造って、後の世に残してくれたものだ、と感激します。

 

私が初めて海外旅行したのは、大学3年生の時、1995年に、ベトナムへ行ったのですが、これは、1975年のサイゴン陥落から20年後ということで、だいたい戦後ということでは、東京オリンピックを開催した昭和39年当時の我が国と同じくらいのタイミングでした。

当時のベトナムは、まだまだいろいろインフラも整っていなくて、国全体で交通信号機が3機しかない、という状況だし、全然オリンピックを誘致できるような体力があるわけではなく、有史以来の教育に力を入れてきた民族的背景、他民族に侵略されたことがないという歴史、諸々のインフラの蓄積があることや、ベトナムと異なり本土決戦が行われなかったなどの条件の違いを除いても、我が国の戦後復興がいかに目覚ましく素晴らしいものであったかということを感じ入ったものです。

 

 

 

妻が、どこかで何かの、昭和39年東京オリンピックのレガシーを解説するTV番組を見ていたそうなのですが、その中で、ハードウェア面の変化に加えて、オリンピック前後での日本人のメンタリティの変化を取り上げていたそうです。
(このTV番組、今となっては、どこのTV局の何という番組か分からないのですが)

 

 

昭和39年東京オリンピック以前は、我が国の鉄道列車の車両の中は、靴が埋まってしまうくらい、弁当の箱やら何やらゴミだらけだったのだそうです。

走っている列車の窓からゴミを投げ捨てるのは当たり前。

今では考えられないですね?

このような日本人のメンタリティが変化したのは、東京オリンピックが契機だったのだとか。政府が大々的に行った「街をきれいにしよう」キャンペーンの成果によるものなのだそうです。

 

 

そう言えば、夏目漱石の『三四郎』の序盤で、大学に進学するために九州から鉄道で上京する主人公が、食べ終わった駅弁の箱を、走っている窓から投げ捨てて、残飯の一部が向かいの席に座っている女性の顔にかかってしまった、というシーンがありました。

1995年に私がベトナムを訪れた時、サイゴンからハノイまでの統一鉄道の寝台列車にフエ経由で2晩かけて乗ったのですが、たまたま途中までコンパートメントに乗り合わせた方々と話をして仲良くなったところ、ベトナム国鉄の職員さんたちでした。

この人達も、当たり前のように、弁当のゴミやら何やらを窓から投げ捨てていました。

 

 

私の亡き父親も、昭和50年代には、当たり前のように、ガムの包み紙やらタバコの吸殻やらを、路上や、ドブに捨てていました。

母親に「子供の前では止めてっ!」と叱られていましたが、おそらく、何がどのように悪いか、父親も母親も分かっていなかったんじゃないですかね?

 

 

ついでに言うと、共産中国の長距離鉄道列車の硬座の車両内なんかも、ちょっと前まではゴミだらけと言われていましたし、北京の胡同を歩くといまだに排泄物の芳しい香りが通りの角を曲がるたびに漂ってきますが、あと数年で劇的に変わるでしょうね。

中共は、国全体が、数年後にはすごくきれいでクリーンな国になるでしょう。

その国の国民のメンタリティは、何かのきっかけさえあれば、一瞬のうちに劇的に変わるものです。

 

 

なんか話が長くなりましたが、私達は、多大な犠牲を払って、この度の2回目の東京オリンピック・パラリンピックを開催する以上、何らかのレガシーを後の世代に確実に残すべきだと思います。

 

それは、ハードウェアのように、「今後、50年、100年と使い続けられるように」と、意図して作り上げるものだけではなく、後に振り返ってみれば、「そう言えば、あれが令和の東京オリンピックのレガシーだった」と数十年経ってから結果論的に評価されるようなソフトウェア的なものも含みます。

何らかのレガシーを後の世代に残さなくては、わざわざ、ここまで多大な犠牲を払ってとオリンピック・パラリンピックを開催する意味はないと思います。


首都高のダイナミックプライシングが始まる。

五輪で大規模交通規制 首都高値上げや専用レーン

(更新) 日経の記事利用サービスについて 企業での記事共有や会議資料への転載・複製、注文印刷などをご希望の方は、リンク先をご覧ください。 詳しくはこちら 東京五輪の開幕を控え、19日から都内など各所で大規模な交通規制が始まった。首都高速道路は日中・夜間の通行料金が引き上げられ、一部入り口も閉鎖される。会場周辺の道路では大会の関係車両の「専用レーン」も設けられた。 …

東京オリンピック・パラリンピックの開催が目前に迫っており、都内幹線道路の交通量を減らすことを目的として、大会関係車両専用レーンの設置と合わせて、首都高のダイナミックプライシングが始まりました。

高速道路については、従来も、時間帯や曜日によってETC支払いにおける料金を割引する、という形での、事実上のダイナミックプライシングは行われていましたが、メリットよりもむしろ、割引時間帯になる間際に、SA・PA付近や料金所手前で大型トラックの危険な迷惑駐車が増えるなどの弊害の方が多く指摘されてきました。

今回の施策は、

・現金支払いも含めた全ユーザが対象である
・割引額ではなく課金額そのものを変動させる

という点で、いまだかつてなかった初めての試みです。

 

 

これ、大いに期待したいですね。

狙い通りの効果を上げれば、今後、公共交通インフラのみならず、世の中の様々な料金体系にダイナミックプライシングが取り入れられていくことになるでしょう。

私は、市場を愛し、神の見えざる手を信頼しております。
(原理主義ではないつもりですけど)

このような大きな流れが、社会をより良く変えていくものと確信しております。

 

 

そう言えば、余談ですが、カカクコム社で経営企画系の仕事をしていた時に(確かIPO前だったか?)、クチコミセミナーのプレゼン資料のキャッチコピーとして「クチコミが、神の見えざる手をサポート」というものを考案したことがありますが、今、ググったら、当時のITmediaの記事にこのコピーが取り上げられていました。あれは、今でも秀逸だったと自画自賛しております。