2012年4月 津波の被災地に行ってきた。(4)牡鹿半島

牡鹿半島は、静かな小さな集落がたくさんあります。

(以下、すべての写真はクリックすると拡大します)
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2004年8月、バイクでツーリングしたときの写真
上の写真のように、小さな漁港を中心に、海沿いから山あいに、十数軒~数十軒くらいの家々が広がっております。
ほぼすべての集落が津波の被害を受けたようです。
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倒壊した家屋はすべて解体されておりましたが、道路や配管、土台の類はまだ地面に残っており、「更地」になっている訳ではなく、このままではこの地に新たに建物を建てることは出来ません。
細かい破砕クズも地面一体に転がっています。
写真の遠くに見えるように、アパートなどの躯体の頑丈な大きな建物は、廃墟になっているものの、解体されずに残っていました。
これから解体されるのか、躯体をそのまま再使用するものなのかは不明。
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漁港沿いの倉庫(作業場?)
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漁港の波止場が、地盤沈下しています。
牡鹿半島は、全般的に、地盤沈下、地盤隆起が起こったようです。
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これは公民館でしょうか。
何らかの公的な建物のようですね。
中を綺麗に掃除すれば、再び使えそうではあります。
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海沿いの道路の山側に、小さなボートがひっくり返っていました。
この種の、陸地に乗り上げた船の類は、おおむね撤去されていましたが、一部がまだ残っていました。
電柱は、震災後に新設したものではないかと推測します。
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石碑に近づいてみると、
昭和八年三月三日
地震があったら津浪の用心
忘るな火の元の注意
先に老幼、続いて避難第一
昭和8年3月3日ということは、昭和三陸地震のときに建てられた石碑です。
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海沿いの道路の、ひび割れ。
白くペンキで線を引いてあり、遠くから判別しやすくなっています。
この程度のひび割れでも、気付かずに減速せずにクルマで乗りかかると、車体が飛び跳ねてお腹を擦ったりします。
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路面のアスファルトがひび割れて剥がれたところに、土のうを積んだもののようです。
土のうは既に袋が破れ、中身の砂が散乱していました。
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牡鹿コバルトライン
牡鹿半島の尾根を貫く、観光客向けの道路。
当初は有料道路でした。
全面的に道路が崩壊しているようで、今に至るも通行止めとなっています。
山の中には人家はなく、生活道路ではないために、優先順位が低いのでしょう。
これらは、津波ではなく地震の被害によるものです。
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この程度の道路崩落は、ちょくちょく見かけました。

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石巻市立谷川小学校
場所はここ。
海沿いとはいえ、高台に建てられた学校の校舎ですが、2階まで津波をかぶったようです。
ぐぐってみると、校舎は全壊したもの、生徒、教職員はさらに高台に避難して、無事だったとか。
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2004年8月にツーリングした折りのキャンプ地
当時、牡鹿半島の西岸のどこかの集落の、海沿いの公園に張りました。
夜中に波の音がやたらと大きく聞こえて、妙におっかなかったのをよく覚えています。
一晩の軒先を借りたこの公園を探しましたが、全壊していたようで、見つからず。

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