2025年3月 東日本大震災被災地巡り 石巻市 南浜町・門脇町地区

令和7年(2025年)3月、東日本大震災の被災地を訪問するシリーズ。

 

石巻市中心部を訪れた過去の記録は、

2012年4月に訪問した時(震災から1年後)
2012年4月 津波の被災地に行ってきた。(3)石巻

2014年4月に訪問した時(震災から3年後)
東北被災地巡り その3 石巻

2017年5月に訪問した時(震災から6年後)
2017年 東北被災地巡り(3) 石巻

 

 

南浜地区と門脇地区の被災状況の概要

海岸からは、800mくらいは平らな土地が続いています。

震災前は、南浜町、門脇町ともに住宅が密集して立ち並ぶ、住宅街でした。石巻市立病院も南浜町に所在していました(今は石巻駅前に移転)。

ほぼ全域が津波をかぶり、建物はほぼ大破し、数百名規模の死者を出しています。津波によって流されたガレキに引火して、大規模な火災も発生しています。

 

今日では、南浜町においては、人家はゼロであり、居住人口はゼロです。門脇町も、居住人口は減りました。

南浜町は、ほぼ全域が石巻南浜津波復興祈念公園という、静かで広い公園になっています。

 

 

旧 門脇小学校の被災状況

門脇小学校は、海岸からは800mくらいの後背の丘のふもとに位置していますが、高さ1.8mの津波がここまで押し寄せています。

ガレキが引火して火災が発生し、3階建て校舎の3階まで火が燃え広がりました。

 

後背に山が位置していて避難しやすいという地理的条件、日頃から訓練を重ねていた成果により、発災時に学校にいた生徒・教職員の人的被害はゼロでした。

(下校途中の低学年児童が7名、犠牲になっています)

 

前述のように、南浜町、門脇町の居住者はほとんどいなくなったため、学校は2015年に廃校になっています。

 

 

震災遺構 門脇小学校を見学

震災遺構として整備し、2022年にミュージアムとして有償(大人は600円)で一般公開しています。

 

私は、ここを訪れるのは初めてでした。

202503 石巻市 門脇小学校跡

遠くから校舎を見たところ。

写真右側の建物は、展示・事務棟。

 

後背の小高い丘は公園となっており、学校では、日頃からここに避難する訓練を行っていました。

 

202503 石巻市 門脇小学校跡

津波をかぶったのは、おおむね1階程度までだったようですが、前述のように、火災によって3階までが外装はボロボロになっています。窓ガラスは割れたまま。

この樹木は、震災後、若い芽が出てきて育ったものだそうです。

 

入場料を支払って、中に入ります。

202503 石巻市 門脇小学校跡

1階の校長室。

津波+火事の両方により被害を受けています。

3月11日といえば、年度末ですが、作成済みの通知表は金庫の中に保管していて、無事だったそうです。

 

202503 石巻市 門脇小学校跡

廊下。

 

202503 石巻市 門脇小学校跡

火事で焼けたままの姿。

机とイスは、木の部分は燃え落ち、金属パイプ部分のみが残っています。

 

 

それにしても、よくも被害にあった姿のまま残していたものです。

机やイス、什器のそれぞれを、全く動かすことなく、そのまま保存して、これを見学できるようになっています。

 

 

心情的には、このような姿を目にしたら、片付けたくなるものです。

敢えて片付けたい気持ちを抑えて、後世への教訓とするために、そのまま残したのではないでしょうか。

この学校の校内での人的被害が1名でも出ていたら、やはりそうはいかなかったでしょう。

 

202503 石巻市 門脇小学校跡に展示されている消防団車両

体育館が、展示コーナーとなっています。

牡鹿地区の消防団車両が、津波で流されて大破した姿で展示されています。

 

他にも、体育館内部には、仮設住宅の実物も改築展示されていました。

 

 

石巻南浜津波復興祈念公園

202503 石巻南浜津波復興祈念公園

石巻市内の犠牲者全員の名前を記した慰霊碑がありました。

石巻市内だけでも、3千2百名が死亡しています。(行方不明者を除く)

後ろに見えるのは、石巻市営 門脇西復興住宅です。

 

 

公園の中央部には、みやぎ東日本大震災津波伝承館が建っており、ここは無償で見学することが出来ます。

 

 

伝承館は、いつまでやるのかな?

伝承館、これは必要だと思います。

 

既に大震災の発災から14年が経ちました。今の中学2年生が生まれたときです。今の中学生以下は、リアルタイムに体験していないのです。

 

伝承館の果たすべき役割って、2つあると思うんですよ。

  1. 新しい世代に対して、教訓を伝える。
  2. (遺族の方にとって)自らの家族がその日にどのように被害に遭ったのかという記憶を子孫に伝える。

あと70年くらい経てば、「その時点で生きている世代」全てが、リアルタイムな震災の体験をしていない、ということになります。

語り部もいなくなります。

その時がくれば、引き続き1「教訓を伝える」は必要だとしても、2「記憶を伝える」は、伝承館という形で行う必要はなくなるかもしれませんね。

 

 

博物館・ミュージアムって、維持費が膨大にかかります。かと言って、中途半端な低予算で運営し続けようとすると、様々な展示物は年月が経つにつれてだんだん色褪せて古臭くみえてきて、伝えるべき教訓・記憶までがショボく感じてきてしまうんですよ。

上記の旧 門脇小学校のような、震災遺構も、エレベータを設置したり、外壁の剥離予防の工事を施すなど、開設までに8億5千万円の費用がかかっています。常勤スタッフは何人もいるし、ランニング費用もかかります。

 

 

私のこの考察に対して答えはないのですが、今、私が思い出したのは、桜島の埋没鳥居です。

2005/3 桜島埋没鳥居

2005年3月に訪れた、桜島、黒神の埋没鳥居。

 

大正3年(1914年)の桜島の大噴火の際に埋まった鳥居です。

後に氏子の方々は掘り起こそうとしたそうですが、当時の村長の英断により、そのまま残り、噴火の恐ろしさ、被害の大きさを雄弁に語り続けています。

これはランニング費用ゼロですね。

「教訓を伝える」成果とランニング費用を考えた場合、コスパ抜群の方法と言えます。


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