今年の夏休みは、直前にならないと休みの日程がなかなかfix出来なかった。
休みが決まった時には、直前過ぎてエアはどこも高いし、北海道行きフェリーは、さんふらわあだいせつの火災で便が取りづらく、九州に走りに行くことにした。
主たるテーマは戦跡と温泉巡り、ちゃんぽんを食べること。
そんなわけで、直前に予定が決まったので、ほとんど下調べしていなかった。
しかし、ある種の情報を求めていると、具体的にこちらから探し当てなくても、情報の方からこちら側に飛び込んで来ることがままある。
今回は、そんな偶然が幾つも重なったりした。
東名で大阪へ、大阪南港から志布志行きのさんふらわあきりしま。
マイクチェックだ、おらぁ!
志布志には、JCの活動をしていたときの仲間がいる。
せっかくなのでちょっと立ち寄って行くべきところだが、不義理をして通過してしまった。
しかし、その後、僕のFBの投稿を見たその仲間から、今どこにいるん、おいでよ?と連絡を受けた。仲間とはありがたいものでありますな。
志布志は初めてだが、大きな港。
街は小さいけど。
港には大きな倉庫やサイロが立ち並んでいた。
走りだすやいなや、フェリーの中で出したはずなのに猛烈な便意を催し、道端の公衆トイレへ駆け込んだ。
すると、
内之浦砲台跡
米軍による志布志湾上陸に備えて陸軍の工兵部隊が造った砲台跡だそうだ。 結局、使われることはなかったみたいだ。 便意を催していなかったら、知らずに通り過ぎているところだった。
南大隅町の、薩英戦争当時の薩摩藩の台場跡
これも、ハラヘッタからどこかで何か食べたいなーと思いつつ、きょろきょろしながら走っていたら、偶然見つけた。
石垣は長い距離に渡って残っているようだが、このようにいかにも砲を置くような形で残っているのはココだけらしい。
砲はさすがに左右に稼働して角度を調整出来るような仕組みだったのだろうと思うけど、こんな狭い範囲にしか向けられないのだったら、なかなか撃つチャンスなんてないんじゃないかな?
海軍鹿屋航空基地
ここは前から行きたかったところ。初めて訪れた。 現役の海上自衛隊の基地であり、一般の人も好きに出入りできる史料館がある。
こ、これは・・・もしかして、二式大艇ちゃんかも!
現存するただ一機の二式大艇らしい。
かっこいいなー。 こうしてみると、飛行艇というものは、この時代にほとんど形が完成してしまっていることが分かる。 大東亜戦争時代の戦闘機と、現代の戦闘機を比べたら、まるで別物のように姿形が異なるが、現代の飛行艇は、二式大艇と(素人目には)ほとんど同じような形をしているように見える。
館内に展示してあった水上機母艦秋津洲の模型。
こうやって二式大艇ちゃんを積んでいたんですな。
これは戦闘力も防御力も無さそうだ。
尚、正しくは秋津州ではなく、秋津洲であります。
日露戦争における旅順港閉塞作戦の英雄、広瀬武夫中佐の書。
比叡の主錨。
ひえー。
しかし、何故ソロモンで沈んだ比叡の主錨がここにあるのかは不明。
レプリカでは無さそうだが、偽物の可能性もある?よく分からない。
桜島フェリーで薩摩半島へ。
その2に続く。