天津風艦長の本読みました。


森田友幸, 2004, 『25歳の艦長海戦記―駆逐艦「天津風」かく戦えり』 , 光人社

 

さて、みんなが大好きな艦これにおいて、来月のアプデで駆逐艦天津風が実装されるらしいので、どんな艦なのか調べているうちに、この本にたどりついた。

 

陽炎型駆逐艦9番艦天津風は、後に駆逐艦島風に採用される高温高圧ボイラーを試験的に搭載していた。天津風の最大速力は35ノット、島風は40ノット。この高温高圧ボイラーは、商船改造空母飛鷹、隼鷹にも搭載された。

 

島風、飛鷹、隼鷹と陽炎型駆逐艦雪風、不知火で艦隊を組んでみました。 (何故かついうっかり軽巡川内も入ってしまった。)
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本書は、天津風の最後の艦長である森田友幸大尉の手記である。

 

当時、駆逐艦艦長としては25歳という年齢は、帝国海軍の中でも最年少だったようだ。今の海上自衛隊で、最早で25歳でどこまで出世できるかどうか分からないが(期間1年間の幹部候補生学校を卒業するのが23歳として、その時点で三尉)、護衛艦の艦長は二佐以上のはずなので、25歳で艦長は無理だと思う。

 

森田艦長がシンガポールにて艦長を拝命したときは、天津風は艦首を破断して、応急艦首をつけたのみの状態で、内地に回航して本修理をせざるを得ない状況だった。

 

天津風は、油などの様々な物資を、シーレーンを通って内地に運ぶ商船コンボイの護衛としてヒ88J船団に、駆逐艦、海防艦数隻とともに編入される。

 

天津風が速いと言っても、コンボイは荷物満載の商船のスピードに合わせて10ノットくらいで進む。シンガポールを出発したヒ88J船団は、米国の航空部隊と潜水艦の攻撃を受けて商船が全滅して失敗。 次いで天津風は、香港にて同じように組織された商船コンボイ、ホモ03船団に編入されるが、これも同じように米国に攻撃されて商船は全滅。天津風は敢闘して沈没は免れたものの、修理不可能なダメージを受けて、厦門にて自沈処分することとなった。

 

本書は、戦後数十年を経てから認められたもので、それだけに、かなり艦長の個人的考えが率直に書いてある。

 

 

戦略レベルで、大艦巨砲主義、艦隊決戦主義に固執した失敗

既に言い尽くされたことではあるが、マレー沖海戦において史上初めて航空戦力のみで当時最新鋭の戦艦プリンス・オブ・ウェールズとレパルスを含む英国東洋艦隊を撃破し、大艦巨砲主義に終焉を告げさせしめたにもかかわらず、時代遅れの大艦巨砲主義、艦隊決戦主義に固執してしまった帝国海軍上層部を批判している。

 

個人的な考えだけど、 艦隊決戦にはロマンがあり、航空戦は飛び道具を使った、あくまでも補助的なものであり、どちらかと言えば邪道、という考え方があったのではないかと思う。

 

これは、日本人のメンタリティに照らし合わせると、何となく理解できる。

 

織田信長が長篠の戦で我が国史上初めて鉄砲を使った戦いを行い成功をおさめたが、後に続いて鉄砲兵力の増強に努める武将が出てこなかったのは何故なのか?

 

やはり、鉄砲を使った戦いは、あくまでも補助的なものであり、どちらかと言えば邪道、という考え方が支配的だったからだと思う。

 

一対一の騎馬戦の方がかっこ良くてロマンがあるし。 戦国時代の各武将は、長篠の戦の情報を集めて正確に分析し、鉄砲を使う戦い方が効果が高いと理解しつつも、ロマンを求めて己の美意識に酔いがちで、従来の戦い方を捨てることは出来なかった。

 

大東亜戦争における帝国海軍上層部も、航空戦、潜水艦戦が効果が高いと理解しつつも、従来の戦い方を捨てることは出来なかった。

 

戦術レベルでも、対航空機戦、対潜水艦戦への備えをまったくしていなかったことの失敗

トップや幹部連中が愚かでも、バカげた命令指図をてきとうにこなしつつ、現場レベルで創意工夫していつの間にか改善改良を加えていくのが、日本の組織の優れたところ。

 

大東亜戦争当時も、帝国海軍の現場レベルでは、対航空機戦、対潜水艦戦の備えをしないことには、一方的にやられるばかりで話にならないことは分かっていた。

 

ヒ88J船団、ホモ03船団が組織された当時、シーレーンの制空権は既に敵方に握られており、敵方の潜水艦もうようよしていた。 しかし、天津風を含む帝国海軍の護衛艦隊は、航空機に対しては、レーダーを積んでおらずに目視のみ(レーダーは1930年代に実用化されている)、武器はまともな高射砲はなく機銃中心、沿岸の基地からの航空機による空対空の支援もほとんど期待できず、高高度爆撃に対しては為す術無し、という状況だった。著者は、魚雷を空に向かって発射できたらいいのになーと思った、と書いている。潜水艦に対しては、ソナーは無く(ソナーも当時は既に実用化されている)、敵方の潜水艦がほんの一瞬浮上して潜望鏡が海面に浮かぶのを目視で探すことだけしかできなかった。武器としては爆雷は持っていたが、勘で投げるだけ、みたいな感じだったようだ。

 

対航空機戦、対潜水艦戦ともに、道具がなければ訓練もしておらず、これでは相手にならない。 どんなに現場が優秀でモチベーションが高くても、そもそも道具がなければダメだ。 著者は、ヒ88J船団もホモ03船団も、失敗するべくして失敗したと、作戦を立てた上層部を批判している。

 

古い考えに固執してしまった原因

私見だけど、 当時の帝国海軍のように、状況の変化を正確に理解しつつ、間違っていると分かっていながらロマンを求めて時代遅れの古い考えに固執してしまう失敗は、我が国の様々な組織で日常的に起こっているし、今後もなくならない、と思う。

 

国民性とか民族性みたいなものに根ざすものは、100年、200年単位では変わらない。

 

どうすればいいか?

 

(これは国民性、民族性とは関係ないが、)人は、年を取ると、新しいものを理解出来なくなってしまう。

 

これは、知性とかその人の努力が足りてる/足りてないとは関係ない。

 

そもそも、年を取ると、誰でも、新しいものを理解出来なくなる。 世の中の大きなトレンドが変化しているという事実を感じ取ることは出来るし、新しいテクノロジと、それを背景にした新しい思想、方法論が生まれている、ということまでは理解出来る。しかし、その中身を理解することは出来ないし、ましてや、それを使いこなすことは出来ない。

 

例えば、私は、ネット業界のマーケティングと事業開発が本業なので、一通り業界トレンドはおさえるようにしているけど、実は未だにソシャゲのどこが面白いのかよく分からないんだよね。たぶんこれからも理解できることは無いと思う。 90年代末に勃興したネット業界は、私の世代がほぼ最高齢くらいで、今、中心的に活躍している世代は私よりはるかに年下の世代なので、やっぱりライフスタイルも考え方も全然違う。 ガンホーのパズドラのどこが面白いのかさっぱり分からない。 サイバーエージェントのガールフレンド(仮)はかろうじて面白さが理解出来るけど、あれはソシャゲというよりもギャルゲーの範疇で捉えるべきものだと思っている。

 

既得権が存在しないネット業界であれば、年功序列要素は皆無で、リーチとかユーザ数とか売上高とかの数字が全てである。お金だけではなく、世の中にどれだけインパクトを与えたか、人々の暮らしを変えたか、ということも高く評価される(例えば、twitterなんか未だに赤字だけど、社会を良い方向に変革したサービスだとしてとても高く評価されている)。これらはすべて定量的に評価できる。

 

新世代が数字の結果を上げていれば、自ずと結果を出せない旧世代は舞台から退場していくことになる。

 

しかし、定量的なKPIを持っていない領域であれば、ましてや年功序列要素がある領域であれば、世代交代は起こりにくい。特に官僚組織はこのようになりがち。

 

知恵は蓄積していくし、年を取れば取るほど、おおむね深まっていく。
(退化していく人もいるとはいるけどねw)

 

しかし、知識は理解できないものはどんなに努力しても理解できないし、使いこなすことは出来ない。

 

旧世代にできることは、新世代の邪魔をしないようにすることだけだ。

 

一般的に「知識はお勉強すれば学べるけど、知恵は経験を積んで体得していくしか無い」と思われているけど、実はこれは逆であることが分かる。

 

知恵は、逆に言うと、経験さえ積めば年齢に関係なく体得するすることができるし、あるいは、知恵を持った人物を参謀/顧問/社外取締役/メンター/相談役などの形で雇って、適宜相談して分けてもらえばいい。

 

しかし、テクノロジに関する知識は、分からない人はどんなに努力しても分からない。それを理解して使いこなすためには、センスが必要だ。

 

たぶん、よその国民、民族では、力を持っている旧世代が、自ら身を引いて(あるいは何らか別の方法で)優秀な新世代に世代交代していくメカニズムを内在的に持っているのだと思う。

 

我が国の組織は、これを持っていない。

 

この辺り、比較文化論的な視点で、よその国民、民族ではどうやって解決しているのかを調べて、うまく日本に取り入れることができればいいのにな、と思いました。

 

と、ここで、日露戦争当時の秋山真之の年齢を調べてみたら、なんと!36歳だった。 我が国の官僚組織でも、優秀な若手を登用することが出来ない訳ではないんだな。


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