埼玉県防災航空隊の新型防災ヘリコプター「あらかわ2号」

埼玉県は、埼玉県防災航空隊という、ヘリコプター部隊を運用しています。

災害救助、山岳救助、情報収集、空中消火、ドクターヘリとしての運用など、多岐に渡る活動を担い、必要に応じて県外への応援派遣も行っています。

総務省から無償貸与を受けた1機を含む3機体制となっており、機体の長期整備期間(クルマにおける車検のようなもの。2ヶ月間もかかる)も見据え、常時2機が稼働可能な体制が整えられています。

 

 

埼玉県防災航空隊は、

埼玉県危機管理防災部による所管

県内各地の市・一部事務組合の消防本部から選抜された消防職員の出向

本田航空への運航委託

という、三者連携による埼玉県独自の体制で運営されています。

 

 

埼玉県防災航空センターは、荒川沿い、川島町のホンダエアポート内に設置されています。

荒川サイクリングロードがすぐ脇を走っているので、私も自転車トレーニングでよく通ります。蕨からだと荒サイを自転車で往復60kmくらいですかね。

現 蕨市議会議員(保守系会派:新翔会)で、元 戸田市消防長の栃本由兼 議員は、平成6年から3年間、戸田市消防本部から埼玉県防災航空隊に出向しており、その際は蕨から自転車で通っていたそうです。

 

20250418 埼玉県防災航空隊

令和5年(2023年)6月に退役した旧「あらかわ2号」に代わり、この4月より新「あらかわ2号」が運航を開始しました。

伊レオナルド社製のAW139です。

我が国における代理店は、三井物産エアロスペースです。

 

このたび、県議会向け説明会が行われ、埼玉県防災航空センターに見学に行ってまいりました。

 

20250418 埼玉県防災航空隊

機体右側のホイスト装置。

ワイヤーを動かして、人や物資を上げ下ろしします。

 

 

20250418 埼玉県防災航空隊

山火事消火のための、水を運ぶバケツ。

 

手前の、オレンジ色の蛇腹を折ったバケツ状のモノは、ヘリコプターの下部にぶら下げて使用する、文字通りのバケツです。

奥の、赤いプレート状のものは、ヘリコプターの底面に装着し、より大量の水を運び放出することができます。

 

20250418 埼玉県防災航空隊

人命救助用の各種道具。

 

20250418 埼玉県防災航空隊

体験搭乗しました。

時速200kmほどで、大宮駅付近までグルっと回って飛行しました。

 

20250418 埼玉県防災航空隊

操縦席にいるお二人は、前述のように、業務委託先である本田航空に所属している民間人です。

右側運転席の後部に、膝を立てて座っている方は、県内消防本部から出向してきている精鋭隊員です。

 

20250418 埼玉県防災航空隊

機内は、防音の仕組みはまったくないので、とてもうるさいです。キーンという高周波音が常に鳴り響いています。

機内での会話は、写真のようなヘッドセットを通じて行います。

 

また、4点シートベルトにて座席に身体を固定しています。

 

 

今回の体験搭乗を通じて、現場の職員の士気と高い技術力を間近に感じ、県民の安全を守る強力な体制に改めて心強さを覚えました。


2025年3月 東日本大震災被災地巡り 牡鹿半島

令和7年(2025年)3月、東日本大震災の被災地を訪問して定点観測するシリーズ。

 

牡鹿半島を訪れた過去の記録は、

2012年4月に訪問した時(震災から1年後)
2012年4月 津波の被災地に行ってきた。(4)牡鹿半島
2012年4月 津波の被災地に行ってきた。(5)女川原発

2014年4月に訪問した時(震災から3年後)
東北被災地巡り その4 牡鹿半島

2017年5月に訪問した時(震災から6年後)
2017年 東北被災地巡り(4) 牡鹿半島

 

 

牡鹿半島の、防災集団移転促進事業による、高台移転団地

リアス式海岸から成る牡鹿半島は、入り組んだ小さな入り江が多く、平地が狭いために、大きな集落は発展しませんでした。仙台からもクルマで2,3時間はかかり、遠いために観光地としても発展しませんでした。漁業を生業とする、小さな集落がほとんどだったようです。これらの漁業集落では、人家は漁港の近くに密集して建ち並んでいました。

そして、大震災では、それぞれの集落が壊滅的な打撃を受けました。

 

 

これらの漁業集落は、防災集団移転促進事業によって、高台の山の中を切り開いて造成した新しい土地に、集団移転しています。

コンパクトシティ的な発想によって集落が集約化されることはなく、それぞれの集落がそれぞれ高台移転しました。

 

国庫補助100%による高台移転住宅は、その後、今日では、多くが限界集落化している経緯については、先の記事にて解説した通りです。

 

実際、どんな感じなのか?

牡鹿半島の高台移転住宅の現在の姿を、見に行ってみました。

 

 

※以下、写真に個人宅が写っているために、集落名は記載しません。

 

 

高台移転住宅その1

2017年5月に写真撮影した場所を再訪してみました。

201705_牡鹿半島の新しい住宅街

2017年5月

新築住宅を建設中でした。

202503 牡鹿半島

空き地もなく、家々は、一通り建ち並んでいます。

真新しいニュータウンといった趣です。人家の数は13軒ですが、公園もあり、広々とした造りです。

 

 

高台移転住宅その2

202503 牡鹿半島

高台に登ったところに新しい高台移転住宅の団地が造成されています。後背の山の姿を見れば分かる通り、木を伐り、山を削って造られています。

202503 牡鹿半島

住宅地の中に入ってみます。

ここも、空き地はなく、広い敷地に大きな家がゆったりした造りで建ち並んでいました。家のサイズや、クルマの数などが察するに、ほぼ全てがファミリー物件です。

 

 

高台移転住宅その3

202503 牡鹿半島

手前の建物は、この集落の集会所です。

202503 牡鹿半島

コンクリート敷の駐車場と家屋の隙間の地面からは雑草が茂り、空き家となっていました。

しかしよく見ると、この写真の家々は、同じ形、サイズなんですよ。

注文住宅というよりも、建売分譲住宅だったのかもしれません。推測するに、サイズが小さいので、高齢者のみの夫婦・もしくは独居の世帯向けの住宅だったのではないでしょうか。

 

 

以上、3つの高台移転住宅の集落を見てきましたが、あちこち空き地だらけ、空き家だらけといった状況ではありませんでした。

 

 

捕鯨の街、鮎川

牡鹿半島の中で最大の集落、鮎川。

ここは、平成の大合併によって石巻市に吸収される前の牡鹿町の町役場がありました。

捕鯨の街としても有名です。

 

202503 牡鹿半島 鮎川

かつての空中写真を見ると、震災前は港の際まで人家が密集していたようです。

今は漁業関連施設、捕鯨をテーマとした博物館などがあるのみで、人家はありません。

 

202503 牡鹿半島 鮎川

高台にある住宅地は、おそらく被災しなかったものと思います。

 

DSCN0141

2012年4月の様子

202503 牡鹿半島 鮎川

2025年3月現在の様子

写真左奥の、高台の大きな建物は、石巻市役所 牡鹿総合支所。合併前の牡鹿町役場でした。

手前の平地部は、がらーんと空き地が広がっています。

手前部分は、「健康づくりパーク」という名前のパターゴルフ場となっておりますが、周辺の土地は市有地ですが、石巻市は、貸付けまたは売払いの募集を行っています。借りても買ってもどちらでも対応可能なようです。

借り手も、買い手もいない、といったところでしょうか。

 

202503 牡鹿半島 鮎川 第十六利丸

港には、捕鯨をテーマとした博物館があり、捕鯨船の第十六利丸が展示保存されています。無料で公開しており、中には入れないものの、デッキまでは上がれるようでした。訪問した時間が少し遅かったために、デッキに上がれなかったのは残念。


2025年3月 東日本大震災被災地巡り 石巻市 南浜町・門脇町地区

令和7年(2025年)3月、東日本大震災の被災地を訪問するシリーズ。

 

石巻市中心部を訪れた過去の記録は、

2012年4月に訪問した時(震災から1年後)
2012年4月 津波の被災地に行ってきた。(3)石巻

2014年4月に訪問した時(震災から3年後)
東北被災地巡り その3 石巻

2017年5月に訪問した時(震災から6年後)
2017年 東北被災地巡り(3) 石巻

 

 

南浜地区と門脇地区の被災状況の概要

海岸からは、800mくらいは平らな土地が続いています。

震災前は、南浜町、門脇町ともに住宅が密集して立ち並ぶ、住宅街でした。石巻市立病院も南浜町に所在していました(今は石巻駅前に移転)。

ほぼ全域が津波をかぶり、建物はほぼ大破し、数百名規模の死者を出しています。津波によって流されたガレキに引火して、大規模な火災も発生しています。

 

今日では、南浜町においては、人家はゼロであり、居住人口はゼロです。門脇町も、居住人口は減りました。

南浜町は、ほぼ全域が石巻南浜津波復興祈念公園という、静かで広い公園になっています。

 

 

旧 門脇小学校の被災状況

門脇小学校は、海岸からは800mくらいの後背の丘のふもとに位置していますが、高さ1.8mの津波がここまで押し寄せています。

ガレキが引火して火災が発生し、3階建て校舎の3階まで火が燃え広がりました。

 

後背に山が位置していて避難しやすいという地理的条件、日頃から訓練を重ねていた成果により、発災時に学校にいた生徒・教職員の人的被害はゼロでした。

(下校途中の低学年児童が7名、犠牲になっています)

 

前述のように、南浜町、門脇町の居住者はほとんどいなくなったため、学校は2015年に廃校になっています。

 

 

震災遺構 門脇小学校を見学

震災遺構として整備し、2022年にミュージアムとして有償(大人は600円)で一般公開しています。

 

私は、ここを訪れるのは初めてでした。

202503 石巻市 門脇小学校跡

遠くから校舎を見たところ。

写真右側の建物は、展示・事務棟。

 

後背の小高い丘は公園となっており、学校では、日頃からここに避難する訓練を行っていました。

 

202503 石巻市 門脇小学校跡

津波をかぶったのは、おおむね1階程度までだったようですが、前述のように、火災によって3階までが外装はボロボロになっています。窓ガラスは割れたまま。

この樹木は、震災後、若い芽が出てきて育ったものだそうです。

 

入場料を支払って、中に入ります。

202503 石巻市 門脇小学校跡

1階の校長室。

津波+火事の両方により被害を受けています。

3月11日といえば、年度末ですが、作成済みの通知表は金庫の中に保管していて、無事だったそうです。

 

202503 石巻市 門脇小学校跡

廊下。

 

202503 石巻市 門脇小学校跡

火事で焼けたままの姿。

机とイスは、木の部分は燃え落ち、金属パイプ部分のみが残っています。

 

 

それにしても、よくも被害にあった姿のまま残していたものです。

机やイス、什器のそれぞれを、全く動かすことなく、そのまま保存して、これを見学できるようになっています。

 

 

心情的には、このような姿を目にしたら、片付けたくなるものです。

敢えて片付けたい気持ちを抑えて、後世への教訓とするために、そのまま残したのではないでしょうか。

この学校の校内での人的被害が1名でも出ていたら、やはりそうはいかなかったでしょう。

 

202503 石巻市 門脇小学校跡に展示されている消防団車両

体育館が、展示コーナーとなっています。

牡鹿地区の消防団車両が、津波で流されて大破した姿で展示されています。

 

他にも、体育館内部には、仮設住宅の実物も改築展示されていました。

 

 

石巻南浜津波復興祈念公園

202503 石巻南浜津波復興祈念公園

石巻市内の犠牲者全員の名前を記した慰霊碑がありました。

石巻市内だけでも、3千2百名が死亡しています。(行方不明者を除く)

後ろに見えるのは、石巻市営 門脇西復興住宅です。

 

 

公園の中央部には、みやぎ東日本大震災津波伝承館が建っており、ここは無償で見学することが出来ます。

 

 

伝承館は、いつまでやるのかな?

伝承館、これは必要だと思います。

 

既に大震災の発災から14年が経ちました。今の中学2年生が生まれたときです。今の中学生以下は、リアルタイムに体験していないのです。

 

伝承館の果たすべき役割って、2つあると思うんですよ。

  1. 新しい世代に対して、教訓を伝える。
  2. (遺族の方にとって)自らの家族がその日にどのように被害に遭ったのかという記憶を子孫に伝える。

あと70年くらい経てば、「その時点で生きている世代」全てが、リアルタイムな震災の体験をしていない、ということになります。

語り部もいなくなります。

その時がくれば、引き続き1「教訓を伝える」は必要だとしても、2「記憶を伝える」は、伝承館という形で行う必要はなくなるかもしれませんね。

 

 

博物館・ミュージアムって、維持費が膨大にかかります。かと言って、中途半端な低予算で運営し続けようとすると、様々な展示物は年月が経つにつれてだんだん色褪せて古臭くみえてきて、伝えるべき教訓・記憶までがショボく感じてきてしまうんですよ。

上記の旧 門脇小学校のような、震災遺構も、エレベータを設置したり、外壁の剥離予防の工事を施すなど、開設までに8億5千万円の費用がかかっています。常勤スタッフは何人もいるし、ランニング費用もかかります。

 

 

私のこの考察に対して答えはないのですが、今、私が思い出したのは、桜島の埋没鳥居です。

2005/3 桜島埋没鳥居

2005年3月に訪れた、桜島、黒神の埋没鳥居。

 

大正3年(1914年)の桜島の大噴火の際に埋まった鳥居です。

後に氏子の方々は掘り起こそうとしたそうですが、当時の村長の英断により、そのまま残り、噴火の恐ろしさ、被害の大きさを雄弁に語り続けています。

これはランニング費用ゼロですね。

「教訓を伝える」成果とランニング費用を考えた場合、コスパ抜群の方法と言えます。


2025年3月 東日本大震災被災地巡り 奥松島・野蒜

令和7年(2025年)3月、東日本大震災の被災地である、奥松島・野蒜~石巻~牡鹿半島を再訪しました。

この災害の被災地には、数年おきに訪れ、同じ場所の復興状況/復興していない状況を定点観測しています。

 

野蒜についての過去の記録は、

2012年4月に訪問した時(震災から1年後)
2012年4月 津波の被災地に行ってきた。(2)野蒜

2014年4月に訪問した時(震災から3年後)
東北被災地巡り その2 野蒜

2017年5月(震災から6年後)
2017年 東北被災地巡り(2) 奥松島

 

 

仙石線 旧野蒜駅

2025/03 旧野蒜駅

2階の途中まで津波が入ってきた駅舎は、東松島市 震災復興伝承館としてリニューアルされていました。

2017年時点では、2階のみが資料室となっており、1階にはファミリーマートが入居していましたが、今は全館が津波災害の伝承施設となっています。

展示物の多くは、写真パネルです。

 

観光オフシーズンゆえに、広い駐車場には数台のクルマしか停まっていませんでしたが、時おり家族連れなどのツーリストが訪れて展示資料に見入っていました。

 

2025/03 旧野蒜駅

ホームと線路は、震災遺構として保存されています。

 

2025/03 旧野蒜駅

ホーム上には上がれませんが、周囲を一周できるような歩道が整備されていました。

 

私は、震災から13ヶ月後の2012年4月にここを訪れて、あっちを向いたりこっちを向いたり折れ曲がっている電柱・架線柱、切断され垂れ下がったままの架線、砂で埋もれた構内のレールという生々しい状況を見学しました。あの頃の状況と比べると、きれいに整ってしまって、津波の被害をイメージしにくいことは否めません。

 

(参考)

P4139660

2012年4月、野蒜駅ホームの様子。

 

 

2025/03 旧野蒜駅前

旧駅前。

 

 

野蒜海岸

ガキの頃に、親の転勤で仙台に住んでいたことがあり、ここに海水浴に来たことがあります。あまり覚えていませんけど。

 

2025/03 野蒜海岸

護岸工事は完了しています。

 

2025/03 野蒜海岸

静かな海岸。

 

震災・コロナ禍後、2022年には海水浴場として再開したものの、利用者低迷のため、わずか2年で終了したようです。

河北新報の記事の中では、震災の影響というよりも、娯楽が多様化して海水浴離れが進んだため、と分析されています。

 

2025/03 野蒜海岸

かんぽの宿奥松島と、周辺の被災直後の空中写真が、旧野蒜駅の伝承施設に展示してありました。

 

2025/03 野蒜海岸 松の防砂林

松の防砂林が植林されていました。

まだまだ背が低く、防砂林として役に立つようになるのは何年もかかりそうです。

 

震災前には、この後背には人家が立ち並び、中学校もありましたが、今は何もありません。

 

 

 

新 野蒜駅周辺の野蒜ヶ丘 住宅地

JR仙石線は、仙台から石巻まで、海岸沿いを走っていた鉄道路線ですが、大規模に被災しました。

新たにルートを山側に変更して、2015年5月には営業再開しています。
海に近い場所を通る区間では、津波被災時の被害を軽減するために、高架化されているところもあります。

 

2025/03 新 野蒜駅

高台に再建された新 野蒜駅。

 

この新 野蒜駅と、お隣りの新 東名駅は、標高が高い山の中を新たに開拓して、鉄路が敷かれています。

周辺には、同じように山を切り崩し、あるいは逆に盛り土をして、新興住宅団地「野蒜ヶ丘」が開かれています。

 

2017年に訪れたときは、まだ住宅地は半分くらいしか家が建っておらず、あちこちで建築の槌音が響いていました。

2025/03 野蒜ヶ丘の住宅街

今は、空き地もなく、びっちりと家が建ち並んでいます。

後述しますが、人気の住宅街であったとのことです。

 

2025/03 野蒜ヶ丘の住宅街

一見すると首都圏郊外のニュータウンのような印象も受けますが、一軒一軒の家々は、敷地が広く、また、一軒あたりのクルマが2台、3台と駐車してあるのは当たり前である点が、大きく異なります。

 

2025/03 野蒜ヶ丘のカフェ

ちょうどお昼時だったので、google mapで探してカフェに入り、カレーライスをいただきました。

 

お店を一人で切り盛りしている御婦人と話をしました。

・震災前は、野蒜の川沿い(東名運河のことかと思います)に住んでいた。

・やはり野蒜に住み続けたくて、野蒜ヶ丘の住宅地募集に何回も申し込んだ。山を削った土地が人気で、盛り土した土地は地盤が弱いから不人気だった。3回目でようやく抽選に当たった。

・山を削ることによって余った土は、巨大なベルトコンベアを設置して運び出した。
陸前高田のベルトコンベアと同じものですね)

・野蒜ヶ丘の造成が終わり、土地の募集が始まるまでに、震災から8年間がかかった。待つ時間は、体力勝負だった。
(この8年間は、仮設住宅に住んでいたのでしょう。狭くて不自由が多い仮設住宅に8年間も住みつつ待ち続けたのは、さぞ体力も気持ちも削られたことと思います)

・家族や家を失って、野蒜を離れた人もいるが、墓参りに戻ってきたときに、ゆっくり休める場所がない。知っている人の家も、どこにあるか分からない。新しい家だらけで、どこの家のチャイムをピンポーンと押したらいいか分からない。電車待ちの間にコーヒーを飲んで一息ついて、心の整理ができるようにと、カフェを開いた。カフェ営業の経験があったわけではない。


八潮下水管崩落事故による、下水道汚水の河川への緊急放流の現場

令和7年(2025年)1月28日 10時ころ発生した、八潮市内における、下水道管路崩落事故により、依然として1名のトラックドライバの方が行方不明のままです。

現場では、懸命の救出作業が続いております。

一刻も早く救出されることをお祈り申し上げます。

 

 

下水道汚水の、河川への緊急放流の状況

先のエントリにて述べた通り、1月29日 23時より、人命救助のため、道路陥没現場の下水流量を減らすために、現場の上流部にて、下水道汚水の河川への緊急放流を実施しております。

放流は今でも続いております。

下水道緊急放流_ページ_05

1月31日17時 第6回埼玉県危機対策会議の資料 (c)埼玉県

 

 

本日 2月1日、現地を視察してまいりました。

 

 

希釈水放流地点

上記地図の通り、下水道放流地点の直接の上流部ではありません。

下水道放流地点は、新方川(にいがたがわ)の支流である、名もなき小さな水路です。

希釈水放流地点は、新方川の本流の上流部となります。

 

20250201 希釈水放流点

大型のロジスティクスセンタが立ち並ぶ産業団地の中に流れる小さな新方川。

 

この希釈水放流のオペレーションは、国交省 関東地方整備局が行っております。

現場では、関東地方整備局の委託を受けた企業のエンジニアが24時間体制で有人監視を行っている他、仮設の監視カメラが設置されていました。

 

また、このオペレーションは、今後、県または市に移管される見込み、とのことです。

 

20250201 希釈水放流点

写真ではわかりにくいのですが、水中からぶくぶくと水が湧き出しています。

産業団地の中にある場所ですが、この水は工業用水ではなく、上水とのことです。

 

橋の上に配置されたポリタンクは何らかの薬液だそうで、ぽたぽたと垂れていました。

 

 

春日部中継ポンプ場の下水道汚水放流地点

公益財団法人 埼玉県下水道公社の中川水循環センターの上流部に位置する施設です。

 

埼玉県内には、複数の水循環センターがあり、ここに、管轄する市町村からの公共下水道が集められ、きれいにした上で、河川に放出しています。

ポンプ場は、名前の通り、あくまでもポンプが設置されているのみで、下水道をきれいに処理を行う機能はありません。

水は勾配に従って上から下に流れていきます。地形の都合で、下水を高い位置に上げる必要がある場合、中継ポンプ場が設置されます。

 

20250201 春日部中継ポンプ場 汚水放流現場

写真の左側は道路。右側が、春日部中継ポンプ場。

 

この水路は、名もなき小さなものです。

下流において、新方川へと合流し、さらに中川へと注ぎ込まれていきます。

 

20250201 春日部中継ポンプ場 汚水放流現場

白いホースから下水道汚水が水路に放出されています。

ホースの先の水中には、塩素タブレットが沈められており、応急的な措置としての消毒が行われています。

 

 

やはりちょっと臭いますね。

しかし、鼻をつまむほど臭い、というわけではありません。

夏の淀んだヘドロだらけの笹目川の方が、よっぽど臭いですね。

下水道汚水と意う言葉からイメージする、排泄物やゴミがプカプカ浮かんでいる、ということはまったくありません。

下水道汚水タンクにホースを差し込んで、ポンプで汲み上げ、河川に放出しているわけですが、汚水タンクの水中の中ほどにホースの先端が位置するように設定しているそうです。

下水道汚水の中の不純物は、水面に浮かんだり、沈殿したりしているため、これらが汲み上げられることは、ほぼ無いとのことです。

 

 

ポンプ場の中では、責任者の方に案内をしていただきましたが、写真の公開は控えます。

 

施設内では、様々な機関の車両が停まっており、車両の運転席で仮眠しているスタッフの姿も見られました。

関係者様のご尽力に感謝申し上げます。

 

 

下水道汚水放出水路と、新方川の合流地点

20250201 汚水を放流した水路と、新方川の合流地点

写真の左奥から右手前へと流れているのが、新方川の本流。
上で述べた希釈水は、この本流を流れてきています。

写真中央部の白いコンクリで固められた流入口が、下水道汚水を放出した水路からの流れです。

この写真の地点で、下水道汚水放出水路と、新方川が合流します。

 

 

もうここでは、臭くはありませんね。

流れは淀んでおり、汚いのですが、元から汚い水だったのではないかと思います。

 

 

新方川右岸(写真の左側)において、工事が行われていますが、これは、中川・綾瀬川緊急流域治水プロジェクトにおける何らかの工事かと思います。

この地域は水害が多く、2年前の6月にも大規模な床下・床上浸水が発災しました。

 

 

水質検査地点

20250201 新方川の水質測定地点

東武伊勢崎線 せんげん台駅近くの水質検査地点。

ここで行った水質検査は、あくまでも簡易測定キットによるものです。

橋の架替工事が行われています。

 

 

冒頭の資料によると、この地点におけるBOD(生物化学的酸素要求量)は、下水道汚水放流前で10,放流後は、ピーク時で50まで上がり、「わずかに下水臭、魚2匹浮いている」というタイミングもあったようです。

(数値は、低いほど良く、高いほど悪いことを示します。)

 

尚、参考までに、令和5年度 蕨市環境状況報告書によると、

緑川 1.1
見沼代用水 2.0

です。

 

 

尚、「日本で最も汚い川」と呼ばれたのは、奈良県の大和川ですが、1970年の最悪の頃で、BOD31.6でした。今日では、2.5に改善されています。

 

 

ということで、maxでBOD50というのは、結構酷い数字です。

 

 

今後の見通し

本日夕刻、埼玉県医師会の新年会での大野知事の発言によると、下水道陥没現場の復旧工事は、「1週間程度でできそうな見通しが見えてきた」とのことです。まだ明確に見通しが立っているわけでもなく、そもそも、依然として行方不明者の救出活動は続いており、復旧フェーズには至っていませんが、何ヶ月もかかるようなイメージでは無さそうです。

一刻も早く救出できるよう祈ります。
関係諸機関の引き続きのご尽力をお願い申し上げます。


蕨市総合防災演習がございました

先日、令和6年(2024年)11月17日(日)、南小学校におきまして、蕨市総合防災演習がございました。

蕨市、蕨市消防本部、蕨市消防団、市内全地域の自主防災団体(町会など)に加えて、陸上自衛隊第32普通科連隊、埼玉県警、NTT東日本・東京ガス・市内の水道工事業者などのインフラ事業者が参加しました。

以前は毎年夏に開催しておりましたが、暑くてたまらないので、この時期に変更したものです。

開催場所は、毎年市内各地を巡回しております。

 

20241117 蕨市総合防災演習

オープニングは、消火器を用いての消火訓練。

WSS(蕨サポーティングスチューデンツ。市内中学校有志による自主防災団体です)、町会有志、ボーイスカウトが練習用ダミー消火器を用いて消化する訓練を行いました。

上記写真では、ホースから放出されているのは水ですが、これは、練習用ダミー消火器だからです。本物の消火器であれば、消火剤の泡が放出されます。

 

消火器の使い方なんて、たいして複雑なものではないし、何なら、本体に使い方の解説もあります。

しかしながら、いざ火災が発生した時に、焦らず慌てずに操作するためには、日頃から繰り返し訓練をしておくことが大切です。

 

20241117 蕨市総合防災演習

蕨市消防本部の消防士による、はしご車を用いての火災現場からの救出訓練。

建物で火災が発生して、屋上に逃げ遅れた人が取り残されてしまった、という想定です。

一点のムダもない華麗な動きには見惚れてしまいます。

蕨市消防本部の皆様の、市民の安心と安全を守るための活動に感謝申し上げます。

 

20241117 蕨市総合防災演習

ドローン事業者による、ドローンを用いた現場撮影デモ。

このドローンは、チャイナのDJI社製でした。

 

ところで、令和6年度より、埼玉県では、災害現場の上空緊急観測の実証実験を行っております。

本年2月の予算特別委員会にて、私は、産業用ドローン市場においてチャイナメーカのシェアが高いこと、中共の国内法によってチャイナ企業は共産党政府に対して、これらのデータの提供義務を負うこと、諸外国では政府機関がチャイナ製デバイス・アプリの使用を禁止している例が多いことを指摘しました。その上で、災害現場をチャイナ製ドローンで撮影することは、ドローンによって収集される映像と位置情報によって、被害の状況、道路交通ネットワーク上、脆弱な位置の地理的な情報、自衛隊、消防、警察、消防団等の民間団体の活動状況、装備、練度、士気の高さ、相互連携状況といった情報が中共政府に筒抜けになってしまう可能性は否定できず、安全保障上の懸念があると指摘しました。

あわせて、県においては、チャイナ製ドローンの使用を禁ずる内規を設けるべきだと主張したところです。

 

20241117 蕨市総合防災演習

ドローンによる空撮映像。

最近はもはや珍しくなくなりましたね。

 

20241117 蕨市総合防災演習

火災現場の煙体験コーナ。

ダミーの煙なのですが、甘い香りがします。

 

20241117 蕨市総合防災演習

スタンドパイプによる消火訓練。

スタンドパイプとは、街中の消火栓にホースを繋いで、消火活動のための放水ができる装置のことです。

プロの消防士が使うものとはことなり水圧が低いようで、素人でも使えるようになっています。

とはいえ、やはり日頃から訓練を繰り返しておかないと、いざ火災が発生した時に迅速に使いこなすのは大変でしょう。

 

20241117 蕨市総合防災演習

陸上自衛隊第32普通科連隊のメガクルーザの運転席に乗させてもらいました。

このクルマ、いいな~。

しかし、燃費悪そうだし、デカ過ぎて運転はしにくそうです。車両の左前の先端は、よく見えません。シートは安っぽいシンプルな造りで、長時間乗るとお尻が痛くなりそうです。

 

20241117 蕨市総合防災演習

市内物流業者による、物資運搬訓練です。

この他、各インフラ事業者が、それぞれの専門分野の訓練デモを行いました。

 

20241117 蕨市総合防災演習

締めは、消防団による消火訓練。

 

20241117 蕨市総合防災演習

消防団員が一斉に校舎に向かって放水を行いました。

 

関係者の皆様、お疲れ様でした。


2024年7月 東日本大震災被災地巡り(7) 中間貯蔵施設

自民党青年局の被災地巡りツアーは、最後の目的地である中間貯蔵施設へ。

2024年7月 東日本大震災被災地巡り(1) 田老
2024年7月 東日本大震災被災地巡り(2) 陸前高田
2024年7月 東日本大震災被災地巡り(3) 大川小学校
2024年7月 東日本大震災被災地巡り(4) 南三陸病院・伝承館・旧防災庁舎
2024年7月 東日本大震災被災地巡り(5) 多賀城高校災害科学科の生徒とのグループワーク
2024年7月 東日本大震災被災地巡り(6) 福島第一原子力発電所
2024年7月 東日本大震災被災地巡り(7) 中間貯蔵施設 ←この記事

 

202407 中間貯蔵施設

中間貯蔵工事情報センターという、広報センターにて、まず最初に説明をお聞きする。

 

 

中間貯蔵施設の名称・場所・広さ

環境省が運営しています。

これは、施設の固有名詞です。
一箇所しか存在しません。あちこちに何箇所もあるわけではありません。

中間貯蔵施設の地図

環境省:中間貯蔵施設情報サイトより。

 

福島第一原子力発電所を囲むように、半ドーナツ状の地帯に設けられています。

広さは1,600haで、かなり広大な面積です。

 

 

中間貯蔵施設の目的

除染した土壌、放射性廃棄物を、焼却して減容化(コンパクトにする)して、埋め立てる、一時的な仮置き場です。

 

「中間」は、何に対して中間なのか?というと、あくまでも一時的な仮置き場であり、最終置き場ではない、という、プロセス・スケジュール上、中間であることを示しています。

福島第一原子力発電所からの物理的な距離が、中距離である、という意味ではありません。

 

 

では、最終処分は、いつ、どうするのか?

未定です。

 

中間貯蔵施設の役割については、中間貯蔵・環境安全事業株式会社法という法律に明記されています。

この法律においては、中間貯蔵施設における仮置きは、中間貯蔵プロセスが開始された2015年から30年後の2045年3月までである、と定められています。

国は、2045年3月までに、最終処分する(最終置き場を決定し、運搬を完了する)義務を負っています。

 

しかしながら、現時点では、最終置き場の場所も、運搬プロセス、最終処分方法も決まっていません。

 

2045年というと、今から21年後です。

言わば、次の世代に最終処分を先送りした、という言い方も出来ます。

 

 

青森県むつ市の中間貯蔵施設との違い

むつ市にも中間貯蔵施設という名称の施設があるのすが、これは名前は同じでも、役割は全く異なるものです。

むつ市の中間貯蔵施設は、全国の原子力発電所で発生した使用済み核燃料を、再処理工場での再処理プロセスに回すまでの、一時的な仮置き場です。

 

 

中間貯蔵施設内の写真レポート

バスで見て回りました。

202407 中間貯蔵施設

放射性ガレキでしょうか。

この後、焼却して減容化(コンパクト化)することになるのだと思います。

 

202407 中間貯蔵施設

 

202407 中間貯蔵施設

202407 中間貯蔵施設

202407 中間貯蔵施設

敷地は広大なもので、国が土地を買収しています。

取り壊されずに残っている民家もあります。

 

202407 中間貯蔵施設

 

202407 中間貯蔵施設

広大な敷地内には、倒壊したままの建物も多数、放置されています。

 

202407 中間貯蔵施設

敷地内のサンライトおおくま見晴台より、福島第一原子力発電所を望む。

一号機から四号機までがよく見えます。

 

サンライトおおくまは、この場所のすぐ近くに建ってた特養老人ホームの名称です。google mapによると、未だに建物は放置されているようです。

 

202407 中間貯蔵施設

この場所の放射線量は、1.3マイクロSV(シーベルト)毎時でした。

 

202407 中間貯蔵施設

埋立地。

私達が立っている場所です。減容化(コンパクト化)した除染土壌、放射性廃棄物を埋めた後、被爆していない土をかぶせています。

将来の最終処分のプロセスにおいては、これらを掘り起こして、最終処分場に運搬することになります。

 

 

202407 中間貯蔵施設

202407 中間貯蔵施設

この地点の放射線量は、0.296マイクロSV(シーベルト)毎時でした。

 

この被災地視察シリーズは、以上です。

 

 

過去の東日本大震災被災地視察のレポート

2012年4月 私費で個人視察

2012年4月 津波の被災地に行ってきた。(1)仙台 貞山堀付近
2012年4月 津波の被災地に行ってきた。(2)野蒜
2012年4月 津波の被災地に行ってきた。(3)石巻
2012年4月 津波の被災地に行ってきた。(4)牡鹿半島
2012年4月 津波の被災地に行ってきた。(5)女川原発
2012年4月 津波の被災地に行ってきた。(6)女川~北上
2012年4月 津波の被災地に行ってきた。(7)南三陸
2012年4月 津波の被災地に行ってきた。(8)気仙沼~陸前高田
2012年4月 津波の被災地に行ってきた。(9)釜石

 

2012年7月 私費で個人視察

福島第一の近くに行ってみました。

 

2014年4月 私費で個人視察

東北被災地巡り その1 仙台荒浜
東北被災地巡り その2 野蒜
東北被災地巡り その3 石巻
東北被災地巡り その4 牡鹿半島
東北被災地巡り その5 女川~北上
東北被災地巡り その6 南三陸~気仙沼~陸前高田
東北被災地巡り その7 釜石
東北被災地巡り その8 大槌町
東北被災地巡り その9 山元町~南相馬市 フクイチ近く

 

2014年7月 蕨市議会の政務活動費で、当時の蕨市議会保守系会派での視察

陸前高田視察レポート

 

2017年5月 私費で個人視察

2017年 東北被災地巡り(1) 仙台 荒浜
2017年 東北被災地巡り(2) 奥松島
2017年 東北被災地巡り(3) 石巻
2017年 東北被災地巡り(4) 牡鹿半島
2017年 東北被災地巡り(5) 雄勝~河北~南三陸
2017年 東北被災地巡り(6) 気仙沼~陸前高田
2017年 東北被災地巡り(7) 釜石~大槌
2017年 東北被災地巡り(8) 山元町~フクイチ

 

2023年11月 県議会の政務活動費で個人視察

東日本大震災の被災地:名取市閖上を訪問