埼玉県議選(4) 選挙運動の実際

この項目は書きづらい。

一般論として、公職選挙法は、複雑である上に、解釈がグレーな部分も多く、なおかつ、事実上有名無実と化している部分も多々ある。
私自身、公選法に詳しい訳でもないし、関係者の皆様にご迷惑をかける訳にはいかないので、以下、差し支えなさそうな範囲で書く。
震災に伴う自粛選挙
世の自粛ムードと、各党の申し合わせにより、選挙運動の時間帯を絞ったり、選挙カーの数とボリュームを制限していた。
平時の選挙は、もっとガンガンうるさかったらしい。
実際に私がやったこと
公選法により、ブログやソーシャルメディア上に記事をアップすることは出来ないし、スピーチの原稿は私が選挙運動にジョインした時には既に確定していた。
私がやったことは、体力勝負の仕事が中心だった。
選挙運動中は、背中に須賀候補のキャッチコピーである「蕨の新鮮力!!」と背中に書かれたお揃いの緑色のジャンパーを着ていた。
駅であいさつする
「駅立ち」と呼ばれる。
蕨市民が利用する駅は、京浜東北線蕨駅、西川口駅、埼京線北戸田駅とある。その中でも蕨駅、特に西口がほとんどを占める。
夕刻のラッシュ時に、須賀候補+複数人で、駅の出口にて標旗を持って立ち、肉声であいさつする。
トークは、シンプルで、
「こんばんは。須賀敬史です」
「県議候補の須賀敬史です」
「よろしくおねがいします」
「若い力を応援してください」
ほぼこの繰り返し。
尚、私は期間中、午後だけしか手伝わなかったのだが、駅立ちそのものは朝のラッシュ時も行っていたようだ。
市内を自転車であいさつしながら回る
この自転車巡回は、とても重要な活動と位置付けられていて、日中はほとんどこれをやっていた。候補+複数人で、自転車で市内を挨拶しながら回る。
場合によっては、選挙カーを先頭に、自転車で後ろをついて走ることもある。このとき、選挙カーには、運転手、ウグイス嬢の他、応援の政治家(市議、自民党第15選挙区支部長など)が同乗する。
コースは、それこそドブ板を舐めるように、市内のありとあらゆる路地を制覇するかのような意気込みで走り回った。
手を振ったりしつつ、声を上げて、呼びかける。
「こんにちは。須賀敬史です~」
「須賀敬史が自転車でご挨拶に伺っております~」
「県議候補の須賀敬史です、よろしくお願いします~」
駅立ちと同じく、複雑なトークはない。
駅立ち、自転車巡回ともに、名前を連呼して名前と顔を覚えてもらうのが目的。
候補自身の知人や、ちょっと視線があったり、ニコッとして手を振ってくれたり反応がよかった人には、すかさず候補が近づいて、ガッチリ握手をする。
選挙権がない子供にも丁寧に声を掛ける。
「お父さん、お母さんによろしくね!」
シーズンだったので市民公園でシートを広げて花見をしている人も多かったのだが、全てのグループを挨拶して回った。
隣りの市の方にも「蕨にお知り合いの方がいたら、よろしくお伝えください!」
昼の街頭集会
自転車巡回中、公園などで自転車を止め、適宜、街頭集会を行う。
これは、目の前に聴衆がいる場合もあるが、いない場合もある。
標旗を立てて、ハンドスピーカーで候補がスピーチをする。ここでは、主に公約を訴える。同行の政治家が応援スピーチをすることもある。一般人が応援スピーチをしても意味が無いので、私がスピーチしたことはない。
また、自民党の大物政治家が蕨にやってきて、大規模な街頭集会を行ったこともあった。
蕨には、佐藤ゆかり参議院議員と片山さつき参議院議員がやってきた。このときは、市議や第15選挙区支部長やその他の運動員は、可能な限り勢揃いする。
片山さつき議員は、個人的にはとてもチャーミングな方だと思いました。
夜に公民館で行った集会
夜には、各地区の公民館で集会を行った。
集会の参加者は、その地区の住民であるが、お年を召した方が多いようだった。19時くらいからスタートするために、どうしても、都内に通勤するビジネスマンが参加するのは難しい。結果として、新住民は少なく、顔なじみの旧住民が中心となっているようだった。
候補本人以外にも、応援の政治家が応援スピーチをする。
参加者は基本的に、候補を応援している身内ばかりなので、ちょっと飛ばし気味に対立候補を批判するような言葉が出ることもあった。
最後に「ゲキ」
これって、何だか本当に分からなかった。余興としてなんか人形「劇」か何かをやるのかと思ったが、さにあらず。その地区の有力者の音頭によって、「ガンバロー!ガンバロー!ガンバロー!」と声を上げてコブシを振り上げる。会場が高揚感、一体感に包まれる。
個人的に感心したこと
須賀候補のみならず、政治家の皆さんそうなのだが、顔と名前をよく憶えている。
街中で出会った方にすかさず走り寄って
「あ!○△さん、どうもどうも~、先日は△□でお会いしましたね~。そう言えば、今朝、駅で旦那さんと挨拶しましたよ~」
という具合だ。
そして、挨拶は、必ず、握手。出来れば、右手だけではなくて、左手も添える。
もちろん、そうやって候補に頭を下げられた方は悪い気はしない。
「ここで会ったのも何かの縁だか、あんたに投票するよ」
と言う方はけっこういた。
自転車での巡回、スピーチにおける候補のトーク術
よく使っていたトークが
「あと一歩、あと一歩です」
「現職の背中がようやく見えてまいりました」
「現職はやはり強い。新人には辛い選挙ですが、ようやく横に並びました。あと一歩です」

というようなものだ。
選挙戦において現職議員が有利なのは当然としても、上記のトーク術は、それに対して、何かを頑張って努力して追いつき、追い越すものである、というのが前提となっている。
その頑張って努力するという内容が、本来の県議の仕事とは関係がない、駅立ちや自転車巡回という、純粋に選挙だけのための選挙活動である、といのはおかしなものだ。
更に言うと、大規模な国政選挙や知事選挙と異なり、一地方選挙なので、マスメディアが世論調査をしたり期日前投票の出口調査を行っている訳でもない。どの陣営も、具体的にどこがどのくらい勝っているのか、負けているのか、というのは体感値以外は分からなかったのではないだろうか。
(続く)

埼玉県議選(3) 南19区の争点、各候補とそのアピール点

各候補
南19区では、以下の3人が立候補していた。
事実上、民主党現職に自民党新人が挑む、という構図である。

民主党 現職 福田秀雄候補

64歳、蕨市議を4期務めたこともある、ベテラン。
ポスターのキャッチは「上田県政に直結」。
知事とパイプの太さ、安定感を訴えた。
しかし、上田清司知事は、新自由クラブから政治家としてのキャリアをスタートし、現在は無所属ながらも民主党右派にかなり近いのだが、自民党との交流もある。

自民党 新人 須賀敬史候補
43歳、父親から蕨市議の地盤を世襲し、一期務めた。
ポスターのキャッチは「蕨の新鮮力」。
現職に対する若さを訴えた。
無所属(民主党系) 新人 榎本和孝
民主党の小沢塾出身で、民主党公認で選挙に出たこともある。
今回は無所属で第三の候補として出馬し、ポスターのキャッチは「自民こりごり、民主がっかり」。
自民党にも民主党にも不満を抱く無党派層へのアピールを狙った。
蕨における争点
人口7万の蕨市は、日本で最も小さい市である。
蕨では、市を二分するような争点はない。
「財政があまりよくない」とよく言われ、たしかに近隣の財政豊かな戸田市、川口市と比べるとその通りなのだが、収支が赤字な訳ではないし、「小ぢんまりと、それなりに楽しくやっている街」といった印象である。
須賀敬史候補の公約と、選挙戦略
私が選挙活動を手伝った須賀候補の公約は、
・小中学校の教室へのエアコン設置。
・電柱の地中化。
・県政報告をしっかりやる。(←どのようにしっかりやるのか、量と質についてのコミットはなし。)
・アウトメディア問題に取り組む。(←この点は、取り組む、と述べるのみで具体策はなし。)
といったもので、優先順位付けをどうするかはともかく、それ自体は概ね誰も反対しようがないような種類のものである。
選挙においても、大きな争点がないこの度の選挙においては、これらの公約よりもむしろ、「ベテラン現職に対する、若さの新人」というイメージを前面に打ち出していくべきである、という判断があるようだった。

埼玉県議選(2) 選挙事務所を手伝う人たち

埼玉県議選は、2011年4月1日(金)告示、投票日は10日(日)。

すなわち、いわゆる選挙期間は4月1日(金)~9日(土)の9日間であった。
もちろんのこと、広義の選挙活動は、告示日以前から始まっている訳であるが。
須賀敬史選挙事務所にジョイン
地元(埼玉南19区)の、自民党の候補は須賀敬史氏であり、ここで選挙ボランティアをすることに決めた。
告示日の朝に選挙事務所に電話して、選挙ボランティアをしたい旨述べると、
事務所 「それでキミ、どこの町会?」
「えっ?町会?分かりません」
町会(=町内会、自治会)の付き合いは、同居している母親任せだったため、私自身はさっぱり分からない。
住んでいるのは蕨市錦町という地名なのだが、「錦町町会」という団体があるわけではなく、錦町の中でも複数の町会があるのだ。
事務所 「では、あとで折り返し電話するから」
ということで、選挙ボランティアは、誰でもいつでもウェルカムという状況ではないようだった。
その後、私の家が属する町会である「郷町会」の会長から私のケータイに電話がかかってきて、取り敢えず事務所まで来てね、ということになった。この間に、選挙事務所側では、私自身について、どこに住んでいてどういう人物なのか、簡単な身辺調査を行ったようだ。
もちろん、競合陣営の内通者であったら困るし、当然のことと言えよう。
選挙事務所を手伝う人たちと、利害関係
事務所にいたのは、以下のような人たち。
・地元の政治家
須賀候補は、蕨市議を一期務めた。この際、政党は無所属で、保守系会派「新生会」に属していた。新生会に属する市議はフルバックアップで、ほぼフルタイムで選挙活動を行っていた。
新生会には、市議会における会派であると同時に、選挙互助会としての側面もある。
また、会の頭である市議は、次の市長選(6月)に現職に挑んで立候補することを既に表明しており、今回の県議選は前哨戦として位置付け、特に力が入っていた。


埼玉県議選(1) 選挙運動ボランティアしてきたよ。

 先の日曜、2011年4月10日は統一地方選の前半戦、我が埼玉県では県議選が行われた。

この県議選において、私は、地元蕨市(南19区)の自民党公認 須賀敬史候補の選挙ボランティアを行った。
個人的に初めての体験であるし、興味を持つ人もいるかもしれないので、諸々記録しておくこととする。
経緯
(1)政治周辺ビジネスの可能性を模索するため。
私自身は、「政治家になりたい」というよりも「政治周辺領域でのマーケティング/リサーチのビジネスをやりたい」と考えている。何らかその可能性があるのかどうか、どういう商内が成り立ち得るのかを調べたかった。
これについては、後で詳しく書く。
(2)地元の保守系政治家との人的ネットワークを作るため。
もし仮に「「政治周辺領域でのマーケティング/リサーチのビジネス」をやるのであれば、政治家、政党、圧力団体、地域社会の何らかの団体などがクライアント候補な訳で、人的ネットワークを作りたいと考えた。
(3)自民党による政権奪還のため。
自民党による政権奪還が、国のためであると信じる。
今回はあくまでも県議選だが、もちろん、国会議員選挙に続いている。
微力ながら自分なりに出来ることで党のシェア拡大に貢献したいと考えた。
私自身について
昔からある考え方、習慣、家族や地域社会の繋がりを大切にしていくべきだと考える保守主義者であり、自民党員。
大学(筑波大学国際関係学類)では、政治学専攻だったが、実は大学時代には選挙ボランティアの類は経験したことはなかった。
時間のある大学時代にやっておけば、かなり面白い体験だったろうし、その後に活かせることもたくさんあったろうと思う。
筑波大学を囲むコミュニティ(大学と学生街、お店など)は、古くからの農村社会である地元つくば市からは遊離した人工的なコミュニティであり、人的交流もほとんどなかったので、彼地の選挙のボランティアをする、ということは考えられなかった。
埼玉県蕨市民だが、実は代々今の場所に住んでいる訳ではなく、10年前に引っ越してきた。その点では、いわゆる「新住民」とも言える。
元々の父祖の地は川口市芝。
分家のそのまた分家なので、私の父は結婚してからまず桶川に家を構え、さらに10年前に蕨市錦町に家を建て直した。本家や親戚が多数住んでいる川口市芝からはせいぜい2,3kmしか離れていない。
個人的には、よそ者意識はまったくなく、蕨~川口が先祖代々の地であり、地元に帰って来た、くらいの気持ちでいる。
尚、私の父が自身で作ったものも含めて、親戚一同の墓は川口市芝の長徳寺にある。
とは言え、小中学校は桶川、仙台(父が転勤族だった)で過ごし、高校は都内の私立に通っていたので、同世代の地元の友だちはいない。
地元 蕨について
代々住む「旧住民」と、地方出身で家を建てたりマンションを買ったりしてたまたま蕨に引っ越してきた「新住民」とが混在するベッドタウンである。
前述のように、私自身は今の地には10年前に引っ越してきたばかりなのだが、自身を旧住民とカテゴライズしている。
保守も強いが、革新も強い。
市長は共産党の頼高英雄氏。
頼高氏は、前回の選挙戦においては共産党であることをアピールしたわけではなく、幅広い支持を集めるために離党した上で選挙に臨んでいた。
市議会は定数18だが、保守系は自民党には属さず、無所属として保守系会派を組んでいる。
衆議院議員選挙は、埼玉第15区として戸田市、さいたま市南区・桜区とともに一つの選挙区を成している。
選出議員は、
2009年 民主党 高山智司氏
2005年 自民党 田中良生氏
2003年 民主党 高山智司氏
となっており、強力な地盤を持つ政治家がいる訳ではなく、ブームに流されやすい地域、ということは出来るかもしれない。
自民党の支部長は、40代半ばの田中氏であり、次の衆議院議員選挙にも出る予定だ。この方は、いわゆる地主ファミリーであり、父親が永らく蕨市長を務めた、地域の有力者。
さて、続きはまた別途。