アフターコロナのマラソン・トレイルラン大会の傾向

久喜市が、市長公約として掲げていたフルマラソン大会の初開催(ハーフマラソンをフルマラソンに転換)を断念することを発表したとのこと。

梅田修一市長は、青年会議所の同期であり、知った仲なので、どのような形であれ、市長公約の実行を断念せざるを得ない状況は、残念に思います。

しかしながら、コスト増要因は広告スポンサー獲得などでクリアできるとしても、現行のハーフマラソンですら参加者数が減っている状況を考えると、強行するよりも開催断念する方が、現実的にはより良い判断だったと思います。

 

 

私は、マラソン、トレイルラン(登山道、林道などを中心とした山岳マラソン)は、2003年に初挑戦して以来、毎月のようにあちこちちょこちょこ参加しております。海外の大会も、北はウラジオストク、平壌から、南はシドニーまで、あれこれ参加してきました。

コロナ禍を経て、マラソン、トレイルランの大会は、かなり変質してきましたので、この際、振り返ってみましょう。

以下は、統計的・学術的な分析ではなく、あくまでも私の印象論です。

※ マラソンとは、厳密には、42.195kmを走る大会のことを指しますが、この稿では、距離を問わず、広義のランニング・ジョギング全般を指すこととします。

 

 

コロナ禍前、我が国ではマラソンブーム

元々、我が国はマラソンに強い国で、マラソンは駅伝と並んで、「観戦するスポーツ」として人気がありました。

 

2007年に初開催された東京マラソン以来、我が国では、「参加するスポーツ」としての人気が高まり、マス層が多く流入してきました。

折からの長期的な経済の停滞により、バブル期に隆盛を極めたスキー・スノボのようなお金がかかるスポーツの人気は低迷し、その代わりに、お金がかからないマラソンが手軽なスポーツとして人気を集めたことが理由だと思います。

東京マラソンは商業的にも成功を収めたため、街興しの材料として新たなマラソン大会を開催する地方が続出しました。

 

マラソンは、ガチで大会を走るならば、毎日のように走ってトレーニングする必要がありますが、東京マラソンのような大規模大会では、「職場のみんなで取り敢えず全員応募して、当選した人をみんなで応援する」みたいな、ガチ勢ではない、ライト層がたくさん流入してきました。

ほとんどトレーニングしていなければ、もちろん、速いタイムは出ないし、まともに走れるのは序盤のみで、中盤以降は延々と足を引きずりながら歩くことになってしまうのですが、それでも関門の制限時間に引っかからない限りは、いつかはフィニッシュできますし、危険はないし、フィニッシュすればそれなりの達成感が得られるものです。

たいしてトレーニングせずに参加した大会で悔しい思いをして、それを契機にどっぷりとハマってしまったような人もたくさんいます。

 

 

トレランは、あくまでもマニアックなごく一部の趣味の世界

山の中を走るのは、最低限の技術も体力も必要です。
危険だし、野生動物・生物もいるし、ケガのリスクも大いにあります。

マラソンのようにランシューズだけがあれば十分ということはなく、それなりのウェアや道具も買い揃える必要があります。

 

マラソンのように緩やかに競技人口は増えていたように感じますが、マス層に広がることはありませんでした。

大会のエントリリストを見ても、10代、20代の参加者はほとんどおらず、若くて30代、平均年齢は30~40代くらいでした。

特に海外の大会では顕著でしたが、参加者やウェアや道具を見ると、それなりの所得のある中流層以上がメインであることが伺えました。

 

競技人口が少ないこともあり、我が国ではプロ選手はほとんどおらず、大会のプランナー、オーガナイザー、あるいは練習会講師などとしてカツカツ食えるくらいのプロが数人いる程度でした。

 

 

コロナ禍で、ほとんどの大会が中止に

人と人との接触が禁止され、忌避されるようになった結果、多くの大会が中止になりました。

走り出してしまえば、参加者同士が接触することはほとんどありませんが、大会運営者は、膨大な準備作業のために集まらざるを得ません。エイドステーションでは、選手に対して飲み物や食べ物を受け渡すので、その際に接触リスクがありました。

 

 

マラソンもトレランも、エントリした大会を目標にトレーニングするものですので、大会がなくなってしまうと、トレーニングする張り合いがなくなってしまいます。

数年間に及ぶコロナ禍の間に、いつの間にか走ることをやめてしまった人はたくさんいたようです。

 

 

アフターコロナのマラソン大会

ライト層が一気に抜け落ちてしまいました。

どこの大会も、参加者数の獲得に苦戦しています。

コロナ以前であれば、参加者募集開始と同時に定員いっぱいで受付終了してしまったような人気大会でも、アフターコロナにおいては、なかなか参加者が集まらず、受付期間を延長するような事態が続出しました。

これが、今の状況です。

 

 

アフターコロナのトレラン大会

一気に参加者層が若返りました。

元々年齢層が高め(私と同世代が中央値だった)でしたが、私の同世代はごっそり抜け、どの大会に出ても、私より若い選手ばかり、という印象です。

前述のように、ライト層が多いマラソンと異なり、トレランはガチ勢ばかりなのですが、ガチ勢といえども、トレーニングを怠っていると、大会に出ることは難しくなりますので、意図せず引退した人が多かったようです。

 

 

トレラン大会は、近年はハイスピード化が進む

また、コロナ禍とは無関係な近年の傾向として、どこの大会でも、ITRAポイントレースに登録することが主流になってきています。

ITRA(国際トレラン連盟)登録のポイントレースで制限時間内に完走すると、完走者はITRAポイントを得られます。

世界的に人気の大会(例えば、我が国であれば、海外からも多くの参加者がやってくる、富士山一周100マイルの、UTMF:ウルトラトレイル de Mt.富士など)は、大会運営に当たっての事故・ケガのリスクを減らすために、「過去◯年間以内に獲得したITRAポイントが▲以上」といった条件を参加申込者に課すことがほとんどです。

ITRAポイントレースになるためには、制限時間がゆるゆるではなく、厳し目に設定しないと登録できません。

そのため、コロナ禍においてまともに山でのトレーニングできていなかった私の同世代は、加齢による衰えもあり、大会に出ても完走できなくなってしまい、一気に引退してしまったものと思います。

 

私なんかは、正直、UTMFも既に2回完走しているし、ITRAポイントなんかどうでもよく、他の選手と比べての順位も気にしないし、気持ちよく走って完走できればそれでいいのですが、そのようなゆるい大会が少なくなってしまいました。途中の関門で時間切れになり収容車に回収されてフィニッシュ会場に運ばれていくのは、悲しい。

 

 

今後

ということで、このエントリにオチはないのですが、私もコロナ禍明けに多くの大会が再開されて、喜び勇んで参加したものの、加齢の影響もあって走力が大幅に衰えており、関門時間切れとなってしまった大会が多く、かなり落ち込んでおりました。

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しかしながら、まだまだしばらくは頑張ろうと思っています。


蕨市町会長連絡協議会(町連)の新年会

蕨市町会長連絡協議会(町連)の新年会がございました。

おめでとうございます。

蕨市内には、37の町会・自治会があります。

 

地域社会のためのボランティア活動として、町会・自治会の長を務めておられる皆様には、心から敬意と感謝を表し申し上げます。

 

全国の町会・自治会と同じように、蕨市でも同様に、

・加入率の低下

・役員の後継者不足

に悩んでいます。

 

蕨市の町会・自治会加入率は、直近の数字はわかりませんが、平成30年度で64%でした。

 

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埼玉県茶業研究所

蕨市にはもちろん茶畑はまったく無いのですが、実は、お茶は、埼玉県の名産なのです。

入間市、狭山市、所沢市辺りに茶畑が集積しており、狭山茶ブランドは広く確立しています。

品種改良、栽培・製茶の技術開発・普及指導のために、埼玉県では、茶業研究所があります。

しかも、そろそろ開業100年を迎えます。そんなに昔から、埼玉県ではお茶の研究を行っていたんですね。

 

 

こんな研究機関があるなんて知りませんでした。

このたび、埼玉県議会の狭山茶振興議員連盟にて、茶業研究所の見学に行って参りました。

 

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茶業研究所。

圏央道入間ICの近く。
蕨からは、外環 – 関越 – 圏央道を乗り継いで、クルマで一時間強くらいです。
この辺りは、一面が茶畑です。

 

なお、茶の木は、苗木を植えてから成長して、茶葉が収穫できるようになるまでに、8年かかるとのこと。

上記写真の中で、手前の畝が、1年目です。

成長した後は、毎年2回収穫できます。
4~50年経って、徐々に収量が減ってきたら植え替えます。

 

 

狭山茶の歴史

鎌倉時代
禅宗の僧 栄西によって我が国に伝えられました。

江戸時代
この地域で広く生産されていたわけではなく、寺の敷地内で、薬のような用途で作られていた程度だったとのことです。

明治時代
米国に輸出するための農業産品として、この地域で生産が始まったそうです。
横浜港から出荷して、一時は輸出品として隆盛を極めたのですが、間もなく、米国への輸出は廃れてしまいました。
理由は不明ですが、米国人の嗜好の変化が背景にあるのかな?
今日においては、米国人が日本茶を好んで飲むようなイメージはありませんが、明治時代はよく飲まれたようですね。

大正時代以降
我が国の庶民が日常的にお茶を口にするようになったのは、大正時代以降のようですね。
この頃から、狭山茶は内需向けに生産するようになりました。


日本人の日本茶消費量は減っている。

全国茶生産団体連合会のこちらのwebページを見ると、平成21年(2009年)ころを境に、減少トレンドにあります。
紅茶の消費量は横ばいトレンドですが、烏龍茶の消費量も同じように平成21年ころから減少トレンドです。
平成21年というと、リーマンショックがあった年ですが、この頃にいったい何があったのでしょうか?

 

 

入間、狭山、所沢周辺に茶業が集積した理由

この地域の土壌が、水はけが良さ過ぎて、稲作に向いていなかったため。

 

 

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畝ごとに異なる品種が植えられています。

昔の茶畑の畝は、上辺が緩やかなカーブを描く「かまぼこ型」でした。
今は、コンバインのような、人が乗り込むタイプの収穫マシンで収穫作業を行うのに最適化するため、上辺は直線となっていることが多いようです。

 

 

茶の品種改良

地球環境の変化によって温暖化が進んでいるわけですが、気候変化に対応した品種を開発することも、この茶業研究所のミッションの一つです。

お茶は嗜好品なので、時代によって求められる品種は変わってくるが、普遍的な要素は、

・たくさん収穫できること。

・寒さに強いこと。

 

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もしゃもしゃに枝が生えているのが、品種改良のための母樹。

この木から種子をとって、品種改良の研究を行います。

種子採取の段階から、品種登録まで、一つの品種を開発するのに、35年以上かかるそうです。

 

こんなに長い期間だと、一人の研究者が、自らのキャリアの中で最初から最後まで手掛けることは出来ません。

昔の先輩研究者が採取してくれた種子を引き継いで研究し、また、今日採取した種子は、これから入所してくる未来の研究者に引き継いでいく、のだそうです。

ロマンティックですね。

 

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説明を聞いているところ。

 

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研究所施設ロビーの展示物。

かなり古い建物です。

 

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ほうじ茶の品評をしているところ。

お茶は、香り、味だけではなく、見た目、色も重要な要素です。

自然光を取り入れてお茶の品評ができるようになっています。

 

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明治時代に米国向けに輸出して頃のパッケージ。

 

 

 

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ほうじ茶。


彩の国21世紀郷土かるた蕨市大会がございました。

令和6年(2024年)1月21日(日)、蕨市立中央小学校体育館におきまして、掲題の大会がございました。

小学生対象のイベントです。

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すべての選手の皆様の健闘を称え申し上げます。

例年よりもちょっと参加者が少なかったようですね。

冷たい雨が降り、暖房がない体育館は底冷えがしましたが、選手と運営の皆様はお疲れ様でした。

主催した市子連(蕨市子ども会育成連合会)の役員の皆様、ありがとうございました。

 

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江東5区広域避難推進シンポジウム

令和6年(2014年)1月13日、葛飾区内の かつしかシンフォニーヒルズにて、江東5区広域避難推進シンポジウムが行われ、これを聴講してきました。

江東5区は、足立区、墨田区、江東区、葛飾区、江戸川区を指します。
いずれも標高が低い平地です。
洪水・高潮によって想定される浸水域内人口は256万人です。

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埼玉県南地域の大規模水害時の広域避難の仕組み作りについては、力を入れて取り組んでいるテーマであります。
本年2月の県議会一般質問で取り上げる予定のテーマでもあります。

 

 

広域避難の仕組み作りの先行事例

広域避難の仕組み作りについては、埼玉県南地域では、まだ手つかずです。

 

水害を想定した先行事例として挙げられるのは、以下のようなところです。

・江東5区
・木曽三川(愛知県の下流域)
・利根川中流域(加須市、古河市、渡良瀬遊水地の辺り)

この3つのうち、木曽三川と利根川中流域については、国土交通省の河川事務所がリーダーシップを取っているようです。
江東5区については、各5区が対等な立場でパートナリングして運営しているようです。平成27に協議会が設けられたのが出発点でした。

他には、原子力発電所の周辺において、放射能漏れなどの事故を想定した広域避難の仕組みが設けられています。

 

 

それなりに進んではいるが、まだ啓発フェーズ

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浸水域内人口256万(これは5区合計の総人口とほぼ同じ)ということで、膨大な人数です。

100%の広域避難は目指していない、とのこと。

災害予測日の3日前にアラートを発出して、目標避難人数は74万(つまり29%)とのことでした。

最長で2-3週間に渡り水が引かない可能性があるのですが、体力がある人、病気・ケガなどの理由により移動が困難な人は垂直避難によって対応する他、葛飾区では浸水対応型市街地構想を唱え、浸水しても都市機能(つまり、電気、ガス、水道、トイレを含む下水道などの都市インフラ)が死なないようにすることを目指しているとのことです。

 

このシンポジウムは、公開イベントではありますが、会場の前半分は、地域の自主防災団体のメンバ用に割り当てられており、啓発が目的であることが伺えました。

今まで行った訓練は、

・図上訓練
・一部の団体が、電車に乗って松戸に行くなど

といったところです。

 

まだまだ啓発フェーズのようです。

 

 

やはり苦労しているのは、避難場所の確保

域外に避難するといっても、大規模災害時であれば、その避難先の地域も被災している可能性が高いわけです。受け入れキャパにどの程度の余裕があるかは想定しづらいので、ウェルカムというわけにはいきません。

原子力災害の広域避難であれば、原子力発電所から遠く離れるほど、想定被害は小さくなり、やがてゼロになります。

水害の場合は、規模の大きい水害であるほど、複数の都道府県にまたがるくらいの極めて広範囲に渡って被害が生じる可能性があるため、避難受け入れ先を探すことが困難になります。

 

今のところ、確保できているのは、

・公的な施設
国立オリンピック青少年センター、東京ビッグサイト(東京都と民間企業による第三セクター)

・大学
上智大、東京芸大

などとのこと。

帰宅後、既に確保できている広域避難の避難先のリストを見ようとググってみたのでせすが、これがまったくヒットしないんですよ。理由は不明ですが、避難先リストが公開されていないって、どういうことなんでしょうか?

まあ、いずれにしても、それほど多くの人数分はまだ確保できていないようです。

 

 

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県議会2月定例会での一般質問に活かしていきたいと思います。


今年は、多くの新年会が復活

「あれ?コロナって何年目だっけ?」

と、そろそろ数えられなくなりつつあるくらい、すっかりこのアフターコロナの生活が定着してきました。

答えは、5年目です。

丸4年が経ったということになります。

 

2020年正月~春 パンデミックが発生
2023年5月 感染症法上の扱いを、2類→5類 と変更
2024年1月 ←今ここ!

 

今年の正月は、すっかり新年会が元通りに復活してきました。

 

蕨市内の町会の新年会

町会の新年会については、元通りに復活したところと、 今年も引き続き開催を見送ったところと、まちまちであります。

2021年正月から4年間に渡り開催見送りが続いたので、このまま恒常的に廃止になってしまいそうな町会もあるようです。

 

ご案内をいただいた町会には、ご挨拶に伺っております。

だいたい土日に行われ、時間帯も重なることが多く、そのような際は最初から最後まではいられないのですが、ごくわずかな時間でも伺うようにしております。

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中央七丁目自治会の新年会にて。

下蕨公民館です。

 

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塚越7丁目町会の新年会にて。

場所は、某居酒屋です。

 

 

各業界団体の新年会

蕨市内の業界団体、あるいは県内の業界団体の新年会にお招きいただいた場合も、公務と日時が重ならない限りは、すべて出席させていただくようにしております。

だいたい平日に開かれることが多いですね。

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蕨戸田歯科医師会の新年会にてご挨拶申し上げました。

 

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埼玉土地家屋調査士会の新年会にて。

 

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埼玉県社会保険労務士会の新年会にて。


緑川拡幅工事用地が、透水性舗装になる

蕨市内を、塚越から南町にかけて流れていく緑川については、昨年 令和5年(2023年)11月に、地元の各町会長、地元の蕨市議会議員、県土整備事務所、蕨市道路公園課の方々とともに緑川に沿って歩き、課題や要望を共有したところです。

緑川拡幅工事は、平成10年(1998年)にストップしています。

しかしながら、これ以前に買収済みの土地は確保され続けていますし、平成10年以降も土地所有者から申し出があれば交渉の上で県が買い取る手続きを行っています。

 

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例えば、ここがその拡幅用地。
昨年11月時点。

塚越5丁目の丁張稲荷公園付近です。
(左後ろの木々が、丁張稲荷の敷地です)

後ろ姿は、岡田三喜男 蕨市議会議員(保守系会派:新翔会)

 

 

この時点では、フェンスで囲まれた拡幅用地は、雑草が生えてくることを予防するために、雑草防止シートで覆われていました。

雑草防止シートは完璧ではなく、シートの隙間から雑草が生えてきますし、枯れ草がかなり繁茂していました。

 

 

その後、雑草防止シートから、浸透性舗装への張り替え工事が進められました。

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本年 令和6年(2024年)1月時点。

上記写真と同じ場所(別の角度から)。

浸透性舗装が、くろぐろと光り輝いています。

 

 

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同じく塚越5丁目の、別の場所。

 

 

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こちらは、南町3丁目5番地の、三和橋の角。

看板には「ここは河川用地です」と書いてあります。

この土地は、以前は、雑草防止シートすら設置されておらず、草ぼうぼうでした。

 

 

定期的に雑草の刈り取り作業を行うコストを考えたら、いっそのこと舗装してしまった方が安上がりだ、という判断なのでしょう。