最近、「洋式トイレしか使ったことがないために、和式トイレの使い方を知らない子供達」が増えているそうな。
たしかに、最近、新築される一軒家・マンションならば、たいがい洋式トイレだろうし、ウォシュレットもかなりの確率で装備されているだろう。
学校の和式トイレが使えなくて、排便を我慢して体調を崩してしまったりする子供が増えているらしい。
ホントかな?
そこで、学校のトイレを大規模修繕する時に、洋式化を進めていこう、という運動というか考え方・政策論がある。
個人的には、どうも違和感がある。
広い世の中には、まだまだたくさん和式トイレはある。
今後しばらく、数十年後に至るまで、なくなることはないだろう。
洋式トイレでも、適切な補修や掃除がなされておらずに、便座が壊れていたり汚れていたりしてお尻をつけられる状態ではなくて中腰のまま排便しなくてはならなかったり、防犯のためにドアがなかったり、足元が丸見えのトイレもたくさんある。
「お年寄りが、足腰が弱ってきて、和式トイレにしゃがむことが出来ないので、洋式トイレをふやしていこう」という考え方・政策であれば、納得できるし、その通りだと思う。
実際のところ、防災用の仮設トイレ・ポータブルトイレの類は、洋式便座が増えている。
しかしながら、子供達が和式トイレを使ったことがないから、学校のトイレの洋式化を進めていく、という考え方・政策はおかしいと思う。
和式トイレを使ったことがない子供がいるならば、そのような子供に、和式トイレの使い方を教えていくのが、学校教育の一つの責務なのではないだろうか。
どうでもいい話ですが、私個人的には、公衆トイレの研究が趣味です。
2016年8月、ロシアのニージニー・ノヴゴロドの公園の公衆トイレ。
有料なので、お金を徴収する係員がいます。
常設トイレだけだとキャパ不足なために仮設トイレを増設したようですが、おばちゃんは暇そうでした。
2010年4月、ウイグルのカシュガルの公衆トイレ。
ウイグル語なので、どちらが男か分かりません。
市内中心部は漢人だらけだけど、ゴミゴミしたウイグル人街に漢人が紛れ込んでくることはあり得ないので、中文表記は必要ないわけです。植民地ってこんな感じなんですね。
2016年4月、平壌の万景台の公衆トイレ。
金日成氏の生家がある広大な公園なので、メンテナンスばっちり。
先日読んだ、胡桃沢耕史, 『黒パン俘虜記』という小説では、大東亜戦争後のシベリア抑留の様子が描かれていました。
小説の中での抑留場所は、モンゴルという設定で、トイレは、巨大な穴を掘り、長い板を何枚も渡してあるものだそうです。
任意の2枚の板に両足をおいて、排便するとか。
左右に仲間の兵士がたくさんズラッと並んでいるわけですが、お尻丸出しで排便する時のおしゃべりという、まさに裸のコミュニケーションが辛い日々の中でのちょっとした楽しみだ、と主人公が述べていました。
永久凍土なので、別に臭いなどは発生しないそうです。