埼玉県による七尾市への対口支援が終了

本年元日に発災した能登半島地震における被災地の一自治体である、石川県七尾市に対して、埼玉県は対口支援を行ってきました。

本日、令和6年(2024年)6月19日付で、埼玉県より、七尾市からの申し出により、6月21日をもって対口支援を終了するとの発表がありました。

 

令和6年能登半島地震により被災した方々を支援するため、埼玉県では県内市町村と連携し、1月8日から石川県七尾市に応援職員を派遣しています。

このたび七尾市から今後は同市職員で対応するとの連絡があったことから、6月21日をもって住家被害認定調査などの対口支援を終了いたします。

それに伴い、対口支援の調整のために設置しておりました災害即応室を同日付けで閉鎖いたします。
なお、令和6年4月1日から行っている、災害復旧工事などに係る中長期的な職員派遣については、引き続き、実施してまいります。

 

これまでの七尾市への対口支援について
(1) 派遣期間 令和6年1月8日~6月21日
(2) 従事業務 避難所運営支援、罹災証明書発行支援、住家被害認定調査
(3) 派遣人数 埼玉県:81名、市町村:192名、計273名

 

埼玉県を代表して被災地での支援活動にあたった県職員、県内市町村職員の皆様には感謝申し上げます。

ありがとうございました。
お疲れ様でした。

 

 

引き続き、七尾市の復興の様子を見守りつつ、支援して参りたいと存じます。

 

 

5月29日に訪れた七尾市の様子についての記事は、こちら。


【埼玉県議会】6月定例会が開会

本日、令和6年(2024年)6月17日、埼玉県議会 6月定例会が開会しました。

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本日6月17日開会~7月5日閉会です。

 

地方税法などの一部改正に伴う県税条例の改正案、川口特別支援学校に新たな校舎を建設する(改築ではなく増設)工事請負契約の締結などが上程されております。

 

蕨市を代表して、慎重に審議して参ります。

 

また、本会議では、さいたま市岩槻区選出の小島信昭議員(自民党)に対しまして、24年勤続議員表彰が行われました。


Interop2024見に行ってきました

Interop Tokyo 2024を、幕張メッセまで見に行ってきました。

 

ちょっと久しぶりで、10年ぶりくらいでしょうか。

私が新卒で就職した1997年当時から存在するイベントで、IT関連業界のプロダクト・ソリューションの大規模カンファレンスです。

 

202406 Interop Tokyo 2024

私はエンジニアではないので、個々のプロダクト・ソリューションの具体的な内容や活用事例の中身は、正直、見聞きしてもあまりよく理解できません。

今はほぼ県議会議員の仕事が専業(みたいなもの)なので、この種のプロダクト・ソリューションの導入にあたり選定・意思決定する立場でもありません。

 

 

しかしながら、このイベントは、出展しているプロダクト・ソリューションのトレンドを長期的に追っていくことによって、大まかな業界の流れが見えてきます。

つまり、手っ取り早く、世の中の流れを把握し、将来を予測するためには便利です。

ということで、今でもできれば5~10年毎くらいに訪れるようにしています。

 

 

202406 Interop Tokyo 2024

会場の幕張メッセへ。

 

 

202406 Interop Tokyo 2024

出展企業のカテゴリ比率を見るだけでも、業界の流れが分かります。

 

 

昔は、コンシューマ向けや、スモールビジネス向けのプロダクトもけっこう出展していました。

今は、ほぼエンタープライズ向けプロダクト・ソリューションしかありません。

 

 

ところで、今回のInterop 2024の副題は、↑ 冒頭の写真の背景にある通り、

AI社会とインターネット

なんですよ。

 

取り敢えず、AIが流行ってますからね。

 

しかしながら、出展プロダクト・ソリューションの中から、圧倒的に大多数を占めていたのは、

・セキュリティ
・運用
・ネットワーク管理・監視

でした。

 

コロナ禍を経て、リモートワークが普及し、定着した結果、新たな課題が出てきて、これに対処するためのプロダクト・ソリューションが求められるようになってきた、といったところでしょうか。

 

 

202406 Interop Tokyo 2024

派手さはなく、あまり目立ちませんが、この領域が今は市場の中心であり、圧倒的にユーザ企業に求められているわけですね。

 

202406 Interop Tokyo 2024

AI社会と関連は、みんなが期待するような最先端のものは、まったく無し。

・画像処理(画像による人流分析・在庫管理などを含む)
・テキスト処理

といった、言わば初期の原始的なAIがほとんどでした。

 

あとは、ごくわずかに、

・生成AI導入支援

これは、要するに単なるコンサルビジネスですね。
汎用的なプロダクトを作り上げるまでに昇華していない、といったところです。

 

他に、初期の原始的なAIとも言える、

・RPA

については、若干出展していましたが、

・bot系

の出展はありませんでした。

 

 

意外なことに、

・ERP関連
・SFA関連
・ビジネスコミュニケーション・コラボレーションのツール

についての出展は皆無でした。

 

202406 Interop Tokyo 2024

他に出展が多かったのは、

・サイネージ

ですね。

 

この領域は、3次元化、カスタマイズド化が、否応なしにこれから進んでいくわけですが、そこまでのプロダクト・ソリューションは展示されていませんでした。

 

 

他に、複数社が出展していることに驚いたのが、

・オフショア開発受託

でした。

 

JPYがますます弱くなりつつある今、オフショア開発なんか受注側・発注側それぞれメリットがあるのだろうか?

さすがに、チャイナ(大陸中国)の出展はなく、ほとんどがベトナムでしたが、1社だけミャンマーも出展していました。


能登半島地震被災地訪問(5) 珠洲市

珠洲市内へ。

 

珠洲といえば、ミドル距離の珠洲トライアスロンに2回出たことがあります。

ランのエイドに置いてあるスイカが甘くて絶品でした。

暑かったけど、楽しい大会でした。
レースそのものよりも、フィニッシュ後に眠気と戦いながらクルマを延々と運転して帰るのが何より辛かったことが思い出されます。

 

 

202405 能登半島地震被災地 珠洲

傾き、あさっての方向を向いたままの信号機。

 

 

202405 能登半島地震被災地 珠洲

市内の建物倒壊率は、七尾市や輪島市よりも高いように感じました。

 

 

202405 能登半島地震被災地 珠洲

この街も、ぎりぎりクルマが通れる程度の幅を残して道路上からガレキを除けただけで、ガレキ撤去作業はほとんど進んでいません。

 

 

202405 能登半島地震被災地 珠洲

古い家屋が多く、ほとんどすべての家が多かれ少なかれ被災しているように見えます。

 

 

半島内の各市中心部を回りましたが、どこも復興どころか、ガレキの撤去作業がほとんど進んでいません。

重機やダンプカーなどの姿すら見かけませんので、作業が進んでいる様子もありません。

 

 

202405 能登半島地震被災地 珠洲

30cmほども隆起したマンホール。

 

 

202405 能登半島地震被災地 見附島(軍艦島)

見附島(軍艦島)。

珠洲トライアスロンのラン折り返し地点がここでした。

もはや軍艦のような威容ではなくなり、ただの島になってしまいました。

 

 

(能登半島地震被災地の写真レポートは、このエントリで終わり)

あらためて、被災した方々には心よりお見舞い申し上げます。

能登半島地震被災地訪問(1) 七尾市・和倉温泉

能登半島地震被災地訪問(2) 半島の西部–志賀町・輪島市

能登半島地震被災地訪問(3) 輪島市中心部

能登半島地震被災地訪問(4) 多数の飼い猫が行方不明に


能登半島地震被災地訪問(4) 多数の飼い猫が行方不明に

輪島市中心部では、地震・火災の際に逃げ出してしまい、そのまま行方が分からなくなった飼い猫を探す貼り紙が多数掲示してありました。

 

202405 能登半島地震被災地 輪島

 

202405 能登半島地震被災地 輪島

 

202405 能登半島地震被災地 輪島

 

202405 能登半島地震被災地 輪島

 

災害時に犬猫は行方不明になりやすいのです。

どこかで捕獲・保護されたとしても、誰が飼い主か分からなければ、飼い主の元に戻せないこともあります。

室内で飼っていた犬猫ならば、首輪をしていないことも多いでしょう。

 

 

このような際に、飼い主を探すのに有用なのが、犬猫のマイクロチップ情報登録です。

動物愛護管理法により、ペットショップ・ブリーダーにより新規に販売される犬猫へのマイクロチップ装着は2023年に義務化されております。

しかしながら、義務化される前に販売された犬猫や、個人間で譲渡された犬猫は、マイクロチップ装着していない犬猫も多数おります。

 

 

犬猫をお飼いの皆様で、マイクロチップ装着をしていない方々には、災害対策として、是非とも速やかにマイクロチップ装着なさることをお勧め致します。

本年、県議会 令和6年(2024年)2月定例会の予算特別委員会でも、県による犬猫マイクロチップ装着の啓発活動強化を訴えたところです。

 

(続く)

能登半島地震被災地訪問(1) 七尾市・和倉温泉

能登半島地震被災地訪問(2) 半島の西部–志賀町・輪島市

能登半島地震被災地訪問(3) 輪島市中心部

 

能登半島地震被災地訪問(5) 珠洲市


能登半島地震被災地訪問(3) 輪島市中心部

輪島市中心部へ。

 

202405 能登半島地震被災地 輪島

道の駅に隣接して設けられた仮設住宅。

バリアフリー構造になっています。

 

 

市内では、ドラッグストア、ガソリンスタンド、スーパーなどは平常通りの営業を行っております。

多数のパトカーがパトロールしていました。
全国各地から対口支援が入っており、たまたますれ違ったパトカーは、鹿児島県警のパトカーでした。

 

 

202405 能登半島地震被災地 輪島

多くの建物が傾いています。

 

 

202405 能登半島地震被災地 輪島

斜めに傾いた電柱。

 

 

202405 能登半島地震被災地 輪島

倒壊した建物の比率は、七尾市中心部より多く感じます。

 

 

202405 能登半島地震被災地 輪島

ぺちゃんこに倒壊し、ガレキが道路にまではみ出ていますが、撤去されずにそのままになっています。

 

 

202405 能登半島地震被災地 輪島

輪島塗の五島屋本社ビル。

1973年築、7階建て、RC造。

 

 

202405 能登半島地震被災地 輪島

基礎部分がすっぽ抜けるような形で倒壊しています。

基礎の鉄筋類が見当たりません。

 

建築工学的にはこのような倒れ方は考えられないようで、まだ倒壊のメカニズムについて調査研究中のようです。

 

 

202405 能登半島地震被災地 輪島

大規模な火災が発生した朝市地区へ。

 

 

202405 能登半島地震被災地 輪島

まだ少し焦げ臭さが漂います。

 

 

202405 能登半島地震被災地 輪島

不思議なことに、電柱と電線は残ってます。

 

 

202405 能登半島地震被災地 輪島

自動販売機が横倒しになっています。

 

 

202405 能登半島地震被災地 輪島

空き地は雑草が繁茂していました。

 

 

202405 能登半島地震被災地 輪島

空調設備の室外機。

 

 

202405 能登半島地震被災地 輪島

ガレキは雨ざらしのため、赤錆だらけになっています。

 

 

202405 能登半島地震被災地 輪島

 

 

202405 能登半島地震被災地 輪島

 

 

202405 能登半島地震被災地 輪島

 

 

202405 能登半島地震被災地 輪島

 

 

202405 能登半島地震被災地 輪島

 

 

202405 能登半島地震被災地 輪島

 

 

202405 能登半島地震被災地 輪島

なんともショッキングな光景が一面に広がっていました。

 

重機が入ってガレキ撤去作業をしている建物が一箇所だけありましたが、ガレキはほとんど手つかずでそのままになっています。

 

復興支援のために、輪島塗のお椀でも買って帰ろうかと考えていたのですが、開いているお土産屋は一軒もありませんでした。

 

(続く)

能登半島地震被災地訪問(1) 七尾市・和倉温泉

能登半島地震被災地訪問(2) 半島の西部–志賀町・輪島市

 

能登半島地震被災地訪問(4) 多数の飼い猫が行方不明に

能登半島地震被災地訪問(5) 珠洲市


能登半島地震被災地訪問(2) 半島の西部–志賀町・輪島市

能登半島の西岸の海沿いを、羽咋市 → 志賀町 → 輪島市と北上しました。

 

202405 能登半島地震被災地

観光名所である巌門

かつては波の侵食によって岩がくり抜かれ、門のようになっていたようですが、すっかり崩れて埋まってしまいました。

ここを訪れる観光客を目当てにした土産物屋や飲食店があり、遊覧船も運航されていたようです。

 

 

202405 能登半島地震被災地

巌門の近くの道路。

ひび割れた箇所に赤いスプレーで印がつけてあります。

 

 

202405 能登半島地震被災地

幹線道路沿いの土砂崩れ箇所の工事現場。

このような工事は、あちこちで見かけました。

 

 

202405 能登半島地震被災地

能登半島全域に渡り、黒光りした重厚な瓦屋根を用いた家屋がたくさんありました。

やはり重いものと思います。

地震には弱いでしょうね。

 

瓦屋根の一部が壊れ、ブルーシートをかぶせて応急措置を施している家屋は、無数にありました。

 

202405 能登半島地震被災地

ちょっとした観光名所のトトロ岩

かつては、写真右側にも耳のような部分がついており、左右対称で、トトロのような形だったそうですが、崩れました。

 

 

202405 能登半島地震被災地

海沿いの幹線道路。

道路に段差ができたり割れたりした箇所は、簡易舗装によって応急措置が施されています。

あくまでも簡易な措置であり、ついうっかりスピードを出したまま乗りかかってしまうと、衝撃で突き上げられてしまうことになります。

 

 

202405 能登半島地震被災地

地盤隆起により、テトラポットの内側の浜辺が干上がっています。

テトラポットの白色の下半分は、かつては海水面下にあったものと思います。

 

 

202405 能登半島地震被災地

黒島漁港

小さな漁港です。

地盤隆起により、堤防の内側の港がすっかり干上がってしまいました。

もはや港としては使い物になりません。

 

 

202405 能登半島地震被災地

黒島地区

かつては、天領として、北前船の海運業で栄えた集落です。

伝統的な家屋が保存されています。

黒光りする重厚な瓦屋根、横板の壁面が特徴です。

 

 

202405 能登半島地震被災地

かなりの数の家屋が倒壊し、倒壊したままになっています。

 

 

202405 能登半島地震被災地

倒壊していない家屋も、傾いたり、何らかの被害を受けたところが多いようです。

 

 

202405 能登半島地震被災地

集落の鎮守の杜である、黒島 若宮八幡神社。

鳥居が倒壊しています。

 

 

202405 能登半島地震被災地

江戸時代の古い町並みが保存されており、集落内にはクルマが通れないような細い路地が縦横に走っていますが、この写真のように通れなくなっている箇所も多数あります。

 

202405 能登半島地震被災地

鹿磯(かいそ)漁港

ここは規模の大きな漁港です。

ここは最大で4m地盤隆起しました。

 

 

202405 能登半島地震被災地

漁船が港内に転覆したまま放置されています。

 

 

202405 能登半島地震被災地

干上がってはいませんが、地盤が露出しており、港として使用できる状態ではありません。

 

黒島漁港と鹿磯漁港は、3月に、天皇皇后両陛下が行幸啓されお見舞い賜りました。

 

続いて海沿いの道を北上しようとしましたが、まだ一般車通行止め(災害支援関係者、居住者のみ通行可)の箇所が多く、内陸の道路を通って輪島市中心部へ向かいます。

(続く)

能登半島地震被災地訪問(1) 七尾市・和倉温泉

 

能登半島地震被災地訪問(3) 輪島市中心部

能登半島地震被災地訪問(4) 多数の飼い猫が行方不明に

能登半島地震被災地訪問(5) 珠洲市