アフター・コロナの時代に向けて

9年前の東日本大震災が、日本人の社会の仕組み、価値観を変えたように、このたびのコロナ禍も、社会の仕組み、価値観を変えるでしょう。

 

何としても、このコロナ禍を生き延びて、次の時代に備えたいところですよね。

 

 

カミュの『ペスト』

参考になるかと、今、爆発的に売れているという、カミュの『ペスト』を読んで見ました。

カミュと言えば、大学生の頃に『異邦人』は読んだことありますが、何が何だかさっぱり理解できず、今となっては粗筋も全く覚えておりません。
自分の将来は可能性に満ち溢れている(と、根拠もなく確信している)大学生くらいが読んでも、何が何だかさっぱり理解できなくて当たり前じゃないんでしょうかね?

 

この小説も、まあ、正直言って、新型コロナウイルス対策としては、あまり役には立ちませんね。

そもそも、1940年代に発表されたこの作品において、カミュが描いたペストは、戦争とか貧困とか悪の象徴なんだそうです。特に、WW2の直後であるという時代背景を考えると、否応なく巻き込まれ、それぞれの立場で立ち向かわざるを得ない不条理そのものである戦争を描いたもの、という解釈が主流のようです。ペストの厄災との戦いそのものを描いたわけではなく、ペストを通じて戦争を喩えたわけです。

 

ということで、あまり参考にならなかったこの本ですが、面白いと感じたのは、

・買い占めが発生していない。

・雇用の問題が全く描かれていない。

・経済政策が全く語られていない。

・人種差別、患者・家族差別がない。
(舞台となっている街は、植民地であり、フランス領アルジェリアにある架空の海外県)

という点です。

これは、作者の想像力を超えた部分だったということではなく、そもそも描く必要がなかったのでしょう。

 

登場人物が、それぞれの立場で、様々な考え方でペスト禍と都市閉鎖という不条理に立ち向かっていく姿とその心理描写が中心となっています。

語り部の医師がまったく感染しないという都合のいい設定から推測するに、おそらく、医学的な考証も厳密には為されていないのではあるまいか。

もちろん、戦争という不条理の比喩としてペスト禍を用いただけなのであれば、経済的・政治的な要素を描く必要はなく、厳密な医学的考証も不要なわけですが。

 

そう言えば、設定された舞台となっている街が、アルジェリアにあるフランス海外県であり、(植民地であるにも関わらず)諸々の物資がほぼ自給できている、独立した生態系を持った都市である、という設定も、不自然ではありますね。

 

 

 

1980年代には、「人類は感染症を克服しつつある」と考えられていたらしい

並行して、公衆衛生学の本を幾つか読んでいるのですが、医学・科学の進歩によって、天然痘、結核などを克服した後、「もはや全ての感染症は克服される」と考えられていた時代があったそうです。

その後の経緯は、説明の必要もありませんが、HIV、エボラ出血熱、SARSなど様々な感染症がたびたび流行することになります。

 

本日付け(令和2年、2020年3月29日)読売新聞朝刊では、

[あすへの考]<文明が生む感染症>コロナ、現代的パンデミック…長崎大熱帯医学研究所教授 山本太郎氏 56 : 医療・健康

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山本太郎 長崎大熱帯医学研究所教授(れいわ新選組の人とは同姓同名の別人)によって、

流行するウイルスを選び出し、パンデミックへと性格づけるのは、その時々の社会のあり方ではないかと。
僕たちの社会にはいつも様々なウイルスが入り込もうとしている。たまたま社会がそれに適した状態になっていると、ウイルスが入り込み、わーっと広がっていく。

という考え方が提示されており、HIVは、アフリカのチンパンジーに寄生していたウイルスを食べた人に感染し、当時の植民地政策と近代医学の拡大という社会状況が、感染拡大を促進した、という例が挙げられています。

 

この考え方が真であるならば、今後も、人類は、定期的に流行する感染症と、戦い続けなくてはならず、そのたびにバタバタと人が死んでいくことになります。

 

 

アフター・コロナの時代はどうなるか?

まあ、そんなの分からないのですけど、非体系的に、幾つか箇条書きで、思いつくままに現時点での予想を書いてみますと、

 

 

・世代間の対立が激化する。

世代間は、元々、利害が対立するものです。それを、感情的なレベルでの対立、世代間闘争というレベルにまで激化しないような緩衝装置を設けるのが、政治の一つの役割だと思います。

新型コロナウイルスは、子供・若者は感染しても発症しずらく、発症しても重篤化しにくい一方で、シニア世代は発症しやすく、重篤化しやすい、という非対称性があります。

このたびのコロナ禍への対応の過程で、小中高校は休校を迫られ、勤労世代は緊急ゆえに不十分なインフラ・制度のままリモートワークを迫られる一方で、シニア世代がマスク・トイレットペーパー類の買い占めのために早朝からドラッグストアをハシゴして列に並んで意図せず濃厚接触を行うなど、世代間の利害の対立が明確に浮き彫りになりました。

様々な緊急対応が迫られたため、緩衝装置を設定する余裕がなかったことが理由です。子供、勤労世代に自粛を求めるのであれば、シニア世代にも自粛を(半ば強制的に)求める仕組みが必要でしたがそれを設定する間がありませんでした。

世代間の不満はマグマのように蓄積し、どこかで爆発する危険性があります。

 

 

・宗教の重要性が増す。

ローマ教皇、聖職者らに外出して新型コロナ患者と会うよう呼び掛け

【3月10日 AFP】ローマ・カトリック教会のフランシスコ教皇( Pope Francis )は10日、聖職者らに対し、新型コロナウイルスによって病気になった人々に「会いに行く勇気を持つ」よう呼び掛けた。 【関連記事】バチカン、新型ウイルス初感染発表(3月6日) …

私が今回のコロナ禍の中で、震えるほど感動したのは、ローマ教皇の、カトリック聖職者に対する、「患者に会いに行く勇気を持つように」というお言葉でした。

イタリアは、医療が崩壊して、全ての患者が適切な医療を受けられず、放置されたまま座して死を待つしかない人がたくさんいる状況のようですが、そのような患者にも会いに行き、抱きしめて最後の慰めを与えてあげなさい、ということです。

その結果として、イタリアのカトリック聖職者の新型コロナ感染者数、死者数は激増しているそうです。

私は仏教徒ですので、キリスト教には宗教的な興味はありません。
しかしながら、感染したり、死ぬことを恐れずに宗教家としての使命を全うしようという、ローマ教皇の呼びかけには、危機における宗教の役割を教えられました。

翻って我が国の仏教を省みるに、このコロナ禍において、何か心の慰めとなるようなメッセージを発信したお坊さんがいたでしょうか。
まあ、いないこともないと思いますし、真面目に道を歩んでおられるお坊さんもたくさんいると思いますけど、我が国の堕落した葬式仏教は残念です。

今回のコロナ禍、東日本大震災のようなときに、心の支えになるものは、愛する人の存在や、宗教、あるいは宗教のようなものしかないでしょう。

 

 

・仕事のやり方が劇的に変わる。

一気にリモートワークが進んでいます。
システムインフラも、社内の制度も不十分なまま、必要に迫られてリモートワーク体制に突入した会社も多いでしょう。

しかしながら、意外といけるじゃん?まったく問題なくね?という会社が多いようです。

この流れは、コロナ禍が去った後に、後戻りすることはありません。

リモートワークが進展する結果、会社による従業員への拘束は弱くなり、従来からの流れである、副業・兼業促進がますます進むことでしょう。

 

コロナ対応でのリモートワーク化の流れの中では、大企業と中小零細の違いもはっきりと別れました。

大企業は、人材のレベルも高く、ITインフラも整っていて、リモートワークの実現は容易ですが、中小零細は大変ですよ。

私も零細企業の経営者ですが(今は実質、休眠状態ですが。そして、経営者としての器の小ささを棚に上げて申し上げますが)、社員にリモートワークしてもらうなんて、怖くてできないですよ。

 

ついでにいうと、私は市議会議員なので、市の行政の現場を日々じっくり観察しておりますが、市役所の中というものは、リモートワークの類は全く行われておりません。
このコロナ禍が去った後、この業界にも、リモートワークによる「働き方改革」は大胆に取り入れられていくようになるでしょう。

役所は、窓口業務が多い上に、文書主義のカルチャーがありますが、実は、ネット上の様々なサービスに置換していくことは、意外とカンタンなはずです。
窓口業務の大部分はchatbotに置換できるし、文書主義だって、文書主義のスピリットを変えずにクラウド化する手法は既に幾らでも実現されてますよ。

 

 

・米中対立が激化する。

覇権循環論的に言うと、古いパワーの米国から、新しいパワーのチャイナへと覇権が移りつつあるのが20世紀後半~21世紀前半の今のタイミングで、対立するのは当たり前なのだが、それが今回のコロナ禍への対応で、先鋭化した。

これは、卒論が書けるくらいの大きなテーマなので、細かく書くのは別の機会においいとくとして、我が国は、米国の同盟国であると同時に、チャイナ文明を祖としている面もあるので、覇権の移行において、果たすべき特別な役割があるはず。

できるだけ血が流れる量を少なくするように、我が国にしかできない役割をいかに果たすべきか、我が国の国政レベルの政治家にはしっかり考えてもらいたい。

 

従来の覇権理論では、覇権を握る国家は、

・民主的であること
・オープンであること
・尊敬され、憧れられる存在であること
・強大な経済力を持っていること
・強大な軍事力を持っていること
・ソフトパワーを持っていること(=米国においては、ハリウッド映画、コカコーラ、ディズニーランド、マクドナルド)

が必須の条件とされていた。

 

現今の中共は、

・民主的であること
・オープンであること

を否定したまま、覇権を握る方法を模索するという、歴史上初めての挑戦を試みているわけだが、これは、個人的には、今の時点では、成功する可能性は低いと思う。これが成功してしまうと、人類が営々として築き上げてきた文明の根底が崩れてしまう。予測というよりも、願望ですけど。

 

・東京オリンピック・パラリンピックは大成功する。

まー、楽観的に考えて(根拠はないけど)、今年中にはコロナ禍は収まるのでは?

来年行われる(時期は、今時点では未定だ)では、人類が新型コロナウイルスを克服した象徴として大盛り上がりを見せることだろう。

 

 

・フェイクニュースはなくならない。

ガキの頃(1980年代)の教科書には、オイルショックの時に、トイレットペーパーを買い占めるバカな人たちがたくさんいましたwwwwと書いてあって、授業で大笑いしたものだった。

でも、その頃の世代を笑えない。

マスクがないのは、まあやむなしとしても、トイレペや米が何でなくなるのか?

マスは愚かであって、これからも愚かであり続ける。多くの人が買い占めて、現実的に店頭在庫が払底になってしまい、明日にも困る状況になれば、私もまた、トイレペや米を買うために店頭に並ばなくてはならない。これは誠に悲しい、愚かなパラドクスだ。


蕨市の小中学校は、卒業式に引き続き、入学式も縮小して行う

最近、本当に新型コロナウイルスが怖くてたまりません。

明け方、ふと目が覚めると、布団の中で不安でたまらず、再び眠りにつくことができません。

 

2011年、東日本大震災のときは、発災直後、被害の大きさが刻々と明らかになる中でも、希望がありました。
力を合わせてこの困難に打ち勝っていこう、ある程度落ち着いたら、被災地にボランティアに行くなり、それぞれの持ち場で、復興に向けてできることをやっていこう、全力でお金を使いまくって経済を回していこう、という、難局に立ち向かう前向きな明るさがありました。

新型コロナウイルスに対しては、医療従事者などの専門家を除いては、何もできることはありません。

家にいるしかない。
何もせずにじっとしているしかない。

 

 

しかしながら、現実的には、全ての社会的役割、責任を放棄して、24時間、自宅にこもっているわけにはいきません。

外出時に、どれだけ気をつけて、手洗い・うがいを行い、マスクを着用していても、感染リスクがゼロになるわけではありません。

 

 

今のところ、海外では猖獗を極めている新型コロナウイルスも、我が国においては実効再生算数が1を上下する状況です。

先の三連休をはさんで、周りを見渡すと、一気に「自粛疲れ」ムードが広まってきたのを感じます。

我が国においても、危ない橋を渡り続けている状況には変化はなく、いつオーバーシュートが発生しないとも限らないし、その時、自分や、愛する家族、友人・知人が感染するかもしれない、医療が崩壊して適切な治療を受けられず、自分が死ぬかもしれない、大切な人を失ってしまうかもしれない・・・このように、明け方の布団の中で考え出すと、怖くて怖くてたまりません。

(私の理解では)ウイルスによって一つの種が滅びることはあり得ないはずなので、いずれは(いつかは分からないが)収束するでしょう。しかしながら、その時には経済はボロボロで、生活が成り立たずにバタバタ倒れる人が出てくるかもしれない。

 

 

地方議会にできることは、ほとんど何もない

蕨市議会は、先の記事で述べたように、新型コロナウイルス感染拡大防止のために、一部の議員を除いて一般質問を自粛するなどして日程を短縮して終えました。

今のような、危機の最中においては、地方レベルの議会にできることは、ほとんど何もありません。

地方レベルの議会にできることは、復旧・復興フェーズに移ってから、上記に述べたような「経済はボロボロで、生活が成り立たずにバタバタ倒れる人が出てくる」状況を防ぐための政策を打ち立てていくことです。

 

 

蕨市の小中学校の卒業式は、縮小して終了した。

当初、全面的に中止の予定でしたが、様々な苦情の声が多かったと見えて、方針を転換して、卒業生のみ(在校生、保護者、来賓の出席は、無し)で開催しました。

本日、令和2年(2020年)3月24日(火)は、市内の各小学校で卒業式が行われたはずです。

 

 

今のところ、蕨市の小中学校の入学式は、縮小して開催する方針

本日、蕨市当局より発表になったところによると、令和2年(2020年)4月8日(水)に、縮小して開催する方針のようです。

出席者の範囲は、卒業式の時と比べると、制限を緩めています。

保護者(一つの家庭当たり、小学校は2人まで、中学校は1人まで)の出席は許し、来賓は無しとするとのことです。

もちろんこれは、今の時点での判断の結果なので、今後、諸々の条件が変われば、異なる判断が下される可能性もあります。


蕨市議会 3月定例会では、一般質問を自粛

ただ今、開かれている、蕨市議会の令和2年(2020年)3月定例会においては、一般質問を自粛することとなりました。

 

一般質問というものは、大から小まで市政のあらゆるテーマについて、議員各自が自由に発言できる機会です。

「質問」という名前ですが、一般的な言葉としての「質問」とは全く異なります。
授業で、分からないことを生徒が先生に「質問する」というのとは、根本的に違います。「予算のこの項目の内訳と算出根拠はなんですか?」といったように、文字通り何かを尋ねる、聞くという機会は他にあります。
一般質問は、主に、行政当局に対して、何かを要望したり、提案したりする機会です。

自治体によって、議員各自の持ち時間、回数制限などの仕組みは異なります。
蕨市議会においては、年に4回の定例会の毎回、全員が一般質問をすることが可能で、持ち時間は30分間(自分が発言する時間だけを合計して算出する。答弁を聞く時間は含まない)となっています。
自治体規模が大きく、定数が多い地方議会では、年に1回しか発言機会がないようなところもあるようです。小さな街の蕨市議会は、機会が充実していると言えます。

 

 

自粛する理由

言うまでもなく、新型コロナウイルス感染拡大防止のためです。

 

2月27日の国政府の要請に基づいて、3月2日から小中学校を急遽休校することとなりました。
また、図書館、公民館、児童館、歴史民俗資料館などの公共施設も、相次いで休館・業務縮小しています。
休校・休館・業務縮小したからといって、仕事がなくなるわけではなく、様々な事後処理や、問い合わせ対応などで、むしろアドホックに現場の業務量は激増しています。
これらの対応に当たるために、行政リソースを集中投下する必要がありました。

一般質問というのは、前述のように一人当たりの持ち時間が30分間で、答弁も含めれば、おおよそ1時間くらいのものですが、そのための準備に、予想以上に多くの人員が、多くの時間をかけて当たるものです。

国や県はいざしらず、市町村、特に蕨市のような小さな街では、ぎりぎりの人数で業務を回しており、キャパの余裕はそれほどありません。

 

また、疫学的に、この1,2週間が、我が国における感染拡大防止のために重要であるとされており、世の中全体の人と人との接触機会を減らすことが有効であるとされていました。

発熱などの症状が出ておらず、一見して健康ながらも、既にウイルスを保有している人も身近なところにいる可能性があります。このようなキャリアが打合せ・会議に出たり、公共交通機関を通じて移動することにより、ウイルスの媒介者となり、感染を拡大してしまう可能性があります。

そのため、疫学的に、打合せ、会議の類、交通機関を通じての移動を、極力減らすことが有効とされていました。

 

経済活動を萎縮させる、子供の死亡率はゼロに近いため学校の閉鎖は疫学的に意味がない、医療従事者の子供が自宅待機となれば親が働きに出られなくなってしまうケースもあり医療リソースが減少してしまう、など、特に学校の休校には批判の意見もあります。それも一考に値するものです。

 

しかしながら、熟議を重ねている時間的余裕はなく、強力なリーダーシップの下で、迅速な意思決定と実行が必要な状況であり、それが危機管理の要諦です。

その際に、リーダー以外のメンバに求められるのは、権利の制限も含めて粛々と能動的に受け入れるフォロワーシップです。

 

Zoomのようなweb会議のソリューションを使って議会が開ければいいのですが、今のところ、そのような仕組みはありません。実用上は可能だと思いますけど。今のところは、正装で、議場という場所に集まって、出席数を確認して~~挙手して指名されたら発言して~~採決するという一連の流れが、議会運営ルールの大前提です。

 

 

自粛するに至った経緯

議会全体で、「取り下げ」要するに中止をすることを目指して、議会内会派である、令政クラブ(自民党系、私が所属しているところ)、日本共産党、公明党の代表者会議では合意したものの、会派に所属しておらず、一人で活動している議員5名の意見を聞くために、全員協議会を開くこととしました。

代表者会議とは別に、議会運営委員会という組織があります。3会派のメンバのみで構成されており、一人で活動している議員5名は意思決定に参画できないので、議会運営委員会で強引に「取り下げ」を決めてしまうという方法もありました。

しかしながら、敢えてこの方法を取らず、全員協議会での全会一致を目指したのは、少数意見に配慮するために、より丁寧な手続きを取った、ということになります。

全員協議会にて、会派に所属しておらず、一人で活動している議員5人の意見を問うたところ、うちの4人が、反対し、この時点で、議会全体での「取り下げ」は無し、となりました。

そこで、議長により、口頭での「配慮の要請」を出したという次第です。

当初は、「自粛の要請」という表現を用いることを模索したのですが、これに対して、代表者会議内で懸念を示す意見があり、最終的には「配慮の要請」に落ち着いたものです。

反対した4議員は、一般質問を強行するようです。

 

 

一般質問中止について、批判の意見もある

<新型コロナ>地方議会、一般質問の中止相次ぐ 「議員の大切な権利」疑問の声も

栃木県足利市議会では、議員も市執行部もマスク着用で開会。一般質問もマスク着用のまま行う=足利市役所で …

他の自治体でも、一般質問の中止は相次いでいますが、東京新聞の報道のように、「議員の大切な権利」を放棄するのは何事か、という批判の声もあります。

 

もちろん、この時期だからこそ、行政当局に対して、要望、提案しなくてはならないことも多々あるでしょう。

私も、国からの小中高校の閉校要請が行われる直前までは、新型コロナ対策の関連で、

・市のマスク備蓄品の市民への原価程度の有償での放出
・学校を含めた公共施設の閉鎖(これは、その後、実行されたわけですが)
・市役所の、窓口以外の部署のオフィス閉鎖とリモートワーク実施

などを提案するつもりでした。

 

新型肺炎 一般質問、初の中止に 「こんな時期に」 市民から疑問の声も 志摩市議会 /三重 – 毎日新聞

新型コロナウイルスの感染拡大に関連し、志摩市議会運営委員会が2日開かれ、5日から始まる本会議での一般質問を中止すると決めた。「感染対策に市行政が万全の態勢で臨むように配慮した」と説明しているが、市民からは「こんな時期だからこそ本会議を開かなくては」と、議会の対応をいぶかる声が出ている。同市議会が一般質問を中止するのは初めて。 …

こちらの記事では、

市民からは「こんな時期だからこそ本会議を開かなくては」と、議会の対応をいぶかる声が出ている。

このような「市民の声」が紹介されています。

 

何をしても、あるいは何をしなくても、反対したり批判したりする人はいるものですが、私としては、このような意見にも真摯に耳を傾けたいと思います。

もはや封じ込めの時期ではなく、感染拡大の防止を目指すべき時期である以上、人と人との接触機会の極小化、行政リソースの集中投下のために、一般質問の自粛というやむを得ない判断は、今の時点では最善のものと思料します。


わらびりんご通り(元蕨法華田線)と蕨中央通り線の交差点の交通信号が、本日カットオーバしました。

本日よりひっそりとサービス開始しました。

ここから一つ西側の交差点の信号機(都市計画道路蕨中央通り線と都市計画道路錦町富士見線の交差点)が歩車分離式なので、こちらも同様になるのかと思っていたのですが、そうではなかったようです。

IMG_20200307_180055

夜の様子。

 

↓ 昼の様子は、須賀県議のFB投稿の写真をご覧ください。


わらびりんご通り(元蕨法華田線)と蕨中央通り線の交差点の交通信号は、3月7日(土)10時運用開始

かねてより交通信号の設置を要望していた、わらびりんご通り(元蕨法華田線)と蕨中央通り線の交差点については、

須賀県議からのご案内の通り、既に設置が12月に決まっております。

 

当初は、今週の月曜から運用開始との予定でした。
小中学校休校のためか、雨続きでライン引きの作業が間に合わなかったためか、この週末の令和2年(2020年)3月7日(土)10時に、運用開始日時が変更となっております。

場所は、ここ。
地図上でオレンジ色の点の交差点です。

青い線の南北の道路が、わらびりんご通り、またの名を、都市計画道路 元蕨法華田線。

交差点から東西の道路が、都市計画道路、蕨中央通り線。