平成26年(2014年)8月20日の豪雨により、77名の方がお亡くなりになるほどの大規模な大規模な土砂災害が広島市で発生しました。
私は、平成26年(2014年)9月2日に現場を視察してきたところですが、このたび、広島市豪雨災害伝承館がオープンするというニュースを目にし、9年ぶりに当地を訪問し、復旧復興の様子を視察して参りました。
被災地である八木・緑井地区の概要
広島市は、平地部分が狭く、人口増とともに、山間部の斜面に分け入るように住宅開発が進んできました。
豪雨災害の代表的な被災地である、八木・緑井地区も、そのような斜面の谷筋の新興住宅開発地域です。
たびたび氾濫を起こした太田川、幹線国道54号線、JR可部線と、山並みが並行しております。
高度経済成長期に、山並みの谷筋が宅地開発されていきました。
この地は、広島市の中心部からは電車あるいはバスで(どちらでも行ける。時間も同じくらい)40分くらいです。太田川に沿った幹線道路である国道54号線には、全国どこでも見かけるような郊外型ロードサイドチェーン店が立ち並んでいます。
落ち着いた郊外住宅地域といった感じです。
斜面の谷筋が宅地開発され、立ち並んでいる家々は、高度経済成長期に建てられた古い家もあれば、世代交代とともに建て替えられたような新築家屋もあります。
また、単身者を想定したようなアパートもあります。
当地では、過去の土砂崩れの歴史を知らせ、子孫に対して注意を促す伝承があったようですが、世代交代とともに警戒が薄れていったようです。
また、特に被害が大きかった八木地区には県営住宅があるのですが(今でもある)、
・県営住宅があるくらいだから、たぶん大丈夫なんだろう。
・行政が宅地開発を許したわけだから、たぶん大丈夫なんだろう。
・既に他にも人が住んでいるし、たぶん大丈夫なんだろう。
と、この地域の住宅を購入して引っ越してきた方々の思考プロセスにおいて正常化バイアスが働いていたことが、様々なインタビュにおいてレポートされています。
被災地の復旧
9年も経っているので、もはや、被災した当時の爪痕のようなものはあまり残っていません。
しかしながら、そこかしこに空き地がありました。
2014年9月の八木用水
堆積した泥をバキュームしていました。
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2023年8月の八木用水
未だに路面に土砂が堆積している・・・といったことは無く、この地域の古い農業用水である八木用水には、今では透き通ってきれいな水が豊かに流れていました。
郊外住宅地であり、平日の昼に訪れましたので、そこらを出歩く人の姿は、下校途中の小学生くらいであり、落ち着いた静かな雰囲気でした。
2023年8月
こちらは、家を取り壊した後、再建せずに引っ越ししたのでしょうね。
2023年8月
こちらにあった家の方がお亡くなりになったようで、お花が備えられていました。ご冥福をお祈り申し上げます。
2014年9月
床上浸水したようで、ドアの下部30cmくらいに泥水の跡がついていました。
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2023年8月
2014年9月
光廣神社
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2023年8月
2014年8月
この社宅風の築古アパートは、1階に土砂が流れ込み、2階壁面にまで泥はねがついていました。
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2023年8月
取り壊されて更地になっていました。
過去のgoogleストリートビュを遡ってみると、被災後数年間は、1階の入り口・窓にベニヤ板を打ち付けたまま空き家となっていた模様です。
2014年9月
家々の間を流れる狭い水路。
陸上自衛隊と警察が、堆積した泥に長い棒を突き刺しながら、行方不明者の捜索をしていました。
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2023年9月
谷筋に設けられた、砂防堰堤
冒頭にembedしたgoogle map衛星写真を見ると分かるように、谷筋にはやたらと立派な砂防堰堤が建てられまくっています。
砂防堰堤設置工事は、ほぼ完了しているようでした。
JR可部線 梅林駅から山並みを見る。
住宅街の上の方に巨大な砂防堰堤が設けられているのがよく見えます。
住宅街の上の砂防堰堤。
全国あちこちの、似たような地形に位置する住宅街上部の砂防堰堤と比べても、異常なくらい巨大です。
もちろん、かなりお金がかかっているものと予想します。
この種の公共事業は、防災設備・交通信号などどのようなジャンルにおいても、ひとたび人的被害が生じると、将来の再発可能性の高低に関わらず、その箇所に事後的に大きなお金が投じられる傾向にあります。
多重構造の砂防堰堤。
こちらはまた別の箇所の砂防堰堤。
これが最も大きな砂防堰堤でした。
最も大きな土砂崩れが発生し、大きな被害が生じた、県営緑ヶ丘住宅の上部です。
この一帯の谷筋には、土砂崩れに流されずに被害を受けなかった家も何軒かあったのですが、これらも全て移転させた上で、このような大規模な砂防堰堤を設置したものです。
一つ上の写真の堤のすぐ上部には、このような広い遊水地のような空間が広がっています。遊水地と言うよりも「遊土砂地」ですね。
この「遊土砂地」を上から下に向かって見たところ。
このような、谷筋に巨大なプールを設ける形の砂防堰堤は、見たことがありません。
これは、かなり大きな規模の土砂崩れにも耐えることが出来るでしょう。
島原市で見かけた、普賢岳が噴火して火砕流が街に流れてくることを想定した巨大なプールである、水無川砂防ダムと同じような考え方、造りです。
雲仙普賢岳には2020年12月に妻と登りました。
今でも噴火口は煙を吐いていますが、火山活動は安定しており、山頂の溶岩ドームを望める位置まで登ることが出来ました。
2020年12月に訪れた、島原市の水無川砂防ダム。
一面を枯木、枯れ草が覆っている、この写真の全体が、火砕流を溜め込んで市街地に流れるのを防ぐための巨大なプールとなっています。
広域避難経路が建設途上
(c)広島復興工事事務所だより 平成28年9月号
広域避難ルートとして、
・山並みに並行して、都市計画道路 長束八木線
・山並みに垂直に、都市計画道路 川の内線
の築造工事が進められていました。
これらの都市計画道路は、豪雨災害後に計画が立てられたわけではなく、それ以前から計画は存在していたものの、移転交渉などが難航して、事実上、ほとんど進捗していなかったようです。
豪雨災害発災を契機に、避難ルートの必要性の認識が高まり、一気にスピードアップして建設が進められたようです。
都市計画道路 長束八木線。
一部開通、一部は既存家屋移転も未着手といった段階でした。
この道路の地下には、かなり径の太い雨水管渠が築造されています。
こちらの方が、写真付きで解説してくれています。
ここから先は、まだ家屋移転も行われていません。
都市計画道路 川の内線。
なぜ、敢えてコスト高な橋上路としたのかは不明ですが、土石流に埋まっても避難できるルートを確保した、ということなのかもしれません。
所見
この斜面の住宅地は、全域がハザードマップでは黄色なのです。
すなわち、土砂災害防止法における、警戒区域(イエローゾーン)です。
特別警戒区域(レッドゾーン)では家屋は建てられませんが、警戒区域では建てることは可能です。
これから益々人口減少が続き、住宅ストックが過剰になりつつあることが確実な中で、これからも警戒区域に人が住み続けることに合理性はあるのだろうか?
政策的に、自然災害の危険性が高い地域から、安全な地域へと、人の移住を促していくべきと思料。
(都市工学上の真の意味での)コンパクトシティ政策を、災害対策という観点からも進めていくべきと思料。