自民党青年局の被災地巡りの最終日は、廃炉作業が進む東京電力 福島第一原子力発電所へ。
2024年7月 東日本大震災被災地巡り(1) 田老
2024年7月 東日本大震災被災地巡り(2) 陸前高田
2024年7月 東日本大震災被災地巡り(3) 大川小学校
2024年7月 東日本大震災被災地巡り(4) 南三陸病院・伝承館・旧防災庁舎
2024年7月 東日本大震災被災地巡り(5) 多賀城高校災害科学科の生徒とのグループワーク
2024年7月 東日本大震災被災地巡り(6) 福島第一原子力発電所 ←この記事
2024年7月 東日本大震災被災地巡り(7) 中間貯蔵施設
個人で申請して中に入れる場所ではないので、個人的には、最も楽しみにしていた訪問地がここでした。
富岡町~大熊町の様子
以下は、国道6号沿い、バスから眺めた街の様子です。
帰還困難区域においては、建物の解体作業が順次進められています。
写真奥の家は、ツタが屋根の上にまで伸びて家に覆いかぶさるように成長しています。
ケーズデンキ双葉富岡店
2011/3/11直後の新規オープン予定だったとのことで、一度も営業したことがない店舗です。
一応、取り壊しは行わず、草刈りなどのメンテナンスはしているようです。
地図と照らし合わせてみると、ここは、特定復興再生拠点区域です。
当初、帰還困難区域として指定されたものの、政策的に除染やインフラ整備などを集中的に進めた結果、住民の帰還・居住が可能になったエリアです。
政策的に選択され除染した地域であり、元々の放射線量が少なかった地域ということではありません。
富岡町、大熊町、双葉町、浪江町、葛尾村、飯舘村の6町村のうち、それぞれの町村の中心エリアが、特定復興再生拠点区域に選択されています。
建物は取り壊され、塀のみが残っています。
パチンコ屋。
ここは一面の水田だったとのことですが、今は、草が生えたままの荒れ地となっています。
特定復興再生拠点区域では、人が住み始めています。
震災後に建てられた新しいアパートかな?
福島第一原子力発電所で働く人たち
廃炉作業に従事する、東京電力及び関係会社のスタッフの皆様に感謝申し上げます。
現在、東京電力の社員1,000人、関係会社3,000人、合計4,000人のスタッフが廃炉作業を行っています。
後述のように、まだこれから廃炉完了まで、20-30年もかかる作業です。
今は、2011年事故を自ら体験し、事故を起こしたことに対して責任を感じている世代が作業に従事していますが、やがて、いつかは引退します。
いずれ、2011年事故を経験しなかった世代だけが、廃炉作業の指揮を執ることになります。
そうなった近い将来において、
・廃炉作業に従事するスタッフのモチベーションを如何にして確保するか。
・優秀な人材を如何にして確保するか。
が重要な課題になると思いました。
余談ですが、私の小中学生時代の友人で、東工大から東京電力に入った人がおります。事故後に福島第一原発に転勤したものの、メンタル的に耐えられなくて配置転換を願い出た、という話を聞きました。
「会社が命じる人事に異を唱えることが、自分のキャリアにどういう意味をもたらすかは重々承知の上だが、どうしても耐えられなかった」
と言っていました。
福島第一原子力発電所の廃炉のスケジュール
公表されている廃炉ロードマップは、大雑把なものですが、これは、研究し試行錯誤しながら進めていく作業であるため、明確なスケジュールを設定できないためです。
上記webサイト内では、
第2期 燃料デブリ取り出しが開始されるまで ~2021年12月
となっていますが、実際には、2024年7月現在、燃料デブリ取り出しはまだ始まっていません。これから試験的な取り出し作業が始まるところです。
燃料デブリとは、核燃料、制御棒、その他の設備類などが溶融して、冷えて固まったものです。形はバラバラだし、放射線量も高いので、取り出す作業は極めて困難です。
尚、チェルノブイリでは、燃料デブリの取り出しは、行いませんでした。
コンクリート製の壁で覆い尽くして封じ込める、という手段を取りました。
(つまり、根本的な解決ではない、と言える)
スリーマイル島では、炉心溶融したものの、燃料デブリは取り出しやすい規模・形状だったようで、事故から十数年程度で燃料デブリ取り出し作業が完了しております。
福島第一原子力発電所の施設内へ入る
施設内は一切写真撮影禁止です。
以下の写真は、全て、私が撮影したものではなく、自民党青年局視察団の事務局が公式に撮影したものです。
原子力施設のため、セキュリティは極めて厳重です。
事故を起こしたから、廃炉作業を行っているからという理由ではなく、原子力施設とはそもそもセキュリティは厳しいものです。
IAEAによる査察は、大規模なものは年に2回の頻度で受けているとのことでした。
1号機。
水素爆発が起こりました。
1号機は、建屋の壁は壊れ、鉄骨もひしゃげています。
右下に固まっているのは、ガレキです。
ガレキを撤去せずに放置したままとしている理由は、ガレキを撤去しようとすると、放射性ダストが飛散するからです。
今後、全体をすっぽり覆い尽くすカバー建屋を設け、飛散防止をした上で作業を進めていくことになります。
左が2号機。
2号機は水素爆発に至りませんでしたので、壁が原型をとどめています。水色地に不規則な点々の模様が入っているのは、オリジナルのデザインです。
中央の、円筒形の物体が載っているのが、3号機。
その右が4号機。
2号機と3号機の前で記念撮影。
原子炉建屋から80mの位置に見学台が設けられており、防護服無しでここまで行くことが出来ます。
全員が、個人線量計を装着しています。
男性は、貸与されたベストの胸ポケットに収納します。
女性は、お腹あたりのポケットに収納します。
これらの性別は、自認しているジェンダーではなく、生物学的ジェンダーを指します。
女性の場合は、子宮が最も被爆の影響を受けやすいから、というのが理由とのことです。
この位置での放射線量は、59.2マイクロSV(シーベルト)毎時でした。
1時間ここにいるとどのくらい被爆するかを示す数値です。
1m(ミリ)=1,000μ(マイクロ)ですので、0.0592ミリSV毎時と同じです。
ツアーが終わって本部棟に戻った時、私が装着していた個人線量計が示した被ばく量は、
・ガンマ線 0.01 ミリSV
・ベータ線 0.0 ミリSV(検出せず)
でした。
これは、ツアーの時間内に私が被爆した累積値を示します。
この数字は、おおむね、歯のレントゲン撮影1回分の被曝量です。
尚、胸部レントゲン撮影の場合は、もっと被曝量は大きく、1回当たり0.05~0.1ミリSVくらいです。
処理水のタンク
処理水のタンクの形状・色は、様々なものがあります。
メーカ純正仕様をそのまま使っているためであって、形状・色の違いによって使い方が異なるわけではない、とのことです。
ALPS処理水
ALPS処理とは、プロセスの名称です。
ALPS処理プロセスに投入する前の「汚染水」は、パイプの赤錆が混ざっているため赤茶けた色なのだそうです。
これを、ALPS処理を通すことによって、トリチウム以外の放射性物質を、適切な基準値以下に除去したものが、いわゆる「ALPS処理水」です。
トリチウムだけは除去する方法がないために、残ってしまうわけですね。
ALPS処理水。
なお、取り除いた、トリチウム以外の放射性物質については、最終的に処分する方法は未定とのことでした。
ALPS処理水を沖合いに放出するための配管は、このようなドリルで海底の地盤を掘削してトンネルを通しました。
ただパイプを海底に置くだけ、という方法もあり得ましたが、長期的に安定した作業が行えるようにと、トンネルを掘ったそうです。
この沖合いから、ALPS処理水を海洋放出しています。
質問する私。
過去の東日本大震災被災地視察のレポート
2012年4月 私費で個人視察
2012年4月 津波の被災地に行ってきた。(1)仙台 貞山堀付近
2012年4月 津波の被災地に行ってきた。(2)野蒜
2012年4月 津波の被災地に行ってきた。(3)石巻
2012年4月 津波の被災地に行ってきた。(4)牡鹿半島
2012年4月 津波の被災地に行ってきた。(5)女川原発
2012年4月 津波の被災地に行ってきた。(6)女川~北上
2012年4月 津波の被災地に行ってきた。(7)南三陸
2012年4月 津波の被災地に行ってきた。(8)気仙沼~陸前高田
2012年4月 津波の被災地に行ってきた。(9)釜石
2012年7月 私費で個人視察
福島第一の近くに行ってみました。
2014年4月 私費で個人視察
東北被災地巡り その1 仙台荒浜
東北被災地巡り その2 野蒜
東北被災地巡り その3 石巻
東北被災地巡り その4 牡鹿半島
東北被災地巡り その5 女川~北上
東北被災地巡り その6 南三陸~気仙沼~陸前高田
東北被災地巡り その7 釜石
東北被災地巡り その8 大槌町
東北被災地巡り その9 山元町~南相馬市 フクイチ近く
2014年7月 蕨市議会の政務活動費で、当時の蕨市議会保守系会派での視察
陸前高田視察レポート
2017年5月 私費で個人視察
2017年 東北被災地巡り(1) 仙台 荒浜
2017年 東北被災地巡り(2) 奥松島
2017年 東北被災地巡り(3) 石巻
2017年 東北被災地巡り(4) 牡鹿半島
2017年 東北被災地巡り(5) 雄勝~河北~南三陸
2017年 東北被災地巡り(6) 気仙沼~陸前高田
2017年 東北被災地巡り(7) 釜石~大槌
2017年 東北被災地巡り(8) 山元町~フクイチ
2023年11月 県議会の政務活動費で個人視察
東日本大震災の被災地:名取市閖上を訪問