災害時における市議会議員の役割

先日、蕨市議会において、掲題の講演会があった。
(正確に言うと、議会改革特別委員会において、外部講師をお呼びした講演会・勉強会)

講師は、鍵屋一氏で、元 板橋区の行政マン。現在は大学教授かつ、複数の防災系の非営利団体の役員などを務めている方。

 

なかなか面白い話を聞いたので、幾つか、ファインディングスと、私なりの所見を以下にメモ。

 

・大災害時の地方自治体では、行政の現場は、とても忙しい(当たり前だが)。
本来の行政サービスの原則である、公平性が守れないケースもある。

これを、公平ではなくても止むを得ないと考えるか?何が何でも公平でなくてはならないと考えるか?

大災害発災時に、公平にデリバリすることが不可能であるが故に、せっかく届いた救援物資が受け取ったまま放置されていた、なんてケースをどこかで聞いたことがある。このような場合、遠くの避難所に行き渡らないとしても、目の前の避難所に取り敢えず配布することを良しとするかどうか?

 

・地方自治体における、地方議員は、どこの政党・会派の人も、多かれ少なかれ、出身地域の利益代表としての性格を持っている(これも当たり前)。

「よその避難所には◯×は届いているのに、うちの避難所には届いていない!」というケースがあれば、その地域の議員の立場としては、行政に対してクレームをつけざるを得ない。

このような場合、現場の行政マンとしては、その議員からのクレームへの対応のプライオリティを上げざるを得ない。

個別の議員としては、このような状況下では、「言ったもの勝ち」なので、とにかく自分の地盤とする地域に利益誘導するしかない。
(個別の議員の立場としては、それ以外の選択肢はない。)

結果として、無駄なコミュニケーションコストが発生し、全体最適も実現しない、ということにもなりかねない。

 

・大災害時においては、とにかく行政の人的リソースが足りない。

無駄な作業は、できるだけ少しでも省きたい状況。
例えば、議員からの電話を一本受けるだけでも、5分なり10分なり時間がかかり、その分、他の作業ができなくなってしまうことになる。(当たり前だ)
それを必ずしも無駄とは言えないが、現実的には、全体最適の実現を阻んでしまうことも少なからずあるだろう。

 

・大災害時においては、現場の行政マンのメンタルヘルスケアがぼろぼろ。

例えば、自治体のBCP計画(有事の役割分担を定めたもの)において、ご遺体処理とか遺族対応の役割を割り振られている部署があったりする。もちろん現場の行政マンは一所懸命に目の前の仕事をこなすだろうが、そんな仕事なんて経験したことも訓練したこともない。

組織論的に言えば、行政組織のトップ・上司が守るしかないのだろうが、議会としても、現場の行政マンのメンタル面をいかに守るか、という視点が必要。

 

・大災害時における、議会・議員の役割は、最小限に留めるべき。

行政の邪魔をしない、自らの地域への「過度の」利益誘導を図って全体最適の実現を阻まない。
「適度な利益誘導」は、必要なものであり、議員の本分でもあるのだが、線引きは難しい。

今回の講演者である、鍵屋氏からは、先行自治体事例を挙げつつ、
「議会で災害対策会議のような有事の組織を設け、行政に対して情報を取りに行ったり、逆に情報を提供したり、何らかの要望を投げかける際は、この組織を通じて一元的に行うのがよい」
という提言があった。

私も、議員が地域の利益代表としての役割を果たしつつ、行政の現場の邪魔をして全体最適の実現を阻むのを防ぐやり方としては、このくらいが妥当かと思う。

 

 

 

また、元 行政マンならではの、行政マン的な視点・立場の本音話みたいなものの片鱗も聞くことが出来て、そちらも面白く感じました。

なかなかそういう話を聞く機会はないものですから。

市役所の建物の中で、市の行政マンと日々接する機会はありますが、お互いに立場が違うので、なかなか本音の話はしません。友達じゃないし。それでも、ふっとした会話の中で、ポロッと本音を漏らしてくれる人もたまにいたりして、それはそれで嬉しく思いますが、特定の議員と仲良くすることは、その行政マンにとってもキャリア上のリスクになるはずですし、一線を越えずにw お付き合いするように心がけておりますwww


蕨市総合防災演習は中止になりました。

本日2017年8月20日(日)、南小校庭で行われる予定だった、蕨市総合防災演習は、中止となりました。

6時の時点では雨は降っていませんでしたが、昨夜の豪雨のために校庭がぐちゃぐちゃなのだろうと推測します。

準備に骨折った関係者の皆様、お疲れ様でした。


県南七市治水大会がございました。

昨日2017年7月25日(火)、県南七市治水大会がございました。

蕨、川口、戸田から上尾、桶川までの埼玉県南の7市の市長、市議会議員、県議会議員、国会議員が集まり、治水に関する要望を決議文として決議する、年に一回の大会です。

国レベルから市レベルまでの全てのレベルの議員と、首長が集まって、一体となって決議するのがポイントです。
(国会議員は秘書が代理出席するケースがほとんどです)

細かい要望を一つ一つ拾っていくとキリがないので、決議の項目は、どうしても総花的なものになっています。
大きな河川の氾濫対策や、水辺の公園・環境整備など。

決議文は、最終的には国土交通大臣などに陳情に持って行くようです。

県南七市治水大会


2017年 東北被災地巡り(8) 山元町~フクイチ

東日本大震災の被災地の定点観測シリーズ。

2012年7月に訪問した時(震災から1年後)
福島第一の近くに行ってみました。

2014年4月に訪問した時(震災から3年後)
東北被災地巡り その9 山元町~南相馬市 フクイチ近く

そして今回が、2017年5月(震災から6年後)

それぞれの写真を並べて記す。


釜石から内陸へ。東北道をばびゅーんと南下して、宮城県の山元町へ。

山元町は、蕨市が職員1名を復興支援のために派遣していた自治体だ。

 

田んぼはけっこう復活してる

2014年4月

P4141114

2年前の時点では、海沿いで津波をかぶった(おそらく)田んぼだった場所は、除塩作業中だった。

除染と言っても、要するに表土を剥ぎ取るだけだ
(※ 除染ではなくて、除塩でした。)

2017年5月

201705_新しい常磐線

(別の場所だけど)

けっこう、田んぼは復活してる。
ちょうど5月の田植えシーズンなのだが、既に田植え済みの田んぼが多い。

津波の塩をかぶったため、塩抜きに何年もかかるのではないか、という解説を読んだ記憶があるのだが、けっこうもう既に復活しているようだ。

尚、写真の、奥に走っているのは、新しい高架上の常磐線。
こんな田んぼだらけの場所でわざわざ高架を敷くメリットはないはずなのだが、津波の時の被害軽減のために敢えて高架にしたのかな。

 

旧山元町立中浜小学校

2014年4月

山元町立中浜小学校

海岸から近い小学校。

津波にやられてぼろぼろに崩れたまま、放置されていた。

2017年5月

201705_旧山元町立中浜小学校

震災遺構として整備する予定のようだ。

山元町は、まだ震災遺構を整備する余裕が無いので、取り敢えず崩れたまま、立入禁止のロープを張って放置されている。

建物の中は散乱し、鳥たちのサンクチュアリになっており、ぴーちくぱーちくうるさいw

(2017年5月)

201705_旧山元町立中浜小学校

中には入れないけど(立入禁止なので)、覗けるところを覗いてみる。

昇降口。

(2017年5月)

201705_旧山元町立中浜小学校

天井が壊れた教室。これは1階。

(2017年5月)

201705_旧山元町立中浜小学校

海岸はすぐそこだ。

(2017年5月)

201705_旧山元町立中浜小学校

1階の教室は、どこも全て内装が壊れている。

 

新旧それぞれの常磐線 山下駅

山下駅は、山元町の中核に位置する駅。
とは言え、おそらくこのエリアは仙台の通勤圏でもないし、高校生が通学に使うくらいしか利用はないのじゃないかな?
震災前の2010年時点での、1日平均乗降客数は851人だったようだ。

昨年2016年12月に、内陸に駅ごと路線そのものを移転して、リニューアルサービスインしている。

(2017年5月)

201705_常磐線 新山下駅

新しい高架路線上の山下駅。

駅前のロータリーにはタクシーが止まり、郊外のニュータウン駅みたいだ。

(2017年5月)

201705_常磐線 新山下駅

駅前には新しい戸建てが立ち並んでいる。

 

(2017年5月)

201705_常磐線 新山下駅

まさにニュータウン。新しい街が造成されている。

しかし、距離的に遠いので、仙台への通勤ベッドタウンでもないし、ここに住む人達は、どういう人達なんだろう?

被災した沿岸の集落たちを、コンパクトシティ的な発想でここに集約した、ということなのかな???

 

(2017年5月)

201705_常磐線 旧山下駅

そして、ここが旧山下駅。

震災遺構として、線路は引き剥がしたものの、プラットフォームだけは残してある。
駅前広場には、津波被害者の名前を彫り込んだモニュメントが設置されていた。

 

 

国道6号を南下して、福島第一原発に近づいていく。

 

 

フクイチ近くの進入禁止の検問

2012年7月

2012/7/1 国道6号、南相馬市と浪江町の境の検問

この時点での検問位置は、南相馬市と浪江町の境だった。
車両の種類によらず、進入禁止。

2014年4月

国道6号 検問

通行証がないと、放射線量が高いエリアには入れないようになっていた。
(位置は、今は覚えていない)

2017年5月

201705_双葉町と浪江町の境

検問地点は、双葉町と浪江町の境。
ここから先の双葉町が、帰還困難区域となる。

しかも、国道6号を通り抜けるだけなら、通行証がなくてのクルマは入れる。
国道6号を外れて枝道に入るのはNGの模様。

バイクのライダー、チャリダー、トホダーは進入禁止なので、ここで引き返し。

検問していたのは、警察ではなく、民間の警備員だった。

 

 

国道6号を迂回して、浪江ICから常磐自動車道を南下した。

この区間は、2015年3月に再開されている。

常磐道も帰還困難区域を通り抜けるのだが、ここはバイクもOK。
沿道はのどかなシーズンオフの田園地帯といった趣きだが、地震で崩れ落ちた家屋の瓦屋根が、ブルーシートをかけたままの応急措置のまま放置されていた。

5km間隔ぐらいでモニタリングポストが設置されていて、大きな文字で読み取れるようになっているのだが、最大値で3.3マイクロシーベルト毎時だった。

放射線量は、NEXCO東日本のwebサイトでリアルタイムに公開されている。

NEXCO東日本 : モニタリングポストによる現在の放射線量(空間線量率)

3.3マイクロシーベルト/時 = 29ミリシーベルト/年

その地点に1年間居続けた場合の被曝量は、29ミリシーベルトということになる。

wikipedia : 放射線業務従事者#被爆限度

原発作業員や医療関係者の年間被爆限度は、50ミリシーベルトとのことなので、遥かに低い数字だから、別にここに住んでも差し支えはない。

 

(このシリーズ終わり)


2017年 東北被災地巡り(7) 釜石~大槌

東日本大震災の被災地の定点観測シリーズ。

2012年4月に訪問した時(震災から1年後)
2012年4月 津波の被災地に行ってきた。(9)釜石

2014年4月に訪問した時(震災から3年後)
東北被災地巡り その7 釜石
東北被災地巡り その8 大槌町

そして今回が、2017年5月(震災から6年後)

それぞれの写真を並べて記す。


さらに北上して釜石市内へ。

 

釜石市:市内に壊れたままのビルはないが、全体的に埃っぽい

2012年4月

DSCN0371

市内は、建物が撤去済みの敷地もあれば、解体待ちの建物もあるし、水道管が破裂したまま水がちょろちょろと流れっぱなしの敷地もあった。

 

2012年4月

DSCN0378

建物の解体には、意外とお金がかかるわけだが、ほっておくと行政が勝手に解体してくれるルールになっていた。

2017年5月

201705_釜石市内の道路

もはや、崩れ落ちたままの建物はない。
解体すべき建物は、全て処理され尽くしている。
新たに建て直された新しい建物も多い。

しかし、空き地が目立つし、歩道は吹き溜まった砂塵にまみれている。

 

 

大槌町:市内中心部にはニュータウンが造成されている

町長以下の行政幹部が被災してお亡くなりになり、行政機能が一時的に麻痺してしまった自治体。

2012年4月

P4159861

ガレキが積み上げたままになっていた。

崩れたまま未処理の建物もまだまだたくさんあった。

2014年4月

大槌町 旧町役場

建物の解体処理と、ガレキの処理は殆ど終わっていたが、ひたすら荒れた更地のままだった。

2017年5月

201705_大槌町中心地

(盛土をしたのかどうかは不明)

中心部は、ニュータウンが造成されている。
あちこちで重機が動き回り、ほこりっぽい。
道路と排水インフラは出来ているが、電柱を建てたばかりで電気インフラを敷くのはまだこれからのようだ。

 

大槌町役場は、大きくなっている

2012年4月

P4159862

小さな町役場。
町長以下の町役場幹部は、屋上で津波に呑み込まれた。

2014年4月

大槌町 旧町役場

ちょうど解体処理することが決まったところで、鉄板の囲いが出来ていた。

2017年5月

201705_大槌町役場

2012年8月から供用されているという、新庁舎。
4階建てで、立派な建物だが思ったが、元は小学校の校舎で、被災した建物を改修して使用しているだけらしい。

岩手日報 2012/8/4 : 大槌町の新庁舎が完成 旧小学校校舎を改修

 

被災地の自治体は、どこも、復興のために膨大な補助金が投下されていて、一般会計予算が肥大化している。これらの使うために、全国の自治体から応援のための出向職員を受け入れており、組織規模も肥大化している。

大槌町 webサイト : 平成29年度の財政情報

大槌町は、わずか1.2万人(面積:200平方キロ)に過ぎないが、平成29年度の一般会計予算は548.8億もある。

蕨市は、7.3万人(面積:5平方キロ)で、平成29年度一般会計予算は236.9億だ。


2017年 東北被災地巡り(6) 気仙沼~陸前高田

東日本大震災の被災地の定点観測シリーズ。

2012年4月に訪問した時(震災から1年後)
2012年4月 津波の被災地に行ってきた。(8)気仙沼~陸前高田
2012年4月 津波の被災地に行ってきた。(9)釜石

2014年4月に訪問した時(震災から3年後)
東北被災地巡り その6 南三陸~気仙沼~陸前高田

そして今回が、2017年5月(震災から6年後)

それぞれの写真を並べて記す。


さらに三陸海岸沿いを北上して、気仙沼へ。

 

街道は埃っぽい

相変わらずダンプや大型トラックが走り回り、沿道にはプレハブの工事現場事務所が立ち並んでいる。

道路の路肩、交差点の中央部は砂塵まみれで、全体的に埃っぽい。

意外なのがトンネルの中の埃っぽさで、構造や風向きによっては土埃が舞い込んできて、外に排出されていかないので溜まっていくのだろう。もうもうとした土埃で対向車のヘッドライトが霞んで見えるようなトンネルもあった。
バイク乗りにはたまらん。

 

気仙沼市中心部

2012年4月

DSCN0329

市中心部のあちこちに、津波にやられて崩れ落ちたままの建物が残っていた。

2014年4月

気仙沼 市街地には取り壊されずに放置された建物もちらほら

倒壊建物の多くは撤去が終わっていたが、まだ放置されたままの建物もそこかしこに見かけた。

2017年5月

201705_気仙沼市中心部

中心部はほとんど更地になり、更にその上に盛土をする工事が進められていた。
街中が埃っぽい。

元通りになるには、まだまだ時間がかかりそう。

 

気仙沼市中心部の男山本店

2012年4月

DSCN0338

市内中心部にある、男山酒造本店。

漁船が衝突して、1階、2階部分が倒壊し、3階部分だけがこのように残ったとのことだ。

2014年4月

気仙沼 男山酒造

国登録有形文化財とのことで、仮保存されていた。

2017年5月

201705_気仙沼市内 男山本店跡地

建物は消えていた。
この地域全体を盛土するためだろうか?一時的にどこかに曳き家をして移動したのかな?

 

気仙沼復興商店街南町紫市場跡地

2017年5月

201705_気仙沼復興商店街南町紫市場跡地

気仙沼復興商店街 : ご挨拶

この地域の区画整理のために、ちょうどこの5月頭に閉鎖したらしい。

プレハブの壁面に描かれているのは、ホヤボーヤ。かわいい!

201705_気仙沼復興商店街南町紫市場跡地

河北新報 2017/2/2 : <仮設商店街>気仙沼「退去後未定」3分の1

区画整理のために閉鎖することとなったものの、2月時点では移転先が見つかっていない店舗が多かったらしい。

 

201705_気仙沼市内の復興住宅

復興住宅。

そして、この写真の南側のコンクリ打ちっぱなしの建物が、仮設商店街の受け皿となる、共同店舗のビル。

河北新報 2016/10/22:<災害公営住宅>にぎわい再生 店舗共同で完成

10昨年10月には完成していたらしいけど(?)、訪れたこの日は、平日昼間なのに全ての店舗は閉まっていて、内装工事中っぽいテナントもあった。なんだかよく分からない。

 

 

陸前高田の「奇跡の一本松」

2014年4月

陸前高田 奇跡の一本松 最上部の避雷針がシュールだ

枯死した松を、防腐処理してモニュメントとして残しているもの。

訪問したこの年の前年2013年夏に完成している。

他の街のエントリで見たように、まだ復旧フェーズにある中で、いち早く1億50百万円ものお金を掛けて震災遺構・モニュメント作りに取り込んだ陸前高田市は、特殊なパターン。他の街では、復旧フェーズが終わっておらず、余裕がないために、震災遺構として残していく予定の建物についても、放置したままであることが多い。

しかしながら、このモニュメントの存在が、「被害が大きかった街」というブランディングに役立ち、補助金獲得・様々な形での支援獲得に役立ったとも言えるかもしれない。
そもそもこの保存費用の1億50百万円もクラウドファンディングで獲得しているし。

この2014年4月時点では、堤防の基礎工事のための、大量の杭打ちマシンが沿岸で稼働していた。

2017年5月

201705_陸前高田市 奇跡の一本松

大きな堤防は、既に完成している。

メジャーな観光地と化していて、訪問者の姿が引きも切らない。

 

陸前高田市中心部:街全体の盛土作業は終了

2014年4月

陸前高田 まるで空中都市

街全体に盛土を行うために、大型の土砂運搬用ベルトコンベアが街中に張り巡らされ、空中都市といった趣きだった。

2014年4月

陸前高田

大型クレーンで土砂運搬設備が建設中だった。

2017年5月

201705_陸前高田市 盛土用土砂運搬ベルトコンベア跡

既に土砂運搬による盛土は完了し、大型ベルトコンベアは撤去されている。

写真奥の山を切り崩し、ここから街中に空中に張り巡らしたベルトコンベアを通して土砂を運ぶ仕組みだった。

2017年5月

201705_陸前高田市 盛土用土砂運搬ベルトコンベア橋脚

大型ベルトコンベアの橋脚跡。

2017年5月

201705_陸前高田市 盛土

盛土は完了したと言っても、ただ土を盛っただけ、という状況。
これから道路を造ったり、インフラを敷いたりするのだろう。

2017年5月

201705_陸前高田市 土砂運搬ベルトコンベアによる盛土の解説

資料館の説明によると、盛土は、ダンプで運べば8年かかったはずのものが、ベルトコンベアによって1年6ヶ月に短縮できたとのことだ。
ベルトコンベアの撤去は、今年2017年2月に終わったとのこと。

 

 

道の駅高田松原 タピック45跡

2014年4月

陸前高田 道の駅

震災遺構として残してあった。

2017年5月

201705_旧道の駅高田松原 タピック45

震災遺構と言っても、お金をかけて綺麗に展示用に修復して、安全を確認して中を歩けるようにする、というような工事は施されていない。

中はめちゃくちゃにガレキまみれのまま。
かえって生々しい感じがするし、これならばお金もかからない。

 

2012年4月

DSCN0352

陸前高田市内の、海に向かって建てられた、社宅っぽい構造の建物。

4階まで津波をかぶったようだ。

2017年5月

201705_陸前高田市内の建物

これも一種の震災遺構として残すつもりなのか?

放置してある。


2017年 東北被災地巡り(4) 牡鹿半島

東日本大震災の被災地の定点観測シリーズ。

2012年4月に訪問した時(震災から1年後)
2012年4月 津波の被災地に行ってきた。(4)牡鹿半島
2012年4月 津波の被災地に行ってきた。(5)女川原発

2014年4月に訪問した時(震災から3年後)
東北被災地巡り その4 牡鹿半島

そして今回が、2017年5月(震災から6年後)

それぞれの写真を並べて記す。


石巻市外を抜けて、万石浦をかすめて牡鹿半島へ。
半島の外周を反時計回りに走った。

 

月の浦

(これは2017年5月現在)

201705_牡鹿半島 月の浦の支倉常長像

月の浦の展望台。
展望台と言っても、全然眺望が効かないけど。

ここは、仙台藩の支倉常長率いる欧州使節団が、幕府の目を逃れてこっそりと出帆した場所で、銅像が建っている。

砂利敷のちょっとした公園内には、今でも仮設住宅が建っている。

201705_仮設住宅

近くで見かけた仮設住宅。
空室(既に出ていった部屋)もあるようだった。

 

小さな漁村

(2017年5月現在)

201705_牡鹿半島の新しい住宅街

あちこちで、高台の山を切り崩して、新しいニュータウンが造成されている。
戸数は10~30くらいの規模のものが多い印象。
ニュータウンの中は、一般家屋ばかりで、お店の類はない。
敷地内には、集会場や公園がある。

おそらく、この地域の小さな集落には、漁業以外の産業はないので、ほとんどが漁業を生業としているのではないかと推測する。
(交通の便が悪いので、観光業はあまり発達していない)

既に造成が終わり、家屋の新築が進んでいるところもあれば、まだ造成中のステータスのところもある。

 

これらはどういうことかというと、要するに、津波で壊滅した漁業集落をまるごと高台に移転したわけだ。

幾つかの集落の中をぐるぐる回ってみたが、5月とは言え昼間は気温30度近く、ほとんど人の姿はない。家の間取りやクルマの車種、洗濯物などから家族構成は推測できなかったが、おそらく、高齢化率はかなり高いものと思う。

これらのニュータウン集落の幾つかは、遠からぬ将来に限界集落化してしまう可能性がある。

いずれは限界集落となってしまう可能性が高い、戸数10~30くらいの小さなニュータウンを、大規模に山を切り崩して新たに造成するのならば、もう少しこう、コンパクトシティ的な漁業集落の集約化を図ることはできなかったものだろうか。

もちろん、住んでいた人たちは嫌がるだろうけど。

 

海岸では大きな堤防の建設が進む

2014年4月

牡鹿半島の小さな漁港

小さな漁港?堤防?
手付かずで放置されていた。

2017年5月

201705_牡鹿半島 建設中の堤防

さすがにもう完全放置状態の漁港や堤防はない。

背の高い堤防建設がそこかしこで進められていた。
もう出来上がっているところもあるが、ほとんどはまだ建設中のステータス。

(2017年5月)

201705_牡鹿半島 建設中の堤防

こちらも建設中の堤防。

(2017年5月)

201705_牡鹿半島 壊れた堤防

これは半島の東岸の集落。
後背の盛土は進んでいるが、堤防は壊れたままであった。

 

これらの様々な段階の建設中の堤防を見てみると、堤防建設というのが、かなり大規模な工事であることが分かる。てきとうな高さの型枠にざざっとコンクリを流し込んではいおしまい、というようなものではない。

これらの堤防は、一つ一つの入江を守っているわけだが、それらの入江の内側の陸の上には、既に人家がないようなところもある。

人が住んでいない場所を守るためにこのようなハイスペックな堤防が必要かというと何とも判断しにくいところ。他方で、震災前にあった古い堤防が破壊されているので、ノー堤防状態で放置するわけにもいかず、いずれにしても堤防は作り直さないとならない状況でもある。

 

漁業集落ニュータウンにしても全ての入江に建設されているハイスペック堤防にしても、全般的にオーバースペック過ぎるような印象も受けるのだが、素人判断はしにくい。そもそも、「完全に震災前の状態に戻す」というのが国策となっている現状で、そのような疑問を持っている人がいたとしても、唱えにくいだろう。

 

牡鹿コバルトライン終点(半島の先端側)

2012年4月

DSCN0145

通行止めになっており、路面上にはあちこち亀裂が入っていた。

2014年4月

牡鹿コバルトライン 一部は未だ再開せず

路面の修復は終わっていたようだが、まだ通行止めだった。

2017年5月

201705_牡鹿半島 コバルトライン終点

既に開通している。
2014年4月末に開通していたらしい。

 

女川原発PR館

(2017年5月)

201705_女川原発PR館

東北電力女川原発のPR館へ。

どこの原発でも、地域住民への広報が重要なので、かなりお金をかけた立派な広報施設を設けている。
見学者にはボールペンのお土産をくれたりなど、至れり尽くせり。

201705_女川原発は検査中

全ての原子炉が震災の時から止まったまま。

案内のおねいさんによると、2号機が原子力規制委員会の審査中で、来年度の稼働を目指しているとのこと。

女川原発の原子炉は沸騰水型なのだが、国の方針として、加圧水型の再稼働を優先的に進めているとのことだった。

 

ここの施設の、地域住民向けの広報誌が掲示板に貼ってあったのだが、この4月にこの女川原発に配属された新入社員は、25人いるとのこと。

新入社員が25人ということは、全社員数はおそらくその20~30倍くらいか?とすると全社員数は500~750人くらい?
この人数は、東北電力の正社員だけのはずなので、関連会社、下請け・孫請けを含めればさらに多い人数が、この稼働していない原発に、震災以来6年間張り付いていることになる。

2011年度の新入社員は、入社6年目なのに一度も原子炉の稼働を経験していないわけで、技術の承継という点では危うい状況。