二中にて避難所運営訓練

本日、令和6年(2024年)2月17日(土)、蕨二中にて、避難所運営訓練がございました。

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参加者は、

北町3丁目上町町会、水深町会、春日町会、郷町会の住人、蕨市の各職員、二中の教員、蕨市防災士会等でした。

会場は、主に二中の体育館にて、行われました。

まだ2月半ばですが、ここ数日、暖かい日が続いており、今日も天気良く、それほど冷え込まなかったのは幸いでした。

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校舎内の備蓄倉庫。

ここから物資、資材を体育館に運びました。

 

二中校舎内の備蓄倉庫は、建物の1階の、いわゆる有休教室が用いられています。

 

水害に備えるならば、備蓄倉庫は2階上の上層階に設置した方がいいのではないか? というご意見があります。

たしかに、1階であれば、水害の場合は浸水リスクがあります。しかしながら、震災の場合は浸水することはあり得ず、1階の方が、モノの出し入れはしやすくて便利です。
学校の都合もあります。
地震は予測が難しく、突然やってくるものであるのに対して、水害の場合は数日前から大雨の予測をしてモノを上層階に退避しておくことも可能です。

つまり、備蓄倉庫を1階に設けるか、2階以上の上層階に設けるかは、一長一短です。

 

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この倉庫に配備した物資・資材のリスト。

 

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ブルーシートで居住エリアを設置し、屋内用テント(写真で右奥の白いテント)を設置したところ。

屋内用テントは、コロナ禍を経て、感染症対策の観点から急速に災害備蓄品として普及が進んだものです。

目隠しとなり、プライバシを守ることも出来ます。

従来は、ダンボールで各家庭ごとの区切りを設けるだけでしたが、この屋内用テントを設けることで、避難生活のQOLは向上します。

 

 

手前のグレーと緑色の縦長のテントは、レジャー用の簡易なもの。

この中に、災害用簡易トイレを設置します。

 

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災害用簡易トイレを設置する。

車イスの人でも使えるように、手すりがついています。

 

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こちらも、別の種類の災害用簡易トイレ。

 

トイレは我慢できるものではなく、避難生活の中で、一番最初に必要になるものです。

災害の種類・規模によって、下水道が生きていれば、避難所建物内の常設トイレを使うことが可能です。

しかしながら、下水道が破壊あるいは水没していて、常設トイレが使えない場合は、まず最初に災害用簡易トイレを設置することが必要です。

 

この度の能登半島地震において、「トイレの排泄物の臭いが居住エリアにまで漂ってきてたまらない、という避難所がある。トイレで排泄するのを我慢している人まで出てきている」という報道を目にしました。

これらの報道だけからでは詳しい状況は分からないのですが、蕨市の避難所であれば、どのような種類・規模の災害であったとしてもあり得ない状況です。

本来、避難所を開設したら、一番最初に行うのが、トイレの設置・確保のはずです。

そこでは、排泄物の処理セットもしっかりと備えられているはずで、そこまで酷い排泄物の悪臭に悩むことは無いはずです。

 

上記報道の中の、トイレの悪臭に悩む能登半島地震の避難所では、災害用簡易トイレが備蓄されていなかったのでしょうか? 下水道が破壊され、建物内の常設トイレが使えない状態であるにも関わらず、無理やり排泄したために排泄物が流れずに山盛りになっている状態なのでしょうか?

現地の避難者の方々・自治体を非難するつもりはもちろん無いのですが、経緯と理由については、今後の新たな災害対策に活用するためにも、災害対応が一通り落ち着いた以降の段階で、知りたいところです。

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厳しい表情で見回る私。


災害ゴミを広域処理する枠組み

能登半島地震では、膨大な量の災害ゴミが発生

元日に地震が発災した能登半島において、膨大な量の災害ゴミが生じているようです。

石川県全体で240万トン、平時における年間ゴミ排出量の7年分、

市町村ごとにみると、

珠洲市では132年分、
穴水町では96年分、
能登町では46年分、
輪島市では31年分

とのことです。

 

「◯△万トン」と言われても、感覚的にピンとこないため、「◯年分」という記述をしたものと思いますが、これは、誤解を招きやすい不適切な表現です。

 

 

災害ゴミの広域処理の枠組み

それぞれの自治体が、実際に何十年もかけて処理するわけではありません。

災害後においては、よその自治体が協力して、短期間で災害ゴミを処理するための枠組みが既に出来上がっております。

 

  • 本来、ゴミ処理は市町村の中で行うのが原則。

 

  • 災害時は、そうもいかないので、県内の他の市町村が手伝う。この調整は県が行う。令和6年6月の越谷市水害(市域の1/4が15cm浸水)の時は、埼玉県においては、この枠組みを用いて災害ゴミの処理を行いました。

 

  • 都道府県内でも処理しきれない場合は、環境省の環境事務所(全国に8つあり、埼玉県を管轄するのは関東地方環境事務所)が調整を行い、他の都道府県が手伝う。

 

 

ということで、災害ゴミの広域処理のための枠組みは既にあるのですが、能登が半島であり、運搬するための道路ネットワーク上の制約があることを考えると、やはりそれなりの月日はかかるでしょうね。

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2012年4月に訪れた石巻市内。

 

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同じく2012年4月の南三陸町。

 

東日本大震災発災から13か月後ですが、まだまだあちこちガレキの山でした。

東日本大震災で生じた災害ゴミは、津波堆積物1,100万トンを含めて3,100万トンとのことでした。

当時の訪問レポートは、ここから幾つかのシリーズ記事でまとめてあります。


降雪による県内被害状況まとめ

昨日、令和6年2月5日、午後から降雪がありました。

蕨市でもかなり積雪がありましたが、深夜にはミゾレに変わったようです。

 

降雪による県内被害状況まとめ(本日8時時点の県発表)

県内では最大27.5cm(秩父県土整備事務所)の積雪が観測されました。

 

  • 人的被害
    軽症53名

 

  • 家屋被害
    なし

 

  • 農林業被害
    なし

 

  • 停電
    370軒が未復旧

 

  • 鉄道
    すべて運転再開

 

  • 道路
    高速道路の通行止め
    関越道(本庄児玉IC~練馬IC)
    東北道(佐野藤岡IC~川口JCT)
    常磐道(桜土浦IC~三郷JCT上り)
    圏央道(鶴ヶ島JCT~あきる野JCT)
    外環道(大泉JCT~三郷南IC)
    首都高 埼玉新都心線(新都心西~さいたま見沼IC下り)
    首都高 埼玉大宮線(新都心西~美女木JCT)

    その他県道の通行止め、車線規制は多数あるが、県南ではなし


江東5区広域避難推進シンポジウム

令和6年(2014年)1月13日、葛飾区内の かつしかシンフォニーヒルズにて、江東5区広域避難推進シンポジウムが行われ、これを聴講してきました。

江東5区は、足立区、墨田区、江東区、葛飾区、江戸川区を指します。
いずれも標高が低い平地です。
洪水・高潮によって想定される浸水域内人口は256万人です。

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埼玉県南地域の大規模水害時の広域避難の仕組み作りについては、力を入れて取り組んでいるテーマであります。
本年2月の県議会一般質問で取り上げる予定のテーマでもあります。

 

 

広域避難の仕組み作りの先行事例

広域避難の仕組み作りについては、埼玉県南地域では、まだ手つかずです。

 

水害を想定した先行事例として挙げられるのは、以下のようなところです。

・江東5区
・木曽三川(愛知県の下流域)
・利根川中流域(加須市、古河市、渡良瀬遊水地の辺り)

この3つのうち、木曽三川と利根川中流域については、国土交通省の河川事務所がリーダーシップを取っているようです。
江東5区については、各5区が対等な立場でパートナリングして運営しているようです。平成27に協議会が設けられたのが出発点でした。

他には、原子力発電所の周辺において、放射能漏れなどの事故を想定した広域避難の仕組みが設けられています。

 

 

それなりに進んではいるが、まだ啓発フェーズ

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浸水域内人口256万(これは5区合計の総人口とほぼ同じ)ということで、膨大な人数です。

100%の広域避難は目指していない、とのこと。

災害予測日の3日前にアラートを発出して、目標避難人数は74万(つまり29%)とのことでした。

最長で2-3週間に渡り水が引かない可能性があるのですが、体力がある人、病気・ケガなどの理由により移動が困難な人は垂直避難によって対応する他、葛飾区では浸水対応型市街地構想を唱え、浸水しても都市機能(つまり、電気、ガス、水道、トイレを含む下水道などの都市インフラ)が死なないようにすることを目指しているとのことです。

 

このシンポジウムは、公開イベントではありますが、会場の前半分は、地域の自主防災団体のメンバ用に割り当てられており、啓発が目的であることが伺えました。

今まで行った訓練は、

・図上訓練
・一部の団体が、電車に乗って松戸に行くなど

といったところです。

 

まだまだ啓発フェーズのようです。

 

 

やはり苦労しているのは、避難場所の確保

域外に避難するといっても、大規模災害時であれば、その避難先の地域も被災している可能性が高いわけです。受け入れキャパにどの程度の余裕があるかは想定しづらいので、ウェルカムというわけにはいきません。

原子力災害の広域避難であれば、原子力発電所から遠く離れるほど、想定被害は小さくなり、やがてゼロになります。

水害の場合は、規模の大きい水害であるほど、複数の都道府県にまたがるくらいの極めて広範囲に渡って被害が生じる可能性があるため、避難受け入れ先を探すことが困難になります。

 

今のところ、確保できているのは、

・公的な施設
国立オリンピック青少年センター、東京ビッグサイト(東京都と民間企業による第三セクター)

・大学
上智大、東京芸大

などとのこと。

帰宅後、既に確保できている広域避難の避難先のリストを見ようとググってみたのでせすが、これがまったくヒットしないんですよ。理由は不明ですが、避難先リストが公開されていないって、どういうことなんでしょうか?

まあ、いずれにしても、それほど多くの人数分はまだ確保できていないようです。

 

 

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県議会2月定例会での一般質問に活かしていきたいと思います。


防災グッズに、歯磨き用品を入れよう

たまたま見ていたテレビジョンのニュース番組にて、令和6年能登半島地震の避難所の様子が映っていました。

 

被災者に向かって、歯科医師が、

「ちゃんと歯磨きしてますか?」

と語りかけて回っているシーンでした。

 

 

着の身着のままで避難してきた多くの被災者の中には、歯磨きセットを持っておらず、自宅は倒壊・火事で炎上してしまって危険なので取りに帰れない、という方もいるでしょう。

 

 

水が不足する中で、歯磨きしない被災者も多いのだと推測します。

たしかに、水不足なのであれば、飲み水の確保が最優先です。

幾つかの避難所では新型コロナウイルス感染症、インフルエンザなどの感染症が発生しているようですので、水は、手洗いやうがいに使うことを優先するべきであって、歯磨きなんて後回しだ!2,3日歯磨きしなくても死にはしない!と考える人も多くいることともいます。

 

 

しかしながら、虫歯や歯周病は、ただちに生命の危機に直結するものではないものの、中長期的には健康を蝕み、QOLを低下させるものですので、決して非常時だからといって省略していいものではありません。
そして、避難生活がどれほど長く続くことになるかも、まだ分かりません。

うまく磨けば、それほど大量の水を使うわけでもありませんし。

 

 

そう言えば、蕨市議会での12年間の活動の中で、議会で防災備蓄について取り上げられたことは何度もありますが、備蓄品として、歯磨きセットが言及されたことは、私の記憶の範囲では、一度もないのですよ。今、蕨市議会の議事録をざっと検索してみたのですが、たしかに一度も言及されていませんでした。

飲み水、食べ物、毛布、発電機、おむつ、女性用生理用品、医薬品などは、もちろん何度も言及されてきましたし、当然ながら、しっかり備蓄されています。

 

 

ということで、心配になってあれこれ調べたところ、

蕨市webサイトのこちらのページに、防災備蓄品のリストが掲載されています。

このリストによると、市内の各防災備蓄倉庫の合計で、歯ブラシセット 16,200セットが備蓄されているとのこと。

ひとまずは安心ですね。

 

しかしながら、この種の身の回りのものは、「まずは自分で用意する」自助が大原則です。

公助 — すなわち、自治体が用意する備蓄品は、家が倒壊・水没・炎上してしまった、取りに帰ることも出来ない、という人のために提供されるものです。

まずは、ご自宅の防災グッズセットの中に、歯磨きセットが入っているか確認してみましょう!


能登半島地震の被災者支援

埼玉県からの支援

こちらの県webページに掲載されております。

今日1月6日時点では、

 

  • 県防災航空隊(ヘリコプター)を派遣して救助活動などを行う。

今は、一旦帰投して待機。

 

  • 石川県七尾市に県職員派遣を決定し、先遣隊が出発。

これは、被災地側と支援自治体側を1対1で割り当てて「支援担当」を決めるという、対口支援(たいこうしえん)という枠組みに基づくものです。

つまり、埼玉県の支援先として、七尾市が割り当てられた、ということになります。

 

  • 県警広域緊急援助隊が出動。90人規模。

 

  • 県警警察犬が出動。

 

  • 県警航空隊が出動。上空からの被災状況調査を行う。

 

 

被災者支援のための募金活動

一昨日、令和6年(2024年)1月4日には、蕨駅前におきまして、自民党蕨支部にて、被災者支援のための募金活動を行いました。

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田中良生衆議院議員、須賀敬史 自民党蕨支部長・前埼玉県議会議員と。

 

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蕨市議会の保守系会派 新翔会所属の蕨市議会議員の仲間とともに、蕨駅東西口に分かれて募金活動を行いました。

 

 

昨日、令和6年(2024年)1月5日には、浦和駅西口におきまして、自民党埼玉県連青年局にて、募金活動を行いました。

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マイクを握る私。

 

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県内各地の自民党県議団所属の県議会議員です。

 

皆様からお預かりした義援金は、日本赤十字社を通じて被災地に送り届けます。

 

 

日本赤十字社の寄附のための振込口座は、こちら。

同社に直接振り込んだ場合は、確定申告の手続きを行えば、寄附金控除ができます。

 

 

個人的な能登半島の思ひ出

学生時代にはチャリでツーリングしたこともあるし、社会人になってからはバイク(エンジン付きのオートバイの方)で何度かツーリングしたことがあります。

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2020年7月、石川県七尾市の下佐々波漁港にて。

 

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2013年8月の珠洲トライアスロンのカーボパーティにて。

珠洲トラには、2回出たことがあります。
カーボパーティというのは、レースの前夜祭のことで、パスタなどの炭水化物を食べまくってカーボチャージすることが目的です。

8月最終週という、夏の炎天下の大会で、暑さとの戦いでした。

ランのエイドで出てきたスイカが、甘くてすごくうまい!
珠洲は、スイカの名産地です。

今年のレース開催は無理だろうけど、また出たいな。


東日本大震災の被災地:名取市閖上を訪問

令和5年(2023年)11月18日(土)、別エントリで述べたように、日台友好議連にて日台友好サミットin仙台に参加してきたのですが、これと日程を合わせて、閖上を訪問してきました。

東日本大震災の被災地は、数年おきに訪れて、復興・衰退の様子や、街並みの変化を定点観測するようにしています。

 

 

ガキの頃に仙台市富沢という、わずか数キロのところに住んでいたこともあります。

名取川で遊んでいたので、その河口の閖上には親しみがあります。

閖上という地域は、基本的には漁業メインでした。

仙台市中心部まで通勤することも距離・時間的には可能ですが、通勤する人がわざわざ住居を構えるような場所ではなく、「出ていく人はいても、入ってくる人はいない」といった感じの地域です。

震災前は、住宅が密集して立ち並び、後背に水田が位置していました。

住宅街は、ほぼ全域が津波の被害を被り、犠牲者も多数出ています。

 

 

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旧市街の中心に位置する、名取市東日本大震災慰霊碑へ。

公園となっており、中央に慰霊碑が立っています。

この慰霊碑が立つ、海と貞山堀の間の中洲エリアは、震災前は人家が密集した住宅街でした。

 

 

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今は、この中洲状の地域一帯は、居住用の戸建住宅・集合住宅を建設し、住むことは禁止となっているとのことです。

 

このレギュレーションは、市レベルで定めたものです。

 

元々、この地域に土地を持って居住していた方からは、土地は県が買い上げたそうです。

 

今は戸建て住宅・集合住宅は1軒もありません。

 

倉庫、工場、店舗などがポツポツと立ち並んでいます。

どうやら水産加工業の誘致に力を入れているようで、関連業界の倉庫・工場がたくさんありました。

 

今はまだポツポツと建物が建つばかりでかなり広い空き地が広がっているように見えますが、既にけっこう土地は売れているらしい、とのこと。

(このあたりの話は、現地で口頭で被災経験者の方から聞いたものです。ちょっと説明の仕方が曖昧だった上に、裏取りしていないので、情報が間違っている可能性あり)

 

 

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旧 閖上小学校前歩道橋の鉄骨が、震災遺構として公園に保存展示されています。

この歩道橋の上に登って、津波を逃れた方々もいたとのことです。

 

 

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名取川沿いに建つ、名取市震災復興伝承館

水防倉庫としての機能も果たしているようでした。

 

 

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子どもたちが作った、震災前の閖上の模型。

民家の一軒一軒には、「〇△さん」と居住者のお名前の旗がさしてあります。

 

 

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閖上は、1960年 チリ地震津波において、「津波が来るぞ!」と避難したものの、実際には被害がなかったどころか、潮位はまったく変化無しだった、という経験があるそうです。

そのため、閖上のお年寄りたちは、「今回も、津波は来ないだろう」と高をくくって、逃げなかった人が多かったとのこと。

 

 

また、地震直後、防災広報無線が使えなかったことも、被害を大きくしたようです。

私が話を聞いた被災者の方は、

「防災無線は元々壊れていたのかもしれないし、停電によって利用不能になったのかもしれないし、原因は分からない。消防団が津波から逃げるように呼びかけて回ったけど、逃げずに津波に飲み込まれた人が多かった。消防団員も何人もお亡くなりになった」と言っていました。

 

 

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震災後、土地区画整理事業によって新しく街路築造されたエリア。

盛り土されています。

震災後、区画整理事業の完成までには7年間かかったそうです。
(それでも、蕨市の錦町土地区画整理事業と比べれば、驚異的な速いスピードですけどね)

 

元々、このエリアに土地を持って住んでいた人は、減歩されたそうです。

居住禁止となったエリアに土地を持って住んでいた人は、
・このエリアに土地を賃貸して家屋新築するか、
・街を出ていくか、

という選択を迫られたそうです。

 

家のローンを抱えたまま被災し、被災後に更に新築することで、二重ローンを抱えている人もいるし、おまとめローンを組んだ人もいる、とのこと。

財政上の支援はなかった、とのことでした。

 

 

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災害公営住宅。

 

地元の方曰く、高齢者が多いとのことでした。

私が話を聞いた方は、「被災して、家を新たに立てる資力も気力もないお年寄りが、終の棲家としてあそこに引っ越した人が多い」と言っていました。

 

 

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閖上港へ。

これはなんだろう?

google mapにも掲載されていないので、なんだか分からない。
港の監視施設?

 

 

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閖上港にある、「閖上の記憶」。

旧 閖上中学校の被災生徒のご遺族が立ち上げて運営している、伝承館です。

 

 

このエントリで「被災者から聞いた話」と書いた内容は、こちらのガイドの方からお聞きしたものです。

このガイドの女性は、お子さんが当時中学生で(今は社会人とのこと)、被災後、一時的に、名取市が用意した仮設住宅に住んでいたそうです。

仮設住宅は、名取市愛島台という、内陸の新興住宅街に用意されました。

交通の便が悪く、名取駅まで9km、バスで34分かかります。

お子さんの高校への進学を考え、閖上を出て、仙台市内に引っ越す、という決断をしたそうです。

 

 

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こちらは、2011年 東日本大震災とは無関係です。

 

昭和8年(1933年)昭和三陸津波において、津波がここまで遡上してきた、という事実を後世の住人に伝え、注意を促すことを目的とした石碑です。

 

 

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石碑に書かれた銘文。

4本建てられたそうですが、現存するのはこの1本だけです。

 

 

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名取川の堤防の外側斜面に、突き刺さっていました。

 

 

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閖上から、東部復興道路を通って、名取川を渡り、仙台市藤塚地区へ。

 

津波で破壊された墓石。

 

 

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藤塚地区の名取川堤防上に盛り土をして設けられた、避難の丘。

 

海沿いに延々とサイクリングロードが設けられており、気持ちのいいコースとなっています。チャリダーがたくさん走っていました。

 

 

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仙台の市街地に移動して、地下鉄東西線 荒井駅の駅舎内に設けられたせんだい3.11メモリアル交流館を見学しました。

こちらは、パネル・写真展示が中心です。

 

 

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これはとてもいい写真ですね。勇気づけられます。